井の頭歯科

「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」を観ました

2020年8月18日 (火) 09:29

豊島圭介監督     ギャガ
三島作品はいくつか読んでいますし、文学作品として好きなものもありますが、ちょっと行き過ぎな部分も感じる人ですが、何しろ、私が生まれて2か月後には亡くなられてしまっているので、正直、どのような人であるのか?は理解出来ていません。
そして振付師であるベジャールが三島の作品をバレエにしているので、いつか見たいのですが、その前に三島を見ておこうと思ったのと、時間的に行けるのがこれしか無かったので、吉祥寺オデヲンで、緊急事態宣言解除後、初めて劇場に来ました。
まぁ有名な三島が東大で討論した事は知っていましたが、正直何処までかみ合った議論だったのか?結構前にYouTubeでも見ていましたけれど、とても見やすく編集されています。うん、分かり易いし、注釈も有り難いです。
細かな話しやキャラクターは良いとして、何が1番気になったかって、それは三島の態度ですね。ここまで、割合近代ゴリラとまで揶揄されつつも、凄く大人な態度で、まず、ここが素晴らしかった。そして、論点を、対立させようというのではなく、あくまで、私の立場、を説明し、それを受けて相手に花を持たせるまで持って行き、しかも、相手の話しをすべて受けきる、という、こういう事他にしている人、いないと思います。
議論って実はとても難しく、相手を敬う気持ちが無い人とは、絶対に議論になりません。だいたいにおいて、それは口論と呼ばれるモノで、言葉での殴り合いに興味がある人は、プロレスを観に行った方がいいと思うし、非常に下品、と私は考えます。
マウンティングを含んだ口論になる場合って、誰でも本心では話していなくて、相手の言葉尻やちょっとした言い間違いの揚げ足取りをして、いわゆる私は勝った、という二項論、勝ち負けに持って行きたいだけで、それって非常にナイーブな、まぁ自意識の愛撫だとも思うし、それなら家で隠してやってくれ、とも思います。
しかし、大人な議論を見た事がある人なら、とてもエキサイティングで面白いし、相手の土俵に乗り込んで、その場所で相撲をとる、くらいの事をやるのが議論というモノだと、私個人は思っています。だから鼎談くらいまで、ですよね議論が出来るのって。
そういう意味で、実は全共闘の人に大変難しいインタビューを答えなければならなくなるのが、本当に厳しいと思います。若気の至り、という事ではすまないレベルにまで周囲を巻き込んでいますし、その結果がある意味人生にまで影響を及ぼしています。
映画の最後の方に、全共闘の人へのインタビューがありますけれど、本当にキツイですね。
中でも、芥さん、という全共闘の論客というか、演劇の演出家がいるんですけれど、この方の空論、は言い過ぎかもしれませんけれど、相手の言葉を決して受け入れないまま、そこから50年もその状態を貫いていて、これはなんというか、非常に可哀そうだ、と感じました。まぁ好きでやっているんでしょうけれど・・・そして、若い頃はあんなにかっこよかったのに、50年後がちょっと想像できない姿で、そこも時間の経過の恐ろしさを感じさせます、私も今年50歳で、全然賢くならずにいますね、人の事は言えないですね・・・
三島の意見に賛成出来る部分もありますけれど、この人も相当なロマンティストで、しかし、大変努力し行動する部分は尊敬できると思います。三島は保守なのではなく、天皇主義者なんだと思いますけれど。そして、文化を守るという事、大事だとも思いますけれど、すべての文化は影響し合い、干渉を受け、摩耗し消費され、栄華を極めたりしながら、緩やかに消滅していくものだと思うので、あまりに先鋭化するのはちょっと違う気がします。
天皇陛下が存在する事での文化は理解出来ますけれど、あまりに、あまりに天皇陛下の人間性が多大に奪われ過ぎていると思います。1人の人間が背負える限界を超えていると思います。それに、このままですと、早晩皇位継承者がいななくなると思われますし・・・
あ、あと、瀬戸内さんが何で出演されているのか?全然ワカラナカッタです、この映画には必要なかったんじゃないかな。
三島作品に触れた事がある人に、全共闘がなんだったのか?に興味がある人にオススメ致します。
今年も8月15日を過ぎました。日本の夏は敗戦を考える夏という事に尽きると思ってます。既に戦争体験者がかなり少なくなっているわけで、本当は日本人が日本人として太平洋戦争までの15年くらいの戦争が、どういうものであったか?を考えなければいけないと思います。東京裁判は確かに茶番かも知れませんが、負けるという事はそれを受け入れなければならなくなるわけです。当然サンフランシスコ講和条約だって必要になるわけで、もっと言えば昭和16年には敗戦必至という計算も上がっていたわけですし、ABCD包囲網やハルノートについてもまだまだ調べないとワカラナイ事は大いにせよ、結局のところ始めた責任と敗戦の責任をどう行ったのか?考え続けなければいけないと思います。

特に戦争映画でよく見かける、インテリ下級戦闘員、暴力的上官、という構図は、軍部が悪で一般国民も被害者、という構図になりがちですけれど、当たり前ですが、当時の国民にも責任があると私は考えますし、でも言えなかった、反攻すれば牢屋行であった、というのも理解は出来ますけれど、そういう社会を築き上げた責任というものがあると思うのです。

何が良くなかったのか?を考え続ける事は必要で、今に生かしていかないと、また同じことを繰り返す気がします、特に熱しやすく冷めやすいすぐに忘れてしまう日本に住む社会に暮らしているので。

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