2025年5月2日 (金) 09:05
ヨアヒム・A・ラング監督 @エンターテイメント 吉祥寺アップリンク
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 13/34
今現在2025年4月に起こっているガザ地区の惨劇というか完全に虐殺だと思うのですが、そんな事を考えていたので足を運びました。
虐殺の加害側は第2次世界大戦で民族虐殺された側であるという事を考えると、重いとか厳しいとかいう単語では言い表せないホモサピエンスの、自分が正義の執行をしていると確信した時の残虐性、とかそれ以上の何かについて考えてしまいます。
ちなみにドイツ語なんて読めないのでwikiやGoogle翻訳の結果ですけれど、原題を訳すと、総統と誘惑者、となるみたいです。
冒頭、字幕で、当時の未公開映像を流す注意喚起があります。1945年4月、ゲッベルスはヒトラーと・・・というのが冒頭です。
未公開映像もなかなかですが・・・正直に言えば、あまりゲッベルスが描かれている、そしてヒトラーをプロデュースしているようには見えませんでした。また、演者も頑張ってゲッベルスに、似せようとしているけれど、結局、似せている、段階で全然違うわけで、当時の映像も使われているので、本物のゲッベルスが、いかにその笑顔が恐ろしいのか?を如実に観客に見せてくれているので、演者の小物感が強くなってしまって逆効果だったと思います。
ゲッベルス、コテンラジオでも扱っていますけれど、恐ろしさとか人間性で言えば、コテンラジオのゲッベルス回の方がずっと恐ろしいです。
なので、ゲッベルスに興味があるなら、コテンラジオのゲッベルス回を聞いた方がずっと良く理解出来ると思います。
当時の公開映像が見れたのは良かったですが、セルゲイ・ロズニツァ監督「バビ・ヤール」でも使われていた映像もありました。
これだけの人類の汚点ともいうべき出来事を経験しても、ホモサピエンスは学べないし、なんならガザで起こっている出来事は、ほとんど同じくらい悲惨な出来事だと思います。ですが、国際社会の中で非難もされているけれど、支持もされてて、そこに、民主主義の選挙を持って選ばれたアメリカ大統領であるトランプという人物が出て来ていて、ロシアは武力で領土拡張しているのかと思うと、無力感しか生まれないです。
ゲッベルスに、ナチスというホモサピエンスの歴史中でも特異的な失敗例を学びたい人に、コテンラジオのゲッベルス回の次くらいに、オススメします。
2025年4月30日 (水) 09:05
ジャスティン・バルドーニ監督 CBSフィルムズ U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 12/33
友人に勧められたので、何も調べずにそのまま観ました。
human touch(字幕ではスキンシップ)は基本的なコミュニケーション手段の一つで・・・という説明がホームビデオのような動画と共に流れて、というのが冒頭です。
いわゆる恋愛映画でした。
冒頭のスキンシップとhuman Touchの間には結構な解釈や言葉から受ける印象に幅がある気がするのですが、この映画を見ようと思ってる人には、共有できるイメージがあるかもです。私はこういうところで躓いてしまいます。
例えると、最近(2025年4月上旬)映画館に行くと必ずと言っていいほど繰り返される映画の予告に「パリピ孔明」という作品名の映画があるのですが、この単語というか造語にも同じ感覚で引っかかってしまうわけです。
パリピというのは恐らく、パーティーを好む人≒みんなで集まって騒ぐのが好きな陽気な人みたいな意味だと認識していますし、明確な定義は定まっていない可能性もあるけれど、雰囲気としては多分こんな感じですけれど、孔明は三国志演義的なキャラクターで、全然パリピっぽくない。なんなら軍師として存在している(のが短い予告編でも分かる)のですが、全然孔明はパリピじゃないのになんでこんな「パリピ孔明」というタイトルにするのかと思うのです。
なんとなく、ですけれど、パリピに孔明がついてると、その2つにギャップが発生し、そもそも続かない単語が続いた時の語彙の強さを、耳目を集める事を重要視しているからであって、孔明がパリピになったという単語から理解される意味とはかけ離れていて、要するにインパクトだけなんだな、と思ってしまうわけです。
と言う風に躓く私にとっては出だしから触る映画ではありましたが、広い心で、一応フラットな気持ちで見ました。そしてその感想です。前置きが長い・・・
割合真っ当な恋愛映画だとは思いました。まぁ凄く手垢のついたジャンル映画ではありますし、難病モノというジャンルすらある。それに恐らく、ですけれど、そしてwiki情報でも触れられているけれど、180cmは6フィートになるんだけれど、これも恐らくだけれど、語彙というか韻を踏んでいる方が記憶に残るという取捨選択をプロデューサーか監督か脚本家がしたんだろうな、とは思いますし、1フィート短くなるのは嚢胞性繊維種の患者及び団体からはクレームが来ることくらいは理解していたと思います。けど、売名行為は言い過ぎだと思いますが、この病気を患っている人たちからの感覚からは離れても致し方ない、という判断だったんだと思います。
いつもながら、受け手である私が感性の死んだ50オーバーの老人であるので、擦れてしまっているので、どうしても、結局のところ、恋愛(に限らず夢中とか自我を忘却し、理性を失った状態)というのは、当事者は思い入れがあるのでしょうけれど、外から見ていると判断力を失った状態になるので、頭が悪く見える、状態ですけれど、そういう状態を希求する人には、支持されそうな作品です。かくいう私も飲酒というカルチャーには、自我の忘却まではいかないけれど、自我の麻痺が起こるのが大好きです。多少の麻痺くらいが心地よいです。
人類というかホモサピエンスは、いつまで、需要がないにも関わらず、自分は恋愛の対象として見られたい、私も参加する権利を主張したい、と思いたいのでしょうか・・・若年層で恋愛体験がない人が憧れる気持ちは理解できますけれど、何度か経験すれば、ああ、こういったモノですね、という概観は理解できると思います。それでも、自我を忘却したいというのはあるのは理解できますが。でも、自我の忘却は恋愛じゃなくても出来るので、ね。
多分ホモサピエンスは自我を忘却することを希求する生物なんだと思いますし、そういう動物とも言える。そして若さという好奇心とか未知なるものへの畏れが感じにくいうちだからこそ、冒険できる。それが子孫繁栄とか遺伝子の乗り物としての刷り込み、なのでしょう。文化的側面もあるかも。
触れる、が出来ないというのは大変かも。そして障害が大きいほど、カタストロフィが大きい。
死が近い状態にいる、という視点は重要で、病気に限らず、生まれてしまうと必ず死ぬわけで、だからこそ生きているだけで大変だし、理不尽で辛いわけですが、もちろんだからこそ生に意味がある。
もう少し、映画だから顔を見せたいのは理解できるけれど、マスクの徹底はしていた方が良かったのではないか?とは思います。
一応、円環構造になってて、頑張ってる。色々工夫はしている。けど、キャラクターの癖が強すぎるんだよなぁ・・・
恋愛映画が好きな人にオススメします。
私の好きな恋愛映画は、結局「恋人たちの予感」でこれを超える作品には出会えなかったなぁ。そして、これはまさに年代の問題。今の人の恋愛映画について愚痴を、言いがかりをしているのと同じになってしまっているのだとは思いますが、これも素直な私の感想なので、すみません。
アテンション・プリーズ!
ここからちょっとだけネタバレありの感想になります。
未見の方はご遠慮ください。
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ネタバレありの感想ですと、
言及しておきたいのは、主人公のステラの性格・・・すっげぇ面倒な人・・・物に当たるのも、ちょっとひく・・・そして親友が亡くなった後にロマンティックに浸れるの、凄い。こういう人を恋愛体質と呼ぶのだと思うし、山本文緒の「恋愛中毒」という恐怖小説を思い出しました。依存とか共依存関係は本当に恐ろしいモノだと思うのですが、それが幸せ、という人もいるのが世界。
自我の忘却、これが癖になるのだと思うし、そういう風に本能が出来ているのだがら、仕方ない。と言える人は性犯罪被害者に、同じように言えるのか?と思うのです。流石に、それは出来ないと思うんだけど。そして何が本能と科学的に言い切れるのか?をまだホモサピエンスは解明していないと思います。
2025年4月28日 (月) 09:41
ポン・ジュノ監督 ワーナーブラザーズ ピカデリー新宿
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 12/32
私事ですが、白内障&眼球の傷を治す手術を受けまして、まぁ目は見えるようになったのは嬉しい事なんですけれど、老化を実感。まだ通院中だけど、観たかったので。
雪深い洞窟のような場所に倒れている男(ミッキー17:ロバート・パティンソン)のそばにティモ(スティーヴン・ユアン)がやってきて・・・というのが冒頭です。
まず、とにかくロバート・パティンソンが最高にイイです。これはパティンソンを愛でられる人には面白く、あまり好きでは無い人にはちょっと長く感じる作品になってるかも知れません。でも親切な事に、2つの味わいがあるので結構色々な人も大丈夫なのでは無いでしょうか?
また、スティーヴン・ユアンが出てくるので、もう最高です。この人、2枚目も3枚目もできる人なんですけれど、その兼ね合いが今作でも最高です。さすがのキャスティング。
SFですし、しかもかなりブラックな笑いもあるので、好みの作品。
ネタバレなしで言えることが少ないのですが、ブラックなユーモアでありながらもちゃんとしたSF作品だ、くらいしか言えない・・・
それといくらなんでも、なアレ・・・もう少し造形には気を使うべき。◯〇シカの元ネタは◯の◯星ですけど、いくらなんでも、もう少し変えないと・・・
ポン・ジュノ作品が好きな方に、ロバート・パティンソンが好きな方に、オススメいたします。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です。
未見の方はご遠慮下さいませ。
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ネタバレありですと
まずミッキーが1人だけ、何度も死を繰り返しつつ、記憶はバックアップされた状態で、人間プリンターから複製され、記憶を入れられる設定なんです。これはある種の不死を扱った作品。これが結構考えさせられる。
死ぬとはどういう事なのか?をしきりに周囲の人から聞かれるミッキーだが、何度死んでも、怖さに違いなどなく、慣れもない。そんな当たり前の中、新たな惑星ニフルハイム到着したかと思えば、未知のウイルスの検体に使用させられ、何度もワクチンの出来栄えについても調べる検体になり、何度も生き変えさせられるミッキーの悲哀、なかなかシュールです。そしてどこかファニー。
さらに、冒頭のシーンに戻って、ニフルハイムは実は生きているのに、新たなミッキー18が生まれていて、これがまた、微妙に性格が違うのです。
ミッキー17はかなり臆病で普通に物事に流されていくいわゆるボンクラな人物なのに対して、ミッキー18はかなり強く生に対して衝動を起こせる、抗うことが出来る人物なんです。
映画は割合ずっとミッキー17のモノローグが続くんですけれど、このミッキー17のある種、抗うのではなく、なけなしの勇気を振り絞るまでの葛藤が良かったです。
その脇を固める悪友にスティーヴン・ユアンも最高でしたし、マーク・熱烈ジャンプ・ラファロとトニ・ヘレディタリー・コレットのまぁすごく分かりやすい、悪、上流階級、ワガママ、な演技は、基本笑えますし、特にマーク・ラファロの小指の演技はちょっとやりすぎのように感じましたが、笑えることは間違いないです。
あと、人間プリンターから出てくる際の、ウニョウニョしてるのが、本当にキモ笑える姿。
それ以外にもドロシーという役のキャラクターも良かったですし、その上司も、馬鹿っぽさ含めて、その地位にいる事含めて最高でした。
それにしてもロバート・パティンソンのダメ人間演技、最高ですよね。役者さんって本当にすごいんですけれど、ロバート・パティンソンって、ある種オスカー・アイザックと同列に扱える超ハンサムなのに、このダメ人間見せが最高でした。
上流階層との対比とか社会構造とか現代批判とか、色々あるんだと思いますが、それよりも、とにかく笑える、な点が最高でした。
2025年4月25日 (金) 11:31
イシャナ・ナイト・シャマラン監督 ワーナーブラザーズ Netflix
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 11/31
Netflixのオススメなんで何となく見ました・・・のを激しく後悔しています・・・
深い森の中 男が道に迷っていると・・・というのが冒頭です。
解釈が開かれているのと、投げっぱなし、勝手に解釈してくれればいいとか、様々なレベルには大きな隔たりがあり、この監督は、無能で終わりです、私にとっては、ですけれど。
ネタバレありの感想です。ま、ネタバレしてもしなくても、馬鹿々々しいに変わりないし、この映画が好きな人の感想をどうこう言うつもりはないですけれど、私の感想は私の感想なので、仕方ないです・・・
映画の製作には、莫大な予算と個人の能力や時間拘束など、様々な労力がかかるわけですけれど、どぶに捨てた感覚がありますね・・・もっと有能ややる気のある人にそのお金や時間を使って欲しい。あ、そう言えば本作はまさに親の七光りを得られる人でしたね・・・ま、それも観た後に気付いたんですけれど・・・
とにかく、後出しじゃんけんが過ぎるんですよ・・・
外に出られない森、という凄く大きな設定で嘘を入れてるのに、その後も嘘、後からの設定ばっかりで、頭が悪いんですよ・・・
車が動かなくなったのも、別に故障でいいのに、なんか電気が消えるのにわざわざ「未知との遭遇」みたいな描写を入れてくる。
その後、すっごく変な家ガラス張りで観て観察するだけの家があるわけですけれど、なんでこんな家作れるん?後出しで出てくる教授が一応説明してくれてるみたいな気持ちになりたいけれど、説明が雑、近所の身寄りのない人をかき集めた、その人たちはウォッチャーズに命を奪われて私は罪深いなんて言ってるけど、地下室とマジックミラーのある家を建てるのに、どれだけの時間とお金と尽力がかかると思ってるんだ?小屋ならいざ知らず、年単位がかかるし、設計の引き継ぎとか、どうすんだ?一夜で命奪われる感覚ですよ?夜になるとダメなら、1日しか働けないんですよ????大量の人間が行方不明にならないと、無理・・・どうしてこんな雑な設定にしてんの??頭が悪いとしか言えないです・・・
続けて、こんな部屋に閉じこもっていて、観察だけして、襲ってこない理由が不明過ぎるし、擬態できるなら、もっと近くで観察できるだろ?ルールも経験則でしか学べてないかんじなのに、背を向けてはいけないとかなんでそんな事言えるの?こういう素朴かつ重大な疑問が頭に浮かぶので集中出来ない・・・
それと、地下室にも白髪おばさんは気づいてないと話がオカシイだろ?なんで都合良く忘れてるんだよ?
仮に健忘症に罹ってた、として、地下室に降りて、ビデオメッセージみたら、流石に思い出すだろ!あと、なんでビデオメッセージ残すだけなんだよ、大学に研究室があるんなら、同僚とか、他の人へのメッセージで残せよ!メールに添付すればいいでしょうが!
なんで電気使えるんだよ?電線辿れば外に出られるだろうが!!!
穴は結局なんだったんだよ?自転車返さなきゃいけなかった理由も不明、多分私の頭が悪いせいだとは思うけど。部屋にあるビデオも結局なんなの??
そしてこの事件、人が長期間1年近く居なくなってた人が帰ってきてるのに、ニュースにならないのオカシイだろ?教授なんて社会的な地位があるんだろ?
そしてなんなら主人公の葛藤とこの事件がどういう意味あるんだよ、どうでもいいやくらいにしか感じられないくらい、雑。他にもいっぱいあるけど、雑過ぎて感想も雑な殴り書きでいいや
ま、多分本当の所、私の頭が悪いからだとは気づいていますよ、ただの愚痴ですね。
2025年4月23日 (水) 09:08
澤田典子著 講談社選書メチエ
漫画「ヒストリエ」岩明均先生で知ったマケドニア。もちろんアレクサンドロスⅢ世、いわゆる大王についてはある程度の知識がありましたけれど、やはり主人公エウメネスよりも、そしてアレクサンドロスⅢ世よりも、強く、フィリッポスⅡ世に惹かれます。
「ヒストリエ」の連載が始まった当初から、本屋さんで出来る限りアレクサンドロスⅢ世の書籍は読んでいますが、それでもあくまで一般書。学術文献はなかなか手が出ない金額ですし、そもそも本屋さんに売ってない。図書館でも調べてみましたけれど、アレクサンドロスⅢ世はそこそこの書籍量があるのに際して、フィリッポスⅡ世の日本語資料の少なさ・・・とはいえ紀元前330年ごろの出来事で、遠いギリシア世界の話しなんで、仕方ないのかも知れませんが、偉業を成し遂げたアレクサンドロスⅢ世は確かにスゴイのですけれど、ある種無鉄砲で天才かも知れませんがとても欠点のある人物。運にも恵まれていますけれど、自分、の事ばかりで事業継承とかに全く無頓着。あくまで自分がいかに偉大な存在であるか?にしか興味が無い。
そしてフィリッポスⅡ世の偉業が無ければアレクサンドロスⅢ世の偉業はまず、無かったと思うので、もっとフィリッポスⅡ世は評価されるべき歴史上の人物だと思います。
そんな2名の偉業を成した人物の故国、マケドニア。その、フィリッポスⅡ世からアレクサンドロスⅢ世以前の古代マケドニア史を学べる、しかも最新の学術資料を基に全史を学べる書籍、当たり前ですが、知らない事たくさんあって大変刺激的な書籍でした。
もちろん講談社もかなり力を入れているのが分かりますし、帯もその気合を感じさせます。
まず、フィリッポスⅡ世に至るまでの遡った古代マケドニア史について、かなり克明に、分かる範囲で、言及されています。ある種伝説のような神話のような、もしくはのちの時代のプロパガンダ的な仕掛けの可能性、民をまとめあげる側面の効果の期待もありえるのですが、現在分かっている論争や可能性を、可能性や論争がある事を込みで両論併記されつつ、最後に著者の意見が出るのは本当に読みやすかったです。
かなり詳しく資料の残っている部分、またはアレクサンドロスⅢ世の偉業があったからこその後の紀元0年代のローマ資料、または、そして最も重要な、ギリシア世界から見たマケドニアの資料をあたるという事は、ギリシア世界観からの視点なので、だとすると、という部分に触れていたのも、大変理解しやすく面白かったです。
だからこそ、資料に基づき、アレクサンドロスⅢ世の偉業や伝説というアレクサンドロスⅢ世の広まった世界で、少し前からフィリッポスⅡ世の再評価が始まったというのは理解出来ますし、だからこそ、フィリッポスⅡ世が行った様々な改革が、本当に彼の手で行われたのか?という疑問の差し込み、そしてその解釈は、大変有意義で、私には盲点でした。
ただ、資料を基に、フィリッポスⅡ世が考案者か不明ではあるものの、例えばファランクスの運用についても、疑義が持たれるのも理解しましたが、運用という意味でやはりフィリッポスⅡ世の偉業にふさわしいのではないか?とも感じました。私がフィリッポスⅡ世が好きだからの部分はあるにしても、です。
そしてもう少し、マケドニアの資料が残ってたらなぁ、と思わずにはいられません。デモステネスのギリシア側からの視点の資料だけでは不十分だと思いますし、でも無いし量は無いんですよね・・・
歴史のこの埋められない部分に想像を羽ばたかせるの、とても楽しいですけれど、絶対に、こうであった、という確定には至らないもどかしさ込みで興味深いです。
マケドニア、いつか訪れてみたいけれど、その為にはまずパスポートが必要ですし、その前にルクセンブルクに寄らなければならないんですよね、私。