井の頭歯科

「永遠の門 ゴッホの見た未来」

2021年10月22日 (金) 09:21

ジュリアン・シュナーベル監督     ギャガ

YouTubeの『オトナの教養講座』で西洋美術がとても楽しめるようになり、やっと時代的な経緯、影響の余波、そして西洋絵画のある程度の俯瞰が出来るようになりました。そして、今、東京都美術館で「ゴッホ展」が来ていますし、その為にも、フィンセント・ファン・ゴッホについて少し調べてから観に行きたいと思っているので、観てみようと思いました。

フィンセント(ウィリアム・デフォー)は全く売れない画家であり、新しい画家の集まりに参加したのですが、そこでゴーギャン(オスカー・アイザック)と出会います。フィンセントは心に闇を抱え、理解者は弟のテオ(ルパート・フレンド)だけであり・・・というのが冒頭です。

誰もが知っているフィンセント・ファン・ゴッホの後半生を描いた映画です。それも様々な解釈が成り立つ、と同時に物凄い数の手紙が現存していて、細かな点もある程度分かっているゴッホの後半生、アルルに向かう辺りからが描かれています。

今までは、私には好きな絵があってそれが増えて行けばいいな、という感じで絵画鑑賞を楽しんでいましたが、山田五郎さんのオトナの教養講座を視聴するようになってから、画家の生涯や与えた影響、確立した思想や技法、その発表や時代の流れなど、様々な事柄を、それも素人ながらという事ですが、つまり歴史的な流れを伴って俯瞰するように観れるようになってから、とても楽しく観れるようになりました。まだまだ勉強はこれからですけれど、美術館に行くのが今までよりも、ずっとずっと楽しくなってきました。あくまで絵単体だけの評価も、それも個人の好き嫌いも非常に重要ですし何を感じるか?は自分次第も大切ですが、その軸とは別に教養、つまり対象の選び方、技法、作者周囲の情報や繋がりを知る事でもっと深く理解出来ますし、西洋絵画史って本当に全く全然美術の時間では習わなかったわけで、この辺の歴史的解釈が出来る事の面白さが、まさに知る楽しみに直結していて、美術やアートにより興味が惹かれるようになったので、ゴッホ、今まさに東京で観られる作品、これは映画でも観ておかなければなりません。

確かに有名な耳切り事件もですが、非常に特徴のある凹凸の感じられる表現や、生前にはほとんど評価されなかった悲哀も含めて、そして誤った解釈で伝わろうとも、ゴッホは日本を愛していたわけで、日本に近しい画家と言えると思います。

この映画では、やはりゴッホの破天荒とも言えますし、やはりなんらかの精神疾患の影響がある事をほのめかしていますけれど、その病気と周囲の理解の程度のギャップの大きさには、本人も周囲の人々も、同じように困った事態だったろうなと思います。無理解が悲劇性をより強くします。

ゴッホもそうですし、というかどんな世界のジャンルも同じだと思いますが、真の天才は同時代には評価されないモノだと思います。この評価がゆるぎないものになるのか、それとも一時的なモノなのか?は時代が進まないと誰にも分かりません。常識はその都度変化しますし、評価も時代によって変化していく事もあると思います。物凄く大雑把に、音楽で言えば、ベートーベンが評価される時は割合昭和的な、物語性や不遇を努力で乗り越える様に価値を置く時代だと思いますし、逆にモーツアルトの場合はもっと天才性、その努力ではなく(もちろんめちゃくちゃ努力していると思いますけれど)天才性、センスについて評価が高まる時代な気がします。

ただ、ゴッホはこの映画でもそのように描かれていますけれど、自分の絵を評価してもらいたい部分も少しはありますけれど、それよりもはるかに、描きたい、という衝動を抑えられなかった、という様だったのではないか?と思います。

病がどのように作品に影響を与えたのか?私にははかり知る術がありませんけれど、夜空の星や糸杉の描かれ方は、何かしらの美しさと同時に狂気を感じます。

マッツ・ミケルセンが出演してくれているのも嬉しい驚き。そして最近観た「潜水服は蝶の夢を見る」と同じ監督作品でした。これも偶然ですけれど、この偶然に意味を持たせる事が出来るかどうかは私次第だと思います。

デフォーも頑張っていますし、本当に自画像の絵画で知るゴッホに物凄く似ているのですが、ゴッホは享年37歳・・・ちょっとデフォーは年齢が離れすぎているように感じてしまいました、物凄く似てるんですけれどね。

ゴッホが好きな方にオススメ致します。

早く東京都美術館に行かないと!

「ファーザー」を観ました

2021年10月19日 (火) 09:45

フローリアン・ゼレール監督     ショーゲート
2021年公開映画なのに、もうU-NEXTなら観られる!という事で、アンソニー・レクター博士・ホプキンスの主演作品ですから、期待大です。いろいろな方もオススメしていたので。
2000年代のロンドン、と思われるフラット(部屋)に暮らすアンソニー(アンソニー・ホプキンス)はかなり癖の強い老人です。娘のアン(オリビア・コールマン)が何とか父を支えようとするのですが・・・というのが冒頭です。
もう、とにかく、アンソニー・レクター博士・ホプキンスの演技が、演技に見えない!自然!
認知症、誰もが避けたい病気の一つだと思います。
そしてもっと多くの人が同意してくれるであろう、老いる事への恐怖を、主演であり、自覚があるのか、無いのか、ある種の信用ならざる語り手であるアンソニーの目線で捉えた作品。
個人的には、多くの人が目をそらさずに観て、そして備えて欲しい作品で、現代のほとんどの人が、ピンピンコロリを目指しているのでしょうけれど、それは統計的にみて1割弱の人だけで、それ以外の人はなんらかの介護を経験していますし、その事実をあまりに知らなさすぎで、そのうちどうにかなるだろう、と思って生きているような気がします。
アンソニーの気持ちに寄り添って介護や生活をささげる事の、いかに徒労感が伴い終わりが無いのか?を比較的綺麗に見せてくれますし、程よいショックを与える映画作品として良い思います。
現実は、排せつ問題から、転倒問題、そこからの痛みに関する緩和問題、徘徊問題から、入浴含む清潔問題まで、様々な事柄があり得ます。
その中でも本人には、詐称している自覚が無い、という事がいかに恐ろしい事か?が描かれた作品。大変悪くない。
しかし、このアンソニーの自己評価高めの人間の末路の恐ろしさ、特に男性の社会的地位が高かったことにプライドを置いていたタイプの人間の陥りやすい、凄く上から目線の結果は、正直、あまり憐みの気持ちが起こりませんでした、可愛そうではあるけれど、娘アンの、下の妹と比べられつつも蔑まれた場合こそが、家庭内暴力に繋がっていく事も十分に考えられます。やはり、私は家族最高とは思えないんですね。有名なトルストイの名作「アンナ・カレーニナ」(の詳しい感想は こちら )の冒頭「幸せな家族はどれもみな同じに見えるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」に通じるものをアメリカンな単純な家族万歳映画や脚本を見ると、常々思うのです。家族最高、という事にしておかないと辛い、という現実を誰もが知っていて、わざわざ知らせないで、と言っているように感じるんですね。なぜなら「家族の中の地獄は逃げ場がない」からなんです。そういう意味で、家族に対してどのように接してきたか?は介護を受ける際には、大変、非常に大きく、影響されるでしょう。
自分の記憶さえも疑わなくてはならない状況をどう接すればよいのか?はプロに任せるのが1番だと思います。
この映画の最も嫌な部分は、ラストです。そっちか、結局そっちにいくのか・・・男性は本当に困った存在ですね・・・
アンソニー・ホプキンスの新たな傑作である事には変わりないです、あの、挙動不審な感じの目の演技が素晴らしい。得意になって饒舌に嫌味が言える脚本も素晴らしいのですが、それを生の言葉に出来るのは流石名優、アンソニー・ホプキンス!しかも役名と本名を一致させる凝り方!
老いてしまうすべての人にオススメ致します。

「由宇子の天秤」を観ました

2021年10月15日 (金) 08:32

春本 雄二郎監督     ビターズエンド

2021年の個人的ベストは「プロミシング・ヤング・ウーマン」(の感想は こちら )だと思ってました。ストーリィとしても2021年の映画だと思いますし、確かに欠点が無い映画ではなく、結構な穴もあるにはあるんですけれど、好みの映画だ、という事と、私は正直全然乗れないんですけれど、いわゆるスーパーヒーロー映画へのアンチテーゼにもなっていますし、それって「正義」と「私刑」の話しですし、結局のところ、誰もが絶対的な「正しさ」を持つ事は出来ない、という部分への鋭い指摘を、自身で示しつつ、観客にも向けている部分が好ましいと感じたわけです。まぁ退場の仕方は確かに問題なんですけれど、私は今は無き存在への鎮魂歌として、良い作品だし2021年さを感じたわけです。この映画を観るまでは。

しかし、「由宇子の天秤」はその上を行ったと感じています。これまた2021年の今作られるべき作品だと思います。

現代日本の何処かの川辺に佇む男がリコーダーでもの悲しい曲を吹いています。その姿をカメラが撮っていて、そばにいる女が男に話しかけています、どうやらドキュメンタリーを撮っているようで、由宇子(瀧内公美)はテレビドキュメンタリーのディレクターです。ある事件を追っているのですが・・・というのが冒頭です。

物凄く誠実な映画だと思います。少し詰め込み過ぎなきらいはありますが、綿密に計算された間、必ず受け手の予想を食い気味で起こる次の展開、まさに脚本の勝利な映画だと思います。私はこういう作品に弱い、すぐにヤラレタと思ってしまいます。

誰しもが、この映画の中で、次の展開を予想してしまいますし、そういう時間というか間も計算されていると思わせてくれますが、その上を行く展開を用意していますし、そのタイミングが一か所気になる部分はありますが(ネタバレに繋がるので避けます)、その他は皆無だったと、1回目の鑑賞では思います。必ず複数回見たくなる作品。

脚本の素晴らしさについては、ネタバレも含まずにはいられないので、触れません。最もこの映画で素晴らしいのは脚本なのですが。でもそれ以外の良い所があり過ぎるくらいの印象です。この映画を観てから数日経っていますが、ずっと考え続けています。

役者さんたちの素晴らしさについてなんですけれど、主演の瀧内公美さんの全てが良かった。眼差し、内なる苦悩についての表現、特に目の表現が恐ろしく自然。この映画の作り込み方から考えると、恐らく相当な回数、同じ場面を何度も繰り返し稽古し撮影していると思います。社会性、というか人は非常に多彩な表情や人格を含んで相手によってその内なるキャラクターを演じ分けている(無意識で)とさえ言えると思うのですが、それをとても自然に行っているので、本当に驚愕です。なんでこんなに素晴らしい役者さんを今まで見逃していたのか!と思って過去の出演作を観てさらに驚愕するんですけれど、私、瀧内公美さんを何度も観ているんです・・・それなのに初めて観ているかのような、つまり演技によって別人のように見えるんです、本当に凄い。この映画はこのキャスティングだからここまでの完成度なんじゃないかな、と思いますし、これからは瀧内公美さんが出演している作品は基本的に観る作品になるくらいヤラレマシタ。ドキュメンタリーディレクターとしての矜持の保ち方、社会人としてのリアルな悩みについて、しかし非常に迷いが無く決断しているくらい強いにも拘らずの、それでもな瞬間の訪れ、そこに正面から立ち向かう姿はもう決闘に向かう人間に見えます。

ここに、さらに同じように難しい役に挑んでいるのが、めい役の河合優実さんです。めちゃくちゃ難易度が高いキャラクターであり、本作の肝の人物で、非常に表現が難しいんです、そのグラデーションに説得力が無いと。ですから、かなり監督の要求も高かったはずなんですけれど、そこを完全にクリアーしていると感じました。凄い役者さんで、この人も追いかけないと、と思って過去出演作を観ると、またこの人を見ているんです。しかも今年に。「サマーフィルムにのって」(の感想は こちら )のビート板という役名の彼女がこのめい役だなんて、言われないと分からないです。本当に驚愕の演技力。ただ単にやはり私の目が節穴だという事がここで証明されたのですが、そんな事はどうでも良くて、役者さんの、演じる人になりきる、とはどういう事か?を改めて認識させてくれました。

この2人に勝るとも劣らない、印象度で言ったら最も強いのが、めいの父親役を演じている梅田誠弘さんです。

恐らく、初めて観る役者さんだと思います。しかしここまでキャラクターの本人感を出せるのが恐ろしい・・・話す言葉、娘である家族に対する態度と、非常にねじれた関係のような世間への態度、そこからなんとなく分かる非常に鬱屈とした、しかし虚勢を張る相手は選ぶし、それも本当の虚勢であって、何かしら心が砕けて失われてしまった過酷労働体験者の、その佇まいを演じれているのです。いや、演じているのではなく自然にそう感じさせるのです・・・恐ろしい、私は役者さんが凄すぎて恐ろしいと感じた事はあまり無かったと思いますが、まるでヒー・レジャーが演じたジョーカーを観た後の衝撃度と同じクラスの衝撃を覚えました。梅田さん、今後も出演作は必ず観なければならない、と思います。

ここに、さらにシン・ゴジラでの早口記者として非常にインパクトの強かった川瀬陽太さんがいわゆる一般的な社会感覚の持ち主として出演されていて、この川瀬さん演じる人物と由宇子との緊張感あるバディ感がたまりません。

さらに由宇子の父役三石研さんの演技も相当だと思います。父であり、経営者であり、そして男である、という多面性のある、というか恐らく誰しも経験のある、それでも我々はリビドーを飼い慣らさなければいけない、という事の重みを体現する者としての男性を見事に演じていると思います。

一体どんなキャスティング方法を用いたのかと思ったら、ほぼオーディションとワークショップでのキャスティングで、ココにも驚愕しました・・・恐るべし春本監督、まだ43歳で長編映画は僅か2作しか撮ってないんです・・・驚愕につぐ驚愕です・・・

見逃せないのが美術。ここにも凄く細心の配慮がなされているんです。何処まで凄いんだ・・・

あまり言及したくないんですけれど、分かる人にはちゃんとわかるように、父親の職業が、会話で言われるよりも先に、美術によって示されています。完全に意図的に、そして細心の注意が払われているので、とても自然に、なんです。あるはずのないモノがあると、人は違和感を認識するのだと思います、そこまで私は計算されていると思いますし、そうでないと絶対にしない配置と画角だと思いますが、自然なんです。

生活困窮者の生活の澱のようなものまで表現出来ているのが、本当に恐ろしい。

とにかく、今年の今の所のベスト。まさか更新すると思ってなかったくらいのベストを越えたので、映画が好きな方、もっと言うとテレビを観る方に、強く、映画が好きな方には、強烈に強く、映画館で観ないとダメな作品でオススメ致します。

春本監督もよくこの事をご理解されているようで、鑑賞後(2021年10月7日(木曜日)10:00の回を観ました)、ロビーにてお話し出来たのが大変な僥倖でしたが、うっかり前作のDVDはないのでしょうか?と話しかけてしまった自分を恥じ入ります。映画館で観て欲しい、という事でDVD化を出来るだけ避け、劇場でないと観られないようにされている方です。志まで高い!人としてのステージが違いました、それなのに気さくに話しかけて頂き、本当にありがとうございます。

アテンション・プリーズ!

ココからネタバレありの感想です。出来れば多くの人がkの映画を観られる環境になって欲しいです。何しろ今は東京ですと、ユーロスペース1館のみの上映ですから。

まずストーリィの展開ですが、本当に上手いのが、常に由宇子と共にカメラがあり、由宇子と共に時間経過が進んでいくので、回想シーンさえありません。しかもドキュメンタリーディレクターである主人公なので、凄く入れ子構造であることが、実は観客にも、貴方は何を考え選択するのか、この映画の場合はこうだったが、 あなたは 何を 選択すべきだと思うのか? という非常に強いメッセージ性にも繋がり、周到!と思いました。

最初、よくある(は言い過ぎました、時々あるくらい)生徒と教師の恋愛関係の末に、生徒が自殺、マスコミが報道を煽った結果先生も自殺、しかしその経緯が不明な事件、と聞いて、かなりストレートだな、という第一印象だったのですが、これは当然ですけれど布石なんです。本当の意味で『正しさ』とは何か?を突きつけるのは、自分が、撮り続けてきた事件の加害者側に、そして自覚が無くても、注意していても、誰でもなる可能性がある、と自分事として感じられた後、どのような態度を取るべきなのか?というまさに試練として降りかかってくるんです・・・

ココで真実を追求するドキュメンタリーディレクターとしての、由宇子の作品への嘘の無さは、大変如実に語られています。対象者への取材の難しさ、一歩間違えば企画そのものが無くなってしまう事、外注であるドキュメンタリー制作会社の資金的なギリギリのラインさえも、その交通機関の使用方法と時間伝達だけで理解させるのも凄まじいですし、説明口調ではない、自然さに繋がっていると思います。

真摯に作品作りを手掛け、時には弁護士から概観は住所特定に繋がる恐れがあるので避けるように、という指示に背いてでも、臨場感と作品の完成度として必要であれば辞さない由宇子の作品への熱意、かなりの強さです。もっと言えば少し強すぎるくらいで、仲間である上司やカメラマン男性仕事関係者との会話はほぼ男の友情的な、ツレと表現したくなる態度で、テレビ局の人間のダメ出し、妥協性、保守的な決定には牙を剝く、そういう人間として描かれていますし、最初はその場面由宇子の社会的な人格を見せつけられるんです。

大事な事なので書き記しておきたいのが、私にとって2021年日本公開映画で上位に来た作品に共通する点があった、という事です。由宇子のテレビ局員の食事へ行為は、プロミシング・ヤング・ウーマンの主人公キャシーと同じだった、という事を指摘したいです。あくまでこの2作なんですけれど、あまりに同じ様な事をしているのでびっくりしました。もう1点あるのが、性的被害の決定証拠である動画が出てくる事です。

そんな由宇子のもう1つの顔が塾講師としての顔です。

古くからある街の学習塾であり、生徒との関係が非常に近い、親近感のある学習塾として描かれていて、ココでの由宇子は、みんなのお姉さん的な人物で、職場とのギャップが著しいけれど、自然なんです。そこにははっきり過去にカンニングが見つかった事があるからという父親への尊敬と配慮が丁寧に、しかし手短に描かれています。同様に商店街での由宇子の立ち位置までもさらりと、しかし確実に誰にでも分かる、短いけれど確実に街に溶け込んでいる事が理解されているからこその、この後の衝撃度が重い。

まさかのめいの告白、父への詰問と急展開していきます。今まで追っていた事件と似た構図の事件が自分の周囲でも起こっている事を知る由宇子の胸中はかなりの驚きがあったに違いないのです。

しかし、同時に、由宇子はこの事件の向かう結果をケースとして見知っている。選択を間違えると、甚大な被害と、法よりも恐ろしい、罰しても良い、という烙印を押された人への執拗な攻撃がある事を。

それが簡単に人の命を奪い、生活を奪い、人間性を失わせ、家族やかかわりのある人をどれだけ崩壊に導くか、を由宇子は知っている。だからこそ、ドキュメンタリー作品で、そしてテレビというマスメディアで、傷つけられた人を、同じマスメディアを通して、由宇子の言葉で言えば生き返らせようと、している。

ココにはドキュメンタリーディレクターとしての、由宇子のアイデンティティと言ってもいいほどの矜持がある。だから譲れない。今後もこのドキュメンタリーディレクターとしては1度も譲らないし、諦めない。
しかし、事、自分の家族、しかも父となると、そして自分もその家族としての烙印を押された事でここまで製作してきたドキュメンタリーを放送出来ないとなると、そう簡単に譲れない、という事が出来ない。あるいは、私ならもっと上手くこの難局を乗り越えられる、1度知っているのだから、と思ったのかも知れない。自分にはその実力があると。人の命が片方の天秤に載せられていようとも、細心の注意を払えば、私なら、と。
この際に、ガンマンの武器がピストルであるように、由宇子の武器は記録、携帯電話のビデオカメラです。本当に「人にカメラを向け撮影する」というのは攻撃という暴力に近い、と改めて思います。カメラを向け(あの録音を示す赤いランプの何と恐ろしい事か)その向こう側に自分を置き詰問する事で、人に圧力も、同情も、やり方はいろいろではあるが心の最も深い部分を目の前に差し出させる事を、その術に長けている由宇子は知っているわけです。
だからこそたった1度のセックスで何もかもを捨てるのか!と迫れる。ここで本当に1回のセックスですべてを捨てるほどの価値があるのか、という判断は人によって違うので於きたいです。
少しだけ映画の感想から離れますけれど、男はそういう生き物でもある、という事が自分と同じ性別なだけに私はとても恐ろしい。多分、それでも理性が働く、と誰もが思っていると思うし、まさかすべてを捨ててまでの、たかが数時間の快楽と残りの人生を棒に振る事を天秤にかける馬鹿はそうはいない、と思っていると思います、大多数の人間が。しかし、理性が負けた例をかなり挙げられると思います。そういう事実がある事が私は本当に恐ろしい。この父親は、恐らく60近い、そして40近く年の離れた、自分の孫の世代であり、理屈では本当に愚かで恐ろしく、相手のめいに、どれほど深い身体的精神的ダメージがあるのかを考える事が出来れば、恐らくすべての男性がそんな事をするわけがないと思っています。それでも、このような事件が起こっている、現代でも過去でもかなりの数の例を挙げられるという事が、私は恐ろしいのです。

戻ります。
父親の事の重大性が全然、さっぱり、かけらも分かっていない事が分かっていら立つ由宇子ですけれど、このままこの状況を黙って見ている訳では無く、非合法も含めて、動き出します。
医師に働きかけ、堕胎手術ではない、誰にも知られないで出来る方法の模索と折衝、さらにめいを気遣い、その家庭環境への改善のアプローチを、こちらに落ち度がある事をおくびにも出さずにやり遂げ、しかも非常に自然で、周囲への配慮もたいへんさりげなくも、めいからの信頼を勝ち取る様は、由宇子がいかに優秀かを物語っていますし、信じられないくらいですし、ごくごく僅かだけれど狡猾ささえ感じます。しかし信念がある。追っている事件の完成が近づき、めいとの信頼関係も手に入れ、同僚が職員になる、という成功まで手にし、これまでの努力が実を結ぼうという時に、めいの同級生からの噂を聞くわけです・・・
由宇子が映っていないが重要なシーンは、父親の買い物帰り、駅前のような場所で、非常に空疎で陳腐な政治家の言葉であっても、いや、だからこそ、まるで自分を責めている様に感じられて速足になるシーンは重要だと思います。
由宇子の父親にめいの父親が、よりにもよって看板を持って、語りかけてくるのです。いつこの父親が口を滑らせて、いや、「正義」に目覚めたふりをして自らが楽になりたい、という欲求に負けてしまわないか、というこれ以上ないサスペンスを感じました。この後、めいの父親がどれだけ心が荒んでいるかが分かる暴力性溢れるシーンが合って、そこも恐ろしいですし、このめいの父親の、笑顔が顔に張り付いてしまって剝がせなくなった表情を観ると、胸が締め付けられます・・・だからこれが役者さんの演技だと思うと本当に恐ろしい。
もう一つ美術の話しで、めいが暮らす部屋の美術が凄すぎる。是枝監督「万引き家族」のあの家の描写もあまりに凄かったですけれど、このめいの家の状況も凄まじいです。そして細心の注意を払って、様々な場所にカンバスがあり、どうしてココに?という違和感を感じ目がそちらを意識してしまうのです、めちゃくちゃ計算されているように感じました。このかなりの数のカンバスを目にしたことで、部屋の汚れ具合、母親が居ない事は既に分かっているので、もしかして画家を目指していて筆を折ったのでは?という推察が、めいの言葉で語られた時に、やはり、という確認の意味での納得感がすさまじいと思いました、本当に上手い。めいの父親が画面上に初めて出てくるとそれだけでもの悲しいのです。ガスも止められ、保険料も滞っている父と娘・・・こういう細部でもかなり細やかな配慮がされていて、何度も鑑賞しないと掴めそうにありません。そういう意味ではアスガー・ファルハーディー監督の名作「別離」を思い起こさせます。
終盤に至り、めいとの関係性が確実になりそうな映画鑑賞(映画のタイトルが知りたかった)の日、突然、追いかけている事件の真相が暴かれ、今までの苦労が水の泡となった瞬間、由宇子にとっては、この番組は完全に失敗に終わったわけです。それも覚悟の上ではあったと思うのですが、確実な不履行があり、もちろんそれを同僚である富山(川瀬陽太)にも見せたい。見せたいのだが、被害者である妹をこれ以上追い詰めたくはないし、ここであの、妹家への取材と同時に家に入り込めるまでの関係性を築きあげたからこその、相手の立場にも立てる、信頼関係を得たからの相手へのこれ以上の負担を避けなければならない苦しみが由宇子に重みをかけてきます。しかしその選択は同僚である富山には伝わりにくいことも理解した上で由宇子が富山にビデオを向けます。
富山の主張は、恐らく、社会で働いてた事がある、バイトという責任が軽い働きではなく、まさに労働を経験した人であれば誰しもが感じる圧力で、正論ですらあるのだけれど、テレビで流すドキュメンタリーディレクターとして、どうしても譲れない部分に抵触してきます。富山は働いて交渉して作り上げた作品を納品し金銭に変えたい。労働の対価を求める、自然で必要な行為です。ですが、そのまやかしを受け入れる事、絶対的なラインを1mmでも譲る事は、恐らく事実という『多面的な理解が可能な何か』を捨てる事に繋がっていて、だから譲れない。ここで富山の主張にはきっとここまで由宇子を追ってきた観客には、自然と富山と協調する由宇子は受け入れない事は理解出来る。あまりに決定的な出来事を修めた動画(しかし見えない。ここもプロミシング・ヤング・ウーマンと同じ)がある以上、当然だし、あとは妹をここから逃がす事しか由宇子には出来ない。例え仕事を失う事になろうとも。私は由宇子が仕事を捨てたように見えました。
ただ、脚本上で、ここで妹が、事実を打ち明ける、というタイミングが、めいとの対決に至るこの最終場面になっている事が、ほんの少し作為的、もっと言えば妹家を訪ね食事をし、相手の体に障る事が出来た時であった方が自然なんじゃ、とは感じた部分です。脚本上で、1回目の鑑賞で唯一、気になった部分です。
めいのいる車に戻る由宇子が、ついに、めいに問いかけるのは、由宇子が職を失ったから、という部分もあるのかな、と邪推しました。作品は流れない事が決まったわけで。ただ、私はめいが本当に身体を売っていたのか?この映画の中では唯一、真実が語られない。本当はどうだったのか?分からないしその後も語られない。かなり疑わしいが、グレー。
もし、身体を売っていたわけではなく、父との関係だけであった場合、由宇子のこれまでの選択は間違っていたことになるし、徒労に終わる可能性があるのですが、ココで問い詰めないわけにはいかなかったのは、由宇子らしくなかったようにも感じられ、しかし、切羽詰まった息苦しい状況を丹念に、丁寧に、ほぼ全ての人の配慮を重ねた結果、それでも確信が得られなかったが、此処で問いたださないわけにはいかなかった由宇子の焦りも感じられました。だからめいが放つ一言「結局先生もかよ」が、本当にどちらとも取れる。そしてもっと言うと、どちらであったとしても、傷ついているのはめいなんですよね・・・そうしないと生きて行けなかったのではないか?と感じます。
めいが身体を売っていたのか?真実は語られないが、しかし、父親が関係を持った事だけは疑いようがない事実として浮かび上がってきます。
めいが入院している病院に父と由宇子が来て、そこへめいの父親が説明しだすシーンの、あの駅前での父とめいの父の邂逅と同じサスペンスがあり、ここでも父親は結局何も言わないのですが、カメラが由宇子と父を後ろから撮る場面に、めいの父親が去った後に分かるシーンなのですが、それまで見えなかった由宇子の手が、父親の手を引っ張っているのが分かるのも、とても上手いと思いました。そうか、手を引かれていたら、それは、この父親は言い出せないだろう、という説得力、何故言い出さなかったのか?という疑問は解消するカタルシスがここにはあると思います。
ついに由宇子がめいの父に真相を吐露する前に、由宇子もかなりの逡巡があったのが、バスで帰ろうとしたり、迂回しようとしたり、しかし立ち止まり、真実を告げるシーンは本当に重みがありました。
めいの父の衝動、その後の歩き方、目のうつろさ含めて、本当に印象に残る。
そしてついに由宇子が自らにカメラを向けるシーンで暗転。何を語ったのか、凄く気になる。
脚本は本当に見事で、結局、真実を知る、というのは観客は由宇子と常に一緒なんです。だからこそ新鮮な驚きがあり、とてもドキュメンタリック。

正さとか報道の加害性、罪を背負う事とはなんなのか?そして法の外、何故自分には全く関係の無い犯罪であっても、その烙印を押された者へ執拗な攻撃を繰り返すのか、そういう部分をあぶり出しはしますけれど、この映画はそれよりも、由宇子というドキュメンタリーディレクターの矜持を描きつつ、明かされる真実、その変化があったとしても、常に、厳しく辛くとも譲れない部分を仕事では貫けるのに、プライベートというか家族という中では、あがいて法を犯そうとも、何とかしようと、しかし、スマートに立ち回る由宇子を描いていて、ほとんど超人的に真摯な姿勢を崩さないのですが、それが細やかにどこまでも対応し続ける由宇子の強さが非常に強調されているように感じました。もちろん逡巡しているんだろうけれど、もっと普通の人間あら悩み、視野狭窄に陥り、保身に走ったり、楽になろうとすると思います、多分男性はより、その傾向が強いとも思うので。
とにかく、こんなスゴイ映画が都内で僅か1館だけというのは、どう考えてもおかしいし、日本の映画観客のレベルはまだそこまで下がりきっていないと思うので、早くアップリンクでも何でも構わないから増やした方が良いですよ。





「潜水服は蝶の夢を見る」を観ました

2021年10月12日 (火) 09:35

ジュリアン・シュナーベル監督     パテ アスミック・エース

友人のオススメなので、観てみました。U-NEXTに入っててすぐに観れました、U-NEXTは本当にエライ!

私でも知っているフランスの雑誌「ELLE」の編集長を務めるジャン・ドミニク(通称ジャンド―)は病室で目を覚まします。医師から話しかけられて答えているのに、通じてない状況ですし、何かが通常とは異なるのですが・・・というのが冒頭です。

42歳で病魔に襲われた主人公の男ジャンド―の『人間性』を手放さない話しです。

これは実際に起こった出来事で、その点が本当に凄いし恐ろしいです、私が今この瞬間にも同じ病魔に襲われないとも限らないからです。その時は私は簡単に人間性を手放してしまいそうです・・・

比喩表現が素晴らしく、潜水服と蝶を結びつけるのが凄く文学的で、こういう表現に私はすぐにやられてしまいます。イイです。流石フランスの一流雑誌の編集長。現代版の「モンテクリスト伯」も観て観たかったです。女性を主人公にして現代に舞台を移す、面白そうです。

久しぶりにマックス・フォン・シド―を観ましたが、ああ。

周囲の人がこれだけ献身的なのが、またスゴイし、全然知らなかった人物ウジェニー・ド・モンティジョの数奇な運命もなかなかでした。そうかこの病院の施設で、あのディアギレフのバレエ・リュスが練習して、ニジンスキーが3mも跳躍したのか、と思うと凄く見て良かった、と思わせてくれます。

言語聴覚士の女性が、というかこの映画に出てくる女性は全員美人です、そう言う所もフランス、な映画。

ちょっと気になったのが、少し専門的なんだけれど、嚥下の練習、理解出来るんだけど、発話の練習及びそのあたりについての誤嚥性肺炎への配慮ってどうだったんだろう?というのがこの映画を観た私の最も大きな感想です。これは専門家も意見が分かれるんじゃないかな。

病気になる可能性のある人に、病気になる前に観て欲しい映画、オススメです。

「人情紙風船」を観ました

2021年10月8日 (金) 08:46
山中貞夫監督     東宝
結構前からいつか見たいと思っていましたが、なかなか腰が上がらなかったのですが、生活に疲れている今はもしかすると良い機会なのかもしれない、と思いAmazonprimeで観ました。
皆様が名画に挙げているのを深く納得した次第。
個人的には、人情とか母子の共依存とかをどちらかというと嫌っていますし、江戸時代の『粋』とか『通』とかは確かに生活の美意識を見て取る事が出来ると思えるのですが、それってすごく江戸時代という身分制度の厳しさと共に、大変卑屈な生活からのやせ我慢を肯定する事のような部分もあると感じていて、あまり好ましい印象を持っていません。この映画の中でも、冒頭、いわゆる隣組のような仕組みが見受けられます。
しかし、それでも、非常に悲しい物語でもあるのに、僅か86分に収まっている場面、その転換、構図、光と影、対比、様々なモノが美しく輝いて見えました。
確かに名画だと思います。
しかし、惜しいのが、このフィルムの保存状態で、やはりちょっと、いや大変な損失だと思います・・・それを言ったら、28歳で戦死された山中貞夫監督の遺作であるというのも、非常に悲しく、偉大な映画監督になっていたのではないか?と夢想します。
役者さんにも驚きがあり、その当時の任侠モノがどのような生活であったのか?公開は1937年、昭和12年であり、この時代でさえ江戸末期だとしても70年以上前の出来事を映画化しているわけですけれど、今の私が想像する江戸よりもかなりリアルな所作に満ちていたと感じられました。しかも役者の所属が前進座って、え、あの吉祥寺の前進座?って調べてみるとその通り観たいです。
この映画の中の、私は『うなだれる』とか『途方に暮れる』という仕草に非常に感銘を受けました。肩の落とし方、もの悲しいどうにもならない虚無感、余韻があります。
構図も素晴らしく、想像させる余地を残すのが、たまらなくカッコイイです。左上に月、右下に川面があり、真ん中を斜めに横切る橋の上での男二人の対決、そして光る刃物からの暗転のダイナミズム!本当に凄かった。
これは小林正樹監督「切腹」(の感想は こちら )のようでもあり、しかし武士の心意気だけではない庶民の生活も描いていて、円環構造と言い、本当に映画そのものが美しいのです。
4Kリマスターされているそうなので、なんとか見ないといけない、と決意しました。
そして、この「人情紙風船」をもって遺作となった事について監督山中貞夫が『紙風船が遺作とはチト、サビシイ』と言っているだけに、もっと作品が作られていたら、と思わずにはいられません。
モノクロ映画が好きな方、日本映画の傑作を観たい方にオススメ致します。
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