井の頭歯科

「ここは退屈迎えに来て」を観ました

2018年10月29日 (月) 09:18

廣木 隆一監督    KADOKAWA

久しぶりに映画館に行きたくなったので。

まずタイトルが秀逸!これだけで惹かれました。あと門脇麦さんが出てて、この人私はまだ「二重生活」しか見た事ないけど、ちょっと器の大きさにやられましたので気になってました。

時間軸をずらして行う群像劇で、基本的に好きな見せ方だし、悪くない。けど、悪くないだけで、飛び抜けてイイという所が無かったように思います。

2013年の私(橋本愛)は10年間東京で過ごしてきたけど何もなく地元に戻ってきてフリーのライターをしている。一緒に仕事をするカメラマン(村上淳)に今日これから同級生のサツキと一緒に高校の頃の憧れの存在であった椎名(成田凌)くんに会いに行く話しをしたところ、一緒に行くことになり・・・というのが冒頭です。

説明されないのですが、ちゃんと理解出来る形に仕上がっていて、その点は評価したいです。いわゆるタランティーノ作品のような編集の妙があります。しかも群像劇ですので、この人は誰?的な部分はたしかに最初の頃はありましたけど、その後は全然なくなりスムーズに観れます、そういう意味では上手いです。

特に気になった役者さんは、まず不思議な魅力の椎名くんを演じる成田凌さん、初めて見ましたけど、悪くない!もう少し高校生の頃の場面での華やかさがあってもイイと思うけど、後半の疲れた無精ひげな顔はなかなか良かったしカッコイイです。村上淳さんはホント演技自然になりましたね。あとは正直それほど惹かれる役者さんがいなかった・・・家庭教師の先生はあまりフレームに収まる感じがしなくて小池栄子さんに見えた、というかそうだと思っててテロップで名前出てなくてびっくりしました。朝子役も、もう少し存在感に重みが無いと、この映画の中で唯一の〇〇進出成功者としての感覚が出ない感じがしました。しかも妹という存在感も出さねばならないので、難しいけど。

あと、門脇麦さんの魅力が全然伝わらない感じで、すっごく勿体ないと思います。この手のキャラクターにはめ込んでみたくなるのも理解は出来るけどキャスティング的に橋本愛さんを主役にしていて、奔放なキャラに門脇麦さんを当てるのはちょっとどうかと思うんです。このストーリィの中で当てはめるんなら、なっちゃんか朝子だと思う。また、叫びのシーンも、あの続きをこそ見てみたかったです。しかも、門脇さんの場面だけ引きの絵が多くて、ちょっとそれも・・・

また、登場人物が唄をよく口ずさむんだけど、ココ物凄く重要な場面なので、もう少し丁寧に、何故口ずさみたくなったのか?が分かるようにしないと、すっごく取ってつけた感じになってしまって残念だと感じました。車でかかる音楽にも、相当気を遣っているのは理解できるけど、それよりも、口ずさむ事の方が何倍も気を遣うべき瞬間でカタストロフィが生まれるはずなのに!

茜色の夕日はもちろんいい曲なんだけど・・・

あと、新保くんの渡辺大知さん、最近見た「勝手にふるえてろ」もそうなんだけど、悪くないけど、どうしても、もうひとつ何かが欲しい感覚になってしまう。今回も悪くないです。が突き抜けたベストアクトを1度見てみたい。

また、ファミレスでガールズトークを繰り返す2人組は、本当に必要だったのかな?私がこういうのが全然共感出来ない人間なんで、そう感じてるんだとも思うけど、最後の最後にアレを出すためにだけ、に出してるキャラクターな感じがして残念だと思う。原作あるようなので、そちらでも同じような人物が出てくるんでしょうか?

あと、プールのシーンのきらびやかさは良かったけど、これ、プールの水の量の演出が素晴らしいと思いました。これ思いついた人スゴイ!ものすごい多幸感が出ますね!私はこのプールシーンで思い出したのは「そうして私たちは、プールに金魚を、」です。

最後に、いつも思うんですけど、仮にこのキャスティングが本当になりたったとして、まず好みの問題もあるけど、橋本愛さんが全くモテないって描写は本当に飲み込めない。サツキ役の人は似たようなのがいるとしても、橋本愛さんはちょっといないでしょう?それが1番飲み込みにくいんですよね。このキャスティングで行くなら、もう少し化粧がダメとかなんかマイナス要素を入れないと、と思ってしまいます。だからこそ、このキャスティングだと片山 友希さんが目立ちます。それはもちろんマキタスポーツさんの演技にも助けられてるんでしょうけれど。マキタスポーツさんの演技をちゃんと見たのはこれが最初なんですけれど、ホント良かったです、スゴイですね!

若手の俳優陣に興味のある方にオススメ致します。

「肉」を観ました

2018年10月22日 (月) 09:22

フレデリック・ワイズマン監督

とにかく尊敬出来るドキュメンタリー映像作家、ワイズマンの足跡をたどる特集が、アテネフラウセで開催されています!やった、嬉しい!!でも平日で昼間から、1本につき2回しか上映されないので、まぁ残念ながらほとんど見れません・・・でも長年観たかった「肉」がちょうど観られる時間帯にかかっていたので足を運びました。

とにかく集中を求められる映画作品で、1つのテーマをソリッドに、深く、観たままに、映像化してくれる監督です。細部にまで配慮はなされていますけれど、それは事実を事実のままに伝える事になされていて、説明やナレーション、BGMも何もありません。だって実際にその場にナレーションだってBGMだって流れてないですよね。それをそのまま映像化するんですけれど、これがものすごく情報量が多くて、大変集中を要します。見やすさ、分かり易さ、からははっきりとした一線を画す作品に仕上がっていて、いつも思うんですけれど、複雑な現象や事象を簡単にすることでそぎ落とされる細部にこそ重要な要素が含まれていて、そのままに理解する事の重要性を思い出させてくれる、そんな作品です。だって誰だって分かり易い事は受け手の許容度がひろく、娯楽作品には必要な事でもありますけど、でも複雑なモノを理解する娯楽だってありますし、実際、ワイズマンの作品の面白さはココにあると思ってます。

毎回、客層もちょっと変わった人が多くて、まずみんな1人で来てますし、ワイズマン作品のスタッフロール(ま、ローリングはしてないんですけど)が終わって暗転し、客電がついて場内が明るくなった瞬間に聞こえる安堵と何か苦い真実を飲み込まなければならなくなった人の吐息が入り混じった「っん、ふぅ」的な息の音が必ず聞こえるのが本当に不思議です。いつもコレを聞くと、ああ、ワイズマン作品観たんだな、って思います。

牛が肉になるまでを扱った作品です。

牛という生き物、その生態まで感じ取れるように、牧場で草をはみ、その音までも可愛らしく感じさせるくらいにカメラが寄っています。牛の瞳ってこんなに感情的なんだっけ?って思い出させるくらい、ああ、牛の角と角の間、顔に至るまでパーマがかった縮れ毛のような毛が生えている牛も、いない牛もいて、牛種にもいろいろあるのだな、とかを十分に理解させたところから、出荷が始まります。

まずは出荷された牛はせりにかけられるのですが、このせりが行われている会場の雰囲気がとても変わっていて、物凄く早口で何かを言っているせりを統括する人が左右の手を使いながら、会場にいる大変男汁溢れる、いわゆるカウボーイに視線を投げ、投げられたカウボーイの方はそれに対して手の形(複雑なものでは無いが、大変素早く見せられるので形を覚えられない)で合図しながら進んでいきます。

せりを終えた牛たちはトラックに乗せられていきます。逆光の中(ワイズマンは逆光大好きマンです、絶対!!)、トラックのエンジンの音を聞きながら牧場兼屠殺場に運ばれ(巨大な会社)太らせてから「牛」が「肉」変わっていく様を、淡々と、しかしテンポよく映像化されています。そこには「日常」の屠殺があり、「日常」の血抜きがあり、「日常」の皮剥ぎがあります。

牛を太らせ効率よく屠殺する会社に日本からの工場見学に来た集団が、細かな質問をしつつ、完全に遊びに来ている感じでカメラで撮影している人々も、この工場と会社に関わるものですから、冒頭にですが、映されています。英語を理解出来るのが1名しかいない上、ちょっとした言葉でもすぐに聞き返してくるので、大変、説明する係りの人(女性、美人)が困惑しているのが分かりますし、喋れない日本人が最後はこの説明係の女性と写真を撮っている部分を見せられると、映像からも、この写真に納まっている日本人の、旅行という非日常が醸し出すアッパーな気分に浸ってしまっている感が滲みでて感じられます。当然この日本人の言葉には字幕が付かないんですけれど、この映画を見た非日本人(日本語を理解出来ない)には、とても不思議な人達に見えるんだろうな、と思います。

牛が肉になる行程には本当に様々な過程があるのですが、作業員が、何の感情も抱かず、まさに生き物であった牛を、肉に変えていく様を、じっと映像に収めていきます。牛の屠殺の瞬間は、まさにあっという間に行われていて、声も出すヒマさえなかったです。その後足をつるされ、首に一撃食らわせて血抜きをされ、皮を剥がされ(機会化されてる!)、内臓を取り出し、解体されていくのですが、扱っている作業員の表情が一様になんの表情も浮かべていないのが印象的でした。まさに日常なんです。中にはテレビでアメリカンフットボールの試合(NFLだと思うけど、チームが分かるほど鮮明な映像ではなかったですけど、ウィークサイドへのリードオプションを展開、NFLでもオプションプレーが行われていたのか?不明なのでもしかするとカレッジかも)を盗み見ている人物の表情も、無表情なんです。

特に印象的だったのは頭部の解体、内臓の摘出、血抜きの際に出来るまさに足首まで浸かる血の海での作業、そしてその清掃と、作業員の素手、です。

牛の後、ほぼ同じだけど行程がいろいろ違う羊の映像になります。同じように、羊の生態が分かるくらいに寄ったカメラから(羊の羊毛を刈られる際の可愛さもあり、従順さも可愛さを増幅している)、出荷され(また逆光!!)、屠殺されていく羊の生き物から物化される行程が写されます。この羊たちを先導しつつ、自身はトラックには入っていかない山羊がいて、山羊の髭のある造形からも羊の幼さに比べて老成して見えるのですが、逆ハーメルンの笛吹きのようで恐ろし気でした。

会社の従業員との労使交渉も描かれていて、細かな労使交渉がされるんですけれど、会社側は全然譲歩してないんですよね。とにかく決まったのでこれでやる、の1点を、繰り返し説明するのみなんです。これこれこういう現場の中で1名の人間で軽量と4段階のクラス分けをして、その責任を担当者は負う事が出来ないので2名にしてくれ、という訴えの後、会社側の責任者は、しかしそれは過度な懸念であって、1名で行う事に決まった。もう1度言おうか?という完全にブラックな感じでいっぱいです。労使側の精一杯の交渉で、責任を押し付けない、チーフマネージャーが責任を管理するってなるんですけれど、多分これ後で覆されそうです・・・

そして、何かしらの記者が、工場経営者に、この先のビジョンを聞いてくる場面では、工場主(と思われる、説明も何も無いので社長かも)は、大変居丈高に、これ以上どうやっても高く足を組む事は出来ないであろう位置に足を組み、タバコを吸いつつ、カメラに向かって上からの視線で(多分カメラは据え置きなので意図的ではないと思いますけど)、今後3年間は今のままに推移していくが、その後は牛肉は間違いなく高級品になる。今の2倍、いやひょっとすると3倍の値段になるのではないか?といった趣旨の発言をします。経済学者じゃないけど、私の考えるところはこうだよ、といった説明口調ではあるのですが、物凄くアメリカンドリーマーに見えるんです。

確かに、「牛」が「肉」になる映画なんですけれど、やはりワイズマンはその過程にいる(だって牛を肉にする過程の工場も、その仕組みを考え出したのも、そしてそこで働いているのも、全部)人間に、興味があるんだろうな、と感じました。一瞬だけ出てくる州知事が、労働者に向けて一人ずつ、握手を交わしていく姿が映し出されるんですけれど、まぁ支持を求めてるんでしょうけれど、握手する事しか考えてないすっごく上っ面な態度に見えるんですよね。ナレーションも説明もBGMも入れない事で、ただの事実を観る事で、写された人物の考えが透けて見えるように(あくまで、受け手の想像なんですけれど)なる瞬間が、ワイズマン作品の肝なのかも知れません。

ワイズマン作品をたくさん観たいけれど、私は映されるのだけは御免被りたいですね。

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「7月22日」を見ました

2018年10月19日 (金) 09:11

ポール・グリーングラス監督       netflix

ラジオの映画紹介で町山さんが強めにオススメしていたので視聴しました。大変ヘヴィーな映画でした、私は全然知らなかった2011年の7月22日ノルウェーでのテロ事件を扱った作品です・・・

ノルウェーのウトヤ島と首都オスロで起こった連続テロ事件の顛末を扱った映画です。単独犯である当時32歳のアンネシュ・ベーリング・ブレイビクは首都オスロの政府庁舎に大量の爆弾を車に積み込んで爆破し、その足でそのままウトヤ島に単独で警官と偽って潜入し、そのまま銃を乱射、当時ウトヤ島には移民政策に積極的なノルウェー労働党青年部の集会が行われており、オルロでの爆発で8名、ウトヤ島での乱射事件では69名の死亡者が出るテロ事件の発生とその裁判を映画化したものです。

単独犯がテロの準備を進める非常に重い映像と、ウトヤ島での生徒たちののどかで爽やかなキャンプ風景が交互に描かれる事で、観客である受け手はこの先に起きる事を実は早く見たいと思わせ、加害者ではないものの、その行為に加担しかねない心理状態に置かれている事はとても上手い編集だと思います。映画化、ですしドキュメンタリーではないので実際の映像では無いんですけれど、早く続きが見たい、どうなるのか知りたい、という欲求の後ろ暗さを実感してしまいました。

主な登場人物は、単独犯ブレイビク、被害者ビリヤル、弁護士リッペスタッド、なんですけれど、とても上手い群像劇でドキュメンタリチックな映画化だと思います。

実際に起こった事件ではありますが、本当のところ、どうだったのか?は私は知りません。しかし映画に近い事実があったのだと思います。非常に重く厳しい現実があります・・・簡単に言葉に出来ませんでした。しかし、それでもなお、考える事を止めるのだけはしたくありません。

ノルウェーで起きたテロ事件について知りたい人、考えてみたい人にオススメ致します。とてもヘヴィーな事件で、現実です。

アテンション・プリーズ!

ココからネタバレありの感想になります。とはいえ現実の事件を映画にしているので、Wikipedia等ネットで調べればすぐに事件の概要は知れます(この事件の概要は ここ です。あくまで私が裏を取ったわけではありません、Wikipediaをある程度信用するとして、という事です)。心地の良い事件じゃありませんからわざわざ知りたくないと感じる人もいらっしゃると思います。けれど、それも個人的には良くない、耳を閉ざす行為だと思っているので、結局いろいろ知れば調べてしまいます。結果的に耳を閉ざし、残虐な事件を遠ざけているつもりで、実は犯人の思いに沿っているように感じるからです。

あくまで個人的な感想です。

犯人の、独善的で劣等感を暴力でしか解決出来ない上に論理的にも破たんし、もはや精神異常者にしか見えない点は、救いがないです。単純な極右的思想でしか己の貯め込んだ怨念を払拭出来なかったその点に、大変な恐ろしさがあります。自らを怪物として周囲から崇め奉られないと弱い自我が崩壊してしまうほどの脆弱性、排斥主義的な大変簡単なロジックにいつまでも拘泥して、それが醜悪である事を理解していたからこそ、周囲には無害な人間に見えるように行動していた点も、愚かで救いがない事にしか見えないです。他者を見下す事でしか満足が得られない大変小さな男ですが、それがこれだけの事件を起こせた事、その点が非常に気になりました。

政府の、安全保障というテロ対策の粗を指し示すのは簡単でしょうけれど、それだけではない怖さがあって、それはこの犯人が憎んでいる『多様性』の中にこの犯人も含まれる事です。多様性を認めるのであれば事を起こせないようにしながらも、この社会の中でこのような思想というよりもサイコパスな思考の持ち主を許容出来るようにしなければなりません。もちろんテロ行為は大変許しがたい事ですけれど、しかしテロ行為しか表現の手段がない(本当はそうではないんですけれど、まっとうな手段を、思いつく事の出来ない、その道を辿れない早急で粗野な連中)も共生できる社会が多様性のある社会なのであって、矛盾を孕んでいますけれど目指すべき社会だと思います。

誰の言葉かは忘れてしまいましたけれど『貴方の主張には全く同意する事が出来ない。が、貴方が主張する権利は死んでも守る』という事に尽きると思います。

だからこそ、法的に弁護人にはこの愚かな犯人を、法で裁くために、弁護をしなければなりません。この弁護人の役の方は大変味わいのある演技をされていて素晴らしかったですし、脚本演出ともに、言葉で説明しない部分を演技で説明してくれてて素晴らしかったです。被害者から見れば許しがたい犯人であったとしても、報復行動、リンチを認めずに、法の裁きを受けさせるのはとても重要だと思います。しかし、その行為に、犯人を庇うのか?と口汚く罵る輩を出し、子どもの保育園を変えざる得ない状況に追い込まれながらも、淡々と職務をこなし、決して折れない行動は賞賛に値すると思います。

テロでしか自らの尊厳を維持できない人との共生をどのように行うのか?というのは大変困難な命題だと思います。法的に認めなくとも、法外に出てしまう人はいますし、それこそこの映画のテロではなく、現代の日本でも、ヘイトスピーチや排斥主義的な短絡思考を悪びれもせずにデモ行進するような人がいるわけで、この方たちも同じ日本人でこの国で共生していく困難を考えるのと同義だと思います。

また、被害者の中でも特に後遺症と戦うビリヤルのやりきれなさ、無念さ、そしてそこから立ち上がっていく様は大変美しいものがあり、まだ青年のうちに与えられる後遺症としても大変辛いのに、さらに裁判で証言するまでに、戦っていく姿勢が本当にリアルに描かれています。ビリヤルの両親にもそして助かった弟のトリエの存在とその苦悩もリアルに描かれていて良かったです。実のところ本当の意味では変わってあげる事も出来ず、苦しむ両親は、その間にさえ亀裂が入りかかるのも、本当に怖いくらいにリアルでした。何かを克服するのって本当に難しいし、尊い。

弁護士以外にも気になる人物がいて、それが犯人の母親です。この犯人の生育環境は恵まれたものではなかったと思います。しかし生れ落ちる環境や両親を選べた人間はいません。ある種の不平等で理不尽さを含んでいますし、当然でもあります。しかし、不遇な環境が原因ではない事は、その他の恵まれない環境に育った人が何人もいる事で証明できると思います。何故このような人物が出来上がってしまったのか?が気になるわけです。そして私には、この母親の存在が大変重要だと思います。

親になるという事はどういう事なのか?その想像もなく親になっている人が恐ろしいです。果たさねばならない責務のラインというものがあると思います。そのラインを全く気にせずに『親』をやっている人に私は恐怖を覚えます。この犯人の母親もそんな風に見える人物です。なんでも言いくるめられてしまい、放任で甘く、しかし責任を担おうともしません。視野狭窄な考え方をし、単純にそれを信じ込み、その影響が犯人の中にあるように感じました。全く視野狭窄である事に疑問が無いのが恐ろしいです、客観性の無い人の恐ろしさを覚えますし、私の考えも、また別な角度から見れば視野狭窄で浅薄な考えである事もあるのだと思うと、本当に恐ろしくなります。

それでも、この犯人のような人をゼロにするのは大変難しい事だと思います。弁護士が最後の面会で話す言葉の重みを噛みしめています。

ピエール・ボナール展 オルセー美術館特別企画 に行きました

2018年10月10日 (水) 09:38

ラジオでこの美術展が良かった、と山田五郎さんが言っていたのの聞き、足を運びました。白い猫も気になってましたので。

猫が描かれた絵も多かったです。

でもこのデッサンはどうなんだろう・・・

デッサンはちょっと、と思いますけど、でもすっごくカワイイ。まぁ本当にこんな形だったらすっごくビックリしますけど。

たくさんの作品があって、かなり早い段階から評価されて生活出来てたアーティストみたいです、その点で、とてもおおらかで優しい感じがしました。

とは言え、ピエール・ボナールの特徴がいまひとつはっきりとは伝わってこなかった感じもします。多いモチーフは奥さんの入浴なんでしょうけれど、作品ごとにいろいろ変化していて、これこそ!って感じがしなかった。ずっと追い求めている何か、が私には理解出来なかったです。

中でも良かったのは、

これです。

とても綺麗でした。

逆に晩年、いろいろ依頼を受けて描かれた作品には大作が多いのですけど、あまり心惹かれなかったです。

でも行って良かった。

「剣客商売」を読みました

2018年10月5日 (金) 09:13

池波正太郎著      新潮社文庫

ある先輩の先生からオススメいただいて手に取りました。

そういえば、新潮社と言えば、新潮45が休刊になりましたね。私は今回の騒動については雑誌を買ってないんで、あくまで新潮45という雑誌についての私の感覚でしかないんですけれど、すっごくオジサン目線に沿った雑誌だったなぁと理解しています。たしか佐野眞一著の「東電OL殺人事件」も山崎永幸著の「共犯者」もそうなんですけれど、ノンフィクションの形を採った俺(作者)語り、な作品が多いという印象です。ノンフィクションの驚きの部分を誇張する傾向が強いのは昔からそうでしたし、そもそもそういう雑誌でしたし、そんなに驚く話しじゃない気がします。でもオジサンな目線が好きな方、ルポライター記事で記者が前面に出るのが好きな方には向いた雑誌だったと思います。とはいえ何某議員の擁護の文章が、流布されている文章なのだとすると、ちょっと釈明できないでしょうね・・・編集能力が無い雑誌は淘汰されるべき雑誌だと思いますけど。

閑話休題

オススメしてくれた先生方お2人はとても文学にも歴史にも造詣が深い方だったので、大変楽しく読めました。まず私は池波さんの著作は「男の作法」くらいしか読んだ事が無かったので、大変驚いたのですが、とてもヒロガリのある文章で、情景が頭に描きやすく、その上リズムがあって読みやすいです。このリーダビリティが高いという点はとても重要だと思います。その上でヒロガリがあって、さらに歴史的な事実に即している部分が、とても面白く感じました。どうやら雑誌の連載のようですし、時系列が一直線で季節の変わり目も、風情豊かに描かれています。

主人公は秋山小兵衛59歳。無外流の老人なれど剣の達人、その息子で道場を開いたばかりの大治郎は25歳。この2名を主人公に据えていて、老獪で達人ではありますけど、年齢の影を感じている父と、生き生きとしてはいるが一本調子でまだ青いがまっすぐな息子という対比が面白く、これは男性読者に大変受けたであろうと思います。老境に入っていく方に感情移入するも善し、若い息子に感情移入するも善しで、大変上手い設定であるし、時代がちょうど1770年辺りだとおもいますけど、老中田沼意次の時代です。この時は町人文化も華やかで、でも、田沼に対する評価は本当に両極端と言ってよいくらいに分かれていますけれど、私はどちらかと言えば、朱子学を避け、蘭学を庇護して、町人文化のよい部分を伸ばそうとし、だからこそ、平賀源内との親交もあったわけですし、さらに蝦夷地開発を行い(この中の最後の1人が、あの最上徳内ですよね!まぁ土山宗次郎他のメンバーは大変惨い最後になってしまうのですけれど・・・)、果ては赤蝦夷との交易を考えていたのではないか?という評価に与する方です。つまり改革派であったのではないか、と。

また何と言ってもこの時代にちょうど前野良沢、杉田玄白、中川淳庵がまさに『ターヘル・アナトミア』を翻訳しているのです!!辞書が無い中での翻訳作業というのは本当にスゴイ出来事だと思います。「解体新書」刊行に際しての様々に関わった人物たち(小田野直武とか司馬江漢とか桂川甫周とか大槻玄沢とかツンベリーとか、もし高山彦九郎や林子平も出てきたら嬉しいなぁ!)が果たしてこの剣客商売に出てくるのか?不明ですけれど、大変興味湧きます。

そんな時代のドラマですので、大変面白く、今後の田沼意次との関連(田沼の娘が準主役!)がどのように影響してくるのか?も気になります。

とりあえず、第1巻読み終わりました。

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