2025年12月16日 (火) 09:11
ショーン・ダーキン監督 A24 U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 46/126
友人のKくんの是非のオススメ。で、そう言えば他の方もオススメいただいていたので。ただ、最後の一押しはKくんでした。
inspired by a true storyという字幕があり、inspiredって英語の意味を調べると、鼓舞する、激励する、発奮させる、霊感を与える、とかですけれど、これ、実際に本当にあった話しとしてはちょっとどうなんだろう、とは思いました。そもそも映画にして役者が演じている訳ですし。
※注意!!
私はこの年代には珍しいかも知れませんが、プロレス弱者です。プロレス観戦には行った事があります。タイガーマスク目当てで言ったら藤波選手(特に思い入れが無いけれど名前は憶えています)の結婚のお祝いの試合みたいなイベントでした。その後は全然観てなくて、大学時代にパンクラスの試合を友人たちと一緒に行ったくらいです。その時はパンクラス、という試合が真剣にやっているように見えたので興奮はしましたが・・・
モノクロのプロレスの試合が写され・・・というのが冒頭です。
冒頭に近いシーン、家に飾られているのが銃と十字架です。それぞれ、父と母を表していると思います。
家族の檻を描いた映画です。呪われた一家、と言われているみたいですけれど、恐らくその「呪い」というのは男性性とマッチョ思考と家父長制というエンジンで駆動していると思われますが、この一家が暮らしているのがアメリカでして、そこに信仰というブーストがかかっているように見えました。
プロレスが好きな人には凄く有名な話しみたいです。
で、実話のようです、概ね。wiki調べなので、その程度の確証しか分かりませんけれど。
主演がザック・エフロンですけれど、初めて観た役者さんですが、上手い!ビックリしました。何というか感情を表現出来ない事を顔の表情だけで表現出来るのが、凄い。演出もあるとは思いますが、本当に素晴らしかった。
で、いつもと同じ感想になってしまうのですが、父フリッツ・フォン・エリックという人物の行動は変えられる可能性があったのか?という点がポイントなんだと思います。この映画内で起こる事のすべては、この人の余波と言える。
簡単に毒親、と言えない感覚がありますし、何しろテキサスです。
テキサスには行った事が無いんですけれど、テキサス的な事については幼少期から叩き込まれているので、そしてテキサス的な事象に心酔している人物を育ての父として観てきているので、ある程度のリテラシーがあります。例えば服装でも、ウエスタンシャツのスナップボタンは簡単に外れないとロデオとか牛の世話中の事故が重大になるから、とかは理解しています。そしてとても乱暴でマッチョな世界なわけです。
この父の怨念、その発露の方向性について気になりました。
父の考えを変える事が出来たのだろうか?
そして、ここに、母である妻の信仰というブーストがキマッていて、つまり信念を貫く事に過剰な意味を与えやすいのが信仰のなせる技なわけで、私は相当に難しいと思います。
転向した事を揶揄する風潮は何時の時代もあると思いますが、それってアップデートしない事を善しとする思想、考え方なわけで、幼児性と同義でもありますよね?
価値観の違いを説明しても、聞く耳を持たない、先鋭化する事に正しい意味を持たせてしまう状況で、プロレスの事しか頭に無い、チャンピオンになる事が全ての正解でゴールで勝ちのある事、という事になるからです。
ナンシー関さんはうちの国の事をヤンキーとファンシーと例えられましたが、そのヤンキー、より日本的な表現を使えば、武士的な暴力性を信念としてしまう価値観を変えるのは相当に難しいと感じました。
ただ、私は呪い、という言葉は見当違いで、科学的根拠のない事で、迷信とか、妄信と言って良いと思います。
これは教育、家庭内教育、または刷り込みの結果なのでは?と思います。
教育に興味のある方にオススメします。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想になりますので、未見の方はご遠慮ください。
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ネタバレありの感想ですけれど、プロレスへの愛のないホモサピエンスの戯言になってしまったので、プロレスに愛のある方はご遠慮下さいませ・・・すみません。
あと、文章が全体的に支離滅裂で順番とかもちょっとめちゃくちゃです。
別に家父長制の全てが悪いとは思いませんし、必要な時代もあったとは思いますし、その過去を変える事は出来ません。が、もちろん悪い面もありますし、2025年の現在の私の感覚では、どう考えても害の方が強いと思います。
基本的にはプロレスの事を知らないので、愛の無い発言になってしまうかも知れないのですが、分からなかったので。
どうしても感じるのは、戦っていた相手と試合後に飲みに行ったり食事に行こうと誘うシーン、試合前の上手くやれ、順番とかを話し合うシーンも入っていますし、単純に強さを競う競技では無いのだと思います。
そこに物語を乗せて、エンターテイメントを提供する、プロスポーツ。という解釈をこの映画では持ちました。それはそれでイイし、そういう事を抜きにして、純粋に勝負であるというドリームに乗っかって楽しむ人も居て当然ですし、それでよいのだけれど、その自分の感覚を他者に強要させようとするファンが多いのも、プロレスの特徴かと思います。
私はアントニオ猪木さんの評伝を読んだ読者ですが、それが全てを語っているとも思いませんが、結局の所、虚勢を張る、という行為を、自らを騙して行っている、という人物に見えました。なんでプロレスが世界最強の格闘技である事を証明しないといけないのか?その理由がはっきりしない上に、凄くいきっている、と感じるのです。それが興行の為だとしたら、それは生活の為であって、最終的にはプロレスというエンターテイメントの為、と言えるかも知れませんが、その手前に自分の生活の為、がある。しかも、だったら各団体が、とかやるのは非常に非効率的。結局の所エゴなのでは?と、愛が無いからこそ、引いてみてしまっています。これが、書籍とか映画とか自分の好きなジャンルの場合は、十二分に反論すると思いますけれど。そういうホモサピエンスしぐさが私にもあるしメタ認知しよう、という感覚もありますけれど、とは言えいつもじゃないし、冷静に、時間を置かないと無理ですし、出来ない時の方が多いわけです。
そして同じようにプロレスのレスラーたち、中の人も、非常に煽情的で、俺が一番とか、勝つ、とかしか言わない、凄く単純な思考に見えてしまいますし、大口をたたいているように、見える。
それでも、このような身体を痛める行為を仕事にする事には尊敬できると思います。恐らく、あえて、いきっている。そういう精神含む身体性を表現している。
のを理解している上で、最も気になるのが、父フリッツ・フォン・エリックの行動です。
この人、非常に強いし、勝負にこだわる人で、チャンピオンになりたい。そして、そのチャンピオンに挑戦する事に強さは関係していても、それが絶対条件ではない。興行的なルールがあり、運営する側がその決定権を握っている。そして引退して興行主となった父は(現役時代は描かれていないから不明だけど)としてそれを当然知っている。
その上で、息子たちに、チャンピオンになれ、と迫るのは、少しオカシイと思います。その興行の側、つまり父自身が、決定権を取る努力をしないとならない。
自分も引退した、衰えた、老化した、という事実に眼を背けている。どうして自分はチャンピオンになれなかった、という点を見てないのか?それはフィリッツ・フォン・エリックの考え方で言えば、負けた、事になるのに、何故自分にだけは批判性が向かないのか?ずっと永遠に強いままでいられるホモサピエンスなどいませんし、強い人の上にはまたもっと強い人もいるでしょうし、体格の違いや重さの違いなど超えられない条件は山のようにあるのに、息子たちには強くなれ、家にチャンピオンベルトを持ってこい、と言うのに、自分はなれなかった、実力が無かった、運が無かった、と認められないのか?
無論強くないと、そして興行的に映えないと、挑戦権を得られないのも分かるけど。
なんとなく、息子を使って憂さを晴らしている、のではないか?と思われるし、息子たちが絶頂時代のリングの上で挑戦の順番について、言い間違えてみたり、コインの裏表の裏をわざわざ次男にしている事からも、恐らく、この父は次男の事を好きじゃない。
当然次男もその感覚を理解している。
でもその表現の仕方がワカラナイ。この辺、凄く社会性が無い。それに妻になる女性も社交性が無いと言ってますけれど、この人たち、というかフィリッツ・フォン・エリック家の人たちのコミュニケーションの無さってもしかして、それだけ父の支配が強い、という事かもしれませんが、普通、学校に行って、それ以外の関係性も必要な事を学ぶのに、それが無いのも凄く不自然で、父だけの影響じゃない気もしました。
息子の中の1名は、オリンピックの選手になっているくらいですし、当然、そのコーチとかもいたはずですし、バンド仲間も居た。
事故と病気は偶然だと思うし、病気に至っては病院に行け、なんだけれど、それを弱さと考える「教育」のせいだとすると、基本的に事故以外は教育の結果、という事も出来る気がしました。
父の行動を変える事はまず難しいと思いますし、恐らく、変える可能性があるとすれば、その人は、その人生を全て擲つみたいな事をしないと変えられないと思いますし、それはその人にとって善き事ではない。
ところで、あの注射ってなんだったんだろう?
2025年12月13日 (土) 09:13
https://www.youtube.com/watch?v=KgfkthLpeXw
デヴィッド・ゼルナー ネイサン・ゼルナー監督 スクエアペグ U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 46/125
これも見逃していた作品ですが、ついにU-NEXTに来てました!嬉しい。
ジェシー・アイゼンバーグの出演作は最近外せない感覚ですよね?この作品は、しかもライリー・キーオと出演してて・・・絶対面白い可能性が高い奴です。
で、当たり前ですけれど、面白いし、とにかく変わってる。ちょっと観た事が無い種類の映画ですが、スタッフロールの途中に、まじめにネガティブな人が真摯に製作に向き合う事で有名なアリ・アスターさんの名前があってビックリしました。こういう映画とも関わるのか。
ホモサピエンスから見たら恐らく類人猿的な存在であるサスカッチ族の4人の群れを追った作品です。
このサスカッチに名前が付いてなくて、凄く判別が難しいけれど、気性の荒い雄、穏やかな雄(ジェシー・アイゼンバーグ)、気性の荒い雄と仲良しで恐らくまだ子供の雄(監督の片方ネイサン・ゼルナー)、唯一の雌(ライリー・キーオ)の4人(?)です。
もう観ていただくしかないのですが、そして今2025年の12月はコテンラジオでリンカンをやっているのですが、その前史としてのアメリカ開拓の話しが出てきますけれど、本当に、凄く、北米大陸が広くて、ホモサピエンスの人口密度が薄い事が分かります。
そしてだからこそ、もしかしたら未発見の類人猿が居るかも知れない、という発想があるのだと思います。
その未発見の類人猿サスカッチ族から見た自然、そして当然ながらサスカッチ社会があり、意思の疎通や文化があるわけです。
凄く細部まで詰めて考えられてる感覚はあります、社会人類学者ではないからワカラナイ部分もありますけれど、文化については凄く考えられてる。
サスカッチ族の文化、確かに、アレだと、痕跡が残りにくいな、とか、悼むという概念があるな、とか、コミュケーションの方法の意外性、また嫌悪する事に対するアクションの面白さまであって、まるでヒューマンウォッチングの感覚で続きが気になります。生態を知る楽しみみたいなものがあるのです。
さらに景色、風景、自然が凄い上に、そのバックに負けないサスカッチの造形に、素晴らしい音楽がかかる事でちょっとしたマジックがかかっている感じになります。
まず、ライリー・キーオさんの仕事のchoice!そしてそのsense!が恐ろしいです・・・そして目だけでも可愛い。
ジェシー・アイゼンバーグさんのchoice!マジ最高かよ、です。毎回凄い所まで行くなぁ。
恐らく、兄弟監督であろうデヴィッド&ネイサン・ゼルナー監督の今後にも期待したいです、サフディ兄弟監督みたいに片方は役者としても才能あるなんて、今後が気になります。
サスカッチという生き物に興味のある方に、オススメします。
2025年12月12日 (金) 08:57
https://www.youtube.com/watch?v=kEaffvQMY4g
マグナス・フォン・ホルン監督 NORDISK FILM U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 45/124
劇場で観たかった作品ですが、どうしても行けなかった・・・のが、やっとU-NEXTさんに来ました。
モノクロの濃淡の絵と画角と役者と美術が融合していて素晴らしい作品。
第1次世界大戦末期のデンマーク。凄く象徴的に、人間の顔に注目されるコラージュがモノクロの光と影で展開されて・・・というのが冒頭です。
基本的には何も知らないで観るのがベストだと思いますし、割合近いのはもしかするとロバート・エガース監督の「The LIGHTHOUSE」かも知れませんが、もっとリアル寄りですし、もっと業の深い話しです。ファンタジー要素無しと言えるでしょう。
戦争の銃後ではこのような世界が広がる可能性の話し。
演者のヴィック・カルメン・ゾンネさんとトリーネ・ディルホルムさんは物凄く良かったですし、主演ヴィック・カルメン・ゾンネさんの瞼の開き具合、凄くこの映画に合ってる。
また、美術、それも町、道、服装、生活用品まで凄く作り込まれてて、これは凄かった。
そしてタイトルのNEEDLEをどう捉えるか?も気になります。
基本的に女性の方にオススメします。
で、普通は終わりなんですけれど、これネタバレ無しで話せる事が無いですし、予告とはかなり違った印象が残る作品。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です、未見の方はご遠慮くださいませ。
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私はこの主人公カロリーナにあまり同情的になれなかった。そういうものだ、そしてホモサピエンスとしての行動はそうだ、というのは理解出来るけれど、謎が謎のままに残る部分と、意図的にそうだと飲み込める部分と、脚本としてのご都合が絡んでいて納得出来兼ねる部分があります。
この辺がリアルとも言えるし、もう少し何かしらの目配せに私が気付けなかった可能性もあるので、この後ネットで読める感想を見て回ると思います。
それは夫が手紙を返さなかった理由、そしてカロリーナに会いにくるタイミング、です。もう1つ2つあるんですが・・・・
まず手紙を返さなかった理由ですけれど、凄惨な怪我からの精神状態という理由はなんとなく理解出来るんですけれど、このタイミングがちょっと合致し過ぎてて気になりました。突然の訪問じゃなく、手紙でも良かった気がしますし、仮面の怪我の描写もあまり好ましくなかったように感じましたし、結局それだけで、この夫の存在があまりストーリーに絡んでこないのも、もう少し寄せられるのではないか?とも思いました。
それと、実在の人物でもう少しシリアルキラー的(というのもデンマークのwikiでもどうにもはっきりしない、生活の為なのか欲望や嗜好なのかも判然としないので)ダグマー・オーバー・バイの存在からの着想みたいな作品で脚本なんですけれど、里子探しというのは上手い設定だと思いますし、カロリーナとの共犯関係という意味で上手いのですが、娘(?)のエレナとの関係性も微妙に気になります。
エレナは恐らく母(?)ダグマー(役名:演者トリーネ・ディルホルム がまた演技上手い!)の所業を観ているし認識して、カロリーナからの授乳が受けられなくなる存在である新たな里子を圧迫するわけで、既に行動に出ている。その子を引き取るラストのカロリーナの感覚も、法廷での目配せ、あなたを告発しない代わりに、頼む、という事なんだろうけれど、新たなダグマーになりそうで怖いし、なんなら何故ダグマーがエレナだけを特別扱いしたのか?も気になります。
そしてエーテル。恐らく麻薬的な常習性のある薬物なんでしょうけれど、これも扱いにもう少し何か理由が欲しかったなぁ。
と言う感じで謎は残るし、整合性も気になる部分はあるのですが、確かにイイ映画でした。
NEEDLE、お針子とかあみものの棒とか心の中の刃とかいろいろ暗喩含めてあったけど、これだ!という解釈がまだ見つからなくて考えてしまう。
2025年12月9日 (火) 09:01
https://www.youtube.com/watch?v=BETzErclqok
矢口史靖監督 東宝 U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 44/123
久しぶりに新作を。もう12月ですね。
初めて観る監督さんかと思いきや、サバイバルファイミリーの監督さんです。
集合建売住宅のような場所で子供たちが集まっていて、今日の当番的に子供を数名預かる母親(長澤まさみ)は・・・というのが冒頭です。
えっと、何となく見始めたのですが、ホラーでした。あと、チャッキー映画でもあるかな。
そのチャッキーの出来はまぁアレなんですけれど、その中は結構いいな、と思いました。そういう発想は無かったので。
ただ、ドールハウス、という程のドールハウスだったか?というのが、もう少し何か欲しい。私がタイトルを付けるなら「霊的筋肉活動の起始停止の考察と骨について」とかにするけどな。面白くなさそうだしヒットもしないけど。でも結末を考えると、確かにドールハウスかも。
で、1番いいのが、子役の子。
それと、噛みつきについての痕は興醒めするからも少し頑張って欲しいけど、まぁそういうのは記号、という人の方が多いでしょうけれど、そういう細部が大切なものではないのか?とも思う。
でも十分に楽しめる作品。恐らく、楳図かずお先生の「ねがい」は元ネタでしょうね。
ヤスケンが無駄使いされている気もしたが・・・でもみんな大好きだからいいでしょう。
長澤まさみさんは、凄く息の長い俳優になる可能性高いですね。そつがない。海街diaryの時もなかなかでしたけれど、もうお母さん役か。時がたつのは早い。でも、恐らくここから先の役どころが難しいのでしょうけれど。
ホラー映画に愛がある人にオススメします。
2025年12月6日 (土) 10:21
https://www.youtube.com/watch?v=Fkq57EGYZQY
鈴木竜也監督 GAGA U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 43/112
何となく、タイトルに惹かれていたのですが、劇場には間に合わず。しかし早くもU-NEXTさんに来ていたので。事前情報が何もなく、予告編すら観ていないのですが。
東山形駅に降り立つサングラスの男をタクシーが拾いあげ、とある山の頂上にある建物に向かうと・・・というのが冒頭です。
まず、このアニメーション作品は1名の方が描いているので驚きました。うん、凄い事だ。
だが、この監督のセンス、私は合わなかったです・・・それと、アニメーションって凄く、手間のかかる作品です。そもそも多数の人が集まって出来上がる、意図を持った事しか描かれない、意図しないものを排除したからこその意味を持ってしまう作品。
だからこそ、1名でやるのは本当に難しいし、その達成は素晴らしい。けれど、なんでこれ1名でやらなければならなかったのか?があまり感じられませんでした。
この作品のプロデュースをされていて、傑作「音楽」では監督もされている岩井澤健治さんの作品は、凄く意味を感じましたし、近作で言うと2025年を代表するエポックメイキングな「銀河特急ミルキー☆サブウェイ」の亀山陽平監督作品でも、そのオリジナリティを感じましたけれど、この作品はそこまでの熱量に説得力(受け手である私が偏屈なんで仕方ないのかも)が無かった。
すべて、私に収斂する、その理由なり、説得力なりが、無かったし、ある種の独善を感じる作品でした。どこまでも鈴木竜也さんの個人の感覚にしか収斂しないので、個人が作られているからもちろんそうなるべくしてなっているのですが、面白味を感じられなかった・・・
個人で作る作品には、どうしても他者が出にくいし、客観性が生まれにくいですし、だからこそ没頭できるのですが、その個人に面白みを感じられないと、凄く退屈で、どういう意味なんだろう、と解釈しようとしても、ああ、この監督これがカッコイイと思ってるんだな、それは違うというか個人的にはダサいな、と感じてしまったわけです。
例えば主人公の目の描写、それがなんなのか?途中から変わっているのですが、その意図、汲み取れなかった。これは私の問題だと思うけれど、そこまでこの作品にのめり込めなかった。
あくまで主人公に収斂する、その匂いが、ダメだった・・・
そもそもアイドルという偶像に興味が無い、という私の問題なのかも。
アイドルが好きな方、自分が大好きな方にオススメします。
これ1名で作ったからこそつまらなくなってるのでは?とすら思ってしまった・・・