井の頭歯科

「クララとお日さま」を読みました

2025年6月25日 (水) 09:41
カズオ・イシグロ著     土屋政雄訳     早川書房
いろいろ読んではいますが、読めなかった作品もある方。「充たされざる者」は途中で挫折しました・・・あと「わたしたちが孤児だったころ」はスルーしてしまっていましたが、久しぶりに読みたくなり手に取りました。
AFという子供むけロボット(?)であるクララは最新鋭機では無いものの高い洞察力を備えています。そのAFであるクララの一人称で語られる、病弱なジョジ―との物語です。
流石、カズオイシグロ作品。ある種徐々に分かる様になっているので「私を離さないで」「日の名残り」に近い構造にはなっていますが、ついに人物ではない語り手になって、さらに想像する余地を広げる感覚があって、なるほど、と感じました。
様々なテーマを織り込んでいますし、凄く多層で多様な作品。ざっと感じたままに挙げると、共感、機械と命の境目、分断、遺伝子コントロールの制限、過去との関わり、エゴ、宗教、信仰、崇拝、倫理、本当に様々です。
恐らく、近未来の世界を描いていますけれど、もしかすると、この世界では無い世界を描いている可能性すらあると思います。
そしてあまり踏み込んで説明されない部分に、より読者が考える、能動的に取りに行く仕掛けが素晴らしいと思います。誰にでも分かる様に、も理解はしますけれど、ホモサピエンスなので、自分の解釈があって然るべきだと思うのです。そういう意味でホモサピエンスに、テレビのインパクトは大きかったけれど、罪の部分も大きいなぁ、と思います。とても分かりやすさを目指してしまったのは、結構罪深い。説明される事に慣れ過ぎてしまった。
クララの行きついた場所。その悲しみを考えてしまいます。
宗教についても、かなり深く考えさせられる書籍。アニミズムの発祥についても考えさせられますし、なんというか、結果が全く違った場合であっても、恐らく、周囲を含むクララの行動は変わらなかったのではないか?とも思うのです。
ここからは、少しだけネタバレに繋がる感想も。出来れば未読の方は控えていただきたいですが。
凄く、今を予言していたとも言えますね・・・2017年の作品ですけれど、強い分断を、というか分断の仕組みがどのように成り立って行くのか?を描いた作品でもあります。
ホモサピエンスに、しかも人的に、後天的に、能力を付与する事で、得られたのは向上もあるけれど、より強い選民意識が生じ、それが分断を呼ぶわけです。人的にも力を付与する事で、確実に選民意識が生まれる、しかもそこに貧富の差の中で、能力の付与に一定のラインが生まれている。これは既に、貧富の差があるだけでも、学習に差が生まれている今の社会と何ら変わらないわけです。
そんな中でホモサピエンスではない、つまり人権すら与えられていないロボットの立場も、ロボットというだけで差別されたりしていますけれど、これ移民だったりの暗喩にも取れますし、何なら最も命令に忠実で親切心があるのは、この登場人物たちの中ではAFだったりします。母親もジョジ―も出てくる登場人物の人間は、とてもワガママで自己中心的です。
ロボットではあるものの、個性がある。そこに意識がある。プログラミングされているとはいえ、動き出した、経験を積む時間的経過が存在するこの意識を、私は生命としかとらえられなかったです。
そのAFの信仰、そして祈り。私はこの祈りなり崇拝と自己犠牲を厭わない行為が、まさに利他というホモサピエンスの行動に見えました。だから、奇跡が生じたこの物語の道筋は美しく見えるし、その結果のクララの行き着いた先の落差に悲しみます。
本当は奇跡が起こらなくとも、祈りと自己犠牲の行為の尊さに遜色はないと思うのです。
とは言え、祈る姿勢そのものは理解出来るのですが、本当の所、祈るのは最後で、その前に、出来る事をすべてやり切ったかどうか?が重要だとも思うのです。感情としては祈りに理解はあるけれど、祈る事だけで成就する事はあまり無い事も理解出来るからです。
それでも、内発的に、どうしようもなく、祈る事はあるけれど。
クララの幸せがジョジ―の成長であったのならば、クララは幸せだと思う。しかし、その境遇はあまりにも厳しく、何を命と考えるか?で私は複製や代謝や進化や次世代に繋げられるという定義よりも、利他の動きが取れるモノを生命と感じてしまう事を理解出来た気がします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ブログカレンダー
2025年6月
« 5月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  
アーカイブ
ブログページトップへ
地図
ケータイサイト
井の頭歯科ドクターブログ