井の頭歯科

「ライトハウス」を観ました

2021年8月31日 (火) 08:46

ロバート・エガース監督       A24

映画好きな友人にオススメしてもらい、DVDも借りたのですが、何しろ日本語字幕が無い海外のDVDだったので(お借りした方は英語が普通に使えます読み書き喋れる!)、しかも2人劇と聞くと、間違いなく会話劇なので、私の2歳時英語聞き取り能力では無理、と判断してお返ししましたが、ついに日本に翻訳字幕付きで上陸(2019年公開映画です)したので満を持して観てきました。

1890年代のニューイングランドの孤島にある灯台守りに1人の男(ロバート・パディンソン)がやってきます。年配であり先輩の男(ウィリアム・デフォー)があれこれと用事を言いつけ、それを守っているのですが・・・と言うのが冒頭です。

これは、確か以前観た映画にそっくりだなぁ、と思ったら同じ監督でした。「ウィッチ」という非常に先鋭的なプロテスタント教徒の一家が同じニューイングランドで暮らすのですが、と言う映画で、本当にそっくりです。前作「ウィッチ」は大家族だったのですが、今作は2人に絞って、より濃密な関係性を描いています。

本当に面白く観るのであれば、1890年代の1人として、この映画を観ている、と言う認識が必要だと思います。そうすると、本当に最高の映画体験が出来ます。

何を言ってもネタバレになってしまいますが、これは「ネジの回転」だと思っていただけたら、まず、間違いないです。同時期のヘンリー・ジェイムズの短編小説ですけれど、つまり、そういう話しの映画です。

純粋に、同時代の人間が観ている、と考えると、非常に恐ろしく、考えさせられ、現実が溶解していきます。寄る辺ない、といった感覚に陥る事が出来ます。

と、同時に、まだ、神や悪魔が存在していた時代とも言えます。生きている神や悪魔が居た時代です。

それを演技力の高い、しかも脂がのっているロバート・パディンソンとウィリアム・デフォーで演じてくれて、物凄い密度です。はっきりと狂気が画面に映っていました。特にロバート・パディンソンさんは、最初は私はサフディ兄弟監督作品の「グッド・タイム」という作品(の感想は こちら )で知りましたが、その後にあのクリストファー・ノーラン監督の超々お金のかかった「TENET」にも出演していますし、かなり旬な役者さんだと思います。もちろんウィリアム・デフォーの演技は、なんだか大御所のダニエル・デイ=ルイスのような重みを感じました、めちゃくちゃ様々な映画で演技を磨いてきた人の演技に見えましたね。

鑑賞後に、オススメして頂いた方とちょっとだけお話しする機会があり、その人が言った、「何人だったと思う?」は凄くこの映画を上手く表現出来ていると思います。虚実がないまぜになったこの映画で、私は2人の男の話し、と認識しました。もしかすると3人かも知れないし、1人かも知れないんですけれど。

そして教えていただいた、この映画の撮影について、です。出てくるある飲み物を、この2名は実際に、飲んでいます。その上で演技をしている。驚愕です・・・

映ったままを受け取れる人が、1番楽しめる映画。

1890年代の空気を嗅いでみたい方にオススメ致します。

千葉真一さん訃報

2021年8月27日 (金) 09:21

小沢茂弘監督     東映

千葉真一さんの訃報は、みなもと太郎さんと同日でしたが、私にはみなもと太郎さんの訃報が非常にショッキングで・・・私にとっては千葉真一さんを最初に観たのは、間違いなく斎藤光正監督の「戦国自衛隊」です。非常に強烈なキャラクターとしても、そして、意味不明な(1979年公開です、多分80年代初頭にテレビで見ました10歳くらいでしょうか)暗喩表現の多さにも驚かされた作品ですし、もしかすると最初のタイムスリップモノかも知れません。この時も千葉真一さん、という認識ではなく、その後のご多分に漏れずタランティーノ監督の評価によって知った口です。全然詳しくないのですが、追悼の意味を込めて1本観ようと思って選んだのが、私にはこの作品「激突・殺人券」です。タランティーノで知ったわけで、そういう意味では、コレしかない。

サニー千葉作品はベタベタですが、世界に誇れる日本の映画スターだと思います。

プロフェッショナルの暗殺券の使い手剣琢磨は、お金で頼まれれば「不可能を可能にする男」と呼ばれていて・・・と言うのが冒頭です。

やはり千葉さんの主演作品ですし、凄く子供の頃から、見た人みんながマネするし、いろいろなところで使われている呼吸法みたいないわゆる顔芸が見れる作品です。改めて見ても、なんか凄く、不思議な映画です。

これはやはりこの作品を背負っているのが千葉さんだからだと思います。

とにかく、悪い、強い、涙もある(ラクダ!)、仕事はまっとうする、という非常にストイックな作品ですが、結構負けるというか、上手く演出されている、と今回見て感じました。

本当に顔芸のレパートリーの多さは特筆すべきですし、アクションは本当に凄いです。

それにギミックも凝ってるし、カメラアングルにもかなり拘りを感じました。わずか90分くらいの作品に、敵役詰め込み過ぎ!しかも設定では敵になる兄妹との対決なんですけれど、実のお兄さんでもあったり、不思議な作品です。

追悼のラジオ番組で知りましたが、千葉さんご本人としては、空手の映画はやりたくなかった、というのが意外でした。しかし、この作品が海外で異常な日ッと作になり、サニー千葉をアイコン化させた作品でもあります。

映画のエンディングの切れ味って言うか、恐ろしい切り方をしていて、これ本当に今観ると不思議な作品ですが、人気があるのも良く分かります。

千葉真一さんの皆さんが選ぶ追悼映画作品はなんでしょうか・・・

「死すべき定め 死にゆく人に何ができるか」を読みました

2021年8月24日 (火) 09:42

アトゥール・ガワンデ著   原井宏明訳   みすず書房
以前、読書が趣味、と私にも言えた時期がありまして、その時は本屋さんで、いろいろ新刊やら書籍を眺めていてると、時々、あ、これは読まないといけない、という勘が働いく時がありました。今では全くなくなってしまいましたけれど。やはりある程度頻繁に、私の場合ですと、週に2~3冊くらいの、月に8冊くらい読めていれば、またそういった勘のようなモノが働く事もあるとは思いますけれど、今では趣味は映画くらいしかなくなってしまいましたので、そういう事も無くなったのですが、この本は、その感覚の名残のような何かを感じて手に取りました。そもそも、死という事については非常に興味はあるので。必ず誰にでも訪れる、そして何時なのか分からない不安を含む、無になる瞬間でもあり、その前には恐らく苦痛を味わう、という事もよりネガティブに捉えれると思いますし。でも、その事を考えないで生きているのは私には無理というか、どうしても考えてしまう事なので。
医学の発達により、人の命、生命の終着点とされる死が訪れるまでの時間はかなり長くなりました。およそ100年前であれば、平均寿命(とは言え平均寿命は子供の死亡率にかなり影響を受けますので・・・)40歳代であったのですが、これが今は日本では80歳を超えているわけです。単純に2倍になった、と言えます、数字の上では。
さらに、昔であれば自宅で亡くなられていた方の方が圧倒的多数でしたが、最近までは逆転して病院で亡くなられる方が圧倒的に多くなっていました。最近は在宅で死を迎える動きが出てきています。死を取り巻く環境が変わりつつあるという事です。
それでも、どんな人にも等しく、死は訪れますし、1秒ごとに年を取っているわけです。
そんな現代の医療、特に終末期医療の実態を表したのが本書「死すべき定め」です。著者は外科医であり、終末期の医療に疑問を抱いている医療者の1人です。
例えば、肉親が不治の病(とは言え、誰しもが老いという不治の病に罹患しているとも言えると思うのですが)であった場合に、どんな医療処置を選択肢の中に入れるのか?それを決定するのは患者であったとしても、知識や経験が無い患者にどこまでの決定権が与えられるべきか?そしてその肉親とどのように向き合うべきか?といった様々な事の現状、そして、取り組み方や疑問点について、かなり真摯に、エビデンスと経験に裏打ちされた、また著者自身の父親の場合が取り上げられています。
非常に重い話しではありますが、だからこそ必要な事とも思います。その時に、恐らくどんなに準備や心構えがあったとしても、必ず想定していない事や、想定していたとしても実際に、その場に立たされてみないと分からない事があると思うのです。
避けたい不吉な話題の1つであるとは思いますが、だからこそ前もって、ある程度の情報や考え方について、自分でも、家族でも、考えておいた方が良いと思います。だいたいにおいて、全く考えていない事で上手くいった、という事は少ないと思うのです、私の場合ですが。例えそれが不吉な事であったとしても。そして、科学的じゃない、しきたり、とか慣例とかを排除する事は、程度にも、また文化として、とか個別ケースにもよりますが、重要だと思います。今の現代に、盟神探湯で裁判、したくないですよね?同じように、迷信とされるモノにあまり左右されたくない、という気持ちがあります。
日本医師会が進めているACP(アドバンス・ケア・プランニング)もその1つであると思いますし、とても重要だと思いますけれど、そもそも、終末について考えておく、準備しておく、という事を幼少期から訓練しておくのが、最も効果的だと思います。
この書籍は、終末期医療を考える、という事に置いてきっかけとして、そして塾講するにおいて、とても為になる書籍だと感じました。私は自分の死の迎え方に、既にこうであって欲しい、という理想があります。ありますが、この本を読んでさらに改善すべき点や、自身が意思伝達を出来なくなってしまった場合の処断について、考えるようになりました。
終末期を取り巻く歴史的な系譜、そして米国におけるナーシングホーム、そしてアシステッド・リビング施設という理想と現実、最後の日々を迎える上での優先順位や、医療や介護に携わる側としての聞き取り方、家族に対する責任と関係性、そしてビル・トーマス医師という非常に稀有でパワフルな人物を知れた事も素晴らしかったです。
そしてダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」の中の「ピーク・エンドの法則」を知れた事は、今後の私の日常的な臨床にも役立つと思います。
心に残った文章を少しだけ。
最近亡くなった偉大な哲学者ロナルド・ドゥウォーキンは二つ目のもっと納得の行く自律の概念い気付いた。どのような限界や辛苦にぶつかったとしても、人は自律を保持しようとする――自由である――自分の人生の作者になるためである。これが人間である事の真髄である。ドゥウォーキンが1986年の素晴らしいエッセイに書いたように、「自律の価値は・・・・・・それが生み出す計画の責任にある――自律ゆえに、私たちのそれぞれが明確で連造成のある性格と信念、関心に基づいて自分自身の人生を形作る責任が生じる。自律によって人生に従うのではなく、人生を従えることができ、それゆえ、私たちのそれぞれが、権利の計画によって可能な範囲で、自分が思ったような自分になることができる」。 P136
医師自身が非現実的な見方をしている可能性がある。社会学者のニコラス・クリスタキスによる研究で、五百人弱の末期の患者について、あとどのくらいの余命があるかを主治医に予測させ、実際に経過を確かめた。63%の医師は余命を過剰に見積もっていた。過少に見積もっていたのは17%だけである。余命予測の平均は実際の余命の530%だった。そして医師が患者の事を知れば知るほど、医師の余命予測は外れやすくなった。 P164
1985年、考古学者であり、作家でもあるスティーブン・ジェイ・グールドが素晴らしいエッセイを出した。タイトルは「平均中央値は神のお告げじゃない」である。 中略 「死を甘んじて受け入れる事が、内なる尊厳と等価であるように考える事があるが、ある種の流行になっているように思えます。」1985年のエッセイで彼は書いている。「もちろん伝道の書の教えのごとく、愛する時と死ぬるときがある事に異議を唱えるつもりはなく、実際、混乱の時期が過ぎると私のやり方で、最後の時を穏やかに迎えたいという気持ちも生まれました。しかしながら、やはり死を究極の敵とみなす、より果敢な姿勢をこれからもとりつづけたいと願うとともに、臨終を迎える事に激しく抵抗する人を、責めるべき理由は何もないと思うのです。」 P167
人の死をコントロールできると示唆する見方に対しては私は懐疑的である。今までは本当に死をコントロールした者はいない。人の生の行方を究極的に決定するのは物理学と生物学、偶然である。しかし、私たちに全く希望が無いという訳ではないことも忘れてはならない。勇気とは双方(引用鈴木注 双方とは、老い と 病い)の現実に向き合う強さである。時が経つにつれて人生の幅は狭められていくが、それでも自ら行動し、自分のストーリーを紡ぎ出すスペースは残されている。この事を理解できれば、いくつかはっきりした結論を導き出せる――病者や老人の治療において私たちが犯すもっとも残酷な過ちとは、単なる安全や寿命以上に大切なことが人にはあることを無視してしまうことである――人が自分のストーリーを紡ぐ機会は意味ある人生を続けるために必要不可欠である――誰であっても人生の最終章を書き変えられるチャンスに恵まれるように、今の施設や文化、会話を再構築できる可能性が今の私たちにじゃある。 P243
人の為にも、自分の為にも、読んで良かったといえる良書だと思います。死んでしまうすべての人にオススメ致します。

みなもと太郎さんの訃報

2021年8月20日 (金) 09:25

漫画家

たくさんの代表作がありますけれど、やはり『風雲児たち』が最高傑作だと思います。

幕末を描くためには、関ケ原の戦いを描く必要がある!と言う所から始まる大河漫画です。主人公となるのは『歴史』です。

歴史という縦軸に対して、個人という横軸と、その様々な個人の交わり、親交、議論、があって歴史が彩られる、という事を、ギャグマンガで描いた方です。

関ケ原における大谷吉嗣の西側への参加、や小早川秀秋のその後を描いて観たり、江戸幕府の初期に関わった保科正之と言う人物を紹介したり、薩摩藩士平田どんの木曽三川の治水工事の下りを描いたり、知らなかった歴史上の人物を紹介してくれています。

もちろん蘭学について、田沼意次の時代、その多彩な人物たちが近づいたり離れたりする様を描き、平賀源内、杉田玄白、蘭化こと前野良沢、高山彦九郎、同時代の大黒屋光太夫のロシア漂流、その事で繋がる林子平の著作「三国通覧図説」の翻訳に携わる新蔵ことニコライ・ペトローヴィッチについても、個々の人物の横のつながりが知る事が出来たのも衝撃でした。桂川甫周とツンベリー先生の文通なんて、全然知らなかった事ですが、人の繋がり、意思の強さを感じさせます。

司馬江漢がぼそっと言う「いろいろなモノで生活が成り立ってるのに、その発明をした人の事は全然知らない(私・意訳)」というちょっとした言葉が重く響きます。

もちろん高田屋嘉平たレザーノフ、間宮林蔵や伊能忠敬、そして蛮社の獄と小尚会の面々、大塩平八郎と頼山陽も忘れる事が出来ません。

老中首座だった阿部正弘の存在の大きさ、江川太郎左衛門英達についても、知れば知るほど、もっと知りたくなりました。

幕末編でも、それこそ様々な人物の繋がりと分かれが描かれていますが、ついに未完となってしまいました・・・本当はもっと言及したい人物が山のように出演する作品なのに・・・

みなもと太郎先生の考えでは、五稜郭の陥落を持って幕末が終わる、とおっしゃっていましただけに、未完がとても悲しいです。

次回の感想にまとめていた「死せる定め」という衝撃の本について考えていた時期だったので、よりきつく感じます。

漫画の世界を俯瞰させる、データとして残す活動もされていて、マンガの歴史という著作もあり、まだ1巻しか出てなかったのに・・・

本当に悲しいです。死せる定めの生き物なんですけれど、悲しい。

「竜とそばかすの姫」を観ました

2021年8月17日 (火) 09:59

細田守監督     東宝

映画好きな友人が観に行って、悪くはないんだけど、なんか、う~ん・・・というお話しを聞いて、じゃ観に行ってみようかなと。私は感想が文字にしてみないとまとまらないので、長くなりますがつらつらと。

アテンション・プリーズ!
普通は良い部分を解釈したいですし、観に行く人が増えて欲しい、そう思っています。いますが、時にはあまりそれがあまり感じられない映画もあります。もうこの文脈で何となくご理解いただけると思いますが、私の好みの映画(がそもそも少ないのかも知れませんけど・・・)では無かったですし、監督の意図が正直あまり感じられませんでした。そしてこの作品が好きな人には不快な気持ちになる文章なので、読まなくてよい、ただの一個人の感想で、つまらない難癖だと思います。思いますが、それでも文章にしないと自分が何を感じたのか?が自分でも言語化出来ないので、このような文章にしているわけです。でも、そんなの読みたくない人には読まないで欲しいと思います。
ネタバレもあります、未見の方はご遠慮ください。

ネット上の仮想世界U(ユー)では、イヤホンから自分の身体に同期して、隠された才能を基に自分の分身がカスタマイズされてネット上に表現されます。母親を事故で失った少女すずは、現実では田舎に住む人前に出る事を極端に嫌う高校生ですが、Uの中では歌姫ベルとなって注目を浴びる存在なのですが・・・と言うのが冒頭です。

細田守作品では好きな作品と嫌いな作品があり、ちょっと調べてみると、好きな作品=脚本を監督が書いていない、という事が分かりました。今作は監督自らが脚本を書かれています、つまりあまり私個人の好みでは無かった原因は、ココにある気がします。

大筋として、『美女と野獣』をやりたかったのは理解出来ましたが、現代にアップデートするのが難しいからなのか、アップデートする気が無いのか、どちらでも結果は同じなんですけれど、まぁタイトルに『姫』となっているので、お姫様の話しなんです。女の子はみんな姫なんでしょうね。違うと思うけど。男の子だってみんな王子じゃないはずです。私は女子じゃないので分かりませんけど。

『美女と野獣』を現代版にアップデートするのって、無茶苦茶ハードル高いです、凄く遊びが少ない、でもそれが古典作品の強みでもあると思います。つまりベタなんです。ベタを飲み込ませるには、そのベッタベタの本筋の魅力(役者とか声とか演技、演出も含んでいいと思いますが)で、観客を感嘆させなければならない、だから、凄く、凄く難しい。その事にチャレンジしているのはとても素晴らしい事だと思います。しかし、アップデートはされていないと思いますし、ただ単に現代を舞台にした、と言うだけに感じました。

最初に良かったところを。最大の良いポイントは、絵が、作画が最高です、最大級に褒めてます。逆にいうと、そこだけなんです・・・

2021年の日本の今ですと、あのディズニーでさえ(と言っても私はディズニーが嫌いなので全然見ていないのですけど、漏れ伝わるところによると、です)受け身で王子に求婚される、というキャラクター像からの脱却(多分、そもそも王子的な立場が出てこないとか、自らのやりたい職業で生活するとか、女性同士のバディ関係とか)を図っていると聞きます。よく言われますけれど、お姫様が結婚した後が大変なんじゃないか?と。そこに美貌的な価値、もしくは若さの価値を置くと、どんどん相対的に価値が下がるのも一因だと思います。

で、今作なんですけれど、仮想世界Uの中の自分の分身は、自らカスタマイズするのではなく、イヤホン型の『何か』をはめる事によって、自動的に、身体性から割り出された、勝手に作られた、キャラクターなんです。ここが凄く残酷。主要登場人物は、ある意味整ったキャラクターなんですよ・・・でも、いくらなんでも、なモブキャラクターが多くて、それはいくら何でも、と言う気がしました。私だったら、このキャラクター設定で、多分デブメガネ頭でっかちで非力なキャラとしてデザインされるでしょうし、それはそれで、理解は出来るのですけれど、キツいです、流石に。それに、ある、非常に現代的とも言える虚栄心の塊のような人物が出てくるのですが’、そのキャラクターには、子供の格好で可愛らしいから文句を言われないとでも思っているのか?というこの仮想世界Uの設定を崩すセリフもあって、こういう細かな点で自らの設定、この世界のルールを崩してしまうのも凄く、気に触ります・・・全然監督いや、脚本が好きなわけじゃないじゃないか、と感じてしまうからです。

「美女と野獣」の多分、ミュージカルの方をやりたいんだと思うんです、歌姫を扱っていますし、今作は『歌』の強さがどうしても必要なんです。そして、50億人が利用している仮想世界Uの中で日本語歌唱でも響く歌、その説得力が、残念ながら私はあまり感じられませんでした。もちろん良い歌だと思うし、歌唱力だって、歌詞だって凄くイイんです。でも、50億人の仮想世界のUの中でこの曲、この歌い手が評価されるってどうしても思えないんです。

すずこと、ベル(このネーミングも高校生だから仕方ないにしても、『鈴』過ぎると思うのですが・・・)が唄う時に周囲に黄色い文字で横スクロールで現れる文字が、恐らく翻訳的な事を指し示しているんでしょう(英語なんて読めませんけど、でも、こことても翻訳歌詞とは思えない文字もあったので、何となく演出ありき、なのかも。そういうのも、いやだ個人的には萎えます)。でも歌なんですよ、歌詞で評価されているわけじゃないんです・・・そんな感じで、この仮想世界Uの50億人というのが、多分、かなり盛った世界で、極東のうちの国の中での話しとしか思えないんですよね。それ以外の、いわゆるネットの誹謗中傷や匿名性を扱った悪意の、その表現が、すっごく日本的だし、狭いのです。感覚として中学生?もしくは高校生くらいの悪意なんです。世界はもっと広いし複雑だと思うんですが、視聴対象を考えるとこれくらいに収めておこう、という感じに見えちゃうのが、醒めると思います。いくら子供相手であっても、もう少し悪意の鋭さを出さないと、いくら何でも、と思うんじゃないでしょうか。あくまでオジサンの個人的な感想ではありますけれど。50億のUじゃなく、ネット掲示板の○○高校スレッド、みたいなムラ社会に見えるんですよ・・・

あくまで、可愛そうで、みんなに(結局のところ、主要キャラ全員)好かれているすず、に感情移入していれば、申し分なく楽しめる作品だとは思います。凄く、可愛く描かれてもいますし。そばかす、以外の欠点って何かありますでしょうか?私はすっごく感情の起伏の激しい方で、泣いたり笑ったりが急展開過ぎて、エキセントリックな人にみえました。よく言えば感性豊かですけれど、日常生活を送るには大変疲れる、とても自律できていない人に見えます。でも昭和の少女漫画の世界だったら普通にいます。隠れた才能を、自分の好きな人にだけ評価されていて、外の世界にはなかなか出せない内気な少女。そりゃ好感ありますよね。Uの世界のキャラクターは当然にしても、そのベールが明かされる瞬間の、身体的な、手足の細さや肌の色とか、全然違いが無くて非常にご都合主義的に見えました。そのプロポーションでさえ、リアルは違ったりするのが現実のような気がしますけれど、これもオジサンの難癖でしょう。

で、相手になる幼馴染の男の子が、もうこれはくらもちふさこの少女漫画の王子なんですよ、どう考えても。幼馴染で、運動神経よくて、もちろん美男子で、学校の人気者で、説明もしないのにすずの事を気遣ってくれて、彼女っぽく扱うけれど、否定も肯定もしない。男性なら「そんな人はいない」思ってしまう程の完璧な王子。そう結局『美女と野獣(の姿はしているけれど王子)』なんですよね。そういう意味ではそのままです。

それと、Uの運営が杜撰過ぎるのは、警察組織がいらないって決めているのに、自警団としての組織に、個人特定の装置を持たせてるのって、これ、私刑を許しているのと同じで、どう考えてもやはり50億の人が気軽に楽しめる運営の組織規模じゃないです。やはり50億は相当に盛ってる数字だと思うのです。そもそも非常に誇大広告をしているUと言う仮想世界なら、とてもありそうですけれど。

それに、この自警団の何と言いますか、純朴過ぎる正義への希求が、幼い。今時のアメリカのスーパーヒーローモノだって、そして日本のウルトラマンとか仮面ライダーだって、もう少し複雑な正義への葛藤と闘ってると思います。いくらなんでも幼過ぎると思うのですが・・・

最後に。あんまり触れたくないんですけれど、一応、児童虐待について。

これは触るべきじゃなかったと思います。そんな単純な話しじゃないし、すずだけが新幹線で東京に行って街で偶然会って、大人に立ちはだかるってもういろいろ偶然が重なり過ぎだしちょっとやり過ぎです。確かに話しを畳まなくちゃいけないというのは理解しますけれど、脚本として破たんしていると思います。それに、児童虐待は、一瞬で解決する問題じゃないです。なのに、みんなでなんか一件落着、すずよくやった!ってこれは当事者の怒りを買う覚悟があるのでしょうか・・・
久しぶりに、あまり良い所が見つけられなかったです、まだまだ映画を観る目が無いのだなぁと痛感しました。映画が吹きな方だったら、きっとどんな作品でも楽しめるのではないか?と思うのです。
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