2025年8月20日 (水) 09:46
ポール・シュレイダー監督 コロンビア U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 29/77
ポールと言えば、マッカートニーではなく、シュレイダーでございます。
最近の3部作の「魂のゆくえ」もなかなかですし、「カード・カウンター」は最高でしたが、続く「Master Gardener」が全然日本公開されず、DVDにもなってない・・・早く観たいのに・・・
そんななので、過去作を観て行こうと思います。最後はMISHIMAまでたどり着けたら。
親族が集まってクリスマスを祝う中・・・というのが冒頭です。
傑作。流石ポールの仕事。
カルヴァン派の信徒であるジェイク(ジョージ・C・スコット)は男手一つで娘クリスティンを育てていて、娘は若者たちのカルヴァン派の信徒の旅行にバスで大勢と旅行に出かけます。恐らく、宗教的な儀式や巡礼的な何かで、引率はいるのですが、修学旅行のような感じです。
しかし、その旅先でクリスティンが行方不明になってしまい、私立探偵を雇って探すところからこの映画が動き始めます。
最初はどう考えても、いわゆるカントリー音楽が流れていて、つまり、田舎で閉鎖的な事が示唆されていますし、とても保守的な人が多く住む地域で、雪国なんでしょう(wiki情報だとミシガン州)。
そして旅行先は南国カリフォルニア。子供たちですから、それは羽目を外す事もあるでしょうけれど、行方不明は心配です。
で、タイトルがハードコア、ですからまぁ既にこの言葉が持つ意味の中に捉えられてもおかしくはないポルノ産業についての話しです。なんなら、健全な父性を持つ伝統的アメリカ白人(当時 1070年代後半から80年代初頭)が、娘を探してポルノ業界を垣間見る、まるでファウストの地獄めぐりみたいな話です。
当時の大人、アメリカ社会にどのように受け入れられたのでしょうか。
性の世界は非常に深くて広いとは思いますけれど、そして根源的欲求だという事も理解はしていますけれど、当たり前の事を言いますけれど、私を例に出すと、55歳で男性という事は普通であれば子供がいたら、その子は成人していて、仮にそれが娘であった場合、という状況に置かれて初めて、多分女性を男性と同じホモサピエンスとして見れる人がいる。それもかなり大多数が初めて見れるようになるんじゃないか?と思わせるほどの説得力がありました。
非常に恐ろしい映画。というか多分男性は性産業に触れる前に履修させるべき作品。
ジョージ・C・スコットさん、ある人から薦められて初めて観た感覚ですけれど、素晴らしかった。あとwiki情報ですが、アカデミー賞、オスカーに対して辞退してる!凄いまっとう。理由も述べられていて「あんなのは皆、下らないお祭り騒ぎさ。関わるのはご免だね。」激しく同感。こういう人がいた事知らなかったの恥ずかしい。
ラスト、ご都合主義にならないギリギリの部分もいい。
これ、現代にもう1度作ってもいいと思います。いかに現代が拝金と性衝動をエンジンにして社会が回っているか?をそろそろ映画的に捉えてもいいと思います。
全ての男性にオススメします。
2025年8月19日 (火) 09:06
https://www.youtube.com/watch?v=upUJetCHYFc
ダリオ・アルジェント監督 ティタヌス U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 29/76
なんだろう、ダリオ・アルジェント監督作品の良さって。
なんだかどんどんよく分からなくなってきました・・・
ただ、ジェニファー・コネリーは美しいです。ホモサピエンスの中ではトップクラスですが、流石にまだ幼いですし、これ14歳が撮影時の年齢で、可哀想・・・と思いました・・・
あと、学校の看護婦が、めっちゃルーニー・マーラそっくりで美人。セリフも無いのですが・・・
あと、冒頭の、あの鎖の意味、誰か教えて下さ~い・・・
チンパンくんのインガの演技は素晴らしかったです。
私、虫が最近、全般的に、恐ろしく見えるようになってきました・・・何だろう、外骨格が恐ろしく見える・・・
ダリオ・アルジェント監督作品が好きな人、そして何と言っても、ジェニファー・コネリーが好きな方にオススメ致します。
もう少し、何か、こう、という見方を誰か教えて~
2025年8月15日 (金) 11:25
辻田真佐憲著 講談社現代新書
今年も敗戦の日ですね。なんで終戦という言葉を使うのか?理解が出来ません。多分、占領軍でなくて進駐軍という言葉を使うのと同じように、現実に目を向けられない精神的弱さなのではないか?と個人的には思います。
今作も非常に感銘受けました。元々、辻田さんの書籍をこれまでも読んでいて好みの傾向ではあるものの、それなりに、多少は先の戦争関連の書籍を、少ないながらも読んできましたが、腑に落ちる読書体験でした。
ある種の分断が既に生まれて久しいですし、基本的には、もう少し話し合うとか合意を目指す、という事が図れたらいいのに、と思いつつ、面子が大切だったり、内向きの、支持者からどう見えるか?を優先してきた結果なんだろうな、とは思いますが、残念ながら、保守と革新的、左右の分断は埋まらないんだろうな、とは思います。埋まらなくて当然なんですけれど、もう少し極端にならない、より中間的な立場がなさ過ぎる、とは思います。明治や昭和初期の頃なら、右派左派の垣根を超えての話し合いが持たれていた感覚があるのですが・・・より先鋭化し、SNSとかで多数の人間に見られる状況になり、ネット空間に法治が及んでいない、無法地帯だからだと思いますけど。
ある事象に対して、その解釈はいくらでも成り立ちますし、その意図は、その事象を起こした人の日記(今ならSNS、動画配信)でさえ、信頼おけるか微妙だと思います、嘘を書くことだって十分にありうる。永井荷風の断腸亭日乗でさえ、検閲を恐れて、黒塗りしたりしていた部分があり、その事を自身で恥じてから、切実な思いを綴った、と言われているけれど、嘘が混じっていない、と断言は出来ません。
それでも、大筋で認められる、現在の資料の所、と言う中腰力、判断保留の態度が求められるし、大人な対応で教養というものだと思うのですが、未定を許さないというか、白黒はっきりさせろ、という圧力が強く、我慢できなくなって来ているんでしょうね・・・
本書では、何が戦争の発端は何となっているのか?またはどうしたら止められたのか?さらに日本に正義は無かったのか?という非常に気になる部分を紐解いていきます。
どの部分も刺激的ですし、知らなかった事を知る楽しみに満ちています。歴史にIFは無くとも、この立場で何か他の選択肢はあったのか?と考えるのはなかなか面白味があり、個人に体験を引き寄せる我が事に出来る作業だと思います。
私が最初に先の大戦について気になっていたのは、何故こんな負け方なのか?という事だったのですが、いわゆる総力戦研究所の結果を、4倍程度なら精神力で成せる、といった発言に疑問を感じたからです。ですが、本書を読むと、なかなかに東條英機の置かれた状況も、そう言わなければならない苦しさを理解できました。
このように、歴史に対して、あくまで現在の感覚での解釈に他ならない、と著者が言うように、PTSDの概念がない世界であれば、ある種の現象を精神疾患とは捉えずに、根性論で解決したでしょう。それを無意識になってしまうのを、理解しましょう、という事なのだと思います。
歴史とは、連綿と続く継続、そしてリアルな選択の結果であり、過去を変えることはできず、その解釈、失敗を認めて、だからこそ改善を求めていく他ないのではないか?と感じました。
ただ、認めるのが、出来ないんですよね・・・私もホモサピエンスですし、認められない出来事たくさんあります。個人主義だからなのかも。漱石の言う感覚ですね。
最終的には、国民的な物語の必要性を説いています。最初、非常に疑わしく、ちょっと辻田さん、と思ったのですが、ナラティブ、確かに忙しく、仕事、子育てなどの生産的活動をしている人々のことを考えたり、有権者の5割近い人が無党派層な国家ってかなり少数派だと思われます。「大衆の反逆」のオルテガの言う大衆がいる事、そう考えると、必要なのかも。みんなが読書出来たり、関心を持ち続けることは難しいですし、結局の所、先の戦争の体験者は少なくなり、必ずいなくなるわけで、しかもその間、それなりに平和が続いている。それこそ「不正義の平和と正義の戦争」の話だとしても。戦線の後方だとしても。それを享受しているわけですし。
などといろいろな事を考えさせられる読書体験でした。
新書ですしあっという間に読めます。
同時に、ドナルド・キーン著「作家の日記を読む 日本人の戦争」の事も思い出しました。
先の戦争が気になる方に、歴史が気になる方に、オススメします。
2025年8月13日 (水) 09:02
ダリオ・アルジェント監督 日本ヘラルド U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 29/75
アルジェント作品をもう少し触れて観たくなり。フェノミナもこの後観る予定ですが・・・
80年代のNY。健康志向で(当時は流行ってた)サイクリングで空港まで駆けつけた小説家のピーター・ニールは出版された最新作についてのプロモーションでイタリアを訪れ・・・というのが冒頭です。
独特のカメラワークのシーンが印象的。そして音楽が90年代風のテクノっぽいかんじなのも面白かったのですが、ストーリーは、ん???となってます。
サイコサスペンス、サイコスリラー的な話しで、そんな筋よりも耽美的な世界を楽しむ作品なんだと思います。
すっごく美人ばっかりでてきて、そういう意味でも凄いし、まさにサイコスリラー的な演出は光るものの、あまり細部が詰められた感じではないのも御愛嬌なんだと思います。
どうしてこの場所が?とか犬に追われてたまたま、とか警察はもう少し現場検証をしていたら、とかは野暮なんだと思います。
私はティルダさんがホモサピエンスの造形として好きです。
しかし、本当の所、なんか腑に落ちないんです・・・
アルジェント監督が好きな方にオススメします。
2025年8月12日 (火) 09:07
クリストバル・レオン ホアキン・コシーニャ監督 U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 29/74
暑いですね・・・完全に夏バテです・・・
それでも少しは2025年公開映画を観ておかないと。で、今回は正直2025年公開映画の中では個人的期待度1位。何しろ個人的2023年の1位「オオカミの家」の監督コンビ作品!劇場に行きたかったけど、どうしても日程合わなくて。
それが、流石U-NEXTさんです、来ました!ので観ました!
人間は偉大な可能性を秘めている という字幕から始まるのが冒頭です。
期待し過ぎた部分、あると思います。がっかりした部分、あります。でも正直、全くダメという程でもなかった・・・なんとも評価しにくい(いや評価なんて偉そうだな、お前程度の知識で計れる作品なのか?という気持ちもあります)というか、感想にまとめにくい作品であるのは確か。
ただ、壮大な失敗作とも言えない感覚。多分これも、この監督コンビの持ち味だと思います。ヤン・シュバンクマイケルも、クエイ兄弟作品も、そうは言ってもそこそこの失敗作品ってあるし。
全てが手作り感あふれる部分で、学芸会やないか!と怒り出す人もいるとは思います。実際にダメだったという映画友人もいます。でも、そうは言いつつ、これも味な感覚はあります。全面的に肯定は出来ないけれど。
ただ、またドイツのアレか、とか監督コンビで出演か?とかセットそのもの、過程を含めてドキュメンタリーチックにしてるのも、何というか中途半端な感覚です。
それと、いろいろな国のクレイアニメもアニメーションもあるんでしょうけれど、可愛いが分かってるのって、本当に日本だけじゃないかな。
オオカミの家もう1度見たくなりましたが、何処にもやってない・・・
まぁこういう作品もある。次回に期待。