井の頭歯科

「殺人狂時代」を観ました

2023年3月31日 (金) 09:29

 

 

チャールズ・チャップリン監督   ユナイテッド・アーティスツ   吉祥寺アップリンク

フォーエバー・チャップリン

多少は観ているチャップリンの作品で観たつもりになってたのがこの作品です。でも、多分初めて鑑賞しましたし、映画館でチャップリンの作品が上映しているの、とてもうれしいです。正直、全然古さを感じなかったです。

1930年代(1929年の世界大恐慌は始まっていて、1939年の第2次世界大戦は始まっていない)のフランスの田舎街のある家族の食後風景から始まります。そこでは失踪したかのような姉の存在に話題が集中して・・・というのが冒頭です。

これまで、好みのチャップリンの作品と言えば、昔の記憶ですけれど、やはり「街の灯」が最も好きで、次いで「独裁者」だったのですが、今この作品を観て、その評価が変わりました。

本当に素晴らしい作品。

とにかく、キャスティングが最高に素晴らしく、トーキー映画に進出したチャップリンが職業的殺人者、という役を演じているのですが、この今までのイメージとの落差が恐ろしいまでに大きいですよね。

それでも、有名なセリフである「戦争や紛争は全てビジネス。1人の殺害者は犯罪者を生み、100万の殺害者は英雄を生む。数が行為を神聖化する」は鋭い指摘過ぎて、2022年に起こった悲劇で今も続いているウクライナの状況を見ても納得しかないです。

このはたから見ればただの犯罪者ですし、何人もの人を、己の欲望の為に殺人をしている人物が、コミカルな笑いを誘う演技を観ていて、笑ってしまうと同時に、生活の為の彼の中に存在する、ある種の合理性と矜持を考えて、ただの生活者に見えるのに、冷徹な殺人者というのが、考えさせられる仕組みになっていて、素晴らしい。

特に演出上必要が無いと考えたからこそ、直接的な描写は、ある刑事の時だけですし、しかも寝ているように見えるわけです。

だから心の底から映画を観ていても笑えるのに、ラストとの対比、そしてこの非常に不条理で個人のチカラではどうにもならない『世界』を生き残る為に、手を汚すアンリ・ヴェルドゥ(=チャップリン)の事を簡単に非難出来ないように仕上がっていると思います。特にある女との邂逅に、芥川龍之介著の「蜘蛛の糸」のカンダタの善行を観るからだと思います。

この女性の眼差しの強さと存在感、ちょっと普通の人に出来るわけがない、相当な女優さんだと思い、調べてみると、マリリン・ナッシュという女性で、しかもチャップリンがスカウトしています・・・キャスティングについても恐ろしい腕前を持っていたのだと思うと、本当に凄い人だな、と思います。

世界(多分、いやなんだけど、うちの国で言うなら世間。この差が大きい。)との軋轢の中で個人を生きる事の難しさ、その苦難を知りつつ、それでも全力で家族の為に、手を汚し、しかしその被害者からは、一様に、ある種愛され、ある意味生涯を共にしようとまで思わせている訳で、恐らく、死人に口なしでしょうけれど、対象者の女性たちはみんな、ある程度納得もしていたし、構って貰えて幸せな瞬間を味わったんじゃないか?とすら思わされました、もちろんだからと言って被害者が良かったとは言えないのですが。そう思わせるのに、花屋の女性を使うのも、上手い。あの女性は、ある種ほだされてると思います、ターゲットですらないのですけれど。

世界恐慌と世界大戦という非常に暗く重く厳しく辛い現実に抗った人間の生き方、その最後のけじめのつけ方には、迷路のような偶然すら必要とする旅路の果てにしか見られない境地を描き出されているような気さえしました。

世界に抗う個人と言う意味では、増村保造監督はこの映画をどう見たのか?評伝でもいいから読んでみたいし、増村監督であれば、マリリン・ナッシュを主人公に、続編の映画を作ってても不思議じゃない作品だと思います。

もし現代であれば、マリリン・ナッシュ演じる女は、軍事産業の妻ではなく、自ら軍事産業を興した起業家になってたのではないか?そうすると、また違った味わいがある気もします。しかし、美しい。

大声で笑う船長だと思いこまされてる女性のキャスティングは本当にぴったりですし、最初に登場する一家の、何と言いますか、山田太一ドラマを見ているかのような既視感とか、小船のドリフのようなコント、パリの街並みに帰る度にかかる音楽の洒脱さ、まるでモンティ・パイソンのスケッチのような理不尽とかの全てが、チャップリンが先なんですよね。

チャップリンが好きな方に、映画が好きな方にオススメ致します。

「グレイテスト・ショーマン」を観ました

2023年3月28日 (火) 09:48

 

マイケル・グレイシー監督     20世紀フォックス

 

ミュージカルの面白さがすんなり入れる人、突然人が歌い踊り出す事に抵抗感の無い人、というのは、多分幼少期にミュージカルの舞台を観た事があるのではないか?という仮説が、私にはあります。男子は特に、そういう舞台を経験したり、観たりすることが、昭和に幼少期を過ごした男性であるなら、特に少ないと思います。だから、比較的、ミュージカルという世界に入り込みにくい。

逆に言うと、女性にとってはなじみがありやすい世界だと思うのです、だって、演じる、という要素にも当然馴染み(ママゴトとか。男児のヒーローごっこは演じているのではなく、なりきっているのです、そこに自分はいない)がありますし、おそらく、感情的に、直観的に、出来ているんだと思うんです(←はい、また世界の半分くらいを敵に回したと思いますが、あくまで傾向の話しをしています、しかも私の実感、私調べの話しです、世界の不文律の話しでは無いです)。

もちろん私は昭和に男児を過ごした経験者なので、ミュージカルになじみが無い。しかし、レミゼという古典名作に非常に強い思い入れがあり、そして、ミュージカル映画としても傑作だったトム・フーバー監督「レ・ミゼラブル」は別格に大好きな作品ですし、サントラも購入しています。

しかし、この別格に好きなレミゼ以外になかなか好きなミュージカルと言える作品が無い。もし、ジョン・ランディス監督作品「ブルース・ブラザーズ」をミュージカル映画として良いのであれば、レミゼよりも上に行ってしまう傑作ですけれど、この作品はミュージカルと言えそうで言えないと思います。歌で説明もしますけれど、割合、常識的に、歌を歌う、踊りを踊る事に必然があります。ミュージカルを私が観る限り、割合唐突に心情を歌い出す、という場面があるのがミュージカルな気がします。

この唐突に歌い出す、に違和感を感じないくらい、その世界にのめり込めるか?が肝なきがします。心情を、情動を、歌に込める、という感覚が生もの感があり、とても感覚的。そこが、良い、悪いに拍車をかけて好き嫌いが分かれるような気がします。生々しいんですよね。

で、ようやくグレイテスト・ショーマンの話しです。実在の人物みたいですね。

ユニークな人を集めてサーカスを作る、見世物小屋として、そして成功を収めた人物のようです。ただ、結構な自信家で、その上差別的な、見世物小屋を経営する側としての上流階級へのコンプレックスを持った人物です。その点は別に批判される問題は大きくは無いかも知れませんが(ちょっとは、ある)、多分今でいうプロデューサー器質はあるんでしょうけれど、コントロールするという点においては結構な穴があり、そこを、見世物小屋で働く人々の好意によって埋められた溝、という自身の努力とか変化とか成長じゃない部分が、結構引っかかりました。

そう言う意味で、ストーリーとかキャラクターにまだ様々なブラッシュアップすべき点もあると思いますし、登場人物として関りが低い人物が多いのも、説得力に欠ける点だと思います。

今の視点で観れば、ある種の多様性の表れ、でいいと思いますけれど、当時の感覚であれば、まさに見世物だったと思います、この辺の匙加減はもっと敏感に出来たような気がするけれど、演者はどなたも良かったですし、踊りも歌も良いと思います。

ただ、もっと映画としては練れた気がします。

でも、この世界に入り込める人には響く作品で、私はそこまででは無かった、というだけです。

ミュージカルが好きな方にオススメ致します。

「ヌレエフ:伝説と遺産」を観ました

2023年3月24日 (金) 09:30

 

 

キム・ブランストラップ監督   アップリンク   吉祥寺アップリンク

 

確かに伝説と遺産。

しかし伝説部分については口伝と、振付作品を、結構狭い舞台、しかもイギリスで最初に踊った舞台というのは理解出来るけれど、なんでオケをステージに上げちゃったのかな??

とは言え、全てのダンサーが、ある種尊敬の念を抱いているのも十二分に伝わってきます。今観ても、振付が超絶に難しく技巧的な感覚なのに、それをノーブルに踊れる、易々と踊っている、ように見せる事の難しさを、感じました。

フットボールでも何でも構いませんが、必ず、競技は進歩します。例えが古くて申し訳ないけれど、そしてバレエはスポーツではない事は百も承知の上で、それでも、進歩しています。だから、90年代には絶対真似できなかったプレーやテクニックを現代の選手は行えるし、身体能力は間違いなく向上しています。それだけ科学的なトレーニングを取り入れていると思います。多分フットボールの90年代の試合を今観ると、とてもテンポが遅く感じるでしょう。それはスポーツだから、当然なのかも。

でもバレエの世界でも同じように、確実にテクニックは向上しているし、恐らく、科学的なトレーニングも取り入れられていると思いますし、プロポーションと言う意味では確実に現代のダンサーの方が美しく見られる事への配慮や手間がかかっている。

にも拘らず、スターが、この人にしか出来ない 何か がかつてのエトワール、超一流のダンサーはたくさんいた気がします。それも非常に個性的で、多種多様に。

テクニカルと言う意味では、現代のダンサーの方が上手いのに、印象に残るダンサーは少ない気がします。

2部構成のこの映画は、1部がヌレエフの振付作品のバリエーションやパ・ド・ドゥを、2部ではヌレエフ財団のスカラシップを受けたダンサーがヌレエフ作品ではないバリエーションを踊ります。

1部のパ・ド・シスは初めて観れました、面白かった。でもどのダンサーも普通に見える。もちろん生ではないので分からない事も多いのだけれど。総じて1部に出てくるダンサーの方が上手い。

でも、個人的なヌレエフの振付で今の所の1番は、ルグリのスーパー・バレエ・レッスン の模範指導を踊った、エルヴェ・モローと若き日のドロテ・ジルベール(←もちろん偏見に満ちていますが・・・)のロミジュリのバルコニーのシーンです。

マクミラン版の有名なフェリのバージョンと、何でここまで?というくらい技巧的で大変な振付にしているのか?とも思いますが、好きです。

「ベネデッタ」を観ました

2023年3月14日 (火) 09:21

 

 

ポール・ヴァ―フォーベン監督    ギャガ     吉祥寺アップリンク

ポール・ヴァーホーベン監督作品ですし、劇場に行きますよね。ただ、熱心なファンではないです、私は。驚かせてもらおう、という気分だけですし、いつも十分に驚いてしまいますし。しかし、本当にヴァーホーベン監督は84歳なんでしょうか?見終わった後、真摯な人だなぁ、情熱が消えないのは本当に凄いと思いました。

原作があるのですが、未読です、それに凄い高い値段の絶版書ですし・・・そこまでの興味は無かったです。でも裁判記録が残っているのは本当に素晴らしい事だと思いますね。記録に残らないどころか改竄しちゃうのとはえらい違いですし、出来れば関係者の死後でもいいから、いきさつが分かるように記録、公表はして欲しいです。

17世紀のイタリア、6歳で修道院に入ったベネデッタが幻視するキリストと、その修道院での事件を追った作品です。原作に当たる本は『ルネサンス修道女物語』J.C.ブラウン著ミネルヴァ出版ですが、この表題では『物語』と表記されていますし、どういう事なのか?気になりますね。裁判記録は物語とは少し違う気がしますし。

これは原作を読まないとなかなか理解出来ませんけれど、まぁ監督が何をしたいかと言えば、人間を見つめるまなざしだけだと思います。前作「ELLE」(の感想は こちら http://www.inokashira-dental.jp/blog/?p=3022 )も凄かったですけれど、今作はもう少し分かりやすい感じがしました。

主人公であるベネデッタの振る舞いや行動、そこに奇跡があるのか?それとも欺瞞なのか?は不明です。最後まで明らかにはなりません。それに割合えっ?と思う展開もあり、それぞれの登場人物の思惑を超えて、というか行動原理がはっきりしない曖昧模糊な、ふわっとした感じでいろいろな事が起こっているように感じました。特にラスト近くは、観ている時は、わ~と思ってみているのですが、思い返すと、あれ?この人なんでこんな事してるの?という事が多かった気がします。

あと、いろいろ肌色多めの画面が多くあるんですけれど、本当に不思議と何も感じませんでした・・・何というか、凄く醒めたショットが続いていた気がしますし、やはり衣服を着ないというのは幼さとかに未熟とか未開という風に見えるという私のバイアスがあるのかも知れません・・・それと、本当に個人的な偏見で申し訳ないのですが、衣服を付けないで話している人というのが頭が悪そうに見えてしまう、という感覚があります。美しいとか美しくないとかすら今回は感じなかったですし、それよりもはっきり獣性、を感じましたね・・・

でも人間は欲求には従ってしまう生き物でしょうし、それが生きているという事なのかも知れません。この映画に出てくる人は皆それなりの欲求をもって生きているし、だから齟齬や、感情的になったり、利害関係になるんですけれど、それがみんな宗教的なルネサンス期の人であるのですが、現代もあまり変わらないのでは?とは思いました。割合ヴァ―フォーベン監督作品の主人公は欲望に忠実な気がします。それを善悪という二元論では語らないし、観客にも判断がつかない、くらいで描かれていると思いますが、それは今作も一緒だと思います。

中でも特筆して素晴らしかったのはシャーロット・ランプリングさんです。大変難しい役柄を説得力のある演技で納得させてくれます、ただ、アレはなぁ・・・とは思うけれど。それに、凄く不思議な立ち位置の人、ここは修道院なのに。それに最後の、とか言い出すとネタバレになってしまうので、それはまた別の話し。

もう1名、その娘役を演じたルイーズ・シュヴィヨットさんも素晴らしかった。ある意味ベネデッタの対比役なんでしょうけれど、この人の欲望の表出は素直過ぎる、その為に陥る状況、そしてその後の展開が・・・それにしてもこの役者さんは初めて観たと思いますが、困惑顔がアン・ハサウェイに似ていて、びっくりしました。しかしスゴイ演技力。

 

またベネデッタが幻視するキリストの造形や行動の全てに安易さ、それもベネデッタにとっての、こうなって欲しい、という願望から(その願望は幼さすら感じます)一歩も外に出ないというのが、ベネデッタにとっての信仰を表しているようで、面白かったです。とても幼いし修道院という閉鎖された男性との接触が限りなく少ない場面しか経験したことが無い、という感じに観れます。そういう部分もリアルであると同時に監督のキャラクターへの冷徹なまなざしに感じます。

教会、修道院という社会の中で人はどのように振る舞っているのか?に興味のある人にオススメ致します。基本的には前作の「ELLE」の方が洗練されていた気がします。

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