井の頭歯科

「FYRE 夢に終わった史上最高のパーティ」を見ました

2019年3月20日 (水) 09:25

クリス・スミス監督     Netflix

ラジオ番組の特集「人類はまだ大丈夫なのか?」という番組で紹介されていたドキュメンタリー映画なので見ました。もう一つ紹介されていた「ビハインド・ザ・カーヴ 地球平面説」(の感想は こちら )も大変恐ろしい内容で、現実感がどんどん希薄になっていくようでしたが、こちらも、なかなかに凄い内容でした。

俳優や有名人をパーティなどに呼ぶ際は、所属事務所等に連絡しなければなりませんが(当たり前ですね)、そうではなく、直接交渉できるサイト・FYREを立ち上げようとしている起業家ビリー・マクファーランドとラッパーのジャ・ルールの2人です。そのサイトを有名にするために、彼らはちょっとしたアイディアから、フェスの開催を企画します。それがFYREフェスティバルです。バハマのある島で大規模なフェスを開催しようと試みたのですが・・・というのが冒頭です。

起業家はアイディアを形にするまでが仕事だと思いますけれど、そのアイディアを形にするのが最も難しい事だと思います。この映画の場合はあくまで宣伝のために、経験のないイベント業を行って行くのですけれど、とにかくビリーという男の、大変大物ぶった素振りが印象的です。ですからどことなく怪しいと感じる人もいれば、同時にすごく信頼感があると感じる人がいてもおかしくないように、見えるのです。

で、いろいろ見ていくと、かなり大きな事を言っています。バハマに適当な島を見つけたので購入した、とか、出演ミュージシャンと交渉して決まった、とか、です。実際本当に購入なり、契約なり出来ていれば本当にスゴイ事です。ですが、実際のところは違ったわけです。

バハマまで実際に行き、宣伝効果の大きい世界的モデルを集めて、パーティをしているところを映像に収めます。そして彼女らのSNSから発信する、というまさに現代的な宣伝の仕方を行います。ですが実際のモデルは、ここに何をしに来たのか?さえ知らされていなかったのです・・・ですが、この宣伝の動画は瞬く間に広がり、発表してから翌日までに、大変高額なチケットなんですが、95%まで売り切れてしまったのです。

この後、さらなる混乱につぐ混乱が待っているのですが、それは見ていただくとして、とても気になるのが、ポジティブシンキングについてです。

ポジティブシンキングはもちろん重要な事でしょうけれど、しかし現実を見れないポジティブシンキングは、ただのバカだと思います。もちろんネガティブだから良いという事にはなりませんけれど、しかし何かに備える、という事はネガティブな発想が必要です。何でもそうですが、程々、というのが難しいですね・・・個人的には、そうしたアッパー思考、上昇志向は、自己啓発に結びつきやすく、また自己啓発的なるものは、非常にスピリチュアルなモノとの親和性が高いと感じます。思考は実現する、というのはとても有名な自己啓発のフレーズですけれど、もちろん、現実化する事もあれば、しない事もあるのは考えなくても分かると思います。その考えに執着し、現実を見なかったビリーは虚言と詐欺に手を染めてしまいますけれど、それがどの時点だったのか?凄く興味があります。

結末はさらにヒドイ展開でした。本当に起こって欲しくない出来事の連続です。ですが、何とかなる、でずっと来てしまって、自業自得なんですけれど、周囲の人も大変だったと思います。

また、宣伝、という事についても考えさせられました。宣伝というよりももはや詐欺なんですけれど。でも、その詐欺が巧妙になっていった場合、どこまでが自覚的で、どこからが違うのか、もっと言えば誰に何処までの責任があるのか?を考えさせられます。

宣伝というか広告の世界では、ビリーはある程度の立場を作れた男なんです。広告の世界の危うさ、も描いていますけれど、受け手のリテラシーも、常に求められる世界になってしまったのだなぁ、と感じました。自由で誰もが(このブログも、まさに)何かを発信できる世界、素晴らしいけれど、だからこそ、リテラシーも求められます。個人的には教育に今、最も求められる事だと思うんですけど。

ドキュメンタリー映画が好きな方にオススメ致します。

「21世紀の女の子」を観ました

2019年3月19日 (火) 09:21

山戸結希、井樫彩、枝優花、加藤綾佳、坂本ユカリ、首藤凛、竹内里紗、夏都愛未、東佳苗、ふくだももこ、松本花奈、安川有果、山中遥子、金子由里奈、玉川桜 監督   ABCライツビジネス

若手女性監督による8分の映画×15の短編集作品です。テーマは「自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っている事」です。

「また一緒に寝ようね」(の感想は こちら )、「なっちゃんはまだ新宿」(の感想は こちら )の首藤凛監督作品は外せません!ですが、やはり1人8分は私は短いと感じてしまいました。もちろん8分の間にも首藤監督作品の刻印はされていますが。

「21世紀の女の子」というタイトルからして、私からはかなり遠い存在の映画なので、私自身が汲み取れない、よく知らない世界を描いている訳で、とても難解な部分もありました。共感する事が苦手というか、多分全然分かっていないからなんだろうと思います。難しいですね。

でも基本的には楽しめた作品です。もちろん退屈に感じてしまう部分もありましたが、これは間違いなく、私の感性の問題です。本当に共感するって難しい事だと思います。自然に出来る人は出来るし、出来ない人は出来ないです。例えば、感情移入、なりきる、という事に近いんでしょうけれど、もっと自分事として捕える、という事がとても難しく感じます。

15本の作品の最も良かったのは、やはり首藤作品『I wanna be your cat 』でした。冒頭の今から何が始まるのか?も凄かったですし、大変狭いセットの中であるにも関わらず、凝った画角を感じさせたり、バリケードを外側から(!)というのも首藤作品を感じられて良かったです、特に乱雑な感じが良かった。しかしまあ相変わらずパンキッシュです。

名前を出す仕事って、如何様にも受け手に様々想像させる事を意味しますし、まして監督ともなれば、さらに、だと思います。主演の方は知らないけど、脚本家が書けない、と言っているだけで、あ、首藤さんの分身なんだ、と思われる事をいちいち背負ってるんだな、と思うと、表現者としての覚悟の重さ、それでも、する側に立つ人の強さを実感しますね。

私はあまり共感出来ないし、それでも何回かは経験した事がありますが、  相手を  思い通りに  困惑させたい  、という瞬間を感じましたね。そういう意味でもパンキッシュ。

その他の作品ですが、あまりネガティブな話しはしたくないのですが、先に断っておくと、あくまで感性の鈍い50間近のおじさんの感想としては、8分は短いし、15人は多い企画だと思ってしまいました。

また、写真、カメラ、はかなりの作品に共有されていて、これは何かを意味するのだろうとは思います。写す側であったり、写される側であったり、いろいろありそうです。

首藤監督作品に次いで印象に残った作品で、やはり映画だな、と感じられたのは、山中遙子監督の 『回転てん子とどりーむ母ちゃん』です。カメラアングルも題材も面白いし、好きと言える作品でした。

とてもヘンテコリンな映画ですけれど、掴みは上手いし、ノリがこの作品だけ異質であるのも印象に残ります。大変ストレートなセクシャリティのゆらぎなんですけど、8分では仕方ないかも。

井樫彩監督の 『君のシーツ』も面白い題材を扱っています。まるで白昼夢のような白の演出が良かったですし、うん、これも大変ストレートなセクシャリティなんですけれど、悪くないと思います。

山戸結希監督の 『離ればなれの花々へ』は少女性を特に全面に押し出している作品で、個人的には拙さと感じる部分こそに、その少女性があるのかも?と思いましたが、映像的な上手さはありますね。何処となく演劇っぽく、何処となくミュージカルっぽい感じ、これに共感出来たら、素晴らしく響く作品になるんだろうと感じます。

惜しいのが、ふくだももこ監督の 『セフレとセックスレ』で、これはもう少し尺が必要な話しなのでは?と感じました。ただ、直接的過ぎて、感覚としてはもう少し捻りが欲しいです。

同じように金子由里奈監督『 projection』ももう少し時間が欲しいしその先が見たいと思いました。あくまで導入な感じがしましたので。

結局、8分だと難しいかも。

逆にあまり好きになれなかったのは、何の疑いもなく自分を全肯定するのには、どうしても乗れませんでした。姫って単語、凄いと思います。お姫様ですよね。エンドロールでかかる曲の歌詞にある「わたしは特別」という言葉の意味、もちろん一人ひとり違って特別でもあり、その特別な人がたくさんいる普通の世界の1人なわけで、その辺を「カワイイ、お姫様」と肯定的に育てられると、凄く現実がキツく感じてしまうようになってしまうんじゃ、とか考えてしまいました。

小川沙良監督には入って欲しかったなぁ。

女性映画監督、に興味のある方にオススメ致します。

「凶悪」を見ました

2019年3月15日 (金) 09:36

白石和彌監督       日活

今週月曜日の会議の後に、先輩の先生からDVDをお借りしました。とても尊敬出来る先輩の先生でして、ツイン・ピークスについて話しが出来る唯一の歯医者さんの先輩です。映画にもとても詳しいですし、音楽も演奏されて、人柄も素晴らしい先輩からお借りしたので、早く見なければ、と思ったのですが、今は年度末の3月、講習会やら総会準備の資料やら、委員会の議事録に、ある事業のフォーマット作り、会計報告資料の読み込み等々いろいろあって、最初の40分ほど見て就寝したのですが、まぁその後にある事件があって、私も先輩もとてもびっくりしました。でも、見たので感想にまとめたくなり、いつも通りに、まとめてみました。

新潮45が原作のノンフィクション(注・個人的な経験則ですが、『新潮45』はもともと そういう 雑誌ですよね)を基にしたフィクションの映画です。 ある死刑囚(ピエール瀧)が記者(山田孝之)に向かって『私だけが知っている未解決事件があります、どうか記事にしてください』と接見を求めてきます。記者は徐々にその死刑囚の話しに翻弄され・・・というのが冒頭です。

この事件を私はそれほど詳しく知っているわけではありませんが、かなり恐ろしい事件です。 ですが、エンターテイメントな映画作品になっている事は間違いないです。白石監督はこの作品で初めて見ましたけれど、上手い監督だな、と思います。また、リリー・フランキーさんの演技が物凄く作品の質を上げていて、頭脳労働犯のイメージを上手く具体化してくれてます。あるシーンのセリフ「これ危ないよ、これ危ないよ~」という時の演技での左手の動きが物凄く印象に残ります。もちろんピエール瀧さんの凄み、怖さと同居しているおかしみとかなしみを同時に感じさせてくれます。そんな俳優さんはなかなかいないです。

そこに記者の山田さんが絡んでくるのですが、基本接見する場面がほとんどです。が、この記者も、泥沼のように、この事件によって人生が変わっていってしまう人として描かれています。

原作未読なんですけど、そもそも新潮45って、すごく昭和なオジサンの自意識をくすぐるように出来上がっている雑誌ルポタージュが多いのが特徴だと思います。東電OL殺人事件の時もノンフィクションライターの佐野さんがルポタージュをしてますけれど、犯人を追いかけ事件を解明していくのではなく、どんどん深みに嵌っていって冤罪事件として容疑者を救う話しになっていますし、愛犬家殺人事件の場合は共犯者のインタビュー起こしをゴーストライターにハードボイルド風に脚色させて、出版。その後ゴーストライターが別名義で再出版(最初の出版作を絶版にしてます)など、例を挙げればきりがないくらいに、こういった作品を数多く出していて、そもそもノンフィクションももちろん嘘や演出をしますけれど、それがかなりあからさまなので有名なんですね。

そこの部分が個人的には乗れませんでした。記者の話しはばっさりカットしても作品として成立させられると思います。が、必要な事でもあったと思います。個人的には、記者の話しは少々クドイと感じました。社会正義を背にして取材という名を借りた暴力描写もありましたし、デビッド・フィンチャー監督映画「ゾディアック」の記者とほぼ同じようになっていくわけで、その辺も新鮮味は薄かったですし、でも、観客の目を引き受けるのには良いかも知れません。ただ、かなり特殊な立場だと思いますけれど・・・

また、死刑囚に対して法廷で記者が参考人として発言する際の、信仰をもった死刑囚への記者の話しは、まさにイ・チャンドン監督作品「シークレット・サンシャイン」のメインテーマのひとつだと思いました。もう少しここは深められたかも、とも思いましたが、この作品は少し狙いが違うと感じています。

それは、この白石監督は、コーエン兄弟のようなクライム・サスペンス・コメディ映画にしたかったのでは?と感じています。確かに起こっている出来事は大変恐ろしい話しです。けれど映画作品なので、みんな演技しているわけで、大変不謹慎ですけれど、『不謹慎な笑い』をやろうとしているのではないか?と思いました。

オーバーに、過剰に、することで、笑う事になっていると思いました。 あくまで、映画、不謹慎な笑い、私はありだと思います。

少し変わった笑いを求めている方にオススメ致します。

ピエール瀧さん、依存から立ち直って、また俳優としての立場になれる事を期待しています。確かに罪を犯したけれど、間違った事をしたことが無い人はいないと思いますし、いくらなんでも過剰に扱いすぎだと思います。すごく日本の嫌な部分だと感じます。

「ビハインド・ザ・カーヴ 地球平面説」を見ました

2019年3月12日 (火) 08:26

ダニエル・J・クラーク監督     Netflix

ラジオ番組の『人類はまだ大丈夫なのか?』高橋ヨシキさんの特集を聞いて、はてさて?なんの話しなのか全然分からないが、とにかく気になり、早速鑑賞しました。もう一つのドキュメンタリー『FYRE夢に終わった史上最高のパーティ」という映画も気になりますが、こちらを先に選んだ次第です…

とにかく、凄まじい映画体験でした・・・

地球平面説を、信じる、人たち、その代表的なマーク・サージェントと周囲の人々の観察と、その主張に対する、宇宙物理学や心理学者やサイエンスライターなどの科学者側からの反証をするドキュメンタリー映画です。もちろん科学者側はあくまで地球平面説者の主張をスタッフから聞いてカメラに向かって科学的に反証するだけで、直接論争するわけではありません。というか、すっごく控えめに言って、会話にすらならないと思いますので。

割合最初の方でマークさんが言う地球平面説に必読の書の中に、ジョージ・オーウェルの『1984』が入ってたりして、本当に読んだのだろうか?と疑いたくなります。普通この本を読んで物事の客観性や陰謀論について懐疑的になる事はあれ、より先鋭化する事はまずない本じゃないかと思うんですけど。

マークさんの主張は、まあ、あり大抵な実感主義という事に尽きます。へー地球が丸いんだ、でもオレには感じないし、オレの目には地平線ままっすぐに見えるよ?権力者の都合で騙されて地球を球体だと信じているヤツらは馬鹿だ、という感じです。

実感主義、私にもあると思いますし、何かを疑う事は客観性を生む土壌ですし、不思議に思うから知りたくなるわけで、まさに必要な事です。

が、映画が進むにつれて、反証や論理的な考えが全く通じないのを見ていると、まるで何が何だかんだ分からなくなるクラクラ感が味わえます。

自分にとっての都合の悪い事実は、難癖を付けて認めない癖に、自分の感じには絶対の信頼を、勝手に、信じてるんですよね…

序盤は典型的な陰謀論者なんです、科学的な知識もないのに、その科学的な意味すら、権力者の陰謀だ、となっていきます。

ええ、私も最初は笑っていました、テレビで見る変な人を揶揄している感じを(お笑い芸人さんの姿形や言動を煽っておいて貶めて笑いをとるのは不快に感じますけど)。でも違うんです、100%の真面目に、陰謀だと、信じて、いるのです。理解じゃなくて信じてるので、都合の悪い事実や結果を認めずに、実験の誤差だの、まだ不明な部分があるだの、喧しく駄々を捏ね始めます、その姿は滑稽ですらあります。

が、信じているモノを他者に批判された経験が誰しもあるように、憤りを覚えた経験を思い出させるのです、あの若かった在りし日の自分を。

もちろん、私はまだ成熟していないとしても、一応職業について税金を納めていても、もうすぐ50歳だとしても、それでも、この人たちほど、追い詰められた視野狭窄を土台にした肥大した自尊心ではない、と思ってしまうのです。あの在りし日の自意識過剰な私をスポイルさせて、純粋培養した結果を見ているような気持ちになりました・・・かつて自分にも、いや今だってあるかもしれない、と思わせる恐怖があるのです。

とは言え、間違いなく、陰謀論者の視野狭窄の自己認識肥大の誇大妄想狂な人なんですけどね。

この人たちに届く言葉はなく、勝手にコミュニティを形成する自由は、あると思います。だからこそ、私にも彼らを無視する自由があると思ってましたが、無視しているとカルト化するんじゃ・・・という恐怖があります。何しろ彼らはここに来るまでに多量の疎外感を経験し、鬱屈を溜め込み、様々な陰謀論を通りつつ、そこからも溢れ落ちた存在なんです。

1コだけネタバレします、すみません…

とある機械を2万ドル(思いっきり単純に計算して200万円以上しますね)で地球の自転する角度を計ってみて、数値が違う事で地球平面説を証明しようとする男が、機械はちゃんと正しい自転の角度を出し続けるのですが(当たり前ですね・・・)、最終的に出した答えが、地球が自転している数値と同じように地球平面が動いている、と言い出したんです・・・もう何でもあり、何があっても認める事は無いんでしょうね・・・

本当に恐ろしいです。

何処かで負けとか間違いとか過ちとかを、認めるチャンスはいくらでもあったと思いますが、それを一切無視して、何があっても、悪いのは他者、で乗り切ってきた人たちの末路。まあ身から出た錆なんで、仕方ないのかも知れません。

ラスト、まさに今で言うとブーメランな、散々自らが、立場の違う相手をあげつらう為にしてきた質問を、撮影スタッフから投げかけられて、返答に窮するマークの自尊心はいかに。

あ、あと、インポスターシンドロームとか、ダニング=クルーガー効果だとか、確証バイアスだとか、果てはケムトレイルなどという、全然知らなかった事を知れるトリビアルな楽しみもあった事は追記しておきます。

高橋ヨシキさん、人類は全体的に見れば、微々たるものですが進歩してます、多分大丈夫なんじゃないかな?と思いますけれど全員じゃなく、かなりダメで大丈夫じゃない人がいる事が分かりました。ここまでとは思ってなかったですけど。

Netflixに入ってる人にオススメ致します。

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「トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン」を見ました

2019年3月11日 (月) 09:12

ウィリアム・ピーター・ブラッディ監督     IVC

いきなりPCが壊れてしまい、ここ1週間ほど大変困りました、その上年度末でなかなか厳しい毎日ですが、なかなかショッキングな映画体験になりました。

原題はThe Ninth Configuration、原作も同じ題ですね。

そして、この方の最晩年の小説『ディミター』を私かなり昔に読んでました。こんなところで繋がるとは!なかなかのミステリなんですが、描写もスゴイし展開が絶対に読めない、まさに神と悪魔の話し、キリスト教圏の話しで、まあとにかく生活に歴史にキリスト教が刻まれている世界だと、なかなか大変な事だろうな、と実感します。もちろん、キリスト教がなかったら、産業革命も起こらなかった可能性もあるし、とは言え長い中世も無かったし、と思うと、よく分からなくなってもきますが・・・

センター18、という和題がつけられていますけど、ninthって9番目じゃないの?なんで18なの?その辺りに何か意味があるのか?私調べではよく分からなかったです。

ベトナム戦争末期、今で言うPTSDのような精神疾患に病名が付けられていない時代。精神に異常をきたした患者を集めた軍施設が、ヨーロッパの古城を思わせる建物の中に作られ、患者を治療、観察しています。その施設に新たな精神科医カーン大佐が赴任するのですが…というのが冒頭です。

なんと言いますか、非常にシュールな冒頭です。タイトルが出る前に曲がかかるのは、私の少ない映画体験の中では他に覚えてないですね。配給会社の名前等何かしらの会社名が出るのが普通だと思うけど、斬新なオープングで、心掴まれます。

最初は、精神科医カーンを除けば、名画『まぼろしの市街戦』フィリップ・ド・ブロカ監督作品(の感想は こちら )のようなシュールさです。コメディタッチにさえ見えるのですが、あまりに精神科医カーンの暗澹たる心持ちが演出でも強化されているので、より不思議な感覚に陥ります。

ネタバレは避けますが、精神病棟を舞台にした映画は傑作が多いですし、それこそ『カッコーの巣の上で』、『レナードの朝』、『シャッター・アイランド』、『羊たちの沈黙』、『アマデウス』、『チチカット・フォーリーズ』、『バニラスカイ』、『パプリカ』と『ジェイコブズ・ラダー』も入れて良い気がしますけど、まあいろいろありますし、全部が傑作ではないけれど、かなり水準高いですよね。

今作は作られたのが1980年ですし、その点でかなら早い作品だと思います。

シェイクスピアや文学、形而上学、哲学に興味がある方なら、ニヤリと出来る様々な論点があり、私も全部は分からないですけど、ギミックが効いていて楽しいです。

特に、犬にシェイクスピアを演じさせる男とのハムレット談義は、大変に興味深く、しかも、非常に大きな伏線になっていると感じました。

しかし、後半はかなり振り切った作品になっていて、この辺が、私個人からすると、ああ、まさに『ディミター』の作者!と膝を打ちたくなる展開です。

舞台設定、キャラクター、ストーリー、演出に至る全てが最終的には『果たして神は、悪魔は、存在するのか?』を扱っている伏線になりうるのも面白みを感じさせてくれます。

果たして、神は存在するのか?ここに大胆な演出、私は演出だと感じる、伏線があると思いました。

精神科医モノがお好きな方、ベトナム戦争モノの中でも『ジェイコブズ・ラダー』が好きな方に、オススメ致します。

精神疾患モノに興味のある方に、神と悪魔の存在をどう思ったら良いのか?疑問を感じている方に、オススメ致します。

アテンション・プリーズ!

ここからネタバレありの感想になります。かなりいろいろ読み込める映画ですし、受け手である観客がいろいろ決められる要素も多いです。ので、私なりの結末の意味を考えてみたくなりました。

ネタバレありの感想ですと、まあ、「シャッター・アイランド」マーティン・スコセッシ監督な作品(の感想は こちら )ですし、信用ならざる語り手モノでもあるんですが、まあ割合早くにわかります、前任者を見たことある、という下りで既にかなり怪しいし、前任者の精神科医が泣き崩れるのも、ちょっと早い気がしました。 でも逆に、まさにその先を描きたかったから、なんだと思います。

カーンは自らを否定し、間違われた事を契機に、他者である精神科医に自己投影しなりすます事で、自らの体験を乗り越えようとするわけです。 で、絶対的孤独を恐れる失敗した宇宙飛行士であるカットショーに、1例でも良いから示せ、と言われ、さらに教会でも同じフレーズを読んだ事から、その想いをつのらせるのだと思います。 このカットショーとの会話が、なかなかに痺れます。命を賭して別の命を助ける実例、私は結構あると思いますけど、カットショーの反論にも一理ある気がします。何しろカットショーはまさに無神論者のレトリックを用いる男なのです。さらにここに自己陶酔が入ってくると、その英勇的行為の評価は難しく、心の中の意思は誰にも共有出来ませんし、口でどう言われようとも、心の中が違う可能性もあります。

さらに、本題に近い宗教的善き事とされている場合の刷り込み、殉教と言われる行為の何パーセントかは、自己陶酔である部分もあるように私には感じます。 ただ、カーンは精神科医メソッドを持っていたのではなく、彼らにとって友人になったのだ、と考えると、さらにエモーショナルだと感じました。1人の友人として、カットショーを救いたかった、と。その為にカットショーの心情を吐露し友人としての関係性が生まれた後に、自身の自死を見つめてショックを与えしたかったというカーンの気持ちが心を撃ちます。 冷静になると、他にも方法があるだろう、とは思うけど・・・

さて、ラストのラスト、ある種の遺言を読んで、観客と共にカーンの意思を理解した上で、さらに精神科病棟も閉鎖され(多分、前任者精神科医からスタッフへは事実を知らせていたが、患者たちは本物。だとすると、この施設はカーンの為だけに作られたわけではないのだと思いました。何でもカーンに収斂する話しだと、あまりに壮大でリアリティがなくなって醒めてしまう傾向にあって。シャッター・アイランドがあまり好きじゃないのがこの点です・・・)た後に回復したカットショーが佇み、金貨を拾った笑顔で終了。大変余韻ありますよね。

死後、何らかの方法で死後の世界があるなら連絡してくれ、というカットショーに(死してなお、孤独を恐れているのかも知れません)対して、カーンは努力する、という意図の返事をしている事から、金貨を拾う奇跡を通して、カットショーは死後の世界があり、孤独ではない事を知り、心からの安堵から溢れる笑顔を見せる事が出来たのだと思います。

と、私も鑑賞直後は思ってました。 でも会話劇の中でも、最も印象に残り、腑に落ちたのは、私はハムレットのシーンと1つの例のシーンだと思います。

で、ハムレットの話し、狂っていたのではなくか演じていたのだ説に納得したので、より、この解釈が、この映画のラストにまで効いていると思うのです。 私は金貨を拾ったのは事実だと思いますが、それ自体も幸運だけど、それがカーンに渡した金貨かどうか?は分からないし、渡した金貨なら奇跡だけど、映画的演出だと思うんです。

でも、ハムレットと同じように、狂っていたか?いないか?ではなく、狂った演技をしている、で言えば、神がいる?いない?ではなく『いると考え、善き事を行え』というメッセージだとすると、今までの映画が飲み込め易くなると思うのです。 カーンは看守に向かって唯一キレていたのは、愛を持て!という時でした。過去に犯したベトナムでの子供の殺害におけるトラウマを克服する為にも、同じ誤ちを同僚にしてもらいたくない為にも、カーンはキレないわけにはいかなかった。 そんなカーンはシェイクスピア演出家の説に納得しているのです。

神はいるか?いないか?ではなく、神がいると思って善き事を成せ。ディミターの作者として、最も個人的に響く回答だと感じます。

ただ、私は神がいなくとも、恥を知る人間は内発的に善き事が成せる、説を信仰する者です。

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