井の頭歯科

「死すべき定め 死にゆく人に何ができるか」を読みました

2021年8月24日 (火) 09:42

アトゥール・ガワンデ著   原井宏明訳   みすず書房
以前、読書が趣味、と私にも言えた時期がありまして、その時は本屋さんで、いろいろ新刊やら書籍を眺めていてると、時々、あ、これは読まないといけない、という勘が働いく時がありました。今では全くなくなってしまいましたけれど。やはりある程度頻繁に、私の場合ですと、週に2~3冊くらいの、月に8冊くらい読めていれば、またそういった勘のようなモノが働く事もあるとは思いますけれど、今では趣味は映画くらいしかなくなってしまいましたので、そういう事も無くなったのですが、この本は、その感覚の名残のような何かを感じて手に取りました。そもそも、死という事については非常に興味はあるので。必ず誰にでも訪れる、そして何時なのか分からない不安を含む、無になる瞬間でもあり、その前には恐らく苦痛を味わう、という事もよりネガティブに捉えれると思いますし。でも、その事を考えないで生きているのは私には無理というか、どうしても考えてしまう事なので。
医学の発達により、人の命、生命の終着点とされる死が訪れるまでの時間はかなり長くなりました。およそ100年前であれば、平均寿命(とは言え平均寿命は子供の死亡率にかなり影響を受けますので・・・)40歳代であったのですが、これが今は日本では80歳を超えているわけです。単純に2倍になった、と言えます、数字の上では。
さらに、昔であれば自宅で亡くなられていた方の方が圧倒的多数でしたが、最近までは逆転して病院で亡くなられる方が圧倒的に多くなっていました。最近は在宅で死を迎える動きが出てきています。死を取り巻く環境が変わりつつあるという事です。
それでも、どんな人にも等しく、死は訪れますし、1秒ごとに年を取っているわけです。
そんな現代の医療、特に終末期医療の実態を表したのが本書「死すべき定め」です。著者は外科医であり、終末期の医療に疑問を抱いている医療者の1人です。
例えば、肉親が不治の病(とは言え、誰しもが老いという不治の病に罹患しているとも言えると思うのですが)であった場合に、どんな医療処置を選択肢の中に入れるのか?それを決定するのは患者であったとしても、知識や経験が無い患者にどこまでの決定権が与えられるべきか?そしてその肉親とどのように向き合うべきか?といった様々な事の現状、そして、取り組み方や疑問点について、かなり真摯に、エビデンスと経験に裏打ちされた、また著者自身の父親の場合が取り上げられています。
非常に重い話しではありますが、だからこそ必要な事とも思います。その時に、恐らくどんなに準備や心構えがあったとしても、必ず想定していない事や、想定していたとしても実際に、その場に立たされてみないと分からない事があると思うのです。
避けたい不吉な話題の1つであるとは思いますが、だからこそ前もって、ある程度の情報や考え方について、自分でも、家族でも、考えておいた方が良いと思います。だいたいにおいて、全く考えていない事で上手くいった、という事は少ないと思うのです、私の場合ですが。例えそれが不吉な事であったとしても。そして、科学的じゃない、しきたり、とか慣例とかを排除する事は、程度にも、また文化として、とか個別ケースにもよりますが、重要だと思います。今の現代に、盟神探湯で裁判、したくないですよね?同じように、迷信とされるモノにあまり左右されたくない、という気持ちがあります。
日本医師会が進めているACP(アドバンス・ケア・プランニング)もその1つであると思いますし、とても重要だと思いますけれど、そもそも、終末について考えておく、準備しておく、という事を幼少期から訓練しておくのが、最も効果的だと思います。
この書籍は、終末期医療を考える、という事に置いてきっかけとして、そして塾講するにおいて、とても為になる書籍だと感じました。私は自分の死の迎え方に、既にこうであって欲しい、という理想があります。ありますが、この本を読んでさらに改善すべき点や、自身が意思伝達を出来なくなってしまった場合の処断について、考えるようになりました。
終末期を取り巻く歴史的な系譜、そして米国におけるナーシングホーム、そしてアシステッド・リビング施設という理想と現実、最後の日々を迎える上での優先順位や、医療や介護に携わる側としての聞き取り方、家族に対する責任と関係性、そしてビル・トーマス医師という非常に稀有でパワフルな人物を知れた事も素晴らしかったです。
そしてダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」の中の「ピーク・エンドの法則」を知れた事は、今後の私の日常的な臨床にも役立つと思います。
心に残った文章を少しだけ。
最近亡くなった偉大な哲学者ロナルド・ドゥウォーキンは二つ目のもっと納得の行く自律の概念い気付いた。どのような限界や辛苦にぶつかったとしても、人は自律を保持しようとする――自由である――自分の人生の作者になるためである。これが人間である事の真髄である。ドゥウォーキンが1986年の素晴らしいエッセイに書いたように、「自律の価値は・・・・・・それが生み出す計画の責任にある――自律ゆえに、私たちのそれぞれが明確で連造成のある性格と信念、関心に基づいて自分自身の人生を形作る責任が生じる。自律によって人生に従うのではなく、人生を従えることができ、それゆえ、私たちのそれぞれが、権利の計画によって可能な範囲で、自分が思ったような自分になることができる」。 P136
医師自身が非現実的な見方をしている可能性がある。社会学者のニコラス・クリスタキスによる研究で、五百人弱の末期の患者について、あとどのくらいの余命があるかを主治医に予測させ、実際に経過を確かめた。63%の医師は余命を過剰に見積もっていた。過少に見積もっていたのは17%だけである。余命予測の平均は実際の余命の530%だった。そして医師が患者の事を知れば知るほど、医師の余命予測は外れやすくなった。 P164
1985年、考古学者であり、作家でもあるスティーブン・ジェイ・グールドが素晴らしいエッセイを出した。タイトルは「平均中央値は神のお告げじゃない」である。 中略 「死を甘んじて受け入れる事が、内なる尊厳と等価であるように考える事があるが、ある種の流行になっているように思えます。」1985年のエッセイで彼は書いている。「もちろん伝道の書の教えのごとく、愛する時と死ぬるときがある事に異議を唱えるつもりはなく、実際、混乱の時期が過ぎると私のやり方で、最後の時を穏やかに迎えたいという気持ちも生まれました。しかしながら、やはり死を究極の敵とみなす、より果敢な姿勢をこれからもとりつづけたいと願うとともに、臨終を迎える事に激しく抵抗する人を、責めるべき理由は何もないと思うのです。」 P167
人の死をコントロールできると示唆する見方に対しては私は懐疑的である。今までは本当に死をコントロールした者はいない。人の生の行方を究極的に決定するのは物理学と生物学、偶然である。しかし、私たちに全く希望が無いという訳ではないことも忘れてはならない。勇気とは双方(引用鈴木注 双方とは、老い と 病い)の現実に向き合う強さである。時が経つにつれて人生の幅は狭められていくが、それでも自ら行動し、自分のストーリーを紡ぎ出すスペースは残されている。この事を理解できれば、いくつかはっきりした結論を導き出せる――病者や老人の治療において私たちが犯すもっとも残酷な過ちとは、単なる安全や寿命以上に大切なことが人にはあることを無視してしまうことである――人が自分のストーリーを紡ぐ機会は意味ある人生を続けるために必要不可欠である――誰であっても人生の最終章を書き変えられるチャンスに恵まれるように、今の施設や文化、会話を再構築できる可能性が今の私たちにじゃある。 P243
人の為にも、自分の為にも、読んで良かったといえる良書だと思います。死んでしまうすべての人にオススメ致します。

「命のワンスプーン」を読みました

2021年8月10日 (火) 09:11

瀬田祐平著     彩流社
摂食嚥下について勉強している身として、本当に読んで良かったです。本当にはじっこの方で学んでいますし、学び方もゆっくりなので、とてもまだまだ時間がかかりますけれど。
摂食嚥下障害というのは口から食べる機能の障害のことです。 私たちは普段、意識していませんが、食べ物を目や匂いで認識し、口まで運び、口の中に入れて噛み、ゴックンと飲み込むことで、食物や液体を摂取しています。 これらの動作の1つまたは複数が何らかの原因で正常に機能しなくなった状態を言います。しかもこの障害はまだあまり認識されていない面もありますし、さらには誤嚥性肺炎のリスクとも関連があります。そんな摂食嚥下を扱った小説、です。
あくまで小説ですから、実際とは違うかもしれません。しかし、非常に細かな気付かされる文章を読んでいると、この著者が、とても洞察力があって注意深く、そして患者に寄り添った診療をしている姿が目に浮かびます。そうでないとこの小説は書けなかったと思うのです。
そもそも、歯科がなんで摂食嚥下に関わるのか?とか様々な意見がある事は承知しているつもりです。ですが、実際にその事に気がつけるのは歯科の方が機会が多いのではないか?と思います、歯科は特に食べる目的で機能しているからです。
そして、この本の主題は、恐らく、死生観だと思うのです。


私は今年で51歳になりますが、そろそろ終焉を考えておかないといけない歳になった、という自覚があります。衰えも感じますし、そもそも、な部分もたくさんあります。人生100年時代といえば聞こえは良いと思いますが、健康寿命、医療や介護に依存しないで自分の事が自分で出来る生存期間の事ですけれど、平成22年のデータでちょっと古いですけれど男性は70.42歳、女性は73.62歳です。しかも私は不摂生も多いですし、そんなには生きられない可能性も(可能性で言ったら、明日かも知れませんし、今だとしてもオカシクナイ)あります。



必ず死んでしまう生き物の一員でありますし、最後に対する希望もありますけれど、それは準備しておかないとまず無理な気がします。しかし、なかなか準備は出来ないものです。


そんな中で、この小説では、歯科の人々が、患者さんの生活の中に入り込んで、様々なケースを体験します。出来る事と出来ない事はたくさんありますけれど、出来る事をやる、それも愚直に行う、という姿勢に、感銘受けました。


私にはとても出来ないけれど、見習いたい仕事への姿勢です。



この本を関係者が読むと、まぁ非常に有名な先生ですので、すぐに誰だか分かると思いますけれど、書籍として流通するところまで行って、出版されるってスゴイ事だと思います。私はこの先生の講演を聴くのが大好きです。こういう先生が居てくれてきっと患者さんは満足しているだろうな、と思います。大変失礼な言い方になってしまうかも知れませんけれど、大学病院ではなく一般の普通の開業医さんの目指すべき姿勢ではないか?と思うのです。それを大学病院で貫くのは、非常に、非常に困難な事だと思います。


摂食嚥下を勉強した事がある人、歯医者さん、もしくは死生観について考えてみたい方にオススメ致します。
そして、同じ書籍の話し、として、私の所属する武蔵野市歯科医師会の江澤先生が上梓された災害に関する本「歯科医師のための 災害時マニュアル」が出版されました。おめでとうございます。

私も本当に、少しだけ、関わった書籍です。
お手に取っていただけたら幸いです。Amazonでも購入できます!

https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%AF%E7%A7%91%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%99%82%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E6%B1%9F%E6%BE%A4-%E5%BA%B8%E5%8D%9A/dp/4263422910/ref=rvi_5/356-0235534-2030103?pd_rd_w=VptKR&pf_rd_p=05f9357d-2660-44e0-b122-56aa042de4a7&pf_rd_r=MD5NNS5HKM0JMGJBFTST&pd_rd_r=e6bb4871-da5d-4260-bb60-2af0b63ca76a&pd_rd_wg=w9daS&pd_rd_i=4263422910&psc=1

「一度きりの大泉の話」を読みました

2021年6月4日 (金) 08:53

萩尾望都 著     河出書房新社

漫画家 萩尾望都先生の作品との出会いは個人的には非常に強い思い出になっています。当時は中学1年生、漫画はなかなか買ってもらえないモノの1つでした。神田に住む叔母は大変嬉しい事に、本であればなんでも購入してくれる方です。その叔母と何度も三省堂に行きましたし、かなり高価な書籍も購入してもらいました。しかし、そんな叔母も、漫画は本ではないので買ってあげられない、漫画はダメ、と何度も言われていましたし、私は多分何度もは言われずに、すぐホクホクで高価な本を差し出していましたが、一緒にいる弟たちは漫画を抱えてきては残念な顔をしていた記憶があります。叔母にも反対されていましたし、でもドラえもんの数巻は家にもあったと思いますし、最もたくさんある漫画は学習研究社の『ひみつシリーズ』でした、懐かしい。

そんな私の中学時代の友人宅に遊びに行った時の事です。もちろん、友人宅には、当時の名作、車田正美先生の「リングにかけろ」とか小山ゆう先生の「頑張れ、元気」、ちばあきお先生の「キャプテン」など男の子向けスポーツ漫画がたくさんあったので、とても楽しかったのですが、あまりにたくさんの友人がいた為だったか、貸してしまっていた為もあったと思いますが、あまり数が無かった日がありました。当時は(ええ、多分今もなんでしょうけれど)学内ヒエラルキーの大変低い所に所属していたので、私の分まで読む漫画が何もなかったんですね。その時に目についたのが「ポーの一族」です、なんか女の子が読む漫画なんだろうとは思いましたが(彼のお姉さんのモノでした)、暇だったので、手に取って読み始めたのですが、あまりに、私の漫画という概念が崩されたことに衝撃を受けたし、めちゃくちゃ面白かったのです。何が面白いのか言葉にする事が出来ませんでしたが、とにかく、続きが読みたかった、そして、手に入れたかったのですが、何しろ私は男だけの3兄弟の長男でしたので、どうしても家に置いておけそうもないですし、本屋で購入するのにも、恥ずかしくて出来ませんでしたので、彼の家に行く時だけ、読む事が出来る、非常に貴重な時間で、読み終えた時は大変感動したのを覚えています。

以来、名作と言われる作品を購入できるようになったのは大学になってからでしたが、読み続けてきましたし、全部ではありませんけれど、購入していると思います。そんな萩尾望都先生が1度だけの大泉の話、と言っていて、興味が湧きました。大泉で何があったのか?も知らなかったです。

萩尾望都先生の作品は読んでいましたが、この本の中に出てくるもう1名の主役である竹宮恵子先生の漫画はまだ1作も読んだ事が無いです、24年組というのは知っていますけれど、その中でも山岸涼子先生作品は「日出処の天子」は途中で挫折してしまいましたし、アラベスクとテレプシコーラは読んでますが、熱心に追いかけている漫画家さんでは無かったですので、24年組の中では大島弓子先生の、猫に関する漫画は読んでいるくらいです。特別に、萩尾望都先生に思い入れがあります。SF作品が多いのも、そのせいかも知れません。

そんな萩尾望都先生の、大泉の話しもありますけれど、回顧録のようにも読めます。が、本筋は竹宮恵子先生との確執、というか、もう1名の主役である増山さんの話しのような気さえします。

個人的には、増山さんの資質に、アンビバレンツな素養を感じます。ハイソサエティで、博学、文化全般に視野がある一方、個人的な好みの傾向を、このグループの中で突出していた事で、絶大にふるう事が出来る事での全能感を味わってしまったのではないでしょうか?しかも母親からのピアニストになれ、という嘱望にもプレッシャーがあったと思います。

もちろん、誰が悪い、という話しではないと思いますが、萩尾望都先生が世に出る事になった事全てに感謝の念が沸き起こる感覚がありますね。

萩尾望都先生の回顧録として読めると思います。

何となく、対になる本「少年の名はジルベール」を、読んでみたいような、読まなくてもいいような、不思議な感覚です。大泉の事は、そっとしておきたい気持ちに、今はなっています。

萩尾望都の漫画を読んだ事がある方に、オススメ致します。

「善医の罪」を読みました

2021年5月7日 (金) 09:47

久坂部 羊著   文藝春秋
いわゆる、尊厳死、安楽死問題を小説にして描いた作品です。ACPアドバンス・ケア・プランニングが裏側のテーマとして扱われているので興味を持ったので手に取りました。
ACPの定義は、東京都医師会のHPの文章を見ると、『将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、患者さんを主体に、そのご家族や親しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセスの事』となっています。これに人生会議という意訳をつけているのには、非常に違和感を覚えますし、何らかの欺瞞性も感じますが、仕方ない事なのかも知れません。あくまでプロセスを大事にする事だと思います。
カテーテル医でオランダ国籍の母と日本国籍の父のダブルとして育った娘である白石ルネは、大きな系列病院で働く新人ではありませんが中堅とは言えない医師です。担当患者が救急搬送され、脳死状態に陥ってしまった事から終末医療に関わる事になるのですが・・・というのが冒頭です。
医療者は患者さんの命や健康を守る存在ですし、専門性に優れ、難しい判断を求められる技術者であり、且つ清廉潔白なイメージを求められやすいと思います。生涯をかけて取り組み仕事ですし、なかなかに自分の時間を持てない、とてもやりがいも多いでしょうけれどハードな仕事だと思います。
あくまでフィクションですけれど、かなりきわどい部分について書かれています。
凄く近い作品に『終の信託』という原作がある映画(の感想は こちら )があって、ほぼ、似たような疑問も同じですけれど、より現代的に、そして俯瞰して見せる作品になっていると思います。最後が愛の話しにならない部分が、よりこの本の方に徹底度を感じました。
私は子供の頃から読書が趣味だったので、しかし、そうはいってもそれほどたくさんの本を読んできたわけではありませんが、基本的に小説の扱うジャンルを強引にまとめると、そのほとんどが「死」と「愛」で片づくと思いますし、それくらい魅力のあるテーマだと思います。
ですので、普通に、みんなある程度死を考えた事があると思っているのですが、それほどでもないのかも知れない、と最近は思うようになってきました。みんな凄く忙しいですし、死についてばかり考えても楽しい事には繋がりにくいですから。私は根がネガティブなので、普通に考えてしまいますけれど、どうしても、愚行権や自死を止める、いや論理的に止める理論にまだ納得がいかないのです。
それでも、ACPの重要性は揺るがないと思いますし、結局のところ、不死になる事は出来ないので、それぞれ個々人が、自分の場合を考えておく事は必要だと思います。
安楽死と尊厳死の違いくらいは知っておいた方が良いと思いますし、自己の欲求の為に他者に自殺ほう助の疑いを抱かせるのは、とても傲慢な事だと思います。最近亡くなられた著名な演出家の著作のタイトルには安楽死を認めて欲しいという趣旨の言葉が明記されてあったと記憶していますが、何でもかんでもセリフで説明する事で得られる分かりやすさを善しとする事には、私は傲慢さを感じますし、それよりも受け手に考えさせる事が重要なんじゃないかな、と思う次第です。誰かに、特に命を救う重大で責任の重い仕事に従事されている人間に、自殺ほう助まで取り組ませるのは、私は傲慢だと思います。
そしてこの問題は、恐らく自死をどう扱うか?というとても難しい問題に近づかないといけないので、大変困難な道になると思っています。
もっとACPの理解が進むと滅んでしまう医療サスペンスではありますが、それでも今の現状(と言っても、私は今の医療の現状は知らないわけですけれど・・・)が気になる方にオススメ致します。

「小林秀雄の哲学」を読みました

2020年11月17日 (火) 09:40

高橋昌一郎著       朝日新書

何度も何度も挫折している小林秀雄の著作・・・本当に何度も読んでみようとチャレンジしても、何度となく跳ね返されて、ついに50歳を超えてしまいました・・・それくらい話しが読めない作家として私の中では稀有な存在です。読んでも意味がワカラナイ、という非常に難解で、しかし私の好きな作家や人物が、必ずと言ってよいほど「影響された人、尊敬している人物」に名前を挙げる人が最も多い人、として認識されてきました。結局今まで1冊も理解出来た、とか言わんとしている事の大筋は把握出来た、と言えない、途中で挫折する事多分10回以上の作家・小林秀雄を、大好きな書き手である高橋昌一郎先生が紹介する新書です。この新書でさえ、3回は挫折しています・・・本当に難解でした・・・が、今回は言わんとしている事の外郭は、ほんの少しだけ、出来た気がします。高橋昌一郎先生の大変分かり易い紹介が無かったら、多分一生かかっても読めなかった作家。そして、今後読む事は、まず無い、と理解出来た作家です。

まず、非常に難解に感じるのは、話しが飛びまくるからなんですね。論理的に読もうと、理解しようとすると煙に巻かれる感じがするのです。そして、共感する、小林秀雄になったつもりで理解する事が重要、と高橋昌一郎先生もおっしゃっていますが、それは最も私が嫌う読み方なので、客観性がまるで生まれない読み方なので、全然理解出来なかったのだ、と分かる事が出来ました。簡単に分かるという単語を使ってしまいましたが、その分かる、は今までの全く理解できない、から相対的に考えて、分かるという単語を使おうとするくらいには、分かった、という事なんですけれど・・・

客観性を捨て去り、小林秀雄になりきって読む、私には全然出来ない、読み方ですし、まずしてこなかった読み方です。100%の信頼や憑依を行う事の危うさ、宮台真司先生も言い方は違いますが「感染する(ミーム)」と言う意味で使われていた時もありますが、私には客観性を手放す事、半信半疑の状態以上に憑依するかの如く読むという事が出来ませんでした。

そして私の好きな作家や書き手は、この小林秀雄の憑依する事でしか読めない、というような書き方は全員がしていないのが、非常に特徴的に感じました。ある種の客観性を持たせて表出する、表現しているのですが、小林秀雄は全然違うんだな、と思いました。例えば直観を鍛える、という言葉を、私はまず疑ってしまいます。直観とは何を持って直観と言っているのか?定義は何処までを指すのか?その上でその大変スピリチュアルな直観をどのようにして鍛えるのか?全然意味不明になってしまいますが、そういういっさいをひっくるめて、理解し信じないと読み進める事が出来ないようになっているのが、小林秀雄の文章だと思いますし、批判を受け付けないのが、恐ろしく感じました。反証できないんです、小林秀雄の世界では。反証を許さない世界を客観的に見る事は出来ませんし、信条的に無理と感じました。

それでも、これだけ多数の尊敬すべき人間が小林秀雄の人間性を好み、尊敬し、敬っているのは、小林秀雄の人間の魅力なんだと思います、凄くジャイアニズムに近い感覚で、という事なんですけれど・・・

もの凄く頭のイイ人ですから、私なんかが考える事は馬鹿々々しい事でしょうけれど、大変ストイックな方でもあり、破天荒な部分もあって、無頼な面さえ持ち合わせた青年期の姿、確かに人気があると思います。反証を許さずに、私のいう事は正しい、という信仰にも似た信頼感がある人には大変刺激的な書物。

小林秀雄が右派から人気があるのは、何となく理解出来ました。多分、この人を持ち上げる事で自分の評価を上げる事に使っている人も多いと思いますし。何しろ自分が思った事が全て正しい、という事に直結しやすいし(あくまで、しやすい、という事。そこに反証を挟む事を、粋じゃないとする感覚)、その事への危険性がほぼ皆無でもイイ、という事になりかねない、と思うのです。

有名な戦争への介入についても、反省をしない、もしくはそういう態度を示さない、という1点に於いて、この人の姿勢が、自身の過ちを認めない、という姿勢に見えるのが大問題だと思うし、その点を、潔いとして評価する人の心持ちが理解出来なかったです。『僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか』  という発言が、公になる事を、理解していても、その姿勢を崩さない事を評価、というのが、どうにも飲み込めないんです。 無知である事を肯定するなら、見る事を、生活する事を、どして批判出来よう・・・

およそ独善の人。そして信者からすれば教祖にあたるわけで、それは信者、ですから信仰なので揺らがないですよね・・・

スタイルで言えば、プラグマティズムに近い。そういう意味で同世代とも言えなくない鶴見俊輔の小林秀雄評があれば読んで観たかったです。

私は無神論者なので、そういう意味でも逢わないという事が分かっただけでも、残り少ない時間の中で、もう挑もう、と思わなくなったので、そういう意味でも、著者に感謝致します。

小林秀雄の信者の方に、オススメします。または小林秀雄が全然読めないで困っている人に。

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