井の頭歯科

「スーパーマン」を観ました

2025年7月29日 (火) 09:22

 

ジェームズ・ガン監督     DC     新宿ピカデリー
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   26/69
ジェームズ・ガン監督のスーパーマン。2025年の作品として、これからも残ると思います。それはそれで素晴らしい事ですし、大変に良く出来た作品。
でも、それは、リチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」という作品があったからこそ、です。
今回冒頭の描写説明はしません、というか出来ないし、したくない。
完全にフォーマットとして、リチャード・ドナー版の「スーパーマン」を使って、物語を現代にアップデートしています。
そして2025年作品として、残念だけれどコメディ部分はかなり少なくなってしまっています、仕方のない事だとしても、それは悲しい事でもある。
そして主演は、多分観た人なら納得してもらえると思いますが、スーパードッグであるところのクリプトさんです。ネタバレ無しで言える所が少ないけれど、主役はクリプトです!
今作を観て、いかにリチャード・ドナー版が素晴らしかったのか!を、今までも好きでしたけれど、そして映画友人さんから指摘されて、再度見直して、もっと好きになりましたけれど、それ以上に、本当に決定版なんだと理解しました。今後も原点であり頂点だと思います。
非常にリチャード・ドナー版に敬意を払っていますし、それでも、ジェームズ・ガンの映画になってるし、当たり前ですが2025年の、こういう言い方は好きじゃないけれど仕方なく、トランプという頭が悪くて視野狭窄で自己顕示欲しかなく、そして客観性を失くした男に権力を与えた、アメリカ国民だけでなく、今回の参院選を観ているとうちの国も全く同じで、理性が感情に負けた動物的世界に突入した以降の、作品として、とても理知的に描かれてはいるけれど、それ以上に個人的に、リチャード・ドナー版が如何に素晴らしい作品だったのか?を理解させる為の作品だと思います。
どう考えても、イスラエルを非難しているし、まぁ当たり前ですが人為的な民族浄化(ホロコーストと地域封鎖して餓死させるのはどちらも同じくらいというか餓死の方がより非難されて当たり前だと私は感じますが)を目指していて本当に恐ろしいし、なんならロシアのウクライナ侵攻よりも、もっと複雑怪奇にいろいろな要素が絡んでいるので、より酷い状況のガザの状況を、映画的には描いていますが、これでいくら感情的にスカッとしたところで、現実は何も変わらないし、スーパーマンもいない世界で、何が出来るのか?とても考えさせられました・・・
ボラビア共和国大統領を揶揄して感情解消しても何も解決しないけれど、それでも必要な作品。
あ、そう言えば!今回も、ニコラス・ニュークス・ホルトさんは本当に素晴らしかった。この俳優さんは観るたびに驚きを増やしてくれます。V8!役者陣の中では断トツに良かった。
スーパーマンを演じた方のデヴィッド・コレンスェットさんの覚悟の顔、良かったですし、体格もイイです。で、若さも、良い。凄く人間臭いスーパーマン。
ロイスを演じたレイチェル・ブロズナハンも決して悪くない。ただ、私の理想のロイスは既に知っていてマーゴット・タギ―と比べられるのは大変でしょうね。
リチャード・ドナー版「スーパーマン」を見た事がある人にオススメします。
アテンション・プリーズ!ココからは「スーパーマン」と「スーパー」(ジェームズ・ガン監督作品)のネタバレをしますので、ご注意を。
ネタバレありの感想ですと、
もう現実世界がそうなんだから仕方ないんだけれど、非常に話しが込み入ってて、詰め込み過ぎなくらいです。その中でも、ちゃんと、ピース・メイカーが出てくるのとか、本当にちゃんとしてる。
そしてホモサピエンスの造形としてスーパーガールがめちゃくちゃ印象を残しました。こういう部分そして本作には決して過剰なかかわり方はしないところが、ジェームズ・ガン監督が信頼できるところ。しかしこのホモサピエンスの造形、いいなぁ~
確かに、イスラエルとガザの事をモチーフにしてるし、政治色の強い作品でもありますし、それはそれでイイのだけれど、なんというか、この映画で感情を消化して良いのだろうか?という疑問は残るし、結局の所、スーパーマンは正義だし、ちゃんと勝つので、うん。
それと、やはり身内の錆びからの綻び、それでイイんですけれど、なんだか今回の場合、記者の彼、忍びない感じで、彼に負荷がかかっているの、ちょっと心配。今後どうなる事やら、です。
ルーサーが、ハイテク企業のCEOで、かなり完璧な作戦で、しかも運動機能を人にさせて自らは命令しないといけない、という構造にしたの、上手いなぁ~と思いました。かなりのサイコパスでソシオパスでもあり、これは嫌われそう。でもこうするしか無かった、という何かバックボーンみたいなモノがあればなぁ、とは思いましたが、それは続編かな。
で、重要人物にハイテクのスーパーヒーローがいるんですけれど、何と言いますか、スーパーヒーローって超人的な能力を持っているのに、ハイテク機械に頼るのが、どうも上手く理解出来なかった、けど、懇親のシャッターギャグ、時間はかかるけど、削られなくて良かった。それに、コントロールは意思のチカラってオーラバトラーかよ!とは思いましたけど、笑えました。
それと、クリプトさんはCGなんだろうけれど、モデルもいるはずで、次回も出てきて欲しいし、なんならスーパーガールもやって欲しい、スーパーガールの笑顔の強さは凄いですね。とてもアメリカナイズされた美形なんだろうけれど、それもここまでになると、何か魅力の強さがスパイラル的に強く感じました。
そして次元の谷とか視覚効果は理解しますけれど、やはりちょっと強引だけれど、アメコミの映画だしね。
でね、リチャード・ドナー版スーパーマンに敬意を表している(エンディングの時のスタッフロール行く前の、あのクリアで文字の形が動く奴!)の心地よいんだけれど、そしてジェームズ・ガン監督作品だと、私はどうしても、スーパーを思い出さずにはいられない・・・
あの狂気のクリムゾン・ボルトの哀しみを。人生の善き事が、警察官に泥棒が逃げた先を指で指示した事がクライマックスの、あの迷惑1名自警団の、彼の哀しみを。だってクリムゾン・ボルトも、スーパーマンを夢見た男、きっと知ってたはずの男なんです。
特に人と変わった事などなく、実力も無い男の、ヒーローへの憧れが、何を引き起こしたのか?考えずにはいられない。
クリムゾン・ボルトのやった事を肯定する事は出来ないが、心情としては理解出来るし、スーパーマンと違ってとても小さな世界の話し。そちらの方が好みだし、私の好きなジェームズ・ガン作品だと思う。

「愛されなくても別に」を観ました

2025年7月25日 (金) 09:41

 

 

井樫彩監督     CULTURE PUBLISHERS    新宿ピカデリー
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   25/68
観れる時間でこの映画にしました。この後にスーパーマンを観る予定で、その前の時間で観たい作品の中でこのタイトルに惹かれたからです。そして観て良かった。
映画の作品としての完成度、演出、ストーリーと、どれを取っても、とても優れた作品と言い切るのは難しい。そして、だからダメな作品というわけではない、というのがある事を気づかせてくれる作品でした、私にとって。
人はどれほど恵まれた環境にいても、欲望は尽きないし、本人がツライのであれば精神的にも肉体的にも、負荷がかかった状態だと思います。どんな人にもその人なりの困難があり、状況だけで恵まれているとは言えないと私は思います。ラジオでどなたかが言っていましたが「その人なりの地獄がある」は言いえて妙だと思います。
私は私の困難に立ち向かうしかないし、それは生活の中で起こる。
母子家庭で母親から依存されている宮田(南沙良)は大学とバイトの掛け持ちで・・・というのが冒頭です。
若い監督と若いキャストで作られた作品の、その勢いみたいな熱はあまり感じられませんし扱っているテーマもかなり重いのでそれは仕方が無いけれど、決して完成度の高い作品では無いけれど、観て良かったです。
ある意味、ラストは大変心地の良いモノだと思います。
主人公は比較的受動の人なので、この映画のエンジンは江永(馬場ふみか)が担っているのですが、このキャラクターが素晴らしかった。
毒親という単語も凄いんですけれど、過干渉、そして共依存を求めてくる人の加害性は一考の価値があると思います。そしてそこから自由になる事で、得られるモノ、捨てなければならないモノ、が峻別されていくわけです。その選択をいつ行うのか?それもその人の決定であり、外野が口をはさむ事ではないのかも。
劇中、宗教のようなモノが出てくるんですけれど、果たしてこの行動はどうだったのか?無宗教というか神はいないし、なんなら人間が神がいる、と思わないと理不尽な事が多すぎて精神的に耐えられないから作った、という説を信仰している私からしても、本人の自由なのでは?とは思いますけど、違和感はありました。
馬場ふみかさんを観たのは「ひとりぼっちじゃない」ですけれど、ホモサピエンスの造形として素敵。今作の服装はどれも良かったし似合ってる。ただ、ホモサピエンスの造形が素晴らしければ、くたびれたTシャツでも美しく見えるのはしょうがないので。
それと役者さんって本当に凄いなとおもうのですが、全然違ったキャラクターを演じていて、そのキャラクターに現実味を持たせられるの、凄いです。
特に今作の江永というキャラクターはかなり現実味が薄く、特異なキャラクター像なんですけれど、説得力がある。一見自暴自棄に見えて、それなりの境遇にいて、それでも自分を持っている。
そんな彼女が自らを肯定する言葉に対しての返答が素晴らしかった。
私は基本的に家族というのは檻であり、澱が溜まる存在機構だと感じていて、血の繋がりってそんなに大切なのか?非常に疑問を感じます。それがどんなに魅力的に見えたり、恵まれているように見えても、それだけじゃない。もちろん世界を知れば知るほど謙虚にならざるを得ないけど、それでも澱は溜まる。
孤独の方がずっと自然なのだが、それは自分が決める事で家族がいない孤独な人であれば家族という形態に希望を見出すでしょうし、人それぞれ。
トルストイの「アンナカレーニナ」の冒頭、あの有名言葉はある意味正しい。それでも家族という血のつながった他者は圧力にもなりうる。
家族という幻想に違和感を持ったことがある人にオススメします。

「国宝」を観ました

2025年7月22日 (火) 09:49

 

李相日監督     東宝     吉祥寺オデヲン
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   24/67
映画好きな友人とお話ししていてオススメされました。基本的に全然観る気が無かったのですが、オススメされたので。
私は歌舞伎を見た事がありません。そして、今後も特に観たいと思っていません。そういう人間の個人的な感想です。
1964年長崎、お正月を祝う席に任侠の組長の息子が歌舞伎を披露し・・・というのが冒頭です。
結論としては、ベストセラーの本とは、普段本を読まない人が購入した時に生まれる、と思っています。その本に価値があるか?を決めるのはその本を読んだ人、それぞれが決める事だと思います。売れていれば良い本である、とは言えませんし、売れていない本でも、価値が高いと個人が思う本もあります。この映画がヒットしているのはこの映画製作に関わった人にとっては良い事だと思いますが、私は全然良い作品に思えなかったです、映画として。そして歌舞伎については全くの無知蒙昧ですので、よく分かりませんが、この映画を観て歌舞伎についてもっと知りたい、本物の歌舞伎を見て見たい、とはならなかったです。
以下、この映画が好きな人には、非常に不快になる文章が、恐らく、ダラダラと長く続きます。何故面白くなかったのか?をどうしても言語化したいという個人的な感情を理性で抑えられなかった幼児的な振る舞いです。ですので、そんなものを読みたくない人はスルーしてください。そもそも時間の無駄使いですし、私も自覚しています。でも止められなかった。時間は有限でもっと意義ある事に使った方が良いのですが・・・
アテンション・プリーズ!この映画のネタバレ&何故面白くないのか?についての個人的な意見です。ですので、全人類が基本的に読む必要が無い文章です。ただの自己満足の為、理性に感情が負けた結果、です。選挙の投票先を理性ではなく感情で行う投票行動と同じですね。そういう意味で、誰の事も私は批判出来ないです。
もう基本的にネタバレありの感想です。映画として本作が好きな方は自己責任でお願い致します、私は注意喚起は促しました。
国宝、定義としては、
1国の宝であり、
2近代以降の日本に於いて文化史的・学術的価値が極めて高いものとして法令に基づき指定された有形文化財
となっています。つまり人の場合は無形文化財でいわゆる人間国宝と呼ばれます。ので全然知らなかったけれど、タイトル正確には「人間国宝」の方が良かったんじゃないか?と思いますが、語呂と雰囲気で「国宝」というタイトルになったんでしょうね、恐らく。知っていた上で選んでいると思います。
で、人間国宝というのも通称で、正確には「重要無形文化財の各個認定の保持者」と言うそうです、勉強になるな。全く知らなかった。そして認定するのは文化庁が任命する人気年再任可の委員の皆さまです。これも知らなかった。専門家の方々が決めていらっしゃるわけです。
なので正確に記すと「重要無形文化財の各個認定の保持者」というタイトルになります。
でも、国宝、とても大きなタイトルですね。
で、原作があり、原作があるという事は、文章で、説明しなければなりません。この映画は割合セリフで全部説明してくれます。ので、原作でもきっとそういう表記があるのだと思いますが、映画で行う場合は工夫があった方が良かったと思います。
例えば、誰かが歌舞伎を踊っていて、それを見ているキャラクターに「凄い」と言わせてしまうんです・・・原作なら、小説でも工夫してそうはしないと思いますが、正直映画表現としては、全然乗れません・・・歌舞伎の動きや舞で観客が凄い、と思わせられれば、映画的で素晴らしいとは思うのですが。
例えば、歌舞伎の動きや方の練習場面では、シゴキをしている、辛い練習である、という事を表現するのに、苦しそうにしたり、割合暴力的に指導したりしつつ、指導している人の、こういう風にしないとイケナイ、というのではなく、身体に骨に覚えさせなさい、的な凄く抽象的な指導が入るんです・・・本当にそういう指導をしているのかどうか?は置いておいて、映画的な表現ではないとは思います。
また、とにかく脚本が、原作は読んでいないので、もしかすると3時間という尺に収める為に、いろいろ端折らねばならないという部分もあったんでしょうけれど、それにしても雑で、ベタな展開が続きすぎる上に、説明が無いから、人としていくらなんでもどうなの?一時的な気の迷いで思考回路がなくなったの?と感じてしまう部分が多すぎるんです・・・もっと言えば、そういう為のキャラクターをただ、置いている様にしか見えないんですね・・・・
典型的な例として、吉沢亮さんが演じている歌舞伎の家の出身ではない、背中に入れ墨をしている男と、かなり幼少の頃から付き合いがあり好意をお互いに抱いている高畑充希さんが演じている女性がいます、この方も背中に入れ墨を入れていて、かなりの相思相愛関係なんです。が、父の事故をきっかけに代役を吉沢さんが演じる事になり、その本番の舞台を見ている間に、実子である横浜流星(ってスゴイ名前ですね、本名なのかしら)が急に、出て行こうとすると、その人と駆け落ちするんです女性側から手を引いて劇場から出ていくんですよ・・・私の頭が悪いので、多分途中、どこかでこの2名が惹かれ合っているという描写を見逃したんだと思うんです。そうでないと、相思相愛の自分の彼が大切な舞台で踊っている最中に、知り合いではあったでしょうけれど、別に二股をかけていたとか、彼女も同意のうえで両方の男性と付き合っていてそれを隠していたとしか思えない展開なんです・・・
だって、この後も役者の仕事はあったでしょうし、比べられてそこまで決定的に何かが違うようにも見えない、2人が一緒に、同じ役柄を演じている演目しか見ていないのに、そこまでの違いを歌舞伎の映像では全く観ていないんです・・・私の頭が悪いので理由が見つけられなかったのかも知れませんが、驚きました。それまで自称ボンボン、歌舞伎の世界ではどうやら血が大切で、血族でないと舞台にすら立てない非常に閉鎖的な世界のようなので、その血を持ちながら、しかもこの映画の中では芸という単語で表記されていますけれど、つまり技術が大切だと言っておきながら、歌舞伎の世界では、血の方が大切のようなのです。
これだとちょっと、閉鎖的過ぎて歌舞伎、に興味が持てない感覚が私にはあります。そしていくら歌舞伎が上手くなっても、歌舞伎の舞台には立てない、という事は、上手い人、芸を磨いても無理、という閉鎖性、ちょっと現代としては、なかなかな案件だと思います。
そもそも、交通事故に遭う父渡辺謙さんの言動も意図が分かりません。これまでに、吉沢さんと横浜さんの2名は、同じ振付で対象的な動きを行う舞台を演じているのに、そしてその違いは私のような歌舞伎の素人には全く分からないのに、何故か、吉沢さんを選ぶんです。技術も同じ様にしか見えないのに、その理由を、凄く嫌味な女性で私はそういう役しか演じていない妻である寺島しのぶに、理由を聞かれても、全く答えないでもう決まった事だ、とそれだけなんです。理由くらい教えてくれても、そしてなんなら、2人が交互に舞台に立つスケジュールだってこの人なら組めるはずなんですけれど、そこには歌舞伎の世界にしか通じない、見えない何かがあるんだと思います、もちろん、息子では無い方を選んだ方が、劇的にはなる分、べったべたの表現になりますけれど、そういう事ではなく、歌舞伎の世界の何らかのチカラが働いているのだと思います。
そう言えば興行主を演じている嶋田久作さんの演技も、なかなかスゴイです・・・セリフも・・・でも監督がOK出しているんだもんな。
吉沢さんも、息子のいない、お世話になっている家を出て、アパートを借りても良かったと思うのですが、そのまま実家に居続けるのも、なかなかですけど、渡辺謙の2代目を襲名する事になりますが、その席で、渡辺謙さんは喀血するんです・・・まさか本当に舞台の上で役者が死ぬという表現を、本当に映画の中で観るとは思いませんでした。
2代目を襲名しても、その後どうやら主演を演じる事はなくなり、歌舞伎の世界、血が繋がっていないと本当に閉鎖的で仕事もさせて貰えないようで、なかなかハードな世界ですね。
で、10年くらい雲隠れして逃げ出していた横浜さんが、戻ってくるのです。何故なのか?説明が無かったのですが、どうやら息子を、歌舞伎に入れたかったようです。この時、その息子さんは既に喋るくらいの方なのですが、何故この時なのか?が分からなかったです・・・男児が生まれた段階で帰ってくれば良かったと思うのですが、襲名された後の方が遺恨が残り、物語にツイストが効く、というのは邪推なんだろうと思います。そして歌舞伎の世界では血が大切。だから戻ってくると、すぐに実家で生活するようになり、今度は吉沢さんが家を出ていく事になります。この時の横浜さんのお母さんの態度とかこれまでの言動とか、痺れます。
その後割合すぐに、横浜さんは世間的に評価されるのも、劇的。でもだとすると、なんで逃げ出すほどだったんでしょうね、技術は高かったんでしょうし。謎。
屋上のシーンは綺麗だとは思います。ここは映画として良かったシーンだと私は感じました、別に歌舞伎の動きでは無いとは思いますが。
また人間国宝、じゃなかった重要無形文化財の各個認定の保持者である田中泯に許されると、急に戻れるようになるのも、どういう理由なのか?判然としなかったです・・・しかも寝た切りなのに、その田中泯に会いに行くのに興行主の下っ端で今は興行主になったのかワカラナイけれど三浦貴大さんはセリフで、芸だけ残して死んじゃう的な発言をするんですけれど・・・えっと重要無形文化財の各個認定の保持者は亡くなると剥奪されるそうですし、重要無形文化財の各個認定の保持者は踊ってこそなので、亡くなられたら芸は、技術は残せないと思うのですが、それっぽく雰囲気が重要視される映画なんです。
で、そう言えば吉沢さん、奥さんじゃないけど女性も子供も居て、しかも最後にその娘から、まぁ許されるんですよ。カメラを持った女性が出てきただけで、あの娘なんだろうな、と思いました、うん、よく見る展開。
いくつになっても、たいして何もしていなくても、お父さんという存在は娘に許されたいんですよね、本当に良かったですね、人間国宝じゃなかった重要無形文化財の各個認定の保持者にも成れて。芸や技術しか欲しくなかったけど、割合いろいろ手に入れてて、しかも凄く受動的で周囲に認められて、本当に良かったですね。
凄く画面上はキラキラした時間が長いです。情緒的に、そして吉沢さんや横浜さんのファンであれば、楽しめる作品であり、歌舞伎を知る事も、そのきっかけにする事も出来る作品でもあるでしょう。私の性格がねじれているからこその難癖でもあると思いますが、映画の脚本としてはベタベタですし、歌舞伎に対しては、血が大切、という非常に閉じた世界であるという事が分かり、なおかつ、役者さんたちも頑張っているんでしょうけれど、歌舞伎がなんなのか?は私にはよく分からなかったし、ダンスという踊りという意味ではもっと違う好みの分野があるので、特に響かなかったです。
ただ、歌舞伎の人が顔に塗るおしろい?というのか、何なのか知りませんけれど、あまりアップで撮るのは向いてないと思いますよ・・・多分客席から観て美しいとされる為の化粧なのでは?
年に1本映画を観るか、みないか、という人にオススメします。

私が1番驚いたのは、この映画のウェブサイトのイントロダクションの部分に、原作の方が、専門は作家さんだと思いますが、太字で、

「100年に1本の壮大な芸道映画」

というコメントを寄せています。

この作家の方は恐らくかなり映画に詳しい方だと思います。自作原作の映画のコメントとしては本当に驚くべき表現と言語感覚ですね。

「悪い夏」を観ました

2025年7月18日 (金) 09:08

 

城定秀夫監督     クロックワークス     Amazonprime
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   23/66
2025年公開映画を1本でも増やしておこう、という低い志で観ました・・・こういう映画の見方が本当に良くないと思いつつ、興味が無かったモノとの出会いの場、でもあります。本作は収穫がありました。
暑い時期の地方都市の団地に住む生活保護自給者を訪問するケースワーカーで市役所職員の佐々木(北村匠海)は・・・というのが冒頭です。
予告編を見て、2025年公開作品だったから見たのが半分ですが、河合優実が出演しているのである程度間違いないだろうとは思いましたが、出ている役者さんたちが皆素晴らしいし、キャスティングが凄いです、もちろん、知らない人も多いんですけれど。
恐らく、ネットミーム的な表現だと思いますし、セーフティーネットとして絶対に必要な生活保護をナマポと(字幕でも表記されてる)実際に言葉で聞くと、強い違和感があります。
ちょっと調べればわかる事なんですけれど、確かに不正受給が無いとは言えないですけれど、政府が出している(とは言え、うちの国の政府の出すデータを信じたいけれど、少なくとも数回、故意に、数字を改竄しているんですよね・・・でもある程度信頼するしかない)数字を見れば、かなり少ない数字だと思いますよ・・・それと国籍の管理をしているのも国家で、外国籍の方であっても、納税している訳で、権利はある程度あると思いますけれど。法治国家なら、なんだけど。おそろしい事に、本当に法治国家なのか?という疑問はありますけれど・・・
凄く悪い感じで出てくる映画「永い言い訳」の時に見た竹原ピストルさんが、まずヒドイ(褒めてます)。そういう人に見えます。そしてあのスモーキー(えっと映画「ハイロー」のRUDE BOYSのスモーキーです、伝わるかどうか微妙ですが)が!俺たちのスモーキーが、悪い人を演じているんですけれど、この人だけ、ちゃんと「考える」人なんです・・・私は登場人物の中で、唯一、モノを考えている人に見えました・・・ただ、すっごく、独善というか、善悪は抜きで、何がどうすれば、どうなるか?を考えて選択しています。ただその判断基準は一般的な善悪とは判断基準が違って、自分に得があるかないか、銭になるか、ならないか?しかないのですが・・・でもカッコイイ、流石スモーキー!
さらに、まぁ貫禄すら出てきた、河合優実さんの、既にこういう役どころを魅せているにも拘らず、今作でも非常に細かな素晴らしい演技を見せてくれます。私が今作で最も良かったのは、最初に関係を持っている男性との抱き合う場面、河合さんはカメラに向かって顔を出していて、相手は画面とは逆の方向に向いている顔と顔が重なる場面があるのですが、後に、全く同じ構図で、違う男性との場面、目の輝き、動き、同じ人とは思えない程でした。相変わらず、拒否を身体全体で出せるのも凄く動物的だと思いますけれど、上手いです。そして、ビート板とハダシが共演している作品だと、後で気づきました・・・驚愕!
そして光るのは2名出てくる子役が、どちらも是枝作品か?と思う程自然。まさか、です、だって私は個人的に相性悪い、あの、城定監督なんですよ・・・これは驚きでした。でも、何と言いますか、城定監督らしくない演出も目立つ作品。下着に関して、特に城定監督作品だとすると、ちょっと。ネタバレになるから言いませんけど、ちょっと。インティマシーコーディネーター居たのか?ちょっと不安。
で、主演の北村さん、観た事が無いと思っていたら、映画「勝手にふるえてろ」のイチの人でしたか!役者さんって全然違う人になれて凄いですね。全然分からなかった。
傍観者と思いきや、結構ダメじゃないか、と思いつつ、まぁ主人公ですから。
さて、真打。この映画の中で最も輝いていたのは、木南晴夏さんです。生命の光や暖かさを消し去る目の演技、恐ろしいです。この映画の中で最も異質で、最も深みのある、リアルな人間に見えました。とにかく、凄すぎた。全然知らない役者さんですけれど、ちょっと尋常じゃないです。
で、ハダシだと、全く気付かなかった、伊藤万理華さん。すいません、私この人のこの役、すげぇ言いにくいけど、タイプです。普段はクールなんだけど、馬鹿。冷静を装っている人。二面性とでも申しましょうか・・・ただ、サマーフィルムにのっての時はビート板派だったんですよ!もう本当に役者さんってスゴイなぁ。あと、どうでもいいけど、顎のラインが素敵。ハダシの頃とは全く違う。私はメガネが好きなんだろうか・・・
で、さらに、私は許可局員なんですけれど、東京ポッド許可局で、何度も言及されているチャンス大城さんの名前がエンドロールに流れて、えっ!ってなりました。そう言えば調べた事無かった。でも初めて観ました。うん、何処に出てたのかワカラナイので、観たとは言えない気がしてきた。でも、あのチャンス大城さんを私はみた(かも知れない)。
話しの筋的にはあまり好みではないものの、韓国ノワールみたいにやる予算は日本の映画界には無いし、そこを工夫するなら、コーエン兄弟作品のような、クライムコメディ路線は正しいと思います。相性悪いと思っていた城定監督作品で割合好きな作品と言えると思います。とにかく出てくる人、役者さんみんな素晴らしかった。
好きな役者さんがお1人でもいらっしゃるなら、オススメの作品です。

「BUTTER」を読みました

2025年7月16日 (水) 09:32
柚木麻子著     新潮社文庫
最近の本でとても評判が良かったので。そしてかなりの力作だと感じました。初めて読む作家さんです。
そして実際の事件を参考にした、というよりは、そういう事件があったという、その枠組みを用いて発想した、という方が高い気がします。そして、本当に作家が書きたかったモノが何なのか?を考えているのですが、どうにもまとまらない感覚があります。
正直、あまり興味を覚えない事件である2007年から2009年にかけての『首都圏連続不審死事件』(名称はwiki情報です、木島佳苗が被疑者で裁判は最高裁まで争われましたが、死刑が確定しています。但し、2025年7月現在、未執行)という事件の枠組みを使ったようです。読後に、調べてみると、正直、全然違う事件に見えました。そしてこの木島佳苗なる人物の、手紙を書き起こしてブログで公開していて、BUTTERというこの著作の柚木さんなのか、新潮社なのか不明ですが、獄中に知らせているのですが、木島はかなりはっきりと不快感と、その後に激高していて、ちょっとこの人物をモデルにしているとは思えないです。参考文献にこの木島本人のブログや、接見についても書かれておらず、そして本文中の登場人物たちが繰り返し、気になっているのは、とても、とても、ワイドショー的な反応について、なんです。
ここに何かあるのは分かるんですけれど、そんなに強い感情なのか?という疑問は残ります。
梶井という中高年男性に金を貢がせ、豪華な暮らしをしていた女が、3名の不審死をきっかけに逮捕拘留されて裁判が進んでいます。男性週刊誌の記者の町田里佳は、梶井にインタビューする為に・・・というのが冒頭です。
現代2020年代の働く、そして主婦だったり、形は様々なれど日本で生活する女性の為の物語です。
そこでは非常に息苦しく、差別にさらされ、女性というだけで、男性がしなくて良い事をさせられたり、欲望に対しての迂回を求められたりしているわけですが、そこに非常に特異な存在として、梶井が存在しています。
大変豪華な生活を送り、自身では働かず、男に貢がせ、美食をし、容姿を気にせず、それでいて事件が起こると、それぞれ様々な人達が強い関心を寄せます。
男性にとっても、気になる存在であり、女性にとっても謎な存在。そして、その本人へのインタビューをし、曖昧ではあるものの、社会的成功を手に入れたいと目論んでいる町田里佳。
またその親友で、社会的な仕事をきっぱりと捨て、専業主婦になり、一戸建てで夫と拙い生活を始めたばかりの町田里佳の親友である、かつての映画会社広報を担当していた伶子。
そして3名の男性殺害の被疑者である梶井の3名の女性を主軸に、物語は女性にとっての、生活とは?男性という生き物の不可思議さ、女性の連帯とは何か?恋愛とか、社会的地位についての男女差等々、トピックはいろいろあるものの、テーマとなれば、家族と男女関係と生活と食事、という事になると思います。
多分食事は、新しい要素ではないか?とは思います。
で、梶井という人物がにどういう態度や姿勢を取るのか?で登場人物たちが引き裂かれていくんですね。
私には、梶井が、非常に自己顕示欲の発露と、自意識肥大の視野狭窄な幼児的な人物似見えました。
が、貢がせるという、何というか古い習慣を持ち出してはいるものの、主婦業へのアンチテーゼみたいで、なるほど、とは思いました。恐らく、まだ現実を知らない場合、女性側から、貢がれて当然、とか、対価を払わずに豪奢な暮らしをしたい、と思う人はいるとは思います。
ですが当然男性側も現実を見ずに、家政婦としての妻を欲していたりする人も居ると思います。
そこに、貢がせつつ豪奢な生活を送る、容姿にそこまでの理由を見出せない存在、に対して、不信感や羨望など複雑な感情が生まれているんだと思います。
梶井が言う「女神」理論は、まぁほとんどの人が納得出来ないと思いますし、正直、老齢男性への性的なサービスの一端、という認識も取れなくはないのですが、梶井側から見ればそれが「女神」論であるだけですし、そもそもかなり奇異な関係です。
なので、なんでここまでこの小説が読まれているのかと言えば、そこにサスペンス要素と、食文化が加わってくるからです。
で、食文化の方は、割合、B級グルメ的な、そして女性版の「孤独のグルメ」的な所からスタートし、最終的にはちょっとびっくりするような地点まで到達するのですが、ネタバレの無い範囲であまり言える事は無いです。
シスターフッドを定義を調べてみると
sisterhood
1姉妹。または姉妹のような間柄
2共通の目的を持った女性同士の連帯
という事のようです。なるほど。そういう意味では、確かにシスターフッドモノとも言えます。が、共通の目的、という部分が、やや違和感を覚えます。そして、この物語の結末が、どう解釈するのが良いのか?凄く悩むわけです。
ただ、非常に力作である事は間違いない。そして食文化的にも、面白いです。
食事に対しての細やかな描写は、流石です。繊細で勢いもあり、試してみたくなる事ありますね。
実際の事件は、正直調べても、あまり興味がわかない事件でした。興味が辛うじて沸く部分としては、何故関係を断ち切り、連絡を辞め、その代り金銭を諦める事が出来なかったのか?正直検察の証拠、裁判調書を読んだわけでも判決文全文を読んだわけでもないのですが、割合状況証拠が大きく、そこまでの確実性は感じなかったですが、木島が、実際に、関係を断ち切るのではなく、金銭授受を理由に、殺害(自殺模倣)を思いついても実行するか?の部分が気にはなります。なにしろ次のカモを見つけて行ければ良いはず。でも、その選択は取らずに殺害を決意するその動機は気になります。ですが、凄い小物感しか感じない事件だと思います。容姿は重要でしょうけれど、いろいろな好みを持つタイプがいるわけで、しかも当時の木島の年齢は34歳で、相手は、53歳、80歳、41歳とばらつきはあるものの、自分よりは年上です。そう、若いに価値がある、をしているわけです、好みの問題やそれこそ金銭的な裕福さが無ければ成立しない、非常にレアケースだと思います。
で、ココからはネタバレありの感想になります。
アテンション・プリーズ!出来れば未読の方はご遠慮くださいませ。
さて、登場人物の中で最も、私からするとサイコパスに、異常に見えたのは伶子なんです。育った環境の特異性は認めますし、容姿端麗で美人の処遇でキツい部分もあったと思います。それは理解するけれど、町田里佳の仕事やその関係に執着して行動を起こすのは、もはや恐怖でしかないと思います。
で、梶井にまで接見して、周囲を騙して推理を進め、証拠を手に入れる為に単身乗り込み梶井を否定したい伶子の目的とはいったい何だったのでしょうか?
それは女性同士の連帯というモノではなく、伶子の町田里佳への恋に見えるんですね。もしくは執着。本文中でも町田里佳が男であれば良いのにまで書かれています。
そんな伶子が、単身乗り込んだ男性宅から救出された事で、喋れないほどの、精神的なショック、受けるモノなのでしょうか?
梶井を否定したい、梶井に近づく町田里佳を止めてこちらに振り向かせたい、という願望。それは愛ではなく恋的な執着に見えるんです。そして何故ここまで計画性があり、度胸もあり、執着もある伶子が、なんでこんなに精神的なダメージを負っているのか?がどうしてもよく分からなかった。
さらに、梶井が何かを仕組んで、町田里佳を社会的に抹殺しようとしたのではなく、ただ単に、突発的な行動の結果でしかなく、裁判傍聴をして事件に関心があれば伝わる内容ですし、ただ単に町田里佳を超える執着すべき愛玩が他に見つかっただけなのに、町田里佳もかなり落ち込むのですが、だとすると、記者としての覚悟というか、仕事のレベルが低い気がします。
何となく、町田里佳と伶子の連帯をしたいのだが、何の為の連帯なのか?がはっきり描かれていないから、のような気がします。伶子は夫の基に戻るし、町田里佳は中途半端にまだ梶井周囲の人へのインタビューを考えている・・・なにか釈然としないんです・・・
目的が一緒ならもう少し、ラストの団欒も違った味わいがあったと思います。というかサロン・ド・ミユコへの潜入辺りから、恐らく、この小説の終着点を探して、なんとか血ではない連帯を、新しい家族像を目指していたと思いますが、ゴールとして美しいのだけれど、あまりに早急な気がしました。
3000万円の買い物で、誰かが集まれる部屋数の多い家の購入。美しいけれど、かなり飛躍を感じます。もっと丁寧な関係性の変化が欲しかった。もっと伶子夫婦と町田里佳の関係性、出来た気がします。なんなら子供を含めた、里子を育てる話しを追加しても良かった。情報をくれる篠井さんに父性を感じているところから、恋愛関係にはなって欲しくなかったけれど、篠井さんが娘を家に連れてくるのに、娘が七面鳥を食べたかったから、だとやはりご都合展開な、気はします。1度どこかで出てきていれば、あるいは・・・そしてこの仕事関係や友人関係の連帯の、共有出来る目標みたいな何かがあれば、もっと良かった。
そして、娘と父親の関係性についても、そこまで感じ入るモノなのか?という疑問もありました。すべての男性がマザコンな訳が無いのと同じように、全ての女性が父との絆を感じなくても良いけれど、確かに町田里佳の場合はかなり特殊だけれど、病気というモノはなりたくてなる人は恐らくかなり少ない上に、日ごろの不摂生の影響は大きい。基本的にすべての死は救済でもあると思う。
血ではない新しい家族というか連帯、この発想は素晴らしいし、好きなんですけれど、もっと同じ目的性みたいなものが欲しかった。これだと、NPOのセーフハウスみたいな事で、これは必要だけれど、ちょっと違う、もっと、この10人だからこその、という目的というか目指すべき何かの共有が欲しかった。
ただ、この物語を読んでいる最中は、続きが気になって集中していましたけれど、振り返って考えると、何だったのだろう、という事からこの感想にまとめていますけれど、大変な力作である事は間違いないし、今まで読んだ事が無い作品でした。
謎がどうも解決しないのは、多分私が男だからなんだろうな、とは思うのですが。
女性の傾向として、相手にこう考えて欲しい、というのがある気がします。でも他者の考えを強要する事は出来ないし、望むだけ失望する。それでも考えてしまうのは、共感があるからなのだろうか?
永遠に分からないけれど、それでいい気がします。恐らく誰とも完全な相互理解など出来ないし、それは一瞬の希望であり、過ちなのでしょうから。
町田里佳と伶子の連帯できる目的があればもっと良かった。
エシレバターって美味しいですよね
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