井の頭歯科

「普通の人びと :彼らを駆り立てる狂気」を観ました

2023年10月10日 (火) 09:04

マンフレット・オルデンブルク監督    Netflix

ドキュメンタリー映画で、凄く端的にまとまっています。個人的に「福田村事件」よりも全然面白いし、深いです。こういう書籍やドキュメンタリー映画を作っている、というだけで、ドイツは素晴らしい国で、過去と向き合ってる、と言える。少なくともうちに国よりまとも。

なので「福田村事件」を観て良かったという人はこの作品も観るべき。オススメします、でおしまいでいいけれど、個人的備忘録の為に感想にまとめてみたいと思いました。

裁判や結果まで、そしてそこにどんな心理的な動きがあったのかまで捉えていて、ドイツはちゃんとしてると思います。

 

 

アテンション・プリーズ

 

ここからはネタバレありの感想です。未見の方はご注意下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2次世界大戦当時の1942年ハンブルグの夏、ドイツ占領地の予備警察部隊の募集がありました。占領地での警察活動、及び治安活動をするために募集され、当然兵士として戦地に赴くよりは、生存確率や戦闘行為に関わらずに済むために、かなりの応募のなかから選ばれた人々で構成されています。彼らは厳しい訓練があったわけでもなく、ポーランドのルブリン管区南部に第101予備警察大隊として派遣されます。しかし、そんな彼らには特別な任務があって・・・というのが冒頭です。

 

 

特に第101予備警察大隊を主眼に置いて、その後のニュルンベルク裁判に至るまで、丁寧に語られています。当時の写真、映像、特に思い出されたのが、セルゲイ・ロズニツァ監督作品「バビ・ヤール」の中でも使われていた(フッテージ映像を集めて作っている映画ですので)裁判の映像も使われていて、これだけでも誠実さが伺えます。ただ、当時の動画は少なく、再現ドラマのような部分もありますが、これは無くても良かったかも。

 

 

このドキュメンタリー映画は、かつて行われた、ユダヤ人虐殺に関わった人々の心理、殺人をいう恐ろしい行為が何故行われてしまったのか?その時どういう心理であったのか?また、私たちホモ・サピエンスは、どのような状況に置かれた時に、殺人を犯す事が可能になるのか?を正面から取り扱っています。
これはうちの国の現状とはかけ離れていると思います。
普通の人々が陥った、精神的に負荷のかかる(命令者側も認めているために、対抗措置として、酒を与えたりしている・・・)状況で、どんな心理が働くのか?をかなり細かく、警察部隊を例に、深く考察しています。
まず、本当に命令に背く事が出来たのか?そんな人たちは居たのか?そして居たならばどのような処遇があったのか?を明らかにしていきますが、ある程度いた模様で、その人たちを臆病者などという揶揄があった模様です。しかし大きな罰則、規律違反のような処置はなかったようです。つまり避けようとすれば避けられた可能性があるし、加担しない選択肢は、あった、と思います。
次に、警察部隊(兵士じゃない)が、無抵抗のユダヤ人の男性含む女性含む子供も含まれる市民を虐殺する行為、に簡単に手を染めたのか?その過程でどんな心理的変化があったのか?に迫っていきます。
次に、警察部隊(兵士じゃない)が、無抵抗のユダヤ人の男性含む女性含む子供も含まれる市民を虐殺する行為、に簡単に手を染めたのか?その過程でどんな心理的変化があったのか?に迫っていきます。
ホロコーストのこの映画での被害者数ですが、約300万人がホロコーストの施設での被害者、つまりガス室で殺害されたとしています。つづいて施設内での感染症、飢餓という環境問題で100万人。残りの200万人以上が、銃殺となっています・・・600万人・・・ちょっと想像するのが難しい人数です・・・この映画で扱っているのは、このうちの銃殺に関わった、それも予備警察大隊という兵士ではない警察組織に志願した普通の人たちの心理を追っています。
しかも、文書で、管理しています。つまり、命令書があり、そして報告があった、という事です。だからこそ、この映画の中でのベンジャミン・フェレンツという100歳近い弁護士が、ニュルンベルク裁判で何を根拠に、どのような裁判を行ったのか?が今でも分かるようになっています。
実際の裁判の映像もありますし、中でも、非常に協力的だったオットー・オーレンドルフという被告の見解は、法に従ったまで、という事でした。ここでもハンナ・アーレントの凡庸なる悪の話しですし、恐らくうちの国も場合も市民も被害者となっているのと酷似していると思います。悲惨な体験だし、酷い命令ですけれど、被害者の側面も確かにあるけれど、しかし直接的だったり間接的だったりしますが、加害行為ももちろんあると思います。とても似ている。
そう言えば、最近本屋さんで、ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」について、誤解された解釈が広がっている、という書籍を観ました・・・これは、ちょっと読まねば、と思いました・・・
オーレンドルフが語る、部下も私も被害者である、我々も苦しんだ被害者である、という発言に対して、社会心理学者が、それは犠牲者への同情ではなく、部下への同情という心理メカニズム、という話しには、驚きと納得がありました。
そして、虐殺命令にも、執行にも、人間は慣れて行ってしまう。ここも恐ろしさを感じます。
ドイツにも同調圧力のかかる場面、空気が支配する場面が存在する事を理解出来ます。
そのような中で、第101予備警察大隊は、大まかに3つのグループに分けられました。
殺人を拒否した人々と、従順になって命令だからと自分を納得させた人々、そして殺人を楽しめるようになった人々です。
1948年4月10日、オーレンドルフは絞首刑の判決が下されています。
同じ第101警察予備大隊で起訴された人物の中で、自分たちの事を2重の被害者と呼んでいる人が居ます。戦前は第3帝国によって汚い仕事をさせられ、戦後には新しい倫理観でさらに裁かれるから、と。犠牲者を悲しむのではなく自己を憐れむ・・・
映画の中では、人間は個人的な動機、心理的な動機が無くても、殺人を行える、と結論付けています。人間の脆弱性や順応性の認知を広げる為に作られた、とさえ言ってます。
ドイツでは裁かれたわけです。そして、この映画のように、それをさらに深めて考えようとしている。
先の大戦時の加害性にどの程度自覚的だったのか?よりも、我々も被害者、という立場をとる(もっと言えば、続けるべきだった、という人たちもいるし、ポツダム宣言受諾までの1日を描いた映画「日本のいちばん長い日」の中でも抗戦派の動きも描かれている様に)人がいる現状は、結構な開きがあると感じます。被害者の部分、あるでしょうし、軍属でない一般市民まで爆撃されている以上、被害者であるのは事実ですが、軍部の暴走や妄想を信じた罪、あると思いますけどね。
私の周囲にも、右派的な思考の持ち主は居ますし、日の丸万歳的な国粋的な表現を善しとする人々もいます。他国を貶める事で自らの肯定感を引き出すような事をSNSで書き込む人もいます。もちろん福田村事件のような映画が作られた事は、大変な進歩ですけれど、本当に僅かな感覚がありますし、政治の世界をみても、選挙の為に、右派にしか響かないであろう醜悪な行為を称賛したり、賛同したりする人もいます。
そのような人達が、加害について、どう考えているのかを推察するだけでも、きっと国家的な法令に基づく命令さえあれば、手を染める人もいるだろうな、と推察しますし、中には喜んで手を染める人、いるんでしょうね・・・ヘイトクライムはまさにそのような怨嗟を抱え込む人を増幅させたり、さらにフラストレーションを溜め込むきっかけを与えたりする事が恐ろしいです。
つまり、何事かが、生じた時に、躊躇わずに殺人に手を染める人を増やしている気がするのです。
信念というものは、強ければ強いほど、その他を些末な事として扱うでしょうし、多角的な視点というもの、つまり客観性を、無視していく気がします。
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