井の頭歯科

「ニッポンの書評」を読みました

2011年6月7日 (火) 09:36

豊崎 由美著      光文社新書

本が読める時間って限りがあります。私は趣味が読書です、ですけれど、読めない本もいっぱいありますし、傾向として私の選ぶ範囲は狭い、その自覚はあるものの、なかなか世界が広がりません。読んでる量そのものが少ないんですけれど。だからこそ、「これは読んどけ」とか「これ読まなくていいよ」とかいう大雑把でもいいから判断の材料になる信頼できる書評家の存在って大きいですし、書評家のみならず、読書をする友人の存在って大きいです。

豊崎さんは書評家にこだわりを見せる方、その書評と批評の違いの明確さを改めて指摘されて納得しました。たしかに批評は読み終わったいる方前提に話しをされますが、書評は明らかにこれからこの本を手に取る方に向けた情報であります。そして批評に比べて圧倒的に紙面の少なさが指摘されていますが、まさにその通りです。が、知らなかったのですが、海外では書評でもかなりの紙面を割いているそうです、これは意外でした。私個人としては書評は少ない字数でこそ意味があると思うのです。もちろん長くても構いませんけれど、これから読む人に向けて『こんな本なんで、こういう人に面白い本ですよ』という情報こそ(あるいは『こういうのが嫌いな人は楽しめない可能性がありますよ』情報)書評に求められているのではないか?ということです。これは後に話題になる「ネタばらし」問題を含んでいますけれど。私は「ネタばらし」問題は論外でそういうことが出来る人は書評家でさえないし、多分友人でいられないと思います。聞いた話ですが、平気でミステリのネタバレや犯人を教えてくれる人がいるらしいですけど、私は耐えられない!まして書評でやられたらもう事故ですよね。おそらく該当書を手に取る確立はかなり下がると思います。

書評を『読み物』として扱うと言う感覚も全然意識したことが無かったです。が、もし読み物として面白い書評があったらまず楽しめると思います。例として挙げられていた岸本 佐知子さんは凄く面白かったです。こういう書評なら全然受け入れられます。それでも、こういう書評家が少ない、というのが問題であろうと思うのです。私が読んだことがある書評が少ないものの、読み物としても面白いと感じたのはある時期までの高橋 源一郎さんくらいで、後は読ませる書評という書き手を知らないでここまで来てしまってますし。岸本さんの評判は聞いていましたが、よく考えると岸本さんの書評読んだのも初めてでした。

で、やはり大きいのは「ネタばらし」問題ですね。

豊崎さんは基本的には「勘所を明かさないで、その本の魅力を伝えるのが書評家の務め」というスタンスなんですが、これは納得です。正直あらすじを書くだけの書評は書評ですらないでしょうし(あらすじだけでも成り立つ書評もありうる、という豊崎さんの意見も理解出来ますが、それは数少ないのが現状ではないでしょうか?)、読みたい!と思わせる(大八車である「小説」を押すのが書評家であるなら!)書評を書くのが良い書評であろうと思うので、特に読み進めて初めて得られる感覚を失わさせるモノを「ネタバレ」と呼ぶのであるならば、なおさらだろうと思います。ただし、結末を知ることで安心して本が読めるという(映画「恋人たちの予感」のビリー・クリスタルが演じたハリーという人物のように)タイプの人もいますけれどね。様々であって良いのかもしれませんが、できればある程度ぼかして欲しいです、取り返しがつかないわけですし。

普段読む雑誌や新聞の書評に目を通してしまう方にオススメ致します。

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