井の頭歯科

「切りとれ、あの祈る手を-〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」を読みました

2010年12月29日 (水) 08:57

佐々木 中著           河出書房新社

映画批評が娯楽にまで引き上げられている本、以前感想にまとめました。そんなラジオの番組のパーソナリティー宇多丸さんのオススメの書籍でこの本の名前を聞いたのが最初でした。その後忘れてしまっていたのですが、患者さんと今年話題の本の話しから強くオススメ頂き読んだこの本が、今年最後の月の月末になって、この年のベストの1冊になりました。

跋(おくがき)における本書を書くに至ったいきさつに名前が挙がる佐々木 士郎氏がその宇多丸さんです。こんなところでも接点があるなんてなんだか不思議です。

読書とは、文学とは、一体どういう行為なのか?という素朴な日常的行為の中にある非常に根源的な問いかけに、言葉どおりに、そしてラディカルに、応えたのが本書です。著者である佐々木さんの非常に素直で、頑固で、そして一途な思索者です。個人的には思想家ということなのだと思います。佐々木さんの語り口に非常にオリジナリティーを感じさせますし、もの凄く様々な『知識』を『知恵』に変換できる、そして私にも分かる言葉で語りかけられる、間口を広げられる技術も持ち合わせている方、知らなかったですが、スゴイ方です。

読書という非常に危険な行為を、文学という〈革命〉的行為を、人類の歴史的観点から、思想的観点から、視野を広げ、かつ必要があれば極小な出来事であっても詳しく解説し、そしてしつこいくらいに確認し、繰り返し噛み砕いて説明してくれます、いかに読書という行為が〈革命的〉行為なのか、ということを。

時系列ではなく、しかし飲み込みやすい順を追って、様々な〈革命〉がどう起こって、どうなったのか?を分からせてくれますし、私のようにほとんど何も知らない者が読んでも問題なく読めるようになっています。宗教革命と言われたプロテスタントという「聖書」の徹底的な読み込みを行ったマルティン・ルター、ムハンマドというムスリムのその生い立ちとジブリールとの邂逅、〈革命〉という暴力的ニュアンスを纏った言葉を捉えなおす意味、〈文学〉という知るということの根源的意味、中世に起こったデータベース化がもたらす功罪、終末思想という自己特殊性を軸にした幼稚さと欺瞞、様々な事柄について、非常に切り口鮮やかに語ってくれます。

カント曰く「法の適用方法を定めた法はない」とか、知らなかった知識を知るというトリビアルな面白さも、そのパンチラインのレベルが高くて素晴らしいです。

読後、高橋 源一郎さんが「恋愛太平記」金井 美恵子著を評して使った言葉『読書体験は生き直すこと』を思い出させました。

本に携わるすべての人に、オススメ致します。もちろん全てに納得できるわけではないにしろ、この衝撃の強さは是非体験して損はないと思います。

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