井の頭歯科

「あのこは貴族」を観ました

2021年11月22日 (月) 09:25

岨手由貴子監督     東京テアトル

かなりハイソな東京のご家庭の、お正月のホテルでの家族の会食の席に1人遅れている榛原華子(門脇麦)はタクシーでホテルに向かっているのですが・・・というのが冒頭です。

凄く良い出来の映画だと思いますし、凄く今、2021年の映画、という感じがします。それに恐らく人によっては永遠のテーマであろう結婚についての映画でもありますし、東京育ちと地方育ちの話しでもあります。

原作があり、同じ原作者の映画で廣木隆一監督作品「ここは退屈迎えに来て」(の感想は こちら )を見ていますが、こちらの作品にも門脇麦さんが出演されていて、こちらはもうひとつ私にはピンとこなかったのですが、今作は素晴らしい出来栄えですし脚本も、そして映画の見せ方としても良いと思います。これは題材もですけれど、監督の個性なんじゃないかな、と思う次第です。

結婚に対するスタンスは人それぞれですし、それは生き方の問題なので、それぞれが自由に考えて良いと思いますが、漠然と、相手もいないのに、結婚したい、という考え方が分かりません。それは夢であり、刷り込みであり、依存でもあるような気がします。しかし、確実に、前時代的には、女性は結婚しないと生きていけない雰囲気や経済的状況はあったと思います。その名残は間違いなくあるものですし、その余波や教育は仕方ない部分もあると思います。思いますが、それでも、2000年代に入って、教育された事、刷り込みを前提に、すべてを肯定的にしか見ない、批評性や批判性が自己の中から立ち上がらない場合は、少し問題があると思います。自分で考える事の重要性だとも思います。でも、常套句で言われる『大切に育てられた』は『世間知らず』と同義に使われますし、それが女性であれば、更に良い子を演じる事含んで、考える、という事をしなくなると思いますし、非常に受動的な人間を作っている事に繋がります。

さらに絶対に替えの効かない経験、出自としての東京という内部(もちろんその中にもグラデーションがあります)と東京以外という外部、というテーマを扱った作品です。生まれる場所は誰も選べません。その中に埋もれるのか、それとも外部を目指すのか、大変興味深いテーマです。

役者陣はすべての人が良かったと思います。主要人物の5名、恐らくキャスティングだけ、主要登場人物の大まかな説明だけ聞いたら、門脇麦と水原希子は、逆でも面白かったんじゃないか、というのは東京ポッド許可局のPKことプチ鹿島さんがおっしゃっていましたが、確かにその通りにも感じます。でも、それでも、この箱入り娘感があって嫌味にならないのは門脇さんだったのかな、とも思います。特に門脇さん周囲の演出は素晴らしかったと思います。何となくハイソな家柄の中身を垣間見る、覗き見趣味的な感覚もあるのに、そこで嫌味にならない、清楚とも違う、ハイソな人にだけ許される行儀の悪さがチャーミングになる部分とか、本当に上手いです。

対して水原希子さんの、変容、越境者として後天的に自覚的な部分も印象的です。その変化が上手いし映えます。とても合っているキャスティングだと思います。化粧や衣服での変化が私のような化粧や衣服に詳しくない人でも分かる演出になっていると思います。

さらに、もっとハイソ、この映画の中の「貴族」は、高良健吾さんが演じる家柄であり、それこそ家を存続させる事に、物凄く強い負荷が常にかかっている状況な訳ですけれど、非常に空疎な世界に、仕事でもプライベートでも浸っている感じが、とても上手かったです。

そして、非常に重要な役目を背負っている、石橋静河さんと山下リオさんがとても良かった。出演時間にすれば、当然主演の3名よりは少ないのですけれど、この映画の肝はこの2名が担っていますし、魅力的でもあります。もっと言うとロールモデルになると思うのです。

凄く対照的な2人、そしてその家族が描かれているわけですけれど、保守的、と言う意味でどちらの家族も同じなのが、凄く日本的。それは恐らく、個人よりも家族やコミュニティを重視しているからで、そこから出て行こうとする個人にとても冷たい。愛の反対は憎悪ではなくて無関心。この無関心まで行かない連帯が、男性にも女性にも存在する事が稀なのが、とても私には日本的に感じました。それでも、少子化がここまで進み、世帯を構成する人数が1人の割合で30%になろうとするうちの国の事を考えると、変化の兆しがあると思います。もう家族を構成する最少人数の個人が世帯構成で言うと3割、という現実は結構重いと思います。でも、この映画の中の貴族である政治家を輩出する家系は生き延びていくのでしょうけれど。それに、このハイソサエティで文化を支えられる層がある事の良い面もありますから。

私は母親と美術展には言った事が無かったなぁ。

この映画は、現状を表しているとは言え、親の世代、これから親になる可能性のある人にオススメしたいです。私は子育ては正解のない、難易度が異常に高い、自分の自由な時間を削られる事象だと考えていますけれど、それはかなり幼いころから感じていますし、世界が複雑になればなるほど、より難易度が高くなる傾向にあると思います。少子化が進むのは当然だと思うのですが、それでも、親になる可能性がある人に、オススメ致します。

ヘンな例えになりますけれど、この手の話しの後に、私の頭の中に浮かぶのはリチャード・ドーキンスのいう生命は遺伝子の乗り物、という考え方を初めて超越する事が出来るようになったんじゃないかな、という事なんです。遺伝子を残す事よりも、生きている間の快楽を選択できるようになったのではないか?と夢想するわけです。社会が複雑になるというのは、テクノロジーが進歩するという事は、負の側面も必ず存在するし、その側面が人生の大半の楽しみを奪う可能性があるのであれば、選択肢が出てくるという事なんですけれど。

結構いろいろ思うところあり、ネタバレありの感想は結構長くなりそうです。

アテンション・プリーズ!

ココからネタバレ有の感想になります。未見の方はご遠慮くださいませ。

主人公の榛原華子は『箱入り娘』であり、また27歳という年齢になり、大学の同窓の集まりに於いて結婚していない人間が2名しか居なくなったことに危機感を感じ、その前にお付き合いしていた男性に暗にプレッシャーをかける為に仕事を辞めた経験があるわけで、何と言いますか、凄く『昔』の価値観に縛られているように見えます。結婚していない2名のもう1名はヴァイオリニストとして生活していて榛原華子は恐らく本当の意味での友人この1名のみで、石橋静河さんが演じているわけですけれど、この人が居なかったら、華子は本当にみじめな存在だったと思います。とても受動的。なにもかもに受け身なんです。

華子にとっての友人のような存在たちは基本的に生産性も無く、いわゆる古いタイプの妻であり、経済的には夫の扶養家族でいる事に何のためらいもないタイプで、この中に全然親しそうな人がいないのに何となく友人でいる華子の意識の薄さは理解は出来るけれど、ちょっとどうかと思いますし、家族のプレッシャーも本当に品が無いです・・・お金があるかないかではなく、品があるかないかで言えば無い。そして、完全に守られているが故、何をどうしたいのか?という具体性が無く、ソリッドに言ってしまえば、私を守ってくれたら容姿をお金に換えてもイイ、という事であり、共に生活苦や他者という理解出来ない存在との軋轢を想像もしていない。この夢の部分までもあくまで受動的。

だからこそ、唯一の友人である石橋静河演じる相良逸子の存在が奇跡。相良逸子はドイツに暮らしの基盤があり、ヴァイオリニストという生活の糧を自分で得ている上に、察しが良くて、しかも、分断ではなく共闘を選べる人間で、本当にこの人の存在がこの映画の中でどれだけ貴重なのか!と思う。この映画の本当の意味での主役はこの人だと思うのです。

相良逸子が時岡と青木の関係性を察っすればこそ、この映画の前半の山場である華子と時岡の邂逅であり、しかも分断ではなくゆるい共闘を選択できている。この提案をしているのは相良逸子であり、華子も時岡も意識的では無かった。もっとも、勝手に分断したり俯瞰的に見えない、もしくは見ようとしないのであれば仕方ないとは思います。でも時岡はその選択を、たとえ苦しくとも行動を起こせる。時岡にとっては同級生でもあり、唯一心許せて、しかもパトロンでもある青木との関係を断ち切るのが、物凄く清々しい。なにしろ自分の婚約者について、どういう人か?素で聞いちゃうのが華子・・・

あくまで対比のキャラクターのように感じますが、時岡は猛勉強の末に慶応大学に入学するわけですけれど、学費が続かずに非常に苦しい立場に立たされます。しかも学内の知り合いはちょっとしたお茶に行くにもホテルのラウンジを使い、1回のお茶で5000円という時岡美紀にとっては大きな出費であり、金銭感覚の違いを痛感しています。慶応大学がどのような所なのか?私には分かりませんが、確かに、日本も階級社会と言えなくもない部分だと思います。時岡美紀にも友人と呼べる人間が1名だけいて、それが同郷から出てきた起業家を目指し同じ慶応大学に進んだ平岡里英で、山下リオさんが演じています。

この平岡さんも凄く良くて、長女として会社にいると、出来の悪い弟からしたら楽しくないであろう、という察しの良さで、起業を目指す、凄く目的的で有能。この人のセリフも素晴らしく良かったですし、対比ではなくメンター的に時岡には映ったはず。時岡と平岡のバディ感は凄く良かったです。

主人公は華子で、その対比としての時岡美紀であり、この2人の間をグラデーション的に埋めるのが、華子よりも自分の足で立つ事に意識的な相良逸子であり、時岡美紀よりもより目的的な平岡里英なんだと思うのです。この4名の女性と、ここに王子のような立場で登場する高良健吾さんが、とてもいろいろな意味で上手いのです。もちろん、王子には王子の苦悩が存在するし、昔話や結婚にまつわる産業が書く夢やゴールではない、他者との生活や、家制度に組み込まれる事の良い面も悪い面も知る事になるわけです。

無自覚な華子であれば当然非常に驚きがあると思いますけれど、27年生きてきてこれか、とも思う。

しかし実は青木にとってもほぼすべてが受動的なんです、華子よりももっとプレッシャーのある、非常に重い呪縛がある。この家を守り継承する、というだけですべての犠牲を払わなければならないわけです。かなりの孤独を感じていると思われますし、そんな青木の唯一プライベートな関係が時岡との時間だったんだと思います。だから時岡と一緒の時の青木の表情が豊かになるのも分かる。

青木の孤独やすべてに受動的な事も理解は出来ますけれど、どうなんでしょうね。ここまでの家柄ではなく、2世の政治家になった人物を小学生時代に同級生だった事があるのですが、まぁ東京に住みながら地方の選挙区から出ている描写とかそっくりですし、俺はそこいらの平民とは違う、という感覚は感じますね、同窓会でチラリと会うだけでも分かりますし、人を使う事に慣れている人にしか出せない有無を言わせぬものがありますけれど、青木はずっと紳士的です。ですが、あまりに華子に何も話さない、この点が良く分からなかったです。もう少し話していれば、結果は違っていたかも。

本当にいろいろ考えさせる映画ですし、様々なシーンや演出がとても細やかで、華子の箱入り娘感を出すのに、移動手段はすべてタクシーで、そこから自覚的に自分の足で立つ1っ歩を踏み出した事で歩く、という演出は素晴らしかったですし、華子と時岡の対比をアイスキャンディーを舐める描写でも、華子は白いキャンディーで時岡は黒っぽさで意識的な方が黒、というのも良いですし、これが時岡と平岡になると、より平岡の方が意識的なので、時岡の持つコーヒーはミルク入りなのに対して、平岡はブラックという対比に引き継がれるのも演出としていいな、と思いました。

しっかし、凄く品のいい、という事は馬鹿みたいに値段の高い喫茶店ばかり出てきて、ちょっと行きたくなってしまう。お金の浪費でしかないのに。東京の養分、凄く上手いセリフですねぇ。

追記

先日、仕事中に何故かこの映画の1シーンが頭に浮かんで、それは唯一、華子が青木を避けるベランダのシーンなんですが、突然、そうか、青木にとっては結婚してくれるだけで嬉しいのは、結婚相手として、妻として対して期待してはいないし関係性を結ぶつもりがはなから無い、しかも、華子にとっても自分にとってのより良い結婚の相手を探していただけで、関係性を、本当の意味で求めていなかったのを理解していたから(いろいろな話しをまるでしない青木に質問もしないし、聞かない)だったんだ、と急に思ってしまいました。

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