井の頭歯科

「お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門」を読みました

2019年7月26日 (金) 09:36

北村 紗衣著     書肆侃侃房

ラジオで知った北村紗衣さん、その独特の喋り方、そして圧倒的な知識量!さらに特異な雰囲気も相まって、大変気になっていました。そんなところに新刊のお知らせがあったので、手に取りました。フェミニストについては全然詳しくなかったんですけれど、これは何か新しい概念を知る事でまた違った見方が出来るようになるヤツだ、と感じております。物事を見る視座の私にとっての新たな視点です。死角は無くならないけれど、それでも多様な見方が出来るようになる楽しみのひとつになると思います、もちろん全くの反対側にもそういう見方の視座があるはずですし、その事も含めて、視座が増えるのは楽しい事です。

批評、について何かで学んだ事はありませんが、私の知識の中だと間違いなく最初に浮かんでくるのは、筒井 康隆著『文学部唯野教授』です。こんなに面白い批評本を読んだ事は無かったですし、批評には数限りなく様々なやり方、スタイル、があろうかと思いますが『知る』というそれだけでも十分面白い事ですし、これに、自分の知って来た様々な事柄があり、そこに新たな何かが繋がる瞬間に、驚くほどの喜びがあったりします。私の場合は、ですけれど。例えば、歴史モノが好きだった人が幕末吉田松陰を調べていて、その少し前の時代も知りたくなって、実は松陰という̪諡は、寛政の三奇人の一人、高山彦九郎の諡である事を、後から知った時の喜びと言えば分かり易く繋がるかも、です。そういった面白さを、さらに批評は教えてくれると思います。

今回扱っている書籍、映画、演劇、の中では私が全然通っていないトピックばかりで、僅かに知っているのはデビッド・フィンチャー監督作品「ファイト・クラブ」、カズオ・イシグロ著「私を離さないで」、ジェーン・オースティン著「高慢と偏見」の3つだけでした。ですので、テクストを味わっていないで批評を聞いているわけで、これはちょっと難しいかも、とも思ったのですが、かなり興味を惹かれる解釈の話しでとても面白かったです。

恥ずかしいのであまりカミングアウトしたくないけれど(と言いつつまぁ言いますけど)、私はヴァージニア・ウルフを読んだ事がありません、そしてエミリー・ブロンテ「嵐が丘」も読んだ事がありません・・・かなり有名作品なので恥ずかしいですが、その辺の知識が全くないのに、北村先生はそういう読者にもある程度配慮しつつ、面白い、ここがヘンだ、という部分を、何故面白いのか?何故ヘンなのか?を教えてくれるのです。

そして、かなり身につまされるのが男性性の話し。しかも北村先生はネット社会やネット用語にも詳しくて、いわゆるひがんでいる男(ネットスラング的には「キモくて金の無いオッサン」の事)をキチンと定義するところから始まります(異性愛者で仕事も私生活もうまくいかず、金銭的に問題を抱えた中年以上の男性、という見事な定義・・・身につまされます・・・)。しかしこの手の人は文学上非常に主人公になりやすいタイプとも言えると私は思います。だいたいにおいて、ハードボイルドの世界は(という事は裏返しのハーレクインロマンスの世界でもきっと)この手の人が主人公ですし。そういう点を指摘してくれて、それも面白おかしくなのが、とても面白いです。中でも「プリンセスは男のロマン!」は目から鱗の批評です、私もすっごくそう思ってました。例えば「ローマの休日」(観た事無いのですが、なんとなく知ってる)の結ばれぬ関係を我慢した(飲み込んだ、受け入れた、しかし希望は残っている と勘違いする余地がある でも感情移入するなら気にならない)オレに陶酔、という事だと思います。これはもちろん女性にもあると思いますけど。でも本当に注意が必要な案件だと思います、他者の目線が入るだけで結構違いますし。

そしてやはりこの本の中でも肝はシェイクスピアだと思います。北村先生はシェイクスピア観劇された人の研究者ですし、今個人的に最も気になる漫画の中のひとつが「7人のシェイクスピア」なので、より面白いと思いました。私はまだシェイクスピアをそれほど読んだ事が無く、しかし、かなり面白そう、と感じています、つまり、古典を楽しむ事が出来るように、やっとなった、という事なんだろうと思います。書籍でも、古典的作品を手に取る事には結構な決断が必要です。映画でも、やっと、その手のオールドムービーの良さが理解出来るようになってきました。で、戯曲でも、少しは理解出来るようになったかな?と思える、かも知れない、と言う程度には、関心あります。

それと、北村先生もおっしゃっているので便乗してしまいますけど、私もあんまりディズニーが好きじゃなくて・・・映画もなんですけれど、なんか、あまり、乗れないんですね。だからあまり作品を観てなくて。もちろんイイ作品もたくさんあると思いますけど。

でも、どうしえも乗れない批評もあって・・・性格批評については、キャラクターへの自己投影、同一化の話しに繋がってしまい、ここはあまり共感出来なかったです。なんとなく、場の形成を意識するあまりに、批判的な言動を避ける形に繋がり易い感じがします。

また、「華麗なるギャツビー」の、バス・ラーマン監督作品は観てないんですけど、ジャック・クレイトン監督作品と、原作既読ですけれど、デイジーは、この物語の中では『華やかで愛くるしく、でも何も考えない流されやすい女』でしかない、と思ってて、ギャツビーからすれば、ミューズなんだろうけど、ニックから見たら、その価値が無い、という所が肝なわけで、そのノスタルジーを含んだまさに叶わぬ夢だからこそのロマンティシズムなんだと思っているので、ここも譲れなかったなぁ。美人でないヒロインに一般女性が共感できる、という話しは、まさに自己陶酔的なナルシズムに直結してて、だからこそ男性にとってのハードボイルド的なものと同じ構造な気がしますけど、これはもう少し考えてみたいテーマですね。

でも、『私を離さないで』批評は、全く気が付かなかった点を鋭く分析されていて、素晴らしかったです。確かに言われて見ると、そうかも!って思います。この視点はまず無かったし自分では考え付きもしなかったです。

新たな視点を、自分の死角(絶対になくならないけど、でも減らしたい)を見てみたい人に、特に男性に、オススメ致します。

「ひらいて」を読みました

2019年7月9日 (火) 08:47

綿矢 りさ著       新潮文庫

映画「勝手にふるえてろ」の原作者、しかもかなり売れている作家さん、という事で手に取りました。基本的には気になった作家さんは処女作を読んで、その後追いかけるのか?を決めるのですが、たまたまその作品が無く、手に取り易かったので。

女子高生の愛はスクールカーストで言えば上の下、もしくは中の上、辺りのごく普通な生徒なのですが、クラスメイトのさえない男子生徒、地味で見た目もそれほどでもなく、しかも友人が少ない、その人が気になって仕方がありません。しかし、その男子生徒は・・・というのが冒頭です。

正直、文体は普通で、とても読みやすいです。主人公・愛のモノローグで進む青春(?)小説です、未だに青春小説というジャンルがあるのであるならば。ですけど。そしてもちろん、これは現代風に仕上がっていると思います、もう若者の感覚が分からない歳になったので、あくまで想像ですけれど。

で、この主人公の愛さんが、特殊。いや、こういう男子なら昔からいましたけど、女子で、というのが特殊。だけれど、こういう特殊さって昔もきっと思うだけなら、いたと思う。そして、その当時だと、そういう女子がいるかも、という部分が思考の枠内、想像の範囲内に無いのが男子の特徴とも言えると思います。それだけ多様性に開かれた社会になったのだとも言える。

が、私はこの愛さん、文庫の後ろの解説でも、宣伝でも、カースト上位という事になってるけど、それってこの子が自分で思ってるだけで、そんなに上位じゃなかったのかも?とも思います。あくまでポジションとしては保持しているのかも知れませんが、モノローグなんで何とも言えない感じがします。

しかし、女性の世界は本当に厳しいし、大変。やはり別の生き物に見えます。確かに繊細で感受性が高いかも知れませんけれど、こじらせてしまえば、より機能不全に陥るのは、と思ってしまいます。

何と言いますか、パンキッシュなんですね・・・

女性の作家さんで言いますと、金井美恵子さん、山崎豊子さん、山田詠美さん、桐野夏生さん、江国香織さん、宮部みゆきさん、角田光代さん、絲山秋子さん、特異な人だと山本文緒さん、辺りを何作か、は読んできましたけど、1番近いのは、山本文緒さんかも、というくらいに異質、私の読書遍歴ですと、ですが。まだ1作しか読んでいないので、何とも言えませんけど。

現代(もう古くなってるかも)青春小説を読んでみたい方に、オススメ致します。

「高橋ヨシキのシネマストリップ 戦慄のディストピア編」を読みました

2019年7月3日 (水) 09:48

高橋 ヨシキ著         スモール出版

NHKラジオで放送されている高橋ヨシキさんの映画レビューに加筆修正されたモノで、さらに、ディストピア映画を集めたものです。ディストピア映画は、ある種の近未来SFとも相まって、個人的に大好物のジャンルです。特に好きな作品というか、観た後に嗜好が変わってしまったとも言えるテリー・ギリアム監督作品『未来世紀ブラジル』です。何度見ているか数えていないくらい見ています。とても後味が、余韻のキツイ作品ではありますが、美術も映像も音楽も大好きで、忘れられない1本の映画です。そして、ディストピア映画は、何かしらの現代の暗喩を含んでいて、さらにその先を魅せてくれる感覚があり、とてもわくわくします。と、同時に、映画が終わった後、びっくりするくらい、映画の中も酷かったけど、現実も同じくらいヒドイな、という気持ちにさせられるのが、2重の意味でショッキングでより深く考えさせられるところが印象に残り易いのだと思います。

冒頭、高橋ヨシキさんは、ディストピア映画は、全員にとってのディストピアではなく、特権階級の少数の人間にとってはユートピアになっている、という説明に、ハッとさせられます。確かにその通りです。大抵は権力者側のごく少数にとってユートピアであり、それ以外の大多数の人にとってディストピアになっている、という点を指摘されるまで気が付かなかったです。さらに、その行為は善意を基に出来ている、という点も見過ごせない点です。特に人間は善なる存在と確信した時に、最も残酷になる事が出来る生き物だと思うのです。

見ていない作品も多かったのですが、何と言っても『1984』の恐ろしさは、ずば抜けています。私は映画版を見ていませんが、書籍で読んでとてつもない小説だったな、と感じました。ここまでの恐怖を感じる事はあまりないと思います(小説「1984」ジョージ・オーウェル著の感想は こちら )。

そして、2019年の現代日本が、非常に1984的なディストピアに近づいていると感じます。

まず基本として、私は日本国籍を持つ日本人です。そして民主主義を掲げているこの日本での最高意思決定機関は国会の場だと思います。ですので、民主主義的な選挙というシステムを経た結果、議員となった人物にはそれ相応の責任も発生します。そして、敬意を払える人物であると仮定しています。その人が議員になるためにはそれ相応の数の人間の支持があったからです。そもそも相手への敬意が無い人物と議論は出来ません。もちろん立法府である国会の決めた事ですから従いますし、また、間違った決定であれば、異論を唱えます。しかし、それは政治家がある程度機能していればこその話しであって、官僚をコントロール出来ていない状況(いや、もっと言うと恣意的にコントロール出来ている状況が)は、かなりマズイと感じます。本当に1984に出てくる真理省じゃないですけれど、政府発表に恣意的なデータ改ざんがある、という事は、既にこれまでの発表の信憑性を、著しく損なっている訳です。今までは無かった、今回の事が唯一の誤りであった事を証明する事は出来ないし、信用が無くなった事を意味します。大変恐ろしい事態です。が、それでも内閣が責任を取らない組織である現在の状況は異常だと感じます。また、本当に、印象でしかありませんけれど、小学校の名前に首相の名前を冠しようとする学校への便宜を計っていた可能性があるなんて、ハッキリ言ってどうかしてます。そういった疑いをかけられる事でさえ、ヒドイと思いますが、その関係性を露わに出来ていない現状、そして学校の関係者との親密な関係を疑わせる写真や夫人との関係や顛末(その後は関係が無かったかのような振る舞い)を見ていると、ディストピアに感じます。と同時に、経済政策だけは支持できていたのに、消費税10%に上げる事態が引き起こす未来に暗澹たる気持ちになります。これも選挙の結果、そして私含む主権者が選んだ結果なんですよね。どんな人物でも(政治家も)完璧な人はいませんから、それぞれの立場の主張を、議論で、取りこぼしの少ない、マイノリティを排除ではなく包括する(同じ国籍を持つ人間)ために、玉虫色の決着があると思うんですけれど、ルサンチマンを溜め込むと無理なんでしょうかね。義憤に駆られた人間がどんなに残酷になれるか?を合わせて想像すると恐ろしくなります。程々を知らないと必ず遺恨を残し、憎悪の連鎖が始まるだけなのに。

閑話休題

取り上げられている作品の中で気になった、まだ観ていない作品は、いわゆる反体制側の人間を狩るマンハントを法治に取り込んだ世界の『懲罰大陸☆USA』ピーター・ワトキンス監督作品、核戦争後の世界で犬と暮らす『少年と犬』L・Q・ジョーンズ監督作品、ルワンダのジェノサイドを描いた『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督作品、黒人と白人をただ単純に入れ替えた世界の異様さをあぶり出す『ジャンクション』デズモンド・ナカノ監督作品、です。

ネットですと顔の見えない関係が成り立つ事で、非常に過激な言葉を使う人が多いですけど、もう少し相手に敬意を持たないと、コミュニケーションが成り立たないと思います。人前で使わない言葉を平気でネットに上げる人も、多分、顔の見える状態ならまず言えないと思います。どれだけ負の感情を溜め込んでいるのだろう?と思うと恐ろしくなりますが、これも、『自分の側に正義がある』と思っているからこその、残虐性の表れだと思います。やはり生きてる人間が1番恐ろしいです。

近未来SF、ディストピア映画に興味のある方にオススメ致します。

「天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成」を読みました

2019年6月28日 (金) 09:15

辻田 真佐憲著     幻冬舎新書

辻田さんは近現代史研究者でありますが、とても楽しく、できるだけフラットに語ってくれる語り口が素晴らしく、それでいて丁寧です。データや参考資料や文献も事細かに記載されていますし、だからこそ原典を当たろうとすると簡単に当たれます。さらに、その資料の成り立ちから、どの程度の信憑性があるのか?または両論併記した方が望ましいものは両論併記で記載されていますし、至れり尽くせりです。それなのに、語り口がさわやかで、イデオロギーを感じさせません。あくまで、事象に対して、の判断の積み重ねた結果の結論はなかなかすさまじい説得力があります。

しかし、私にとって天皇陛下のお言葉を理解するのは、なかなか難しい作業だと思います。何故なら、それぞれが勝手に解釈して『私が天皇陛下のお言葉を最も理解している』として取り入ろうとする人がたくさん居そうだからです。しかも非常に重い使命や責任や文化、そしてある種の幻想さえも背負う、日常が非日常な方のお言葉は、大変重みもありますし、理解しようとするハードルが高い感じがします。また理系の為にいわゆる歴史の知識が乏しい上に、興味がある部分は知っているけれど、それ以外へのヒロガリに欠ける部分が多いので、さらに難しく感じます。その上、明治・大正・昭和・平成と近現代史となると、さらに難しい解釈や取り方が出来るますし、本当の意味で細かな事実さえ知らない部分も多いです。

しかしそんな不安も、最初からほぐしてくれるのが辻田先生です。近現代史に詳しくなくとも、また、ある程度知っている人にとっては、さらに詳しく、様々な事象について解説してくれている上で、陛下のお言葉の意味を考えよう、という書籍です。

明治天皇の、話し言葉では当たり前なのかも知れませんが、京都弁を、文章で読む事で、少し可笑しみが、そして親しみさえ感じられます。また、とても外交に、決して武力を好んで用いようとは思っていなかった部分を知れたのも良かったと思います。たとえ苦難の道だとしても、その苦しみを共に味わう気概の持ち主であった事も、新鮮で懐の広さを感じさせてくれます。何よりも教育問題にこれほどまで心砕いて、西洋一辺倒にならない工夫を、儒教的な側面を残しつつ、良い部分の西洋を取り入れようとした、そのバランス感覚は、素晴らしいと感じました。そして、すっごくお酒が好きな点も、個人的には共感できるところです。そして国家元首としての人物評価の高さ、その深度にも、感服します。

また、非常に人間的な部分、日露戦争時の、あくまで私の意図では無かった、と思えるような宣戦の詔勅の部分や、大津事件におけるニコライ皇太子へのお見舞いの件は、まさに人間的な、と言える様々な感情のゆらぎを感じる事が出来ました。

そして有名な、教育勅語についても、詳しく書かれていたのは、大変面白く読みました。あくまで、天皇と臣民の上下関係であり、天皇陛下自らこれを守るのであって臣民もこれを守って欲しい、という意向のものであった事実は知れて良かったです。補論として、愛国コスプレとしての教育勅語、という短い論があるのですが(P62~65)、この部分は大変切れ味鋭い論評になっていて、全く同感です。中身を知らない(知ろうとしていない)で、とりあえず「教育勅語」を肯定しておく、その事が戦後民主主義の否定=反左翼=保守派である事の信仰告白、という図式は、とても明快です。ぐうの音も出ないほどの正論でした。それをもって愛国コスプレと名指す言葉の選び方も、ウィットが効いていて良かったです。あくまで、保守派でいる事が大事なのであって、保守が何なのか?を突き詰めようという訳では無い輩を見分けるリトマス試験紙のようです。

そんな明治天皇が好んだのが和歌であったのに対して、大正天皇は漢詩を好まれていた、というのも不思議な感じがします。

ご病気のために事実上の在位は10年なのですが、フランス語をある程度話せたり、和歌よりも漢詩をたしなまれた事実も知れて良かったです。漢詩の方がかなり複雑なルールや韻もあって特殊性は高いと思いますが、ご病気になる前はかなり明晰な方であった事が偲ばれます。

そして昭和天皇についての記載が最もボリュームあります、在位も長いので当然だと思いますが。著者の辻田さんの言うリアリストという言葉はとてもしっくりと感じられました。あくまで当時の、リアリストなのですが。

かなり潔癖な態度を取られる1928年の関東軍高級参謀・河本大作による張作霖爆殺事件に対して、軍法会議にかけるとの約束を反故にした当時の内閣総理大臣・田中義一に対しての失跡は、非常に冷静な判断だと思います。しかし、その為に内閣総辞職になってしまうのですが、この辺の政治的な役割と言いますか、大権も、それでも天皇陛下お1人の判断ではなく、側近や元老など様々な人の意見を取り入れての結果なのだと思います。しかし、だとしても、大変大きな権力だと思うのです。

また、昭和天皇陛下の感情が露わになった2.26事件についても、武装蜂起した青年将校を庇う事無く、それよりも、打たれた老臣を気遣うお言葉は、大変重く感じます。あくまで私見ですが、この祭り上げられ、権力者を任命する役割、としての天皇という立ち位置の難しさを感じずにはいられない事件だと思います。

また陸軍への不信感、特に独断専行をする関東軍への不信感は強かったようで、特に、杉山元参謀総長に対して、『汝は志那事変の陸相なり、その時、陸相として「事変は1箇月位にて片づく」と申したことを記憶す。しかるに4箇月の長きに亙り、未だ片づかんではないか』というお言葉は大変最もだと思います。人物評にも長けていて、石原莞爾を『満州事変の張本人』、板垣征四郎を『完全に軍の「ロボット」』、松岡洋右を『ヒトラーに買収されたのではないか』とまで言われています。最も、海軍軍人への言及の少ない本だったので、海軍への評価は不明ですが・・・

そして英米に対する宣戦の詔書に、英国への配慮があった事を知れたのは良かったです。英国にも渡英されているのもありますし、明治天皇も親しくされていたからなのだと思います。さらに終戦(と言いますか、敗戦ですよね)に至るまでの、三種の神器の取り扱いや、ご聖断の苦しみを考えると、当時の昭和天皇陛下のご年齢は僅か43歳・・・あまりに重い責任だと感じます。

明治天皇は大変お酒を好まれたのに対して、昭和天皇はお酒にトラウマまであって、ほとんど飲まれなかったのも、意外な感じがします。

そして、戦後に入って、「勅語」という言葉は「お言葉」に改められるのですが、そのお言葉には、本当に様々なモノがあって、やはり生きていらっしゃる人間なんだな、と強く感じました。特に、私が微笑ましいと感じたのは、テレビ小説「さかなちゃん」の録画を侍従に頼まれる事です。また、靖国参拝についての言及があった事、事にA級戦犯合祀が御意に召さず、とされているのも知れて良かったです。

続いて平成の時代。平成天皇の、即位にあたって「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇の務めを果たしたいと思っております。国民の幸福を念じられた昭和天皇を始めとする古くからの天皇のことに思いを致すとともに、現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたいと思っております。」という言葉の重み、そして、その事を実現するに至る、『旅』される公務の数々を見るにあたり、本当に、象徴としての天皇とはどういうことか?を考え抜いたのだな、と思います。本当に大変な重責を担わなければならない存在であるのだ、と認識を新たにしました。

日韓ワールドカップ共催におけるご発言の、続日本書紀における皇室の韓国とのゆかりをご紹介する懐の深さ、東京都教育委員米永邦雄への強制になるということではないことが望ましい、とのご発言にも、優しさが溢れていると思います。そして、何度も繰り返される『先の大戦(中には『満州事変に始まるこの戦争』という明記もある)に対する深い反省』というお言葉、この言葉の重みにも思いを馳せる事になります。

最後に、ビデオメッセージ。このとてつもなく幾重にも意味の含まれたメッセージを読み解くのに、今までの天皇陛下のお言葉、それも明治から大正、昭和、平成、とみてきたからこそ、の読み解きはスリリングでさえありました。象徴的行為と国事行為、中でも象徴としての『祈り』と『旅』についての言及は、様々な発言を見てきたからこその、重みを感じました。天皇は高齢化する、という避けられない事態をどのようにするのか?についての強いメッセージだと思います。しかも、この内容を有識者会議で批判された事についてのお言葉もあり、やはり大変重いと思います。

読後、最初に思った事は、このような重責を1人の人間に任せる事で成り立つ社会のままで良いのか?という疑問でした。もちろん尊い存在ですし、極端な廃止論ではなく、負担の軽減、あるいは役目の分担、という事です。しかも現状、大変厳しい状況に置かれていると思います。男系男子に限る方の意見も聞いてみないとよくわからないのですが、このまま男系男子にこだわると、繋いでいけない事態になりかねないと思いますし。

とにかく、大変スリリングで面白い本でした。天皇陛下のお言葉が気になる方に、近現代史の天皇陛下のお言葉で振り返る事に興味のある方に、オススメ致します。

「家族終了」を読みました

2019年6月7日 (金) 09:18

酒井 順子著         集英社

アメリカ映画でも、日本映画でも、最上級に善き事とされている『家族』について、『負け犬の遠吠え』の著者酒井順子さんが綴ったエッセイです。いつものごとく、大変面白かったです。

かなりショッキングな内容でした。まずとても驚いたのが、昭和28年(1954年)の平均世帯人員は5.0人、まだ3世代家族も普通にあり得た時代です。が、平成28年(2016年)の平均世帯人員は2.47人・・・なかなか衝撃の数字です。前年の2015年の『単独世帯』の全体に占める割合は34.5%で、これは『夫婦』や『夫婦+子供』世帯の割合よりも大きい、というか最も多い割合なのです。

つまり、2015年の国民生活基礎調査、つまり厚生労働省の調査なので、どこまで信用して良いのか問題もありますし、そもそも調査なので誤差もあるとは思いますが、大胆に言い換えると、

『日本で最も多い家族形態は、1名』

と言えてしまいます。

私は結構衝撃的でした。よく調べると、1番新しい国民生活基礎調査ではこんな感じです。

平成29年度調査

単独世帯           27.0%

夫婦のみ世帯のみ       24.0%

夫婦と未婚の子世帯のみ    29.5%

ひとり親と未婚の子世帯のみ    7.2%

3世代世帯             5.8%

その他の世帯          6.5%

という事になっています。

(厚生労働省HP 国民生活基礎調査 平成29年度 国民生活基礎調査の概要より https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa17/index.html

1位ではなくなっているとはいえ、やはり単独の世帯は27%を占めているわけです。

家族、を辞書で調べてみると(本当は新解さんこと「新明解国語辞典」で調べたかったのですが、今手元に無いので広辞苑より)、『夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。社会構成の基本単位。』という事になっています。ですが、このまま少子高齢化が進むと、恐らく、社会構成の基本単位、という定義部分は変更せざるを得なくなるのではないか?と思います、何しろ1/3が単身世帯になるのですから・・・

著者の酒井さんも指摘されていますけれど{家族」という形態が変わりつつある、という事だと思います。例に出されているのが、サザエ+フク田家と、ちびまる子ちゃん家族です。どちらも3世帯家族で構成されていますけれど、実は1割に満たない家族形態、と言えるわけです。

では、なんで?核家族化が進んだのか?と考えると、どう考えても、便利になったから(コンビニとか)、そしてわがままになったから、だと思います。家族という軋轢もある集団を組まなくても生きていける世界になったからこそ、家族というか、もっと言うと婚姻関係の意味を見出すのが難しくなったからだと思います。嫁姑問題もそうですけれど。

私は嫁姑問題は運動部の部活での意味のないシゴキ問題と似ていると思うんですね。怪我の可能性のある、大変厳しい練習を潜り抜けたからこそ、同期の結束が強くなった、と感じている人は多いです、そのシゴキを受ける当事者の時は、無意味で危険と怒っていたにも拘らず、自分が指導する側に回ると、喜んで同じことをしてしまうんですね。男性は嫁姑問題に関係ない、と思いがちですけれど、さざえさんにおけるフク田マスオさんの立場になってみれば結構大変だという事が(それでも婿養子ではない)理解できると思います。磯野家におけるプライベートスペースは、ほとんどないんじゃないでしょうか?

少し前に、自民党所属の議員が子供の数について言及して、問題発言になっていましたけれど、昔の感覚、しかも井戸端会議的なモノであれば、そう騒ぐ問題ではなかったかも知れませんけれど、衆院議員の発言としては、基本的にアウトだと思います。というか国家が個人に対して、何人の子を産め、というのは無理な注文です。国家を構成するのが個人なのでどちらが主体であるか?は明確だと思います、個人的には。もちろん違う考え方の人もいると思いますけれど、どのように考えるのか?の自由も保証されているし、人生の選択は個人の自由であると思います。もし日本が子育てしやすい国であるなら、少子化になってないはずで、何処かに(贅沢だ、という人もいるかも知れませんけれど、結果として同じ)問題があると思います。

子供を産む前に結婚しなければならないとなると、まずその結婚が難しいと思います。誰の例えか失念してしまいましたが『車や冷蔵庫を購入するのと違って、簡単に変える事が出来ないから』というのは、とても個人的には納得してしまいます。誰だって失敗したくないし、失敗例の方が成功例を上回るほど、語られる場面も多い上に、成功例として多いのがたいていドラマや映画などのフィクションであるように感じてしまいます。

家族の形態、それは徐々に変わっていくものだと思います。今も、昔も、未来も、ずっと過渡期なんだと思います。戦後に3世代家族を止め、核家族化が普及したように。

テクノロジーが進化すれば、当然、生活が変わるわけで、知ってしまった利便性を無い事にするのは大変難しい事だと思います。恐らく、昔ながらの家族形態を維持するのが難しくなっているので、制度を変えていくしかないと思います。というか、個人が婚姻関係という制度を、どう捉えるのか?という事に尽きると思うのです。婚姻関係を結ぶ事に意味を見出す人がいてもいいし、そうでない形に拘りたい人がいてもいい。ただ、本人が望む形が望ましいので、あまり形に拘り続けると、では、単独でいい、という風潮になりかねないと思います。

家族、というモノについて考えてみたい方に、オススメ致します。

ブログカレンダー
2019年11月
« 10月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
ブログページトップへ
地図
ケータイサイト
井の頭歯科ドクターブログ