宇野 千代著 角川文庫
いろんなところでかなりの人数の方々からオススメいただいたにも関わらずなかなか手に取ることが出来なかったんですが、何故か急に読んでみたくなったので読みました。なんとなく手を出してみて一気に読めました。なるほど、というのが最初に浮かんだ感想です。
宇野 千代という稀代の女性の半生記を、徒然なるままに、しかも独特の語り口で書かれたエッセイ風の何かであり、響く人には恐ろしいほどの影響を与えるであろう、およそ女性なら共感するポイント多数という本でした。
とにかく波乱万丈で、しかも非常にポジティブな思考の持ち主であり、開けっ広げで度量が深く、その上著名人たちとの交流(精神的且つ肉体的)、運命の悪戯的な障害の数々・・・面白くないわけないですよね。それを80歳を超えた状態で新聞連載して読ませる、という何処から見ても憧れる女性の生き方指南ともとれる名著ですから、私も男ではありますが楽しく読むことが出来ました。
岩国に生まれ、継母に育てられ、父親は少々型破りで、そしていろいろな男に惹かれ、受け入れられ、文章を紡ぎ、着物をデザインし、時にお金に困らず、急に貧窮したりしながらも、決して暗い面の無い、どこまでも明るく素直で、自分の直感に正直な宇野さんの生涯を、本人の手で場面場面を鮮やかに切りとったエッセイですから、面白くないわけが無いですよね。
底抜けに明るい、しかしかなり厳しい現実にも目を背けない、責任を負う覚悟のある芯の強さのある女性、まさに理想的に考える方が多いのも頷けますし、アランの「幸福論」(の感想はこちら)の体現者とも言えると思います。あくまで個人的な感想ですが、アランの「幸福論」は素晴らしいけれども正直体現出来得る人は限られる非常に高度な思想であると思ってます。正しいかもしれないけど、そう簡単には出来ないと思うのです。しかし、それが出来る宇野さんの凄さが際立ちますし、アランとの関わりまであって凄いと感じさせます。気分を、感情を操る天才、と感じました。
また、どんな話であっても(宇野さんは「泥棒と人殺しのほかは何でもやった」と公言されています)宇野さんの語り口がチャーミングであるからこその軽さがあり、重い話題であっても心躍る話しに聞こえてくる技術があると思います。きっと、これは老境に至った宇野さんが語るからこそのものであったかもしれません。同時代の方々のその当時の声、というものを聞いてみたくもあります、きっと辛辣な言葉もあったことでしょう。
私が特に面白いと感じたのは冒頭80歳を超えた宇野さんが生母に向かって感謝の意を感じるのを描写して使った比喩が心に残りました、何となく経験が私にもあると思うのです。そしてもう1つは梶井基次郎との生前の約束を交わすシーンも響きました。
ただ、考えると気になる事もあります。この宇野さんが女性だから女性の支持があるのは当然だとしても、もし宇野さんが男性だったら、ちょっと考えてしまいます。特に北海道に一緒に移り住んだ方との最後は、男女が逆でなかったとしても、礼儀に反する行為でありましょうし、『夫婦関係があるにも関わらず若い女性に乗り換える男性』という男性にとって都合の良いステレオタイプな人物像を肯定することになるのではないか?と思うのです。もちろん別れることがあって当然でしょうけれど、醒めることがあって当然でしょうけれど、唐突過ぎるように感じました。当たり前ですが、エッセイですから相手の言い分が入り込む余地などありませんし、宇野さんだって相手との事実を語っているだけなのでしょうけれど、私は男なので、つい男性目線になることがあります。ので、やはり女性に向けた女性の為の文章という感じが強いのだとも思いました。非常に気分の変わり目、何かのスイッチの入り方の急激さ、この気分の変動の急激さにびっくりしてしまいます。ここはまさに「アランの哲学は即興である」と「カタストロフィが存在しない」というのは事実でしょうね。
それでも、いかに男性と比べて女性が生きにくいか?ということを炙りだす事にも繋がってると思います。男性はやはりゲタ履かして貰ってるんじゃないか?と。そしてやはり男と女は全然違う生き物なんだ事を認識させられました。
何処となく、ですが長嶋茂雄さんを彷彿させる人物像です、私の印象では。愛されるそそっかしさが、愛嬌があるように感じました。
女性の方に、オススメ致します。
参加し始めて3年目ですが、今年も本番の日が来ました!相変わらず緊張します。
今回はソロでの演奏に加えてアドリブをとる場所が2箇所もあるために、いつも以上に緊張しました・・・リハーサルで一通り演奏するんですが、リハーサルの方が気持ちは楽に吹けますね。
立川8中のOBで構成されている吹奏楽のバンドなんですが、今回は非常に難しい指使いの曲であり、しかも速いパッセージのある「セビリアの理髪師」序曲からのスタートです。譜面を見て貰えば分かりますが、おたまじゃくしが一杯で黒く見えます・・・
それでも、この難曲をある程度満足して終えられたので、少し気分は楽になりました。しかも今回は参加メンバーの中に指揮者である深沢先生の同級生の方々に助っ人にいらしていただきました!かなり心強かったです。8中OBだけでなく、そのメンバーの中のお子様も入っていらっしゃるので、3世代が同居しているバンドということになりますね。改めて凄いバンドだと思いますし、懐の深い素晴らしさだと思いました。
アドリブをとるジャズの「A列車で行こう」はただのアドリブではなくトランペットとの4小節ごとの掛け合いがありまして、トランペットの方は私から見るととても上手な方、果たして上手く掛け合えるのか?とても不安だったのですが、思ったより上手く纏まった(すっごく助けていただきました!)ように感じています、というかあまりに緊張しすぎてもう1度同じアドリブがとれません(笑)アドリブってそういうものだとしても(今回は書き譜さえ無し!)、私には初体験の掛け合い、上手く言えませんが、音楽で会話が出来たような気がして、とても面白かったです!
あと「太陽にほえろ」のテーマもソロとらせて貰ったのですが、もう少し上手く出来たと思ってます。練習あるのみですし、その練習方法をいろいろ教えて頂けるメンバーの方と知り合えて本当に良かった。
なので、打ち上げも、すっごく楽しかったです。次回は夏祭りですから、それに向けてまた頑張りたいです!
みなさんは小学校の頃、どんなクラブに入っていましたか?私は小学校のころ、器楽クラブというクラブに所属していました。クラブの顧問をされていた三浦先生が素晴らしい先生でしたので、楽しい思い出ばかりです。三浦先生は亡くなられてしまって卒業後お会いすることは無かったのですが、それでも時折同クラブのメンバーの同級生で集まっては話しをしたりします。
私たちの学年は卒業して今年はちょうど30年も経ってしまっていることに、今気が付きましたが、数人で集まるだけでもその当時の事を思い出したりするのが不思議です。ちょうどバレンタインデーの翌日に集まったのですが、集まるまで忘れていたのですが、参加メンバーの1人にバレンタインのチョコレートを頂いていた事、思い出したりしました!もちろんクラスの男子みんな同じものをいただいていたのですが(笑)その方はチョコレートの形まで思い出されてくれて、バンドエイドのチョコレート、という話題に花が咲きました。また、案外みなさんご近所にいらっしゃる、というのも意外な事実です。
三浦先生のお話しになると、個人的にいつも思い出すシーンがありまして、それは小学校の卒業式のあと、青空の下、サクラの花びらが風に舞う校庭で、卒業生やその両親、そして先生方が三々五々集まっている卒業式後のよくある晴れ晴れとした中にあるちょっとだけ寂しさを含んだ雰囲気の中で、つまり私が最後に三浦先生とお会いした時の事です。
その頃は何故か手帳に自分宛てのメッセージをクラスメートに書いて貰う、というのが流行してまして、ご多分に漏れず私も友人に書いて貰っていたのですが、ふと、先生にも一言頂きたく、ノートを差し出したときのことです。そのノートは既に紛失してしまい、クラスメートの言葉は忘却の彼方なのですが、最後に書いていただいた先生の言葉だけは非常に鮮明に覚えています。とても短いのですが『音楽を愛し、人を愛し、人生を楽しめ』という小学校6年生の私にはとても難しく感じられる言葉でした。素敵な言葉ですし、小学校卒業の子供にこの言葉を贈る先生は私たちに対等に接してくれていたんだと感じます。
今回は6名での席だったのですが、またいつか同じように集まりたいと思います。今でも楽器を触っている方も私を含めいらっしゃいましたし、お近くで和菓子を作られている方を知れたのも良かったです。吉祥寺図書館のすぐ隣にある「京右近」さん、苺大福がとっても美味しかったです。
ウディ・アレン監督 トライスター・ピクチャーズ
ニューヨークに住む大学教授であるゲイブ(ウディ・アレン)は妻ジュディ(ミア・ファロー)と共通の友人夫婦であるジャック(シドニー・ポラック)とサリー(ジュディ・デイヴィス)を夕食に誘っています。ジャックとサリーがやって来たものの、食事に出かける前に急に「私たちは別れる事にした」と告白します。それによって激しく動揺するジュディ。そんな4人が分析医やインタビュアーに答えるような構成で綴られた映画です。
リアルであることを追求するために、あえて手持ちカメラでのブレやカットを綺麗に繋げないことの違和感を残すという手法を取っているのだと感じました。たしかによりリアルさが増す作り方だと思います。もしかしたら全く違う意図があるのかもしれませんが、私個人にはこの映画の撮り方に作り手のリアル志向を、より『これは映画なんだけれど、映画としてだけ捉えて欲しくない、現実に起こりうる話だよ』という意識を感じさせる作りだと感じました。もっとスマートにも出来るけれど、あえてしないんだよ、という意識のことです。
加えて、役者さん方のキャスティングが凄いです。ウディ・アレンはとりあえず置いておくとして、ジャックを演じるシドニー・ポラックのダメさ加減と身なり、そして見た目が非常にリアリティを感じさせます。この人そのものがこういう人なんじゃないのか?と感じさせるリアリティです、無論演じているんでしょうけれど。しかも妻役のジュディ・デイヴィスのエキセントリックというか神経質さは、人柄という説得力を超える何かを感じさせてくるので、もはや演じているのではないんじゃないか?元々こういう傾向のある人なんじゃないか?あるいは演技が上手いというだけでない何かがあったのではないか?と思わせるに充分でした。本当にキャスティングが見事。
ストーリィは、そんなにウディ・アレン監督作品見ているわけではなく、よく知りもしないのに!というお叱りを受けそうですが、まぁ似たような不条理モノ且つ、諦観を感じさせるに充分なストーリィでして、特に秀逸であるとは感じなかったですが、諦観や不条理を感じさせるのは上手いと思いますし、主人公であるウディ・アレンに共感出来る人ならば、結構なカタルシスもあると思います。
人生、という大きなテーマを、恋愛関係という身近なテーマと絡めることでの世界観をつむぎ出すことに成功している作品だと思います。ウディ・アレンがワンパターンであったとしても、だからこそアレン作品が観たいし好きだという人もたくさんいるわけで、その点で成功しているわけで、素晴らしいと思います。
ウディ・アレンの真骨頂である諦観と不条理に耐える男って影があって素敵、な方にオススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ネタバレありで感想にまとめてみたくなりました。ただし、あくまで個人的な意見です。これだけたくさんの映画を製作し、監督出来ている人に才能やセンスが無いわけないですが、割合失礼な言い方になってしまいますが、私にも好みがあるわけです。
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ウディ・アレンがどのような意図であったのか?は知りようが無いですし(恐らく、直接インタビュー出来たとしても、著作で自らのフィルムを語ったとしても『本当のところ』は吐露しない可能性があるわけです)、受け手である観客が自由に判断し感じることが出来るわけで、製作が終わったところで作者の手を離れ、作品としての評価であるべきだと思います。極悪な犯罪者が描く美しい絵は評価されるべきであって、製作者の人格で作品が判断される必要は無いのではないか?と私は感じているということです。
それなのに、ウディ・アレン監督個人に私はスン・イーさんとミア・ファローのことを知ってしまったので、あまりに衝撃的過ぎて、非常に引いてしまいます。作品と作者の人格は関係ないけど、無理なものは無理、なんですね。衝撃的というか「気持ち悪い」と思ってしまうんです。
私は比較的『諦観』と『不条理』もしくは『理不尽』をアイロニカルに扱った作品に親和性が高いと思います。単純なハッピーエンドでない、その先を見せてくれる作品にシンパシーを感じますし(例えば凄く似ていると感じる「おとなのけんか」ロマン・ポランスキー監督作品【の感想はこちら】は素晴らしいと感じるんです)、好きな映画に「ファーゴ」と「未来世紀ブラジル」と「アメリカン・ビューティー」が入って来るくらいなんですが、しかし、ウディ・アレン監督作品には全然響かないんです。
『なんだかんだ言っても「諦観」というフィルターを通せばかっこよくみえるでしょ?見た目がカッコ悪い私も捨てたモンじゃないんだよ』という自負が感じられるのも不快なんだと思います。ぐるっと1周回ってきたマッチョ志向の裏返しみたいなモノが透けて見えるんです。そのうえゲイブに扮するウディ・アレンがレイン(ジュリエット・ルイス)を諦めることを諦観と感じるか、諦めて1人が1番とか言ってるけど虫が騒ぎだせばまた動き出すならレインが手に負えなかっただけ(自己欺瞞)じゃないか、と感じるかで評価が分かれそうです。
首藤 瓜於著 講談社文庫
読書家の方にオススメしていただいたサスペンス作品です。非常に良く出来た設定だと感じました。手にとって良かったです。
大柄な刑事である茶屋は連続爆弾犯を割り出し、やっとのことでアジトを突き止めます。既に数件の爆破事件を起こしている犯人をこれ以上好きにさせていられない、という強い信念で捜査を続けてきたのです。しかし、単独犯と思われたアジトにはもう1人の男が存在し、仲間割れをしているようで・・・というのが冒頭です。
全くネタバレなしで、事前情報は少なければ少ないほど、面白く読めると思います。ので、内容には触れませんが、プロットは素晴らしく、設定も優れていると感じました。また伏線の回収も見事、そして何より秀逸なのはキャラクターです。これだけ揃っていれば、非常にリーダビリティ高い作品であることはご理解いただけると思います。
アラを探そうとすればある程度あるとは思いますが、それはこの際置いておける、という気持ちにさせてくれるくらい上手いと思います。
正直な感想として言えば、もう少しひねってくれ!という感覚には陥ります。○○に恵まれすぎているということ、そして○○が何故このような意向を持ったのか?が全然分からないので、きっと次回作(があるのか知りませんが・・・)でやりますよ、ということなんでしょうけれど。
思い出されるのは「スメル男」原田 宗典著におけるマキジャク、です。非常に感情がそぎ落とされたキャラクターで似かよっていると思いますが、よりチャーミングに仕上がっていると思います、ストーリィとしても非常に面白い話しだと思います。映画化しないかなぁ・・・知ってる人は少ないかもしれませんが、もし映画化するなら、ずっとこっちの方が面白そうなんだけど、この「脳男」が映画化されたみたいです。で、主役の女性は納得出来るも、男の主役がかっこよすぎる。どう考えても一見普通すぎるくらい普通の特徴が無い男、だからこそ(ネーミングから考えても!)怖いし不穏なのだと思うんですけれど。日本の映画のほとんどが(たぶんテレビも)キャスティングありきで始まってるんだろうですけれど・・・
映画「羊たちの沈黙」ジョナサン・デミ監督作品、およびその原作トマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」、「羊たちの沈黙」、「ハンニバル」、「ハンニバル・ライジング」が好きな方にオススメ致します、スケールはかなり小さいけど、そういう小説です。