井の頭歯科

「誰がアレクサンドロスを殺したのか?」を読みました

2010年11月29日 (月) 09:14

難波 紘ニ著        岩波書店

今まで読んできたのはあくまでノンフィクションもの(といっても現実的に言えば太古の昔の出来事であるのに変わりは無く、また現在に於いてのノンフィクションであったとしても、作り手の意図は何かしら入り込んでいるものと考えますが)、ある程度の歴史家が信憑性が高いとされている資料を基にしたものであったのですが、ノンフィクションではないものの、この本「誰がアレクサンドロスを殺したのか?」は作者難波 紘ニさんがあとがきの中で「歴史ノンフィクション・ミステリー」と謳っているのですが、かなり違和感を感じました。たしかに面白い部分のある読み物でしたが。個人的には歴史資料を基にした『こうだったかもしれない可能性』の話しだと思います。

話しがわき道に逸れますが、どんなにつじつまが合う歴史的符合があったとしても、だから真実であることの証明にはならない、と私は考えます。ただし、その可能性を否定する資料も今は無いだけで、今後出てくるかもしれないし、出てこないかもしれないし、やっぱりよく分からないものは良く分からないままにしておくべきなのではないか?と思うのです。その『中腰力(精神科医 春日 武彦先生のお言葉)』が無い人が「陰謀論」や「エセ科学」や「都市伝説」にコロッと騙されるのだと思いますし、信じたいものしか信じない度量の狭さを許す温床になっていると思うのです。

著者で病理学者の難波さんがアレクサンドロスⅢ世の死についての記述(これは『王宮日誌』なる書記官エウメネスが関わったとされるものであるが、現存していないもので、アッリアノスの「アレクサンドロス大王東征記」の中に引用という形で残っている)から、病死説を否定。その根拠を細かく例を挙げつつもどれを取っても(結核説、マラリア、腸チフス、そして急性膵炎)病理学的矛盾が生じるので、病死説を否定、それならば暗殺ではないか?というところから、 プロローグで! その犯人を指摘、あまつさえその方法も明かし、その上で、最後の『動機』を明らかにするために本文に入って行きます。

今回はネタバレがあります。基本的にはネタバレなく、しかもどういった方にならオススメできるか?を感想にまとめているわけですが、プロローグで大体この本の主題は出尽くしていまして、正直長い本文は見方によっては長い長ーい蛇足でもありえると私は考えます。ですから今回はネタバレありです。未読の方は注意して下さいませ。

誰がアレクサンドロスを殺したのか?という非常に魅力的なタイトルを、病理学者が書く、というのに期待して読んだのですが、病死説の否定する説明でもうわくわくしたのに、案外あっさり毒殺であったことを結果としてしまい、その『動機』を説明するのにアレクサンドロスの師のアリストテレス、の師匠のプラトン、の師匠のソクラテスの生きた時代の説明をする辺りからして相当に長く感じました。もちろん読ませる技術はありますが、どうしてもここまで詳しく書かなければアリストテレスの『動機』に迫れない必然性が理解出来なかったです。

病死説を否定する時には、合理的な説明があったのに、自身の毒殺説を否定出来る合理的説明がなされないのはどうしても納得できなかったです。たしかに、一見毒殺説の状況説明には納得できる部分も多いのですが、その毒殺に用いられたであろう毒物の合理的特定、毒殺説でを否定する資料の信憑性には一切触れないという記述にダブルスタンダードな側面を感じずにはいられません。病死説の否定の際に書かれた日誌と病態との不合理点を書くなら、まず毒物の特定(仮に砒素であるなら砒素と断定出来るなんらかの地質学的要素を入れて欲しかった)、その上でアレクサンドロス死亡前の王宮日誌の記述との合理性を解説して欲しかったです。王宮日誌の信憑性を疑っているなら、病死説の否定時のみ王宮日誌に触れるのはおかしいです。

また、臨床に携わる方であるなら、典型的病歴や症状だけでは計り知れないものが数多くあることも容易に想像できる部分に全く考慮しないのも、著者への信頼を下げる要因のひとつと考えました。臨床症状だけでは確定診断が出来ないからこその臨床病理学なのだと思うのですが。合併症に対する配慮も無かったですし、砒素化合物だとしての病態と王宮日誌との整合性にも少し触れるのがフェアというものではないでしょうか。

結局、遠い昔の話し、あくまでどんな説であっても、推域の範囲を超えるものではないはずなのですが、自説の信憑性を是が非でも高めたい、という欲求が透けて見えている気がした、ということです。都合の良い資料だけから立ち上らせる新説なら誰でも出来ますものね。

それでも、プラトンという哲学の巨人とキリスト教の関係や、その原典批判、ソクラテスという人物像の客観的視線、そしてなにより古代ギリシャ、マケドニア史としては、素晴らしく面白い読み物でした。あるひとつの説である、というスタンスでなら充分楽しめる本であることは間違いないです。そういったことを含んでなお気になる方にオススメ致します。

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