引き続き、スパイダーマンの映画ですが、リブートされて続きました。今度の主役はアンドリュー・ガーフィールドです。カッコイイ感じが加わりますね。
監督はマーク・ウェブ。この人は「(500)日のサマー」の人です。青春モノには定評ある人です。
今度は警察官の娘グウェンがヒロイン。演じるのがエマ・ストーンで、可愛いですし、今や大俳優になった感じがあります、こういう作品でもその片鱗を感じます。若手の人気の方の登竜門的な意味合いがあるのかも知れませんね。でも流石に高校生なのにデカいバイオ会社の研修生ってのはどうなんでしょう?あんま上手くない設定だと思いますし、今度のスパイダーマンになるきっかけは、明らかに父親の不在が研究テーマに絡んでて直接的な上に、クモの糸放つのも機械なんで、かなり特殊な感じがします。それに蜘蛛に噛まれるのは明らかに自分で結界を破って侵入しているわけで、自業自得感があるのも特徴ですね。スケボーやるピーター・パーカーにはなんか馴染めない印象が、私にはあります。コスチュームのゴムのような感じは今作の方が好きですけど。
配役もアンドリュー・ガーフィールドなんで、これは青春モノとしてはかなり期待出来るキャスティングなんだけど、どうしても敵になるのが弱いように感じます。倒されるための設定に感じてしまうのです。
だって博士の境遇になったらこの研究は進めたくなるのが当然だと思いますし。
あと、サム・ライミ版では無かった父を出してるのが良いとは思うけれど、そこに天才性とか血の継承的な要素が入ってくると、あんまり好きじゃないです。特に今後、死んでなかった父が敵役とかで出てきそうで引っかかります。
キャスティングはこっちの方が好きなんですけれど、雰囲気はサム・ライミ版の方が私の考えるアメコミとしてのスパイダーマンに近い気がしますね。
大事な事だけ付け加えておくと、ベンおじさんを、マーティン・シーンが演じていて、この人おじさんの感じがいいですね。 あと、アメージングだと最初からスタン・リーが出演してくれていて嬉しいです。ポイント高かった。けど、お話しとして、なんか緑男の動機も最後も納得できないし。
今までは街を撮ってその中にスパイダーマンだったけど、スパイダーマンの視点で街が動くのは、なるほど、この技術が出来るようになっただけでも、リブートさせたくなるのも理解出来ます。
5本目はアメージングの最終回。3部作ではなく、2で終わってますね。これは打ち切りだった感じがします。
今までで1番この作品が好きですね。
まずはキャストが豪華すぎる!ガーフィールドにエマ・ストーン、さらにここにデイン・デハーン!!!この人の哀しい目の演技は最高です。
あと、ベッタベタだけど、ラストの展開、ちびっこは、べたなのに許せるように感じます。
でも、もちろんう〜んな部分も大きいです・・・
まず、詰め込みすぎ・・・これが1番の問題です・・・
敵も多すぎるし、デイン・デハーンの出番が少なすぎるのは問題です。取ってつけた感じがします。
あと、どの敵も、もう少し考えて欲しいんです・・・特に電気の人!感情の振り幅が大きすぎるし逆恨みがひどいと思います。
それから、デイン・デハーンももう少し考えて行動して欲しかった!という感じしかない・・・つまり脚本の練り上げが足りなさ過ぎるのです。
エマ・ストーンも流石にこれじゃ光部分はあるけど輝きが足りないですよ・・・
そして、できればイギリスで活躍するスパイダーマンを見たかったです。彼女に主導権を握られてる、そういう姿はあっても良かったんじゃないかな。ヒロインの存在価値が、かわいい、だけでなくなるのは進歩だと思いますし。それを全部捨てちゃうのは勿体無い。
あとは、やっぱサリー・フィールドの説得力はなかなか。流石にマーティン・シーンと夫婦をやってるだけはある。「フォレスト・ガンプ」のヒロインでしたし、美しかったけど、どんどん月日が経つのが早く感じます。
ポール・ジアマッティももったいない7ですよ・・・
これまでの中では好きなんだけど、評価としては、やっぱり今ひとつ乗れない・・・
もっと細部に気を遣ってほしい。
と思っていました。でもこの後、このいろいろに意味を与える、こういう部分を救おうとする映画に出会う事になります。
基本的に、私はあまりヒーローモノが好きではありません。西部劇と同じで勧善懲悪で分かりやすいモノを下に見る傾向があります。世の中はもっと複雑だし、単純に正義とか悪と言えない、と思うのです。またリドリー・スコット監督は最近のアメリカンコミックの映画が流行している事に憤慨されていて、アメコミ映画をくだらない、脚本がつまらない、と発言しています(詳しくは こちら )。でも、私も観てないですけれど、同じくらいグッチ家の騒動、ブランド家のお家騒動も下品でくだらなく見えますけどね。対して変わらないように思います、観てないけど。
ただ、まだ今年が始まって1ヵ月も経ってないのに、映画好きの友人が「今年の№1の作品だから観た方が良いですよ」と教えていただいたので、その作品を観に行く為の予習として、始めました、スパイダーマン・マラソンです。
最初はこのサム・ライミの1作目。
まずピーター・パーカーをトビー・マグワイアが、結構あってますね。
何でもない人間が、スパーダ―マンというスーパーヒーローになる、という過程を丁寧に扱ってて、そこは良かった。結構葛藤していますね。
あと、やっぱウィリアム・デフォーが素晴らしい。
でも、まずは、大学の研究所、クモ逃をしすぎです・・・そこはもう少しなんかが欲しいですね。
それと、オジサンに育てられてるわけだが、本当のお父さんはこれから出てくるのかな?
力には責任が伴う、凄くイイです。
え~いろいろあるけれど、これは、1の最初で言っていたけど、実はMJの話しなんじゃないかと思うようになりました。
ピーター・パーカーに感情移入して観ているのは気持ちいいように作られてるけれど、これは実は少女漫画の主人公としてMJに感情移入してみるのが1番なのかも知れません・・・
とにかく事件に巻き込まれ過ぎするし、何かの動機の中心に居過ぎる・・・
あと、オクタビウスの4本の腕は結構欲しくなりました、腕が+4本で強力だったら便利ですよね。
サム・ライミ監督結構、手際イイです。
ついに俺たちのスタン・リーが登場!!結局、多分東映スパイダーマンは許してくれてたのか?ワカラナイけれど・・・
やっぱこのシリーズ、サム・ライミ版の主役はたぶんMJで間違いないと思います!3作を連続で見ると、余計になんか不憫な人を演じてるようで、実は最も美味しい役です。
1作目で筋肉男と付き合ってたけど分かれてハリーと付き合い、その後パーカーに行くも玉砕、2作目で月を歩く人(とにかく当て馬感しかない・・・)人と婚約破棄してピーターの基へ、3作目では嫉妬でふらふらしつつまたハリーに行って、ハリーが死んじゃったのでパーカーへって少女漫画でもまずない展開でとにかく事件の被害者の中心に居るけど絶対に傷つかないで、臨場感サイコーって感じでヒーローの彼女というポジションは手放さない。うん、これそういう感情をグリグリ動かされるのが好きな人の、好きなタイプ。運命という脚本に踊らされればされるほど、気分が乗ってくるタイプ。凄く個人的にはお近づきになりたくないタイプです・・・
でも1作目よりも美人に見えるのは流石、サム・ライミ監督!
黒いのはアレなんすね、なるほど。
そして、本当にピーター・スパイダーマン・パーカーは絶対に失われない、逆境には必ず勝つし運よく生き残って彼女も居て本当に共感してると何の問題も無いけど、周囲の人にはキツいだけだし、この映画の中に私の配役があったら、画面には映らずに車の下敷きとかで死んでく人だと思います。
3作シリーズの中で1番良かったシーンは、2の電車止めるシーンからのシークエンスですね。あとはスタン・リーが全部持ってったと思います。
次回はリブートした、アンドリュー・ガーフィールドさん主演、マーク・ウェブ監督「アメージング・スパイダーマン」×2本の話しをします。
今回はあまりオススメではないのですが・・・この後、この監督の非常に良い作品を観たので、一応。
あまり好きなタイプの映画ではありません・・・また、私はホラー作品に好きな作品もありますが、基本的に「愛」がありません。とても子供だましな感覚があります。ただ、好きな方もいらっしゃるでしょうし、あくまで個人的な感覚です。上手に意味があるようにしていただけたら、と思うのですがチープさがタマラナイ、という事もありますよね?昔から好きという事もあると思います。
ホラー作品で私が好きな作品もあります。アリ・アスター監督は多分ホラー作品を撮る監督で最も信頼している監督だと思います。それから、好きな監督で私の中ではホラーに入れていいのはミヒャエル・ハネケ監督ですね。
しかし、そもそも私はホラーとは相性が悪いと思います。だって、そりゃびっくりはしますよ、突然大きな音を出したりすれば、ね・・・でも、それに理由が、必然性があるのか?を考えてしまいます。そして、ほとんどの(私が観た事ある)ホラー作品って、その意味が無い。単純に驚かせたいから。そしてそれの連続なだけ・・・なんかこの映画を観ている意味は?って考えると、無駄に思えてしまうんですね・・・相性が悪いのは私の問題だと思います。
アテンション・プリーズ!
基本的にネタバレありの感想です・・・
まず、凄い退屈です。また、テンポが悪いと思います。
そもそも、なんでピエロ、では無かったクラウンの起源が悪魔なんでしょうね・・・逆ではないでしょうか?
道化とかがいる、非常に何を考えているかワカラナイし表情が読めないし、道化だからこそ主君に批判的な事をいう事が許された存在、それが変化して怖さが出てくるんであって、最初が怖い存在や悪魔ではないと思うのです。そして時系列を考えると、ジョン・ゲイシーの存在があるから、人はクラウンを恐れるようになったのだと思います。
それに、服を着た主人公(かと思いきや、どうなんでしょう?)に救いの道や何かしらの落ち度があったのか?が気になります。ただ単にそういう嫌な目に遭った人に見える。それに妻は結局最後は子供を選んで(とは言え他人の子供を贄として差し出そうとした・・・)、旦那を信じてるつもりが最終的な行為はこの妻が行ってるんですよ・・・ご都合的な感じしかしないんです・・・特に信念とか人間の意思の強さもなく、悪魔もなんでか首切られるくらいで死にます。また、大変知能が低く見えるのが、首に鎖かけられたら、まず、鎖を外して子供を追いかけると思うのです。悪魔なのに知能が低いと思います。
それに何かを知ってそうな男はアニキとは複雑で、とか言いながら、音信不通なら訪ねると思いますし、思わせぶりなだけで何をしたいのか?この人に意思を感じないのです、生死をかけての争いに向かうのに、です・・・ただ引っ掻き回すだけ・・・
という愛の無い感想になってしまうので、多分この後もっと出来るんですけど、不毛だから止めます・・・
1番驚いたのがこの監督、この後「コップ・カー」を撮ってるんです、私は大好きな映画です。
この監督の力量が良く分からない・・・デビュー作なせいかもしれません。
友人からお借りしました。好みの作品でした、いつもありがとうございます!
モスクワからかなり離れたある街に降り立つ男ヴァラーキン(レオニード・フィラトフ)はホテルに向かうのですがタクシーは1台きりですし、街全体にもやがかかっていて・・・というのが冒頭です。
何と言いますか、確かにカフカっぽい不条理なんでしょうけれど、カフカというよりは間違いなくこれは「ツイン・ピークス」デビッド・リンチ監督の影響を感じますし、これ絶対笑っていいのか?いけないのか?のギリギリを責めている作品です。それもかなり壮大なお金をかけている、と思われます・・・ロシア映画としては、という事になるかもですけれど。
私が今までで1番見返しているドラマは間違いなく「ツイン・ピークス」です。大学時代にレンタルビデオやに朝早く並んでみた作品です。もちろん、字幕でも吹き替えでも、多分10回は観ていると思いますし、とにかくこの世界が大好きになってしまいました。不条理さが前面に押し出されつつ、ミステリーであり、オカルトな作品ですが、同時に笑ってはいけないのに笑ってしまう瞬間が散りばめられた素晴らしい作品です。
そういう意味でデビッド・リンチ監督と同じなんですけれど、笑いのセンスとして、笑っている人が演者の中に出てこない、演じている、映っている人は誰1人として笑わそうとしていない、しかし何かがオカシイ、という笑いです。こういう笑いは私はセンスを感じますし、好みです。誰でも笑っている人の声を聴いていると笑いたくなるのですが、それは本当の意味での笑いではなく共感しているのではないか?と思うのです。しかし、不条理な笑いに知性を感じます。それに誰も傷つかないです。他者を貶めて笑うのは結構下品な行為ですけれど、まぁその人がスケープゴートになると、それ以外の全員の結束が異常に強くなるTHE・日本的な感じを私が受けるからかもしれません。
主演のヴァラーキンを演じているレオニード・フィラトフさんの困り顔が哀愁を感じさせてくれます。それに「そうだ!蝋人形って生きた人間の肌感を暗くして動かないようにすれば経費削減!」とかの思い付きで始めたかのような、異常に現場の人がキツくなるだけ、まばたきも出来ないから多分やたらとCUTがかかったであろう事が映像からも分かる感じで修羅場だったんだろうな、というシーンも凄かったです・・・
そして基本的には説明をしているようで全くしないので(言葉の意味性がどんどん失われていくのがサイコー)、よりどんどん言葉巧みに、現実感を薄れさせる感覚を徹底的に連続して起こしているので、どんどん訳が分からなくなっていくのですが、演者や撮影スタッフ、監督に映画に関わった全ての人の苦労を考えると、真剣に俺は何をしているのだ?という瞬間がたくさんあったであろう事も理解出来てより深い感覚になりますし、それでもちゃんと笑える。
もちろんとある秘書は面白いんですけれど、現実に居たら、きっと嫌でしょうし、ラッキーって感覚は個人的には無いかなぁ・・・目のやり場に困るし日常には向かないと思います。親密になればこそすれ、日常では、ね。
それとケーキは、ちょっとどうかと思うけど、かなり似てますね、相当大変だったでしょうね。でも、そのかなり大変に作ったケーキを、何の思い入れも無くナイフとフォークでの切り取り方が本当にリンチ作品の匂いしません。ロシアにもフォロワーを作り出したデビッド・リンチ監督はやはりただものでは無い、と改めて感じました。
不穏さと不条理。そしてその積み重ねで意味を失う言葉や現実、その上でのもう何が何やらで起こる笑いには、リリシズムさえ感じさせます。だって私の現実だって、よく考えると大して変わりないですよ、まさに不穏さと不条理の連続でしかない。しかし、これを日常としていくしかなくて、それをことごとく考えていくと、狂気になっていくのではないかと思うのです。
大筋すら決まっていなかったけど、そこを無理くり繋げるスリリングで意味不明にしてやろう感がたまりませんし、個人的には博物館のシーンがサイコーでした。
ロシア映画の世界もかなり広大なんでしょうねぇ。
印象派、凄く人気がありますよね。私は絵には全然(すみません、よく考えたら全ての事象について、ですね・・・)詳しくないのですが、最近見ているYoutubeのチャンネル「オトナの教養講座」で山田五郎さんが絵画について凄く俯瞰できる解説動画を行なっていて、絵画により興味が出てきましたので、足を運びました。
最近の美術館では写真を撮っても良い部分があるのが面白いです。後でも見ることができますし、写真を所有している、というワクワクも感じます。もちろん、写真に撮る前に(撮った後でも可)じっくり生で見れる事に時間をかけたいですけれど。
今回見た中では、初めてみるジャン=バティスト・カミーユ・コローの「魚を運ぶ釣り人」がとても良かったです。川面に木陰があり、遠くでは日没が始まっている感じで、その他もいくつか同じようなモチーフの絵がありましたけれど、この絵は別格に綺麗で鮮明に感じました。
そしてもちろん、俺たちのアニキであり、こういう人に私はすぐに降参してしまうギュスターヴ・クールべの海景色や林檎などの静物画もありました。クールべの出来れば人物画が見たかったですけれど、4点も見られたし、ありがたいと感じました。
セザンヌ作品もモネ作品もゴッホ作品もいろいろ来ていましたが、これは!という好みの作品には出会えなかったです、残念。
その代わり、凄くいい!と思ったのがポール・セリュジエの風景、という作品で、すっごく和田誠な感じなんです!この作品の写真を探しているんですけれど、全然見つかりません・・・色合いも素晴らしいですし、すっごく気に入りましたが、残念、ポストカードにもなっていなかったです・・・悔しい・・・
それと今回の主役はレッサー・ユリィだと思います。楽しみにしていた「夜のポツダム広場」は確かに良かったです。でもそれ以上に、「冬のベルリン」と1番良かったのは「赤い絨毯」です。今回の中で私の1番は間違いなく「赤い絨毯」でした。
多分、印象派展だからだと思いますが、俺たちのドガも1点だけ来てて、それも良かったです、もう少し良いのが来て欲しかったですけれど。
もっとゆっくり巨大都市東京を散策したかったのですが、午後から仕事だったので・・・
あと印象に残ったのは、すごく、ジャンヌ、な作品と、そして時々見かけるボーダーにボーダーを重ねる、とか水玉に、水玉を、重ねるという表現を思い起こさせる絵とか、です。
凄く目がチカチカしました。
本当に駆け足で観たのでもう少し時間があればなぁ、という感じです。