井の頭歯科

「古代マケドニア全史 フィリッポスとアレクサンドロスの王国」を読みました

2025年4月23日 (水) 09:08
澤田典子著     講談社選書メチエ
漫画「ヒストリエ」岩明均先生で知ったマケドニア。もちろんアレクサンドロスⅢ世、いわゆる大王についてはある程度の知識がありましたけれど、やはり主人公エウメネスよりも、そしてアレクサンドロスⅢ世よりも、強く、フィリッポスⅡ世に惹かれます。
「ヒストリエ」の連載が始まった当初から、本屋さんで出来る限りアレクサンドロスⅢ世の書籍は読んでいますが、それでもあくまで一般書。学術文献はなかなか手が出ない金額ですし、そもそも本屋さんに売ってない。図書館でも調べてみましたけれど、アレクサンドロスⅢ世はそこそこの書籍量があるのに際して、フィリッポスⅡ世の日本語資料の少なさ・・・とはいえ紀元前330年ごろの出来事で、遠いギリシア世界の話しなんで、仕方ないのかも知れませんが、偉業を成し遂げたアレクサンドロスⅢ世は確かにスゴイのですけれど、ある種無鉄砲で天才かも知れませんがとても欠点のある人物。運にも恵まれていますけれど、自分、の事ばかりで事業継承とかに全く無頓着。あくまで自分がいかに偉大な存在であるか?にしか興味が無い。
そしてフィリッポスⅡ世の偉業が無ければアレクサンドロスⅢ世の偉業はまず、無かったと思うので、もっとフィリッポスⅡ世は評価されるべき歴史上の人物だと思います。
そんな2名の偉業を成した人物の故国、マケドニア。その、フィリッポスⅡ世からアレクサンドロスⅢ世以前の古代マケドニア史を学べる、しかも最新の学術資料を基に全史を学べる書籍、当たり前ですが、知らない事たくさんあって大変刺激的な書籍でした。
もちろん講談社もかなり力を入れているのが分かりますし、帯もその気合を感じさせます。
まず、フィリッポスⅡ世に至るまでの遡った古代マケドニア史について、かなり克明に、分かる範囲で、言及されています。ある種伝説のような神話のような、もしくはのちの時代のプロパガンダ的な仕掛けの可能性、民をまとめあげる側面の効果の期待もありえるのですが、現在分かっている論争や可能性を、可能性や論争がある事を込みで両論併記されつつ、最後に著者の意見が出るのは本当に読みやすかったです。
かなり詳しく資料の残っている部分、またはアレクサンドロスⅢ世の偉業があったからこその後の紀元0年代のローマ資料、または、そして最も重要な、ギリシア世界から見たマケドニアの資料をあたるという事は、ギリシア世界観からの視点なので、だとすると、という部分に触れていたのも、大変理解しやすく面白かったです。
だからこそ、資料に基づき、アレクサンドロスⅢ世の偉業や伝説というアレクサンドロスⅢ世の広まった世界で、少し前からフィリッポスⅡ世の再評価が始まったというのは理解出来ますし、だからこそ、フィリッポスⅡ世が行った様々な改革が、本当に彼の手で行われたのか?という疑問の差し込み、そしてその解釈は、大変有意義で、私には盲点でした。
ただ、資料を基に、フィリッポスⅡ世が考案者か不明ではあるものの、例えばファランクスの運用についても、疑義が持たれるのも理解しましたが、運用という意味でやはりフィリッポスⅡ世の偉業にふさわしいのではないか?とも感じました。私がフィリッポスⅡ世が好きだからの部分はあるにしても、です。
そしてもう少し、マケドニアの資料が残ってたらなぁ、と思わずにはいられません。デモステネスのギリシア側からの視点の資料だけでは不十分だと思いますし、でも無いし量は無いんですよね・・・
歴史のこの埋められない部分に想像を羽ばたかせるの、とても楽しいですけれど、絶対に、こうであった、という確定には至らないもどかしさ込みで興味深いです。
マケドニア、いつか訪れてみたいけれど、その為にはまずパスポートが必要ですし、その前にルクセンブルクに寄らなければならないんですよね、私。

「敵」を読みました

2025年3月21日 (金) 08:55
筒井康隆著     新潮社文庫
吉田大八監督映画「敵」を観たのですが、なかなか面白い老人文学と思い、さらに師匠にもオススメして頂いたので。
何と言いますか、映画を先に観ているので、映画のキャストで脳内再生してしまいます。
ですが、凄く独白日記文学作品になっています。好きな分野です。
これ、初版が1998年で、筒井先生は昭和9年1934年生まれだから64歳の時に、渡辺儀助75歳を描いているわけで、10歳以上感覚の先取りをしている事になります。うん私も現在54歳今年のうちに55歳になるわけだけれど、気分はもう65くらいの感覚です。
ところが、私の想う老人の、最も良いイメージってまぁ荷風先生なんですよね・・・独居老人最高、文化的享受があって初めて成り立つ生活に憧れている訳ですけれど、それも「断腸亭日常」があまりに面白いからなんですけれど、にしても、ちょっとなぁ、という部分もあるんですよね・・・
で、そういう部分を包み隠さず、何しろ日記文学のようなモノなので、老人の独白ですから、どうしても心情の吐露になりますし、そこに他者の目が入らないので、何処までが現実で、何処からが妄想なのか?非常に曖昧模糊としていきますし、そうしようとしている。
この辺で当て字の効果がじわりと効いてきていて、筒井文学を読んでいる、という感覚になります。
ただつい、長塚京三さんでイメージしてしまうから映画的なので、自分で想像すると、まぁ老人て、疲れていて、運動機能が失われ、感覚器官の衰えがあり、認識機能の失調をきたし、感情失禁を起こしやすくなるのわけですから、誰もそんな状況になりたくない、とは思うけれど自然の摂理だし、受け入れていく姿勢が必要でもあります。そんな事は誰に言われなくても理解しているのですが、いざ自分が、となると、またいろいろな感覚や感情が萌芽すると思います。
それでも、昔の感覚であれば、論語でも、七十にして心の欲する所に従えど矩を超えず、と言われてて、まぁそうなるんだろうなと思っていましたけれど、その域に達するのは不断な努力の結果であって、一般人でさえ難しいのにホモサピエンスの中でも能力の低いダメサピエンスの私では到底無理な話しだったわけです。
しかし筒井先生の創造した渡辺儀助の面白い所は、不定形だけれど、やたらと自分に厳しいところと、凄くヌルいところが混在していて、そこに味があると思います。
そしてジャズ大名の原作者でもあり、オール・ザット・ジャズ観ないとなぁ~と思いました。
老人になるすべての人にオススメします。
でも共通点もあった。

「テオ もう一人のゴッホ」を読みました

2025年2月18日 (火) 09:46
マリー=アンジェリック・オザンヌ、フレデリック・ド・ジョード著
伊勢英子、伊勢京子訳     平凡社
2021年の都美のヘレーネとフィンセントを観に行った時に、初めて、ゴッホの絵が面白いと感じました。実物を観たのは初めてでは無かったのですが「山田五郎オトナの教養講座」とか「コテンラジオ ゴッホ編」などを聞いていたからかもしれません。またその時以来ゴッホについても気になっていて、昨年は「ゴッホの手紙」も読んでのですが、どうやら私がゴッホの事で気になっているのはテオの事なのだと理解出来ました。
恐らくは何かしらの障害があったかも知れないゴッホを支え、ほぼ唯一の理解者でもあり、仕送りという生殺与奪の権利もあり、画商として働いてゴッホのすべて(生活や画家活動)を支えたテオの事が気になったわけです。もちろんゴッホの事も、テオという存在の兄としては興味があります。
そこで「ゴッホの手紙」を読んではみたものの、あくまでゴッホの手紙な訳です。ゴッホが書いたテオ、もしくはベルナールへのやり取りは残っていて、1次資料として、ゴッホの製作、その過程、モチーフや動機、オランダからパリ(と言っても、この一緒に住んだ時期は手紙でのやりとりの必要が無いので)、アルルでゴーギャンを待ち、2か月後のクリスマスの事件を経て、サン=レミ、そしてオーヴェル=シュル=オワーズ、その生活や考えの軌跡を追う事が出来る素晴らしい資料ですし、読み物。
しかし、これも、テオが兄ゴッホの手紙を散逸せずに取っておいたから、であって、ゴッホに宛てたテオの手紙は、ほとんど残っていないようです・・・この辺、手紙というプライバシーの問題や、残された家族の思惑と言いますか、表に出したくないという意向は重要視されて良いのですが、とにかく、私にとって肝心のテオの手紙は全然読めなかったので、余計に残念な気持ちになりました。
なんかこれ、ベートーベンの会話帳(難聴に悩まされていたベートーベンは会話帳なる記録があり、対話者は声では聞こえにくい為に会話帳に文章で聞きたい事を書き、ベートーベンはそれに対して口頭で答えた為に、誰が何の質問をしているか?は比較的辿れるのではあるが、何と答えたか?が不明な事が多い)のような事になっている訳です。だから、テオの肉声が、妹や母、その他の人に宛てた手紙が残っているのに対して、肝心のゴッホに宛てた手紙が凄く少ないしあっても未公開のようです。
天才というのは理解されにくいですし、死後にこそ、評価が時代が追い付くので、仕方ない部分もあります。そして特に、ゴッホは絵だけでなく、この手紙と一緒に広まったわけで、その点も理解はしていますけれど、こういう事が理解出来れば出来るほど、私の関心は基本的にテオに向けられえいる事を自覚します。
そのテオいついて考察された書籍が本書です。
かなり綿密な調査と出典にも細かな詳細が載せてあり(私が英語が読めたら)フィンセント・ファン・ゴッホ美術館には、未公開の手紙がいろいろあるみたいですが、残念ながらオランダは遠いですし、流石に見れないですね。
しかし、この本でかなりテオという人が理解出来ましたし、このような書籍が出て翻訳されているという事は、世の中にはやはりテオが気になる人はいるのが分かって良かったです。
フィンセント・ゴッホという、その時代には全く評価されなかった、表現としては異論はあるのですが、天才、あるいは狂気の人、という人物よりも、支えて理解者であるテオの心理について興味がありました。
かなりメランコリックな状況や心理が続いて、生活のほぼ半分を兄に仕送りしていて、そしてゴッホの死後のわずか半年後に、同じく亡くなってしまったテオ。
心の中まではワカラナイのですが、今はテオという稀有で有能な人物についてある程度知れた事で納得はしました。その二面性にも納得。
コテンラジオでも2人1組で紹介されていましたけれど、そしてゴッホの絵の特異性は理解しつつも、生活に支障というか問題のある身内を、無条件どころか自分の半分を分け与えたテオの稀有さについては、もう少し知られても良いと思います。私はゴッホよりもテオが気になってしまいます。
テオという稀有な人物に興味のある方にオススメ致します。

「極夜の灰」を読みました

2024年12月14日 (土) 09:25

 

サイモン・モックラー著   冨田ひろみ訳   東京創元社文庫
小島秀夫さんがラジオでオススメしていたのですが、そのオススメの仕方が大変に興味をそそり、手に取りました。
私の感想よりも小島秀夫監督のオススメを聞けばそれで良いのですが、私の備忘録なので・・・
1967年12月。アメリカCIAの陸軍病院で精神科医のジャックは頭と手を包帯で包まれた男と話をする事になります。ジャックはCIAの職員ではありませんが、CIAに勤める旧友から、時々このような仕事を任されています。しかし今回はなかなか変わった事件で・・・というのが冒頭です。
ミステリであり、どちらかと言えばハードボイルドなジャンルに分類されてもイイと思います。
アメリカ軍が秘密裏に、グリーンランドにとある施設を建設。その施設そのものは放棄する事になったのですが、その際3名の隊員が残されてしまい、救出に向かうと、完全に形を残さない程の焼死体というよりも歯と骨の塊の遺体、そして原型を留めている焼死体、そして手と顔面に重度の熱傷を負った男1名だけが救出されます。しかしこの男は記憶喪失になっていたために、精神科医ジャックが呼ばれたわけです。
この段階でかなりの謎が散りばめられています。一体何のための施設だったのか?何故3名が取り残されたのか?そして火災の原因は?何故焼死体の程度がこれほど違うのか?男が記憶喪失になったのは何故か?
この謎を解いていくわけですが、非常にリーダビリティが高く、ハードボイルド風味に仕上がっていて、謎解きのカタルシスも素晴らしく、帯のうたい文句のとおり、「真相の『その先』に、また驚く!」とありますが、本当にその通りでした。
映画化されそう!そして、凄くメタルギアソリッド的な話し。小島監督がオススメするのも納得です。
ネタバレにもならないのですけれど・・・私、この小説の登場人物の中でも特に家から連れ出された人が、かわいそう過ぎる・・・

「A子さんの恋人」を読みました

2024年9月10日 (火) 09:14
近藤聡乃著     KADOKAWAコミック
ラジオでオススメされていたので手に取りました。私は昔阿佐ヶ谷在住だったので、より親近感を持ちましたし、中央線の中で住みたい街では個人的№1です。
新しい少女漫画だと思いました。
少女漫画に詳しくないのですが『普通の少女が、自分でも自覚していない魅力を、複数のタイプの違う異性に見いだされる。ときめきが大切』な話しと認識しています。最近はBLという分野もありますし、異性とは限らない世界に突入している感もあります。
これが少年漫画だと、めちゃ単純に『努力、友情、勝利』なわけです。最も、少女漫画の対象年齢、少年漫画愛好家の年齢など、どんどんカテゴライズする意味は失われてきていますけれど。
で、その新しいタイプなんだと思いました。29歳の女性を少女と呼ぶのか?という問題もあるかと思いますが、それを言ったらどんなに年齢を重ねたおじいさんでも少年の心があるように、女性にも少女玉のような少女性の凝縮された何かがあると思います。少女玉っていう表現始めたの誰でしたっけ?森茉莉でしたっけ?佐野洋子でしたっけ?玉も魂だったかもですけれど。まぁ男性は年齢を重ねたからと言って成熟するか?の確率はとても低くて、それだけ馬鹿でいられる社会なんですけれど、女性は多分そうはいかない社会なので、今も変わりつつあるけれど、まだ全然でしょうし、出来れば男性も成長しないとイタイ目に会うように成熟して欲しいとは思います。
A子さんには日本には縁の切れなかった懐に入るのが上手いA太郎がいて、アメリカには懐が深いA君がいる状態で、これは自主的に選ぶのであれば答えは決まっているのでしょうけれど、そこをディティールで補強してどちらに転ぶかワカラナイ状況にするところが上手いです。絵は高野文子先生の「るきさん」を考えていただければ間違いないです。
周囲の人間も、硬めのK子さん、やわめのU子さん、典型的なよくいるI子さん、とキャラクターがいろいろ分かれていて面白いです。
しかもセリフもかなり洗練されています。地域的に、阿佐ヶ谷、千駄木、谷中、上野辺りに興味や住まいがあった方に、オススメします。
ブログカレンダー
2025年5月
« 4月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
アーカイブ
ブログページトップへ
地図
ケータイサイト
井の頭歯科ドクターブログ