井の頭歯科

「ザ・スクエア 思いやりの聖域」を観ました

2018年5月11日 (金) 09:27

リューベン・オストルンド監督     トリアートフィルム

久しぶりに来ました、Bunkamura!渋谷はいつ来ても混んでますね・・・

かなりブラックなコメディ作品と聞いて、予備知識を出来るだけ入れないで鑑賞しました。

とにかくブラックユーモア溢れる作品、しかも笑っていた自分を同じ刃で切りつけてくる、かなり考えられた作品です。

ある男がスーツ姿でソファに寝ています、秘書と思われる女性が起こした男、それがスウェーデン王立美術館のトップキュレーターであるクリスティアンです、まさに今からインタビューに答えるのですが、まあ酷い格好で寝ている事からも分かりますが、何やらだらし無い印象を持たせます。冒頭、インタビューアーの女性はかなり素朴な質問を投げかけてきます。

『王立美術館のHPに書いてある展示/非展示に纏わる意味を教えて下さい』と。

この展示/非展示の文章がすっごくカオスで、まさに意味なんてない文章なんですが、これから始まるこの映画の暗示としてとてもキックの効いた出だしになってて、笑ってしまいました。絶対意味ない文章なんです。

この後、まさに映画は様々なカオスな展開を見せてくれます。

クリスティアン自身が展示のテーマに選んだ『思いやりの聖域』を自分では全然信じていない、マッチョな短絡思考で、自ら泥沼に踏み込んでいく様が、大変笑えます。

しかし、その笑っていた観客を、ある意味試してくるような展開が待っています。

現代美術に詳しくなくても、十分に面白い映画だと思います。

アートに、特に現代美術に興味のある方、人間的とはどんな事なのか?に興味がある方にオススメ致します。

とはいえ、もし、現代芸術にある程度親しんでいる人なら、かなり踏み込んだ表現が行われています、とても面白い部分あります!さらに、私は偏った人間なので広告業に対するとてもネガティブなイメージがあるんですが、それこそそのネガティブさを体現してくれる、とある2人組の男が出演しているのですが、これが思った通りの行動(私の偏見に沿った、という意味で)を取ってくれるので、非常に勝手に、溜飲が下がる心地がして、楽しい反面、そんなことで留飲下げてどうする?という自問自答な感情も湧き上がってきて大変考えさせられます。

アテンション・プリーズ!!

ココからネタバレあり感想になります。

出来れば映画館でこの驚きを体感して欲しいので、未見の方はご遠慮下さいませ。

思いやりから人助けをしたつもりがスリに遭い、サイフにスマートフォンを盗まれ、しかもカフスボタンまで盗まれたと同僚には言いふらしますが、実はカフスボタンは勝手な思い込みである事が後に判明します。

スマートフォンは位置情報を確認できるので、早速パソコンでその場所を調べると、ある集合住宅地だと分かるのですが、そのどの部屋にあるのか分かりません。同僚から、盗んだ相手に分からせるなら、恫喝的な態度も必要だと言われて、脅迫文を集合住宅の全戸に配るというアイディアを出されて承諾していきます。最初はしおらしく、暴力は良くない、などと言っていたのに、酒が入って気分が大きくなると、言い出した同僚より過激な文章を作り始めます、舌の根も乾かぬうちに。

さらにこの脅迫文をアパート全部に配る行為を、部下にやらせたかったのに断らた際の圧力のかけ方がまた酷いんです、パワーハラスメントに近い行為を躊躇なく取れるクリスティアンの、その上質なスーツという外見からはうかがい知れない暗い品性が垣間見えてくるのです。

こんな感じの非常に危うい、人として品性が大変立派とは言えないクリスティアンが落ちていく様を大変可笑しく見られる部分のブラックユーモアと、現代美術と言う極めて曖昧な分野の、広告宣伝広報活動の後ろ暗い部分を、多分誇張は入っているのでしょうけれど、基本的にはベクトルとしてはそうは違わない世界を知ると言うトリビアルな楽しみがある映画です。

この広告代理店から来ている2人の若者の、本当の意味では何にも考えていない上に、炎上すれば、広告の効果があれば、善悪やモラルは問わない、という大変立派な指針が伺えて、虚飾産業と私は勝手に偏見を持っている広告代理店の、それこそ本心を見られたような気がして、大変心地よいと感じてしまいました。とは言えそう感じている私にしても、こういう暗くて品性の低い感情があるのも事実なんですけれど。

でも、本当に、何にも考えていないこの2人組の、非常に過激な動画の許可を出したのは(非常に焦って憔悴していて判断出来ない状況にあったとはいえ)クリスティアンなんですよね・・・

また、ちょっと気になるのが、あれだけ詰め寄ってくるインタビュアー・アンです。何故クリスティアンに執着しているのか?が全然理解出来なかったです。それに、アンの部屋によくクリスティアンはいられたなぁ、とちょっとビックリしました。普通あの動物が居るってかなりの驚きですし、その後の行為に及ぶのも、ちょっと理解不能ですね・・・まぁアンの執着はまた人物というよりももっと違ったものなのかも知れませんけど。行為中の映像の、男女が逆転しているかのように魅せる演出がまた素晴らしく客観的でいいです。

また、スウェーデンの実情が分からないのでなんとも言えない部分ではありますが、路上生活者に対する描写が多く見られるのも特徴です。福祉国家としてよく引き合いに出されるスウェーデンの実情が、本当のところどうなのか?を知らないのですが、私が知るスウェーデンでの話しと言って思い出されるのは、小説「ミレニアム」(スティーブ・ラーソン著 の感想は こちら )の中に出てくる

「スウェーデンでは女性の13%が、性的パートナー以外の人物から深刻な性的暴行を受けた経験を有する」

「スウェーデンでは性的暴行を受けた女性のうち92%が、警察に被害届けを出していない」

と言う部分で、事実なのか?は知りませんが、大変恐ろしいと思いますね。あとはズラタン(・イブラヒモビッチ)くらいしか知らない国です。そういえばズラタンも非常にマッチョな思考の持ち主ですね・・・

現代美術の世界では割合映像作品も多いですし、私も詳しくないですけど、なんか見たことあるような、ゴリラの擬態をするパフォーマンスを行う人物を接写している作品が、チラチラと現れますが、彼が起こす顛末がこの映画のクライマックスなのかな?と。ただ、それにしては彼の行動が全然説明されないし、言い分も無いので、ちょっとショッキングにしたかっただけ、なのかな〜こことても惜しいなぁ、とは思います、迫真の演技ですけど。ここにもう少しだけ意味があったら、凄く良い映画だったのに!意味が感じられないと、あの上品なパーティの参加者である上品な人々が、野蛮な言葉を使う所を見せたかっただけ、に見えちゃうと思うんです。ゴリラパフォーマーにも言い分があると思うんです、あくまでアーティストなんですから。いきなり退場してしまうのがもったいない。

この映画の中で最も素晴らしいのは、あの少年です。大人に対して自分の尊厳を訴え続ける姿勢は素晴らしかったですし、執念も凄い。まあだらし無い大人の対比として子供の素晴らしさを出すのは分かりやすい構造ではありますけど。

誰しもが身に覚えがある部分もあり、なかなか考えさせ、途中からは何故だかクリスティアンに同情的にもなりました。仕方ない身から出た錆なんですけどね。

あと、チアリーディングの部分は必要だったのかな?親としての自覚が芽生えたのかな?ちょっと蛇足感はあった擬態がするけど、全体として悪くない映画です、私もあのパーティにいたら絶対下向いて知らんぷりしてるただの臆病者ですもんね。

笑っていたのが笑えなくなる、考えさせられる映画です。

“「ザ・スクエア 思いやりの聖域」を観ました” への2件のフィードバック

  1. […] 10位   「ザ・スクエア 思いやりの聖域」   の詳しい感想は こちら […]

  2. […] 思われる そういえばトゥレット症候群の話しが映画に出てくると言えば、「ザ・スクエア 思いやりの聖域」という映画もありましたね )を抱えながらゴッサムに母の介護をしながら […]

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