井の頭歯科

「主戦場」を観ました

2019年6月17日 (月) 15:05

ミキ・デザキ監督       東風

ドキュメンタリー映画ってそもそも、いいように編集で出来るので、事実を捕えているかどうか?も不明な上に、印象操作する事の出来る形態の映画、という事が出来ると思います。そうでないドキュメンタリー映画監督は私はフレデリック・ワイズマンしか知りません(フレデリック・ワイズマンの処女作で傑作の「チチカット・フォーリーズ」の感想は こちら )。主張に沿った部分を切り取って使う事が出来る、という部分を理解出来ていないと、事実と見誤る事に繋がってしまうと思います。そもそも主張があって製作している事も多いですし。しかし、そう思って観ていると、なるほど、こういう考え方の人もいるのだな、と知らない世界を知る事が出来る楽しい部分も大いにあると思います。

主題に挙げられている従軍慰安婦問題について、私は全然知識がありません。特に調べようと思った事もない事象について扱った映画です。が、論争が起こっているという意味で興味が湧きました。

中学生の頃、何故人間にはしっぽがないのか?を友人と話し合ってた事があります。私はしっぽがあったら便利だな、というだけでしっぽ擁護派になったのですが、その後立場を入れ替えて話しをする機会があり、議論がより面白くなった事を経験して以来、こういう議論に興味があります。ただ、あくまで面白い事と、議論が深まる事は別ですし、さらに、結論が出るかどうか?も不明だと思っています。人は結局見たい現実しか見ない生き物なのかもしれませんし。

この映画の中では、様々な立場の人のインタビューを、かなり切り取って、都合の良い様に編集、されている映画です。ある意味監督の主張を補強するように作られている映画、と言い切って良いと思ます。

また、その主張を完全に正しい、と決める事も出来ているとは思えませんでした。

ただ、この映画の中で、唯一、転向している方の言葉の重み、については説得力があると思います。個人的な意見ですが、転向したことが無い、という人はあまりいないのでは?と思っています。その事に気付かせてくれた名著『戦後日本の精神史 1931-1945』の感想は こちら です。

他者に対しての節度、言葉使い、その場にいない議論相手への敬意が感じられない口調で話しをする人たちの主張は、薄っぺらく、感情的で、不快な気持ちにさせられます。

端的に美しくないのです。

個人的には、一堂に会して議論の場を与えればよかったのに、と思いますけれど、議論する相手への敬意が払えない人は、議論のルールさえ守る事の出来ない人間なので、まぁ無理なのかな?とも感じました。もう少し言い負かすのではない議論のやり方があっても良いのに、といつも思います。

ただ、大変重いトピックを扱っているので、体感時間がかなり長く感じました。もう少し短く出来たんじゃないかな?

よく知りませんが、在特会、という集団には嫌悪しか感じられません。はっきりとレイシストですし、不特定多数の殺害を表明しており、警察組織は何をしているんだろう?という疑問を持ちました。

ドキュメンタリー映画が好きな方に、オススメ致します。

「海獣の子供」を観ました

2019年6月14日 (金) 09:24

渡辺 歩監督       東宝アニメーション

まず、原作既読です。そして、五十嵐大介さんの漫画の中では、個人的な評価は、普通な作品、と思っています。おそらくほぼすべての既刊されている漫画単行本については目を通しています。その中でも、かなり作品内のリアリティラインがぶれる作品だと思います。個人的傑作は「魔女」だと思いますし、その中の1つの短編を題材にした映画なら、もっと素晴らしい作品になっていたと思います。

ただ、五十嵐さんの絵柄(私は個人的には、宮崎駿先生の直系と、漫画では、感じております)、この余白を基本的には嫌うかのような書き込みの多さと豊かさに満ちた、この絵柄こそ、五十嵐さんの最も特徴的な部分で、自然に対する憧れと畏怖が入り混じった描写が最高だと思うので、映画化していただけて、大変喜ばしく、嬉しく感じました。その絵が動いている、それも自然に感じられる、という1点において、この映画は素晴らしいと思います。

しかし、ストーリィは大変飲み込みにくい作品であるのも事実だと思います。果たして海と空をどう捉えたら良いのか?は考えても分からないです。けれど、まるで曼荼羅のような映像体験としての素晴らしさ、トリッピーな体験としての、サイケデリックをさらに進めた、言い方は少し雑であまり使いたくない単語ではありますが、スピリチュアル 的 な映画としては、かなり突出していると思います。ただ、私はあまりスピリチュアルなモノを評価したくない感覚があります。辞書によると、霊的な、魂、とかそう訳されていますが、使っている人の感覚を考えると、いわゆるニューエイジ的な神秘主義的なモノと考えているような気がします。まぁ名探偵ホームズの原作者で有名なコナン・ドイル先生を考えて頂けると、分かり易いと思います。

冒頭の主人公視点でのZ軸に進んでいくアニメーションもあまり見た事がなかったシークエンスで良かったです。

ただ、少々話しを飛ばしていますし、本当は5巻完結漫画を2時間でやるのは無理があると思いますし、デデという大変特徴的なキャラクターを非常に都合良く使っている、という点も気にはなりますけれど。

隕石の意味、海と空の存在の意味、ラストの意味、そういう事を考えたらだめで、そのまま受け取れる人には最高の映画(映像?)体験になろうかと思います。

精密でそしてグロテスクで、そして美しくてどこか儚いモノを描かせたら画力で言えば日本のトップクラスの絵を、動かしてくれているだけで感謝すべきなのかもしれません。

自然、に興味のある方、原作を読んでいる方にオススメ致します。

「家族終了」を読みました

2019年6月7日 (金) 09:18

酒井 順子著         集英社

アメリカ映画でも、日本映画でも、最上級に善き事とされている『家族』について、『負け犬の遠吠え』の著者酒井順子さんが綴ったエッセイです。いつものごとく、大変面白かったです。

かなりショッキングな内容でした。まずとても驚いたのが、昭和28年(1954年)の平均世帯人員は5.0人、まだ3世代家族も普通にあり得た時代です。が、平成28年(2016年)の平均世帯人員は2.47人・・・なかなか衝撃の数字です。前年の2015年の『単独世帯』の全体に占める割合は34.5%で、これは『夫婦』や『夫婦+子供』世帯の割合よりも大きい、というか最も多い割合なのです。

つまり、2015年の国民生活基礎調査、つまり厚生労働省の調査なので、どこまで信用して良いのか問題もありますし、そもそも調査なので誤差もあるとは思いますが、大胆に言い換えると、

『日本で最も多い家族形態は、1名』

と言えてしまいます。

私は結構衝撃的でした。よく調べると、1番新しい国民生活基礎調査ではこんな感じです。

平成29年度調査

単独世帯           27.0%

夫婦のみ世帯のみ       24.0%

夫婦と未婚の子世帯のみ    29.5%

ひとり親と未婚の子世帯のみ    7.2%

3世代世帯             5.8%

その他の世帯          6.5%

という事になっています。

(厚生労働省HP 国民生活基礎調査 平成29年度 国民生活基礎調査の概要より https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa17/index.html

1位ではなくなっているとはいえ、やはり単独の世帯は27%を占めているわけです。

家族、を辞書で調べてみると(本当は新解さんこと「新明解国語辞典」で調べたかったのですが、今手元に無いので広辞苑より)、『夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。社会構成の基本単位。』という事になっています。ですが、このまま少子高齢化が進むと、恐らく、社会構成の基本単位、という定義部分は変更せざるを得なくなるのではないか?と思います、何しろ1/3が単身世帯になるのですから・・・

著者の酒井さんも指摘されていますけれど{家族」という形態が変わりつつある、という事だと思います。例に出されているのが、サザエ+フク田家と、ちびまる子ちゃん家族です。どちらも3世帯家族で構成されていますけれど、実は1割に満たない家族形態、と言えるわけです。

では、なんで?核家族化が進んだのか?と考えると、どう考えても、便利になったから(コンビニとか)、そしてわがままになったから、だと思います。家族という軋轢もある集団を組まなくても生きていける世界になったからこそ、家族というか、もっと言うと婚姻関係の意味を見出すのが難しくなったからだと思います。嫁姑問題もそうですけれど。

私は嫁姑問題は運動部の部活での意味のないシゴキ問題と似ていると思うんですね。怪我の可能性のある、大変厳しい練習を潜り抜けたからこそ、同期の結束が強くなった、と感じている人は多いです、そのシゴキを受ける当事者の時は、無意味で危険と怒っていたにも拘らず、自分が指導する側に回ると、喜んで同じことをしてしまうんですね。男性は嫁姑問題に関係ない、と思いがちですけれど、さざえさんにおけるフク田マスオさんの立場になってみれば結構大変だという事が(それでも婿養子ではない)理解できると思います。磯野家におけるプライベートスペースは、ほとんどないんじゃないでしょうか?

少し前に、自民党所属の議員が子供の数について言及して、問題発言になっていましたけれど、昔の感覚、しかも井戸端会議的なモノであれば、そう騒ぐ問題ではなかったかも知れませんけれど、衆院議員の発言としては、基本的にアウトだと思います。というか国家が個人に対して、何人の子を産め、というのは無理な注文です。国家を構成するのが個人なのでどちらが主体であるか?は明確だと思います、個人的には。もちろん違う考え方の人もいると思いますけれど、どのように考えるのか?の自由も保証されているし、人生の選択は個人の自由であると思います。もし日本が子育てしやすい国であるなら、少子化になってないはずで、何処かに(贅沢だ、という人もいるかも知れませんけれど、結果として同じ)問題があると思います。

子供を産む前に結婚しなければならないとなると、まずその結婚が難しいと思います。誰の例えか失念してしまいましたが『車や冷蔵庫を購入するのと違って、簡単に変える事が出来ないから』というのは、とても個人的には納得してしまいます。誰だって失敗したくないし、失敗例の方が成功例を上回るほど、語られる場面も多い上に、成功例として多いのがたいていドラマや映画などのフィクションであるように感じてしまいます。

家族の形態、それは徐々に変わっていくものだと思います。今も、昔も、未来も、ずっと過渡期なんだと思います。戦後に3世代家族を止め、核家族化が普及したように。

テクノロジーが進化すれば、当然、生活が変わるわけで、知ってしまった利便性を無い事にするのは大変難しい事だと思います。恐らく、昔ながらの家族形態を維持するのが難しくなっているので、制度を変えていくしかないと思います。というか、個人が婚姻関係という制度を、どう捉えるのか?という事に尽きると思うのです。婚姻関係を結ぶ事に意味を見出す人がいてもいいし、そうでない形に拘りたい人がいてもいい。ただ、本人が望む形が望ましいので、あまり形に拘り続けると、では、単独でいい、という風潮になりかねないと思います。

家族、というモノについて考えてみたい方に、オススメ致します。

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