山中遙子監督 ハピネット 新宿武蔵野館
2024年公開映画/2024年に観た映画 目標 36/100です。 現在は34/105
河合優実さん目当てで行きました。あと、凄く評判が良かったので。
山中監督作品は「21世紀の女の子」で観た 回転てん子とどりーむ母ちゃん しか観てないです。ですが、今作は初長編作品とのこと。期待はし過ぎない態度で臨みました。
結論 長い。そして、分かんなかったです。
えっと、これから色々理由とか書くと思いますけれど(あくまで私の備忘録としてですが)、正直、脚本と演出は上手くないと思います。観終わった後で予告編観ました。大変パンキッシュでキャッチーでZ世代(1990年代後半から2000年代に生まれた自我が目覚める前からネットが存在した世代 と言う定義だそうです)に共感する映画、カンヌでも観客賞を取っているそうです。
現代(2020年代)のどこか東京郊外の駅を遠景から映し出し、ある人物にズームしていくと・・・と言うのが冒頭です。
カナ(河合優実)は美容整形クリニックで働くスタッフ21歳。不動産業に就労している彼と暮らしています。が、基本的に虚無感を抱いていて、友人を慰める為に気晴らしにホストクラブに遊びにいく選択が出来る人です。そして一緒に暮らす彼には嘘をついて別の彼とも遊んでいます。道で声かけられる男性にも、それなりの態度が取れる自己主張もする女性です。
冒頭近くのシーン、カフェにて友人と対面する場面、非常に面白くなりそうな、自分たちの会話と他のテーブルいくつかの会話が聞こえてきて、私もよくやるんですけれど、盗み聞く、というよりはラジオのチューニングを合わせる感覚で聞いてしまう事ありますし、なんなら対話しつつも聞けるんですけれど、それが映画内で再現されていて、ココは凄く面白かったし、なんというか監督を職業にしている方々(数少ないけれど、お話しさせていただいた方が数名います)に共通する、現実を俯瞰している人にありがちな行動にも見えます。
ただ、何と言いますか会話が空疎。それと、2024年に聴く単語として、まぁまず無いと思います。単語の意味と語彙が強すぎるから、使いやすいけれど、ちょっと、ね。こういう部分のセンスがあまり乗れない。もっと2024年的な単語はあると思う。
演じている河合優実さんの演技スケッチとして、唯一楽しめる感覚がありました。その時々、そのシーンにおける河合優実性ともいうべき感覚があります。おそらく当て書きなんだとも思いますけれど。
男女を逆転させたら、と考えても、まぁ理解は出来るけれど、成立はする。ただキャラクターとして古い・・・でも、今まで役割としての女性性を演じられてきた人の鬱憤を晴らすのに消費して良いのでしょうか?これは彼女の劇中の言葉ですけれど「ネットで調べりゃすぐに理解できるのに」「自分で考えられないのかよ」というそのままをそのまま返したくなる瞬間が多過ぎました・・・
若い世代の生きにくさを、性別で役割を勝手に決められていた時代から、その不公平性をこれからは変える、というならば、同じ轍を踏んでどうするのだ、という気持ちになってしまうんです。もちろんやられた事をやり返す自由はある。
まぁどちらかというと自分の感情を発露させたいんだろうとは思う、公平性とかフェアネスよりも。
ナミビアの砂漠というタイトルはなんだったのか?が全然理解出来なかったのですが、どんな意味があるのか?皆目見当がつかなかったです。多分私がおじさんで感性が鈍くてミソジニーな部分を持っているからだと思います。
すっごく好意的に解釈すると、ナミビア砂漠に生息する動物を観察するように、カナ(を演じている河合優実)という動物を観察する映画、と言えなくもない。
キャスティングは凄く良かったし、納得もするんですけれど、総じて素人さんの作品に感じられました・・・
余白を勝手に良い方向に、これが分かる私はそっち側って言いたい人に評価されそう、という世界を敵に回す発言もしちゃう・・・それぐらい乗れなかった・・・
同世代の監督で言えば私は断然、首藤凛監督の新作が観たい。ずっとパンキッシュで、もっと根源的な渇望を見せてくれるから。
ネタバレなしでいえる事が少ない・・・映画作品としては全然乗れない作品だったなぁ・・・
河井優実がきになる人に、だけではオススメ出来ないのですが・・・
この先品を観た人の、それも女性の意見を聞いてみたい気もしますけれど、なんだかなぁ・・・多分私の感性が死んでるんだと思いますよ。
まぁ器が小さくミソジニー要素を抱え持つダメ人間でオジサンの感想なんで基本スルーで。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です。また、本作に対する個人的な感想ではありますが、不快な文章が多数含まれます。
そんな文章は恐らく誰にも読まれないで良い文章なので、私の備忘録として残しているだけです。
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ネタバレありで言うと、
確かに、今までの日本映画の中ではみた事がないキャラクター。そして演者の演技力で、確かにシーンごとに、成り立っている。
でも逆に言うと、脚本としてはあまりに魅力を感じなかった・・・
今までされて嫌なこと、を同じ方法、もしくは感情の発露として暴力、暴言を許していいのか?と言う気持ちになった。
あまりに、シーンで、もっと言えば相手、もしくは状況で態度が違い過ぎるし、自分に正直、と言うのであれば、それは善き事ともいえるのかもしれないけれど、世界はあなたの為に出来上がっていないし、自己中心性、なんなら幼稚性を感じさせる・・・舌打ちされて、わざわざ箸を落とされて拾え、と命じられるのが楽しい人は少ないのではないか?と思う。甘やかされている環境こそが大切で、その環境すら、他に好きな男(まぁ性別は問わないけれど)が出来たら、というか気持ちが離れたらそちらに行く事に、躊躇なくウソを交えてもいけるの、まぁすげぇとは思う。
自分に正直が素晴らしい事か?凄く考えさせられる。まぁ若さ、とは言えるかも。
確かに最初の男の過保護性は何かしらの嫌味も感じるし、結局のところ、自分のことしか考えていない訳で、路上で突っ伏して泣けるの、なかなかなナルシスティック、もしくは弱みを見せて相手に取り入る端的な手段としても、理解はするけれど、実行できる人はそうはいないんじゃないかな?
あくまで保護され、甘やかされ、生活の依存と言える状況に身を甘んじている人間が、だからと言って他の人間に走る場合に、相手(確かに風俗に行った事をわざわざ言葉にして自分の心地よさ、自分の良心の呵責に対しての『楽』を選んでいるだけ)に後ろ暗いところを 利用 して別れるのは、人間としてもどうかと思うし、その考え方を批判する私が古臭くて、契約で縛るタイプなのかもしれないが、まぁ下品であることは言えると思う。他に好きな人ができたならそれを言って別れればいいのに、そうはしなくて、自分を良く見せたいまでは言い過ぎかもしれないけれど楽な道を選びつつ、相手に対してマウントを取れる時に喜び勇んで(つまり笑みを浮かべ楽しみつつ)利用するのは、今の世代やZ世代で普通なのかもしれないけれど、どうかなとは思う。
劇場では前の男が車から突然出てきて突っ伏して泣く場面が一番声を出して笑うシーンだったが、それを笑えるなら、まぁ過去の男性優位の社会や映画でも、捨てられる女の自己陶酔的な浸る場面を笑っているのと同じで、気持ち悪いとは思う。
次の男の場合もなかなかで、カナの態度としては別に変わらないし、なんなら暴力を通しての連帯みたいなモノがあるのかも知れない。私は全然理解出来ないし、それを器が小さいと非難されたら、そうです、と答えると思う。この器が小さい問題も、正直、男女の役割分担的な論拠ではないのか?と思う気持ちもある。
基本的に男性の家族間コミュニケーション不足は、それを認識する機会(つまり親に自分の彼女なり付き合う他者を会わせる機会、家族外の人間と親しくなった事を紹介する機会)が無ければ認識出来ないくらい、そう言うモノとして刷り込まれていると思うし、ここが全くなくいられる人の事は聞いたことが無い。経験しないと認識できない事の一例だけれど、かなり大多数の人が経験しないとワカラナイ現象の一つだと思う。そして、それを、つまり招待される側は何度も経験していると思う。
起こった事をその後にどう生かすのか、どう扱われて、どう思ったか?を意見交換しないと難しいし、察しろと言われるんだろうけれど、難しいだろうと思う。そして、もちろんこの映画では、関係の持続を目指す行為は、全く、全然、写されない。多分そこを見せたいわけじゃないんだろう。
男が食べかけのカップ麺の箸を、食べもしないのに手に取って、自分の手で、落として、拾えと命じる事で何が満足されるのであろうか?????
昔から何度も形を変えて聞いてきた話を個人的にまとめた小話『モンブランとショートケーキ』を思い出す。
夜中 ギリギリお店が空いている可能性のある時間帯
女 ショートケーキ食べたくなったから買ってきて
男 (なにやら不穏な空気を感じるが、前もって回避する手段を知らない)分かった間に合うかどうかわからないけど行ってくる
男 (コンビニのスイーツではなく、ケーキ屋のケーキじゃないとこれはダメな奴だ)
1時間くらいかけて開いているケーキ屋を探してショートケーキを購入
男 遅くなってごめん、ショートケーキあったよ
女 もうショートケーキじゃなくて今はモンブランが食べたいんだよ、そんな事も察せられないのかよ鈍感!(とかその他暴言や詰り詰問が続く)
私は何度もこの手の話しを聞いてきたけれど、これなんなん???
私のワガママを聞いてくれる男に承認されたい欲求なのか?女王として崇め奉り上げられたいのか?それともマウントがとりたいのか?
私が思うに、この行動を取った後で男が考えるのは、どうしたら実害が少なく別れられるか?じゃないかと思う。めんどくさすぎる。惚れた腫れたという、頭に虫が沸いている状態であれば数回は出来るかも知れないし、虐げられたい欲求を持つホモサピエンスもいるとは思うけれど、醒めれば同じ結末に向かうし、建設的な会話が生じる余地が少なすぎる。エスパーに、超能力者になれと?それも好意を寄せる相手の事だけを考えて生きろと?富豪や遊んで暮らせるホモサピエンスならまだしも、本当にどうかと思うのですが、この映画のカナのこの時の衝動が全く理解出来ない。そして映画内でも説明がされない。
多くの女性は相手にこのような事を求めているのであろうか?永遠に持続する事がアリエナイと言っても良いほどこの理不尽な世界で?
この後、キャスティングは最高な精神科医が出てきて、中島歩さん最高過ぎる。けれど、カナは自分を病気だと考えているのであろうか?
私は、この前段階で、転んだのは自分のはずなんだけれど、腕や脚や首を痛めた間に従属させる関係を手に入れて優越感に浸る味を知ったので、病名を付けて貰って、その病名を根拠に男を従属させるキーアイテムとして使う為に知りたいのではないか?としか見えなかったです。
実際の女性の知り合いが「精神科医が付いてるし診断書も書いてくれるから会社は行かなくてもしばらく残れる」という発言を聞いたことがあります。
こういうの男女差があるのかないのか知らないけれど、それと関係なく、ホモサピエンスとして下品で器が小さいよりも姑息で卑怯とは思う。私は器が小さいミソジニーな部分がある事を認める一視聴者だけれど、イヤだな、と思う。
しかしこの映画が見せたいのはそういう事でもなく、自由に生きて欲望を肯定する生き方の提唱なのかも知れないし、もっと他の理由があるのかも知れません。
(とは言え、状況が合致する人たちがこの映画を観て詐病という手段を用いるきっかけにはなって欲しくないなぁ、その可能性は否定できないけれど)
違う精神科医?分析医?が「悪は存在しない」の時のイベント会社の女性の人!なんか雰囲気あるし、説得力あるし渋谷采郁さんのキャスティングも素晴らしい。噛んで含める説明の説得力はちょっとびっくりしたくらい良かった。
で、箱庭療法からのジャンプ。隣の英語学ぶお姉さん。
このお姉さん、凄く正しくも、理路整然としてる意味でも、何となくメンター的な人になるのかと思いきや、よく考えると都内のマンション近くの場所で焚火って?という気持ちにはなったし、結局のところ、何を言っても無駄で、その話題の先を言っても説得できない感覚から、何故か体力の消費を目指し始めた。その時の歌もなんですけれど、一瞬これはカナの脳内妄想か、ファンタジーなのかとも思いましたが、多分現実の出来事なんでしょうね。
このお姉さんと、職場で出来た後輩「タバコが吸えなきゃ辞めよかな」を発言、表明出来るのもなかなか凄い。この人は初めて見ましたがインパクトある。爪痕残したな、と言える、そして、おそらくカナと同種類の生き物。
急に予約も無く病院を訪れて一緒にご飯を食べに行く誘いをするの、私が言ってるんじゃなくカナの声で私の脳内では「ネットで調べりゃすぐに分かるのに」とか「自分で考えられないのかよ」という心の声が聞こえてきます。
といろいろいいつつも、この2番目の男とは暴力的体力消費関係が最も拮抗状態を得られる関係で、お似合いなんじゃないかな?とは思います。
恐らく、自分の関係のある腹部エコー写真を持ってくる男の不用心さも恐ろしいけれど、ダンボールを開けないで果物を腐らすずぼらとの関係はちょうどいいのかも知れないが。
揚げ足を取り、付き合って同棲しているとはいえ他者の昔の関係に、簡単に踏み込んで自分の負の感情をぶつけ、あまつさえ揶揄する女性でも男性でもホモサピエンスに、何の共感も持てない私は、器が小さくミソジニー要素を持ったダメ人間だから仕方ないと思います。そして個人的にはこの映画を褒めてるのは、そういう部分が無い立派な人だと思うし、なんなら、心の中ではそう思えていなくとも、この映画を褒める側に居る自分が好きな人なんだろうな、とは思った。
いくら何でも長すぎで、整合性というかこの映画の映画としての面白味が無さすぎる。
これから褒めてる人のレビューや感想を聞いたり見たりしますけれど、どの辺を面白がってるんでしょうね。
もしかすると心の清々しい方々の感想やレヴューを観て、私の心の器の小ささとかミソジニー加減に変化がある
わけないな。
コリン・ケアンズ キャメロン・ケアンズ監督 GAGA toho新宿
2024年公開映画/2024年に観た映画 目標 36/100です。 現在は33/104
友人にオススメされたので、すぐに観に行きました。それと、シビル・ウォーが全然ハマらなかったので口直しに。
ジャック・デルロイ(デヴィッド・ダスマルチャン)は1970年代にテレビ局と契約し深夜トーク番組(生放送で観客もスタジオに入れるタイプ)「Night Owls」の司会者に抜擢され・・・というのが冒頭です。
さらに、宣伝でも使われているのですが、ファウンド・フッテージモノです。つまり1977年の深夜番組のマスターテープが見つかった形、で映画になってます。
この設定が素晴らしいし、その上で1977年というのが絶妙に、個人的に良かったです。この手の番組でいうと、私はテレビ放送で見た「グラハムカーの世界の料理ショー」が大好きで、それは吹き替えの魅力もあってあっての事なんですけれどトークバラエティショーで、ゲストが出演するものを想像していただけたら間違いないです。
しかも、ここに、生バンドの演奏が入るんですけれど、この演奏がまたすっっごく好みでした。ジャズ調のファンクなテーマ曲、そして効果音含む出囃子さえも生演奏。こういう贅沢さって今は無くなってしまった豪華さですし、最高に映えます。つまり音楽も素晴らしかった。
いろいろと設定、それも映画的には縛り、が存在します。過去のテレビ放送で、生放送であり、視聴率低迷で番組の存続が危ぶまれている為に、定番で安定化したモノではない、アクシデントでさえ構わない、という状況なんです。
ここが凄くうまいと思います。縛りであると言うことは、逆にここを克服できた場合のカタルシスは大きい、という事ですから。そのジャンプが素晴らしい。これは脚本の勝利だと思いますし、その脚本を書いているのも監督であるコリン&キャメロン・ケアンズ兄弟監督で、初めて観たのですが大変感銘受けました。
それと、確かに人気者であり、主人公のジャック・デルロイを演じるデヴィッド・ダスマルチャンの存在感がイイです。どこか愛嬌があり2枚目も3枚目もできて、機転が効くのも魅力。そして調べてみると面白かった方の「スーサイドスクワット」(ジェームズ・ガン監督作品)のポルカ・ドットマンの人でした!納得!この人暗い人も出来るの、芸達者ですし、素晴らしい。流石役者さんですね。でも、最後の方はちょっと尾崎紀世彦に見えたりしました、それは私の幼少期の個人的体験があるからだとは思うけど・・・
そしてリリー役の演者の、なんと言いますか、ホラー映画の肝である所の儚さがあり、だからこそのギャップが素晴らしい。この時でしか出せない何かがあると思います。
期待していなかった分、もっと言うとやはり予告編とか調べないで観る映画の面白さって、予告編を見て雰囲気が分かってしまうと減じられるモノなのだと言うことを理解しました。
ただ、ナイトオウルって聴くとどうしても、名作漫画「ウォッチメン」の2代目ナイトオウルの事を思い出してしまいます。
気になった部分で言うと、設定を生かしきれてないのが、冒頭に出てくる謎集団。ここはもう少し練れたはず。もっと上手く絡めても良かった。あとラスト、ね。これは驚きはするんだけれど、なんで?にはっきりした答えが、個人的には見いだせなかったです。ここは残念。
でもそう言うことを抜きにしてもかなり良かったです。
ホラー作品が好きな方は勝手に観るでしょうから、是非グラハムカーの世界の料理ショー的な、古いテレビ番組が好きな方にオススメいたします。
アテンション・プリーズ!
ココから最後にちょっとだけネタバレありの感想を。
未見の方はご注意を。
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ちょっとだけネタバレありで言うと、リリーに取り付いたグリグス、宿主であるリリーの殺害はちょっと驚かせる、に振りすぎで、主人公ジャックの物語に寄りすぎだと思います、勿体無い!ここはリリーが宿主である以上に、現世に復活する為には新たな宿主であり現世への影響度が高くなるジャックへの取り憑きに、トラウマが必要で、だからこそ、と言う描写さえあれば、もっと上手くいったのに!と感じました。
アレックス・ガーランド監督 A24 toho新宿
2024年公開映画/2024年に観た映画 目標 36/100です。 現在は32/103
すみません、英語に詳しくないので普通にcivil warということは、内戦、と訳されると思いますし、アメリカで内戦といえば、南北戦争なんですけれど、まぁ、新しい内戦を指した言葉なんだろうと思います。
内戦を辞書で引くと多分、自国民同士の戦争、ということになると思います、私の認識では・・・つまり、非常に敵味方が判別しない、かなり苦しい状況と言えます。そんな状況に何故陥ってしまったのか?を知りたくなるのが普通だと思うのです。
ネタバレなしの感想なんで、あんまり言えることは無いのですが、すごく色々説明不足や、状況不足な上に、なんというか楽観的な、もっとはっきり言えばエンターテイメント性に溢れた作品。それを、不謹慎な作品と思うか?誠実な作品と思うか?は観客の判断に委ねられています・・・と言いたいけれど、委ねてるっていうよりも、放り投げている感覚。だってこれ映画だもんね、という制作側の薄っぺらなオプティミスな感覚が感じられて、だとすれば、もう少しタイトルを、とも思うけれど、つまり、ハレーションを起こして(今だと炎上商法的なことですね)観客に訴える感覚さえ織り込み済みな感じです。
もうこの辺でご理解いただけると思いますけれど、私は全然乗れなかったです。
もっとうまく脚本からして練られたと思いますし、音楽の使い方も、凄く違和感あります・・・
唯一良かったのは、赤メガネのシーン。
これをアメリカの人はどうみたんでしょうね・・・
細かい設定が気にならずに、勢いだけで映画はイイ、なんならエンタメ作品が最高!という人にオススメ、出来るかも微妙な感覚・・・
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想ですので、未見の方はご遠慮くださいませ。
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ネタバレありの感想としては、
まず何よりも状況について全く説明がないから、西部連合とかフロリダ勢力とか言われても、なんでそこまで?という理由は全く説明されない。そこにこそ重要な部分があると思うのですが・・・
しかも、大統領の声明が14ヶ月出されていない状況というのが理解に苦しみます・・・大統領サイドにも当然政治力や色々声明を使って何かしら打開しようとする試みが無いのは、ちょっと解せない。
この状況なら、世界的な混乱も当然あるはずなんだけど、それは1mmも描かれない・・・
というこの辺のことを、この映画が見せたいのはここじゃないんです、的な意味で飲み込んだとして(かなり譲った感覚ですけれどね)、ワシントンDCまでの道路が封鎖されてなくて、フリージャーナリストが入り込めるのも、違和感あるし、なんなら道中の街単独での統治が効いているのも、凄く納得しにくい。
いやだからこそな、1番この映画で緊張感のある、赤メガネの「どの種類のアメリカ人なのだ?」というシーンが作れるんでしょうけれど、その前の馬鹿騒ぎが余計に雑みとしてあって、上手くいってない気がします。
しかも、ラストショットが、大統領の骸の上で決めポーズで写真って、これはアブグレイブの一件を思い起こさせずにはいられないし、本当にどうかと思うということは、志が低くて、その状況を作る説明もないままに、エンターテイメントとして消費しようという感覚しか感じられなくて、全然乗れない。
おまけに、若いカメラマンである女性を助けて主人公は死んでいくってちょっとどうかと思うナルシズムを感じます。別に最後の戦闘のシーンじゃなくとも良いはずなんだけれど、なんか脚本が甘々。
私でさえ、車で脱出が時間稼ぎなのはすぐに分かるし、主人公たちにとっての重要シーンが映画的なクライマックスとして必要だったからじゃないか?と思ってしまい、その状況に至るシークエンスが下手すぎる。なので取ってつけた感覚になるのは仕方ないと思う。
音楽の使い方も、戦闘シーンを上げる感覚で使われていて、凄くヒロイック。能天気じゃないと、そんな簡単に音楽で乗れないと思いますし、本当に不謹慎で下品。
都合よく死んでくの見ると、ああ、この場面でこの人を殺しておけば御涙頂戴でいける、というキャラクターの配置を感じられて、お粗末。
なんでこれ作ろうとしたのか?全然意図が汲み取れない・・・
良かったのは、赤メガネの非人間性が高まってて、実際にこんな人いるのだろうか?と思うシーンと、車内でのアレを克明にとらえたシーンは、なかなか鮮明で良かったです(後部座席で新人女性カメラマンが、のシーン)。
伊藤ちひろ監督 パルコ U-NEXT
2024年公開映画/2024年に観た映画 目標 36/100です。 現在は31/102
主人公の職業、そして河合優実が出演している、と知り、観ました。が、もうなにがなんだか・・・明らかに、これは監督と脚本の下手、というか未熟というかダメさというか実力不足。なので何がしたいのか?何を見せたいのか?が皆目不明で、雰囲気だけで出来上がってて、凄く焦燥感があります・・・
それもそのはずで。
監督の方は美術スタッフから脚本家になられたそうです。そしてwiki情報を鵜呑みにするわけじゃないけれど、初監督作品。なるほど・・・と納得。だって、雰囲気だけ、で恐らくテーマや何を見せたいのか?が無い。もしくは雰囲気だけを見せたいのだと思います。
そして凄く女性的な感覚で汲み取ってもらう事に、躊躇や衒いが無い。
それは悪いものではないかも知れないし、女性的と言えるかもだけれど、男性に対してはあまり響かないやり方で、映像詩というジャンルもあるとは思うけれど、まぁなかなか飲み込みにくかったです、私にとって。
それに映画的な文法みたいなモノもあると思うのだけれど、多分全然そういうものが無い。その上で素晴らしいものが作れるというのであればそれは天災なんだろうけれど、そう言う意味ではこの方は監督向きの方ではないのではないか?あえて監督をしたいのであれば、もう少し工夫が必要なんじゃないか?努力すべきだったんじゃないか?という疑問を感じざるを得ない。
という事はプロデューサーは何をしていたのだ、となるんだけれど、wiki情報だとこのプロデューサーがこの監督を引っ張り上げた方なんで、何をかいわんや。
こういう取り組みが、新しい事にチャレンジする方法がダメなんじゃなく、今回のは上手くいってない、というだけ。監督としての才能や勉強が足りなかったのではないか?と、何も作った事が無い、才能もない、金もない、ダメ人間の私に言われたくないだろうな。それに私がそんな事を言える人間じゃないのは私が1番良く知ってるんですが、個人の感想です、というテレビやコマーシャルで画面の隅っこに映っているかいないかの小さな文字で何か言われた時の保険として掲げられているアレと同じなのは、一応記しておきたい。これで私の姑息さも表現出来る事だし。
主人公を演じている人が悪い訳では無いし、頑張ってるのが伝わってくる。でもこの人は歌手であって役者経験はそれほどは無い方ではないか?と推察しました。歌は面白いけど、演技は別物。
ただ、キャラクターとして、演じている馬場ふみかさんの造形含めて面白いとは思ったので、それで満足。
それと当たり前なんですけれど、河合優実さんの演技が恐ろしくイイ。爪痕をちゃんと残している。流石としか言いようがない。この人の出ている瞬間だけ、画面に異常な緊張感が出てて、本当に末恐ろしい。
で、馬場ふみかさんが何者か?役者なのかと思いきや、モデルもされてるそうで、YouTubeで出演映画の予告編を見て見た(恋は光)のですが、何処に出てるのか分からなかったです・・・顔だけじゃ判別出来ない・・・これが老人力。
というわけで馬場ふみかが気になるんじゃなく、この作品のキャラクターが好きなんだな、という事でした。
河合優実を追いかけている人にオススメ致します。
ジョージ・P・コスマトス監督 キャノンフィルムズ U-NEXT
2024年公開映画/2024年に観た映画 目標 36/100です。 現在は31/101
とある監督さんが好きな映画に挙げていて、テレビで流し見はしたことありますけれど、ちゃんと見て見ようと思って。
スーパーの駐車場にバイクが乗り入れてきて、しかも態度が悪い男が・・・というのが冒頭です。
なるほど!という感覚がありました。前に観た時の記憶ですと、なんだか普通の刑事モノみたいな感じだったのですが、これは凄く80’sな作品。
音楽、ファッション、雰囲気含めて、とにかく80年代。なんだかジャンクで能天気。でも、そこにも愛があります。
異質な感じがするけれど、これも80年代ならではな、健康志向。これでエアロビの場面が出てくれば完璧な作品になってたと思います。
最終決戦場も、凄く、アレを思い起こさせる。でもそれすらこの作品の方が後なんですけれど、インスパイアされたわけではなさそう。
武装カルト集団なんて、まさに80年代って感じもありますし、90年代の先取りとも言える。
で、まさか奥さんだったとは・・・そう言う意味でもダーティー・ハリーな作品。
ちょっと変わった刑事モノを観たい方にオススメ致します。