井の頭歯科

「街角/桃色の店」を見ました

2021年3月30日 (火) 09:11

エルンスト・ルビッチ監督     メトロ・ゴールドウィン・メイヤー

エルンスト・ルビッチ監督、私は1作しか見た事が無い監督ですが、凄く印象に残っています。「天国は待ってくれる」というルビッチ後期の作品が日本公開されたのは、製作されたのは1943年なのに日本では1990年だったんですね。それを観に行ったから、とても覚えています。まさに王道の映画だと思いますし、今となっては古風に見えるとは思いますが、しかし古びない作品。そんなルビッチ作品がAmazonprime

で観られる事を知ったのと、やっと総会が終わったので、開放感があり、王道作品が見たくなって。しかし、桃色の店ってタイトルはヒドイ・・・原題は「The Shop Around the Corner」全然違う気がします・・・私なら『私書箱237』というタイトルにすると思います。

恐らく第2次大戦直前くらいのハンガリーのブタペスト。クラリック(ジェームズ・スチュアート)は今でいう百貨店のようなマトチェック商会に勤めるベテラン販売員。最近新聞で観た文通をして趣味の時間を得ているのですが、そのマトチェック商会にある女性がやってきて・・・というのが冒頭です。

ストーリィは非常に単純明快でありながら、基本的に悪人が出てきません、いや、1名ほどいるんですけれど。凄く舞台向きな脚本だなぁと思って調べてみると、どうやらハンガリーの戯曲みたいです。だからブタペストが舞台なんですね、でもみんな英語を喋ります。

今となっては古風なのですが、この古めかしさ、に非常に価値のある作品で、まぁ多分、ロマンチックコメディというジャンルに入ると思います。しかし、この時代設定が非常に良くて、まだ人間がすれていない、安心感があります。多分これは、努力をすれば報われる、という事が信じられた時代で、だからこそののモラルが存在した世界なのです。もう絶対に戻れない、だからこそ価値がある、という古典作品。

出てくる人が皆揃って、とても心暖かな人たちなんです。もちろん当時のブタペストの豪奢さも際立ちます。ちょうど今読んでいる「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔」(高橋昌一郎著 講談社現代新書)の出身地で、恐らく同時代、何か繋がりを感じます。もちろん、ノイマンは全然心温まる人じゃないんですけれど・・・

でもまぁ気になるところもあって、マトチェックの奥さんの話しも気になりますし、現代版にアップデートするなら、これは男女を入れ替えた方が面白くなるのは明白です。ですが、凄くイイ、クリスマス映画だと思います。

あと、スーツやコート、服装がめちゃくちゃ素敵です。そのテクスチャー感まで感じさせる重厚さ。こういうのを見ると、安価で手に入り易く、職人を不要とする社会では高価になる事の弊害を感じずにはいられません。いつも思う事の1つに、簡単に説明する、理解しやすいように本筋や結論を差し出す、という事の弊害と同じだと思うのです。受動を善しとして賃金を発生させる高度資本主義社会の闇的なモノを感じます。細部に神は宿るものであるし、細かな部分を捨てる事で失うモノがたくさんあるのですが、しかしこれだけ社会が複雑になると、そうも言ってられませんし、まぁ私が段々と(いや、そういう傾向は子供のころから自覚していますけれど)古臭い時代遅れの存在になるしかないんですよね。

それと凄く思ったのは、刺激を求める、とても大切な事だと思いますけれど、より過激になっていくと、刺激がエスカレートしてしまう事です。良く味わう事の意味を、能動的に何かを理解しに自らが意味を考えたりすることの重要性を、再確認します。

「素晴らしき哉、人生!」フランク・キャプラ監督作品が好きな人にオススメします。

才能、そして、波及。

2021年3月18日 (木) 11:29

才能、センス、そういうモノに惹かれます。

ある決まった様式があり、その様式を極めつつ、さらに解釈を広げ、その先を目指す。そういう飛び受けたセンスを、カリスマ性がある、とか天才、と呼ぶのだと思います。

型を知った上で型破りが行える、自己流ではなく、基本、基礎を身体に沁み込ませる努力なくして、その先は存在しないと思います。そして、映像やら資料が蓄積され、誰もがその存在を知った上で、その先を見せる事は、とても難しくなっていきます。テクノロジーが発達すると、誰もがある程度のレベルへ行ける代わりに、オリジナリティが生まれる機会がぐっと少なくなるのではないかと思います。

フットボールで言えば、ペレの時代にオーバヘッドシュートを放てる人は世界に5人もいなかったはずですけれど、現在のフットボールでは、恐らくプロのほとんどの人が出来ると思います。真似る事は簡単ですけれど、オリジナリティを生み出す事は、とても、とても稀有な事だという事です。

私は生で見た事がありませんし、彼のオリジナリティを言葉やテクニカルの部分を説明する事が出来ません。しかし、明らかに、センスがあり、他の誰とも違うオリジナリティを感じさせ、その上、型破りな突き抜けを感じます。エピソードにも事欠かない(映画祭に呼ばれて参加したために、レッスンを休んだので団からの解雇を告げられたり、全然練習に来ないのに、いきなり本番のごとく出来たり・・・)まさに型破りな天才がこの世を去りました。

パトリック・デュポン (1959.3.14-2021.3.5)

パリオペラ座のエトワール。私が認識したのは、引退してからですし、僅かな作品しか知りませんけれど、バレエは古典芸能なので、特に、演者が誰なのか?が光る芸術だと思います、落語にも共通する部分があると思います、そういう意味で。

「失われた時を求めて」をローラン・プティが振付したこの作品は音楽と言い、振付と言い、個人的には1番どの演目よりも好きなのですが、最初に観たのはこの作品でした。本当に素晴らしく魅力的です。

落語的、と言う意味で1番分かりやすいのは、多分、永遠のアニキ、ベジャール先生の振付した「ボレロ」だと思います。古典芸能(とはいえ多分まだボレロという演目はコンテンポラリーに属すると思います)ですから、細部の違いが分からないと、この凄さは理解しにくいと思いますし、私もほぼ何も知らないに等しいのですが、まぁボレロと言ったら、普通はジョルジュ・ドンなわけです。ベジャールはドンに振り付けているわけですし。個人的にはデュポンのボレロを見るまでは、ダンサーの好みとして、マリシア・ハイデのボレロが変則的であっても面白かったし好きだったのですが、自分の好みが更新された気がします。その後様々な踊り手がボレロを踊っていますし、映像にも残っていますけれど、女性で言えばシルヴィ・ギエムも圧倒的なんですけれど、この追悼のタイミングで観たデュポンのボレロはすさまじかったです。キレのソリッドさは(こんなに映像として古くて不鮮明なのにも関わらず!!)、多分誰よりもキレッキレだと思いますし、1番恐ろしいと思ったのは、そのAndrogynousです。

首藤さんのボレロ

デュポンのボレロ

生では私は首藤康之さんのボレロを観た事があるのですが、首藤さんの場合はとても日本的で、両性を消す方向に働いていると思いますし、とても能とか詫び錆びを感じられます。が、デュポンの場合は両性ともが激しく主張し合っているのに、統合されていて、恐ろしく感じます。ちょっと見た事が無いです。そう言えば確かに普段からAndrogynous的な魅力があったと思います。

残念がれたり、惜しむほど、生前を知らなかったし、理解出来ていなかったから、悲しむという程の事を言える立場には無いのですが、残念だと思います。この人が指導者として、育てた人を見て観たかった。天才と簡単にカテゴライズされるのは、多分本人は嫌だったんじゃないかな?と思うのですが、それでも、個性溢れる唯一無二(とはいえ全員人間としては唯一無二なのは当然だとして、バレエダンサーとして、と言う意味)のダンサー。

そしてもう1人、全くジャンルは違いますけれど、長く第一線で活躍され、今年51歳になる私は幼少期から見ていたわけですが、その当時は全く認識していなかったのに、その方の仕事をそれこそ繰り返し、何度も何度も見続けた結果、ある種の刷り込みまでされている、と言ってよいと思いますし、私と同世代で観た事が無い、と言う人はほとんどいないと思います、ただ、それが大塚さんの仕事だとは気がついていないだけだと思います。

大塚康夫  (1931.7.11-2021.3.15)

私が最も見ている大塚さんの作品と言えば、間違いなく「カリオストロの城」です。

幼い頃に刷り込まれているので、どうしてもワクワクしか感じません。よく考えると本当におかしなストーリィなんですが、それを越えて、動きの面白さ、音楽の素晴らしさ、演技の妙があって、何度でも観てしまいます。


全然ジャンルは違いますけれど、偉大、と言う意味では同じですし、また地上が味気ない世界になったと思います。

もうすぐ総会があります

2021年3月12日 (金) 09:37

ttえも、とてもいろいろ忙しい毎日です・・・年度末ですし、初めての役職での総会がもうすぐですし、コロナ禍で、会議もリモートですから、なかなか意思疎通も難しい毎日です。その分テクノロジーの有難さは理解するのですが、直接会って話をすれば済む事に、手間暇をかけなければなりません。

ですから、カルチャーを摂取する余裕がなく、本を読む事も難しい上に、映画さえなかなか見る事が出来ませんし、多分心の余裕がないので、見たい、と言う気持ちにそもそもなりません。

で、そんな中だからこそ、ベタが心地よく響きます。

今はこんな気分。

BPMを、録音された音を加工する事が出来なかった時代に、完璧主義者のお兄さんの支配下で、いや、だからこそ出来上がった曲だとも思いますが、ニクソンに褒められる事がどれだけきつかった?と思うと、大変厳しいと思いますが、時代を経ても輝きを失わない曲。

歌詞も、納得の心境です。みんな知ってるけれど、きっと、この人とは大丈夫、と思っての行動なんだと思いますが、私は人としての能力が低いと自覚し、自覚させられる場面が多いので、冷静になれるのかも。

頭に虫が湧いている状態での判断って誤りを後で嫌と言う程気がつかされます。

そもそも人と人とは理解し合えないもので、だからこそ、それでもなお関係を築き上げ続けられる人という認識が無いと、難しいです。そういう意味で、友情ってスゴイ。ジェーン・スーさんの言う目減りしない資産価値だと思います。

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