井の頭歯科

「サマー・オブ・84」を観ました

2019年9月18日 (水) 09:54

フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル監督     ブロードウェイ

『連続殺人犯も誰かの隣人だ』がキャッチコピーの、ホラー作品です。正直、私はあまりホラー作品に詳しくありません。ホラー作品文脈、というモノがある事を知っていますが、何が、ホラー作品文脈にあたるか、を知りません。ですので、一視聴者の勝手な感想(いや、今までのこのブログは全てがそうなのですが)です、もし不快に感じられる方がいる可能性があるので、先に言及させていただきます。

アテンションプリーズ!

あくまで個人的な感想ですが、この映画が好きな方には、ホラー作品が好きな方には、不快に感じられる表現が含まれる可能性が高いです。基本的にはネタバレ(決定的なモノ)は含みませんが、それでも読みたい方が読む分には構いません。

84年の夏、アメリカ郊外の町に暮らす15歳のデイビーは、近郊で繰り返される、子供ばかりが狙われる連続殺人者の事件に興味が湧き・・・というのが冒頭です。

予告編

とても面白そうな予告編です。が、正直全然面白くなかったです、個人的今年のワーストが出てしまった印象です・・・

色々な人の感想を読んで回ったのですが(あまりにも納得出来なくて・・・)グーニーズ感とスタンドバイミー感と、言われてるみたいですけれど、私には1%もリチャード・ドナー監督作品『グーニーズ』の雰囲気が感じられませんでした、子供が冒険するだけじゃなく、成長したりするし、淡い恋もあったり、お兄ちゃんとの確執含んだ憧れもあり、それぞれの関係性がもっと細やかに描かれていると思います。いろいろな要素があるけど、この作品にはそれは無いと感じます・・・薄っぺらいのです。

それでは他の方の感想に多かった、ロブ・ライナー監督作品『スタンド・バイ・ミー』感かというと、これも1%も無かったように感じます。まず、この4人組の中で何故デイビー(主役)がリーダーなのか?全然理解出来ません。この子のポジションは傍観者ポジションだと思います。普通は両親が不仲な子が『スタンドバイミー』ならリバーフェニックスが演じていたリーダーを演じるはずです。なのでデイビーが声掛け役、主導役のリーダーなのか?全然納得出来ませんでした。『スタンドバイミー』もかなり様々な事柄を扱っていますし、ローティーンの様々な内面を扱っています、一見子供に見えても、かなり考察しているのが、傍観者の語りべからも語られていますし、論理的です。端的に深みがありません、今作には。


あと、なんで84年なのか?ちっともワカラナイんです・・・全然85年でも、83年でもいいんじゃないかな?と感じました。84年という年にしかない、空気感、出来事、音楽、グッズが何一つ出てきていないんです。逆に80年代っぽさは確かにありますよ、でも84年っぽさは全然見当たらないんです、それこそ84年を生きてない人が作り上げた84年感しかありませんでした・・・なんか理由があって、それがわかるのであれば、まだ理解出来るんですけれど、音楽も服装も文化もテレビ番組やその当時のエポックメイキングな出来事も、何も見当たりませんでした、全然84年感ゼロに感じます。

もちろん、版権の問題があって、お金が無いから当時の音楽が使えなかった、という理由もあるとは思います。でもそれなら、何故そこから努力しないのか不明です。84年当時の曲のパクリでも、オマージュが感じられる曲を作って流せばいいじゃないですか?それって自主映画レベルでもやってる事ですよ?私の大好きな首藤凛監督作品「また一緒に寝ようね」では、大変重要な人物の登場場面に、明らかにある有名な歌手の、有名な曲がかかりますけれど、クレジット見ると、全然違うのが分かります、これ大変高い水準ですが、あくまで学生映画の話しですから・・・

小物もトランシーバーが唯一そうなのかも知れませんけれど、それは先に「ストレンジャーシングス」が使ってますし、それはあくまで80年代感であって、決して84年ジャストなものではありません。流石にそれだけじゃ無理だと思います・・・

また、同じ劇場にいらっしゃったすっごく若い方々が良かった、と劇場で言ってる声を結構聴きました・・・いいんですよ、若い人なら・・・誰だって初回性という既にたくさん模倣されてる出来事でも、その人にとっての初めてには価値があると思います。しかし、そういう人だけを、この映画は対象にしている訳じゃないと思うのです・・・そういう人を私はプロとは言えないと思います。ジョエル・シュマッカー監督作品『オペラ座の怪人』の前・支配人が去り際につぶやく一言『アマチュア!』と私も言いたい。

もしかすると、ホラー文脈が分かってなくて、汲み取れてない部分があるのかも知れません。だから、もし、どなたか、この映画の良かった部分教えてください・・・

ここからはネタバレを含んだ感想になります、映画を未見の方はご遠慮ください。

繰り返しになってしまいますが、本当に分かんないのが、何で84年設定にしたのか?です。音楽、服装含む美術、小物、乗り物含む大道具やセット、どうしても84年じゃなきゃいけない要素が私にはゼロでした・・・

それと、割合多い意見がキャラが立っている、という意見を見ましたが、全然キャラ立ってないと思うんですけれど・・・ぽっちゃり、メガネ、不良、普通、そこまでで終わってないすか?まずこのグループでリーダーと言えば、しかも84年くらいなら、間違いなく不良がリーダーだと思います。しかも主人公がみんなを巻き込むばかりで、その巻き込み方が、俺は間違ってない、俺を信じろ、の一点張りです。正直頭の悪い妄想にしか見えません。だからすっごく傲慢で聞き分けが無い、自己中心的な、思い込みの強いヤツ、に見えて、全然魅力的じゃないんですよ・・・だって推理が妄想なんだもん、そんな奴の話しがたまたま本当だったとして、それが町の人気者になるわけがない・・・ また絡んでくる隣の女の子が、なんで主人公にこんなに好意的なのか?全然意味不明ですよ・・・すっごく都合良く、肯定感をだしてくれてる・・・超ご都合展開じゃないっすか?なんか彼女に主人公はしましたっけ?ただ覗いてる隣りの根暗じゃないすか?全然この女の子の行動も意味不明なんですよね・・・

そして、隣りのシリアルキラーはもう私には、ジョン・ゲイシーにしか見えないんですけどね、でもピエロにはならないんですよね・・・しかもジョン・ゲイシーの事件は70年代・・・84年だとゲイリー・リッジウェイかとも思ったんですが(中州が現場)だとしてもなんか腑に落ちない(リッジウェイは子供を狙っていない)。自分の幼少期の部屋を再現しているのは良いけど、じゃそれがこのシリアルキラーの子供の殺人に繋がるリンクが何もない、雰囲気で出しただけ、に、見えるんですよ。 途中の演出も、すっごくくだらないんですよ、驚かそうとしてるのが見え見えで、そこが浅いしペラッペラなんです、演出も間延びしてるからこの映画106分しかないのに、体感時間はOnce Upon a Time In Hollywoodの2倍はあったと感じてます、映画館で眠気と戦った記憶って遥か昔にウォーレン・ベイティー監督「ディック・トレイシー」を見た時以来です、1990年公開だから29年ぶりです・・・

家の中のシリアルキラーを見張ってる画角は、本当にでドリフのコントかと思う程、それ見えちゃってますよ、的な感じにしか見えません・・・安い、安すぎます、いくらなんでも・・・

1番全然理解出来ないのは、まぁ主人公の妄想が正しかったところまで100歩譲りましょう、そこまではイイでしょう、映画なんだし。でも、警察が捜査してるんですよ?(あ、このシリアルキラーが犯人を捕まえた事実をテレビで放送するのも、すっごくご都合主義的なタイミングで流れるし、そもそもこのシリアルキラーが犯人逮捕しなくても良かったんじゃないですかね?それこそリスクしかないと思います。あとなんで家に入ってまで電話しようとして、うかつにも自宅に電話ってどれだけ無警戒なんでしょう?この少年は自分を疑ってきてるんですよ?)それも恨みを持つべき主人公一家の家を警戒してないってどういう事なんでしょう・・・

さらに100歩譲ってそこはイイとしましょう、映画の中でも良く見る展開ですし。でも、もしシリアルキラーさんが合理的なら、既に両親はもちろん殺害してますよね?騒がれたら大変だし。しかもなんでわざわざぽっちゃりくんと主人公を捕まえて別の場所まで連れてってるのかが不明です、どうして主人公宅じゃダメだったのでしょうか?

さらに100歩譲りますよ、車で移動してて後ろに子供2人乗っけてて警察何してんの?でもそこも韓国映画の警察並だとしてさらに100歩譲りましょう、でも、なんで自力で縄ほどけさせたり、わざわざ逃がして鬼ごっこするのか本当に訳が分かりません・・・もう何歩譲ったのか分かりません、途中のゆるい演出、驚かせ描写の連発だって、多分1000歩くらい譲ってます・・・

そして最大の謎、何故主人公は殺されないのか?問題 です。確かに生きて、いつ再会するかワカラナイ恐怖は、大変なものです。 またこの映画の肝は  殺人者も誰かの隣人 という事に尽きると思います。私も単純に殺すよりも、恐怖を植え付ける、理解出来ます。でも、なんでわざわざぽっちゃりくんを運んできて、喉ざっくりなんですかね?最初の寝袋のところで刺せばよかったはず。  主人公に私なら生活レベルが下がるくらいの刻印を作りますね。指とか、顔に大きな傷が残るようにするとか、片目が無くなるとか、そういう事を全くしないで、主人公だけ、ぽっちゃりくんはあっさり殺しておいて、生き延びさせるのってどう好意的に考えても全然理解出来ません。 あと何歩譲ればいい所が出てくるんでしょうか?

この映画を既に観ている人、教えてください・・・ 本当にこの映画の良い所教えてください・・・

カテゴリー: 映画 感想 | 1 Comment »

「バニシング 失踪」を見ました

2019年9月17日 (火) 09:45

ジョルジュ・シュルイツァー監督     20世紀フォックス

今年日本初公開された1988年の傑作「バニシング 消失」(の感想は こちら )の同監督によるセルフリメイク作品を、ハリウッドで、作られた作品です。ポイントは、ハリウッドで、という部分だと思います。

ジェフ(キーファー・サザーランド)と恋人のダイアン(サンドラ・ブロック)は旅行中に立ち寄ったサービスエリアで、ダイアンが突然失踪してしまいます。それから3年、ずっとダイアンを探すジェフですが・・・というのが冒頭です。

凄く、ハリウッド的な(良い意味でも悪い意味でも)作品に仕上がっていて、とても興味深いです。そして、オリジナルの作品を観ている人にとって、とても考えさせられます。

同じように、ハリウッドに呼ばれてセルフリメイクされた作品はそれこそたくさんあります。同じ監督で作られる場合もあれば、違う監督になる場合もありますけれど、作家性という意味で、ミヒャエル・ハネケ監督の「ファニー・ゲーム」はハネケ監督らしい、セルフリメイクですし、アレハンドロ・アメナバル監督作品の「オープンユアアイズ」はキャメロン・クロウ監督で「バニラスカイ」になるわけですが、これは違った監督になった事での良さがあると思います。

今作の最大の改変ポイントを是とするか?がこの作品の評価の評価が分かれるポイントだと思います。

大好きな俳優ジェフ・ブリッジスが出演しているので、ある程度期待も、そして評価も良くなりがちではありますが、個人的には、とても残念な作品になってしまいました・・・私は、とても、ご都合主義、という風に映りますし、深み、余韻、においても、説得力においても、完成度という意味においても、オリジナル作品に軍配を上げてしまいます。

私の好きなキーファー・サザーランドは、ジェームズ・ブリッジス監督「ブライトライツ・ビッグシティ」のヤッピーを演じたキーファー・サザーランドなんですよね、すごく薄っぺらい人物を好演されていて、いいな、と思っています。

それでも、オリジナル「バニシング 消失」を見ている方に、オススメ致します。

次回は、あまりやらないのですが、あまりにあまりな衝撃の、つまらなかった作品について、ご紹介致します・・・全然オススメ出来ないのが大変申し訳ないです。

「Once Upon a Time in Hollywood」を観ました

2019年9月7日 (土) 09:20

クエンティン・タランティーノ監督      コロンビア

今年公開映画の中でも個人的に1番期待値の高い作品だったので、すっごく楽しみにしてましたし、期待値を上げ過ぎないようにしてましたけれど、まぁタランティーノですし否が応にも上がってしまいますね。そんあ私の期待値の斜め上遥か彼方まで面白かった作品です。

1969年2月、テレビ西部劇俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、自分の専属スタントマン兼親友のクリフ・ブース(ブラッド・ピット)と、大物プロデューサー・シュワーズ(アル・パチーノ)に会いに酒場に出かけるのですが・・・というのが冒頭です。

タランティーノ監督、とても変わった監督さんですが、映画ファンからは絶大な信頼を置かれている監督、だと思います。それもスノッブじゃない、割合マニアな人の中でも、映画好きな人は大抵好きな監督のうちの1人に名前を挙げる率が高いと思います。本人がレンタルビデオ店員から監督になった方として有名ですし、世界の様々なマニアックな映画を観られている映画中毒者として有名ですし、好みが変にお高く留まらないのが、映画ファンの心をつかんで離さないのだと思います。そして、個人的には編集の面白さ、で出てきた方だと思います。とにかくエッジが効いている、時間軸をいじる監督として、最初は認識してました。

それが、この映画では、さらに進んで、とてもサンプリング色の強い作品に仕上がっていると思います。そのサンプリングの元ネタに敬意を払いつつ、サンプリング元を自分で製作した上で、サンプリングする、というメタ構造を展開しています。つまり、この映画で言えば、本当に、1969年の街並みを作り上げ、そこに当時の車を走らせ、当時のテレビを流し、当時の映画を流し、宣伝ポスターも再現、しかもそこにサンプリング元を作り上げて行っているんです。当然拘りのあるラジオ音源も、です。服装も、その当時にその場に居た人物の佇まいまでも作り上げています、まぁ私がその場に居たわけではないのですが、その当時のヒッピーカルチャー含め、雰囲気が本当に素晴らしいです。これは、モチーフとしてアルフォンソ・キュアロン監督作品「ROMA」(の感想は こちら )そっくりです。それが、ノスタルジーを含みつつ、それでも、タランティーノ作品に仕上がっているのが最高なんです。

普通、街並みを再現するとしても、恐ろしく大変お金がかかります。当然360度カメラに収まるわけでは無いので、ある1方向から見て再現出来ていれば、まず問題ないはずであるのに、あえて、逆方向からのカットも含めて、本当に360度の街並みを作り上げています、ココ本当に凄い所だと思います。街並みだけでなく、本当に細かなデティールまで、もちろん1度の鑑賞ではすべてを掬い取って見て取れたわけではなりませんが、かなり細かいですね。これから、何度も何度もの視聴に耐えうる強度を持った作品に仕上がっているのは、1度の鑑賞でも十分に感じられました、映画内映画の劇場用ポスター含め宣伝、そして架空の人物である主役の2人の出演作まで(サンプリング元を作るってそういう意味です)、本当に細かいです。

そして、宣伝でも使われてしまっているので言及しますけれど、チャールズ・マンソンの起こした事件、シャロン・テート事件を扱っています。ここは何を言ってもネタバレになってしまうので伏せますけれど、シャロン・テートを演じたマーゴッと・ロビーが最高に美しいです。簡単に、美しい、という言葉を使いたく無いですし、そもそも人の美的感覚は千差万別です。

ちょっと脱線しますけれど、私は本作でブラッド・ピッドの上半身の裸が出るシーンがあって、もちろん見事に鍛え抜かれた50代の男とは思えない、素晴らしい肉体美だとは思います。肉体美という要素はそれこそ様々で、おそらく、ヌードに近ければ近いほど、その肉体美の価値(たゆまぬ努力のたまものであり、恐らくギフテッド的なモノでもある)があると思うのですが、その事だけ言及するのって、ちょっとどうなのか?と思います。そういう人が居てもいいけど、これだけセクシャリティ的に平等を求めていくのであれば、男性の裸への言及があってもいいなら女性の裸への言及も許される事にならないと変な感じがします。美意識や美しさは人それぞれでいいけど、そのことを言及する時は気をつけたい、という事です。今回のブラッド・ピッドが脱ぐ必然性があるんですけれど、そこがあるかないかも大きいです。昔であれば、女性のヌードへの言及はもっと直接的だったので、その反省も込めて。そして何を猥褻と捉えるのか?という事なんですけどね。要は他人(おそらく女性)の感想でブラピの裸が1番!とか言ってる人が居て、それって〇〇(女性の名前)の裸が見れて最高!って言ってる男の人の感想と同じで、どうかと思うよ、と言いたかったってことなんですけれどね。

閑話休題

とにかく、お金がかかってるのは間違いないですし、そのお金のかけ方が、とてもタランティーノ的で、最高です。すっごく限定的な例えになりますけれど、矢作俊彦著「あ・じゃ・ぱん」のような映画だと思います、知ってる人にはネタバレになってしまうのですが・・・

また、キャリアの下り坂を認識したリック・ダルトンの苦悩、そしてその事で打ちひしがれる姿を晒すディカプリオの演技も素晴らしかったです。ある意味今のディカプリオが感じていてもオカシクナイ感情だと思うからです、それは下り坂という事ではなく、肉体的に難しかったり、同年代の俳優の憂き目を目撃したりしていると思うからです、自身のキャリアではなくて。ディカプリオの演技は、やはりラッセ・ハルストレム監督作『ギルバート・グレイプ』の時の衝撃が忘れられないのですが、『ジャンゴ』を経てかなり変わったと思いますし、今回も目を細めて踊るシーンの演技、最高だったと思います。レオナルド・ディカプリオは今後どんな俳優になっていくのでしょうね。今作を既に観た方の感想で『演技が下手な役者の演技をする、というすっごく難しい事をやってのけた』とおっしゃってるかなりの映画マニアの方の意見が忘れられないですし、全く同感です。

そして、やはりブラッド・ピットはカッコイイし、この映画でも、とてもおいしい役どころですね。本当に、この人のキャリアは凄いの一言です。かつて、2枚目として比較されたロバート・レッドフォードに勝るとも劣らないと思います、今回のあるシーンではオマージュなんじゃないかと思う程、レッドフォードに似てる!と思わせるシーンがありました。レッドフォードの引退作品も早く見に行かねば、ですが。最近は本当においしい役しかやらないブラッド・ピッドですが、この映画の中では、もっとも 大人 に見えましたし、あのヒッピームーブメントの中での、大人だと思いました。タランティーノ映画における良心を体現している、とまで思ってしまいました。役得!

マーゴット・ロビーの美しさ、その自由さ含めて、大変シャロン・テートに合ってると思います、そして、あえて何もしないあの映画のシーンを挿入するのって、とても粋な計らいだと思います。ただ、どうしても、眉を顰めるようになると、シャロン・テートからマーゴット・ロビーに戻っちゃう感じもありました、そこが惜しいなぁ。でも本当に純真な感じ(あくまで、感じ、にして見せているのが!)が最高です。

この映画が、映画館でしか見られない今ではなく、家で観られるようにソフト化された時、この映画の素晴らしさは、また別の段階に入ると思います。私はとてもコーエン兄弟監督作品『ビッグ・リボウスキ』的な映画だと感じました、もちろんタランティーノが作ったビッグ・リボウスキ的な、という意味で。お酒を飲みながらただ流れている映画として最高の映画の1本になると思います。

最高に贅沢な、ゴージャスな映画です。タランティーノ映画の到達点とも言うべき作品。アルフォンソ・キュアロン監督作品の「ROMA」、コーエン兄弟監督作品の「ビッグ・リボウスキ」な作品。これ以上ないほど私にとって贅沢な作品でした。

欠点は、短い、という事だけだと思います。

タランティーノ監督が好きな方に、強く、強く、強く、オススメ致します。

アテンション・プリーズ!!

ここからネタバレありの感想になります。こういう映画こそ、何も情報を入れないで観に行くべき作品ですので、未見の方はご遠慮ください。

私は1969年2月のシークエンスが最高だったと思います。特に何が起こるでもない、しかし、リック・ダルトンにとっての日常、キャリアの下り坂を意識しだした男の、憂鬱な日常。ハリウッドに観光客ではなく、家を持ち、生活する自負を持った男の、認めざるを得ない陰り。1人では認める事さえ出来たであろうか?という不安に右往左往するリック・ダルトンの悲哀、その見事なまでにダメっぽい姿、最高です。そしてバディとして、影から何もかもを支えるクリフ・ブースの強さ。その彼でさえ何も持っていない(いや、クリフにはブランディがいる!!!!!)、しかし弱音は吐かない大人の態度。そんな2人が  生きている  1969年の街、ハリウッドの日常を、隣家の上り坂のロマン・ポランスキーとシャロン・テート夫妻の派手な部分も交え、確かに居たハリウッドの人々の日常を綴ったシークエンス、最高に贅沢な時間だと思います。

これから何度も見かえすことになるな、と映画館で予感しました。すっごく贅沢な時間が流れ、贅沢な画面が続き、贅沢なキャストで固められています。ブルース・ダーン、アレクサンダー・ペイン監督作品「ネブラスカ」(の感想は こちら )の時みたいな感じでいいですね!僅かな出演シーンでしたけれど、味があります、盲目なのにテレビドラマFBIを見ないとカミさん(?)の機嫌が悪くなるのを気にしてるって、ドユコト?と思いつつも、分かる作りになっています。アル・パチーノ、ノア・バームバック監督作品「マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)」(の感想は こちら )のような老人役多くなってきましたけど、とても良かったと思います。ダミアン・ルイス、全然知らなかったですけどちゃんとマックイーンに見えましたよ!凄い、こういう人が居て、ちゃんとキャスティングされるのが凄いですね。あと忘れちゃいけないのがブルース・リーを演じたマイク・モーさん。この人とクリフ・ブースの対決、誰もがブルース・リーが勝つと思ってしまうミスリードを、まさに衝撃的に壊して見せるの、サイコーでした。ホント最近のブラッド・ピットは美味しい役しかしないなぁ。

また、このキャスティングに絡んで、恐らくタランティーノ監督が大好きだからなんだと思うけど、ジョン・スタージェス監督「大脱走」のシーンの中にわざわざディカプリオを入れて明らかに遊んでいるのが、流石タランティーノ監督!って思いました。ここまで拘ってCGを避けて、サンプリング元を作って、義史を作り上げる作品なのに、この遊びの部分だけは思いっきりCGで遊んでますよね?面白かった~

それと、子役の人、この人もこんな難しい役を本当に8歳なのか知りませんけど、目の演技が凄かったし、その子役にあえて、演技論を語らせて、その後に、わざわざセリフを忘れて怒り狂うディカプリオのシーンを入れるのが、イジワルで最高です。この子役の人はこれからも注目です、まぁハリウッドの子役が上手く行かない話しは散々いっぱいありますけれど。このディカプリオのセリフ間違うシーンのカメラワークと同じことを、あえて車のシーンでも取り入れていて、ココすっごく難しいはずなのに、しかもセットの事考えるとただ単に予算もかさむし、相当思い入れあるのかな?とも思いますけれど(私が気が付かない何かのシーンのオマージュとか)、実際、何となくですけれど、タランティーノ監督の遊び心な気もします、意味のない遊び心シーンなのかなって。

プッシーキャット役の人はなんか見た事あるなぁ、と思っていたら、やはり思い出しました、これは大好きなシェーン・ブラック監督作品「ナイスガイズ!」(の感想は こちら )のヒロイン(はアンガーリー・ライスでした、保護対象者役)でしたね!大変印象に残る少女役で良かったですし、ヒッピーとしていそうなオーラがあってそこが良かったです。仲間の中でも立ち位置が難しいですし。またこのマンソン・ファミリーの、もっと簡単に言えば、いわゆる有名じゃない、メンバーの描写が、その男女比がやはり面白かったです。割合有名なグループですけれど、やはりあくまでマンソンの個人的なグループって感じが強かったですけれど、よく考えると、不思議なグループです。

結局イタリアに出かけ、あれだけリック・ダルトンとして嫌っていたマカロニウエスタンに出演する事になり(注・ワケあって、個人的に幼少期に叩きこまれた西部劇知識というモノが、刷り込まれて、頭の中に存在するんですけれど、西部劇ウェスタン愛好者は、マカロニウェスタンを蛇蝎のごとく嫌う傾向があります あくまで 個人の見解ですけれど )、マカロニウェスタンの主役を務めた事でそれなりの自信を回復したリックが空港へ降り立った後、奥さんの足にまとわりつく布の揺れ加減と音楽のビートの合い方が、めちゃくちゃカッコ良かったです。これはエドガー・ライト監督作品「ベイビードライバー」の効果と同じですね!

そして、ここから、これまでの日常から、非日常タランティーノにギアチェンジします。ここがサイコーでした。急にナレーション入ってくるし、違和感もあるけれど、それよりも、ワクワク感が勝ってしまいました。私はココに、この作品の肝があると思います。

よく言う、この設定が乗れなかった、この人物が嫌だった、何でこうなるのか理解できない、といった事を私含めて、よく映画の感想で(まぁ別に映画じゃなくとも、本でも演劇でもなんでも可)聞きますけれど、それって、そこまでの、舞台設定なり世界観に没入させることの出来なかった作り手側の問題があると思います。あくまでリアルな(ファンタジーでも同じで、その映画の中のルールを含んだ世界観に)観客が没入出来れば、細かな点や矛盾なんて、そんなに気にならなくなりますし、そもそもそういう矛盾を含めて、作品を愛してくれると思います。この没入までの世界観が上手く作用する人には、この映画体験は何にも勝ると思いますし、長い、と感じる人には、そもそも受け付けない感じになると思います。例えていうのであれば、最近割合長かった映画ですと「ブレードランナー2049」(の感想は こちら )も同様だと思います。なんというか、この日常の描き方、太陽の光の加減から、セットを動かしている人から、リック・ダルトンに控室の場所を教える為だけに出てきたオジサン含めて、好きになってしまえば、だいたい何でも受け入れられます。

マンソンファミリーの中でも東洋人っぽい女の言う「テレビの中で人殺し(の演技)をして稼いでいる奴らを殺して、金を盗む」というのは、事実に即しているのか知りませんが、すっごくタランティーノ監督が言い回しで使いそうで、グッと気持ちが上がりました。そう言った女のその後の顛末で、私は不謹慎な笑いを、大いに楽しみました。まさかここでアレが伏線回収になるとは思いませんでしたし。まさかの偽史モノとは思いませんでした。こんな展開でシャロン・テートが救われるとは。でも、生きたシャロン・テートの作品が、こんなにたくさんの映画館で、実際に流して見せた、という事実を考えると、やっぱりタランティーノ監督サイコーです!

リック・ダルトンとクリフ・ブースのバディ関係ですけれど、あんまりバディ感は少なくて、完全にリック・ダルトンがクリフ・ブースに助けられてるように、見えます。もちろん、金銭面ではリック・ダルトンの方が上なんでしょうけれど。初っ端の車を回してもらう駐車場でのハグはまぁお約束のサービスショットとしても、その後のサングラスを貸すクリフ・ブースにヤラレテしまいました。うん、こういう人は誰にでも好かれるて頼られるんだけど、絶対自分は誰にも頼らないんだよね。

あと、犬のブランディ!この犬が最も強かった!それに、クリフ・ブースの本当の相棒は、リック・ダルトンじゃなく、ブランディだ、という事が、この映画の良心な部分だと思いました。しかしブラッド・ピッド、美味しいね!

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