井の頭歯科

「トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン」を見ました

2019年3月11日 (月) 09:12

ウィリアム・ピーター・ブラッディ監督     IVC

いきなりPCが壊れてしまい、ここ1週間ほど大変困りました、その上年度末でなかなか厳しい毎日ですが、なかなかショッキングな映画体験になりました。

原題はThe Ninth Configuration、原作も同じ題ですね。

そして、この方の最晩年の小説『ディミター』を私かなり昔に読んでました。こんなところで繋がるとは!なかなかのミステリなんですが、描写もスゴイし展開が絶対に読めない、まさに神と悪魔の話し、キリスト教圏の話しで、まあとにかく生活に歴史にキリスト教が刻まれている世界だと、なかなか大変な事だろうな、と実感します。もちろん、キリスト教がなかったら、産業革命も起こらなかった可能性もあるし、とは言え長い中世も無かったし、と思うと、よく分からなくなってもきますが・・・

センター18、という和題がつけられていますけど、ninthって9番目じゃないの?なんで18なの?その辺りに何か意味があるのか?私調べではよく分からなかったです。

ベトナム戦争末期、今で言うPTSDのような精神疾患に病名が付けられていない時代。精神に異常をきたした患者を集めた軍施設が、ヨーロッパの古城を思わせる建物の中に作られ、患者を治療、観察しています。その施設に新たな精神科医カーン大佐が赴任するのですが…というのが冒頭です。

なんと言いますか、非常にシュールな冒頭です。タイトルが出る前に曲がかかるのは、私の少ない映画体験の中では他に覚えてないですね。配給会社の名前等何かしらの会社名が出るのが普通だと思うけど、斬新なオープングで、心掴まれます。

最初は、精神科医カーンを除けば、名画『まぼろしの市街戦』フィリップ・ド・ブロカ監督作品(の感想は こちら )のようなシュールさです。コメディタッチにさえ見えるのですが、あまりに精神科医カーンの暗澹たる心持ちが演出でも強化されているので、より不思議な感覚に陥ります。

ネタバレは避けますが、精神病棟を舞台にした映画は傑作が多いですし、それこそ『カッコーの巣の上で』、『レナードの朝』、『シャッター・アイランド』、『羊たちの沈黙』、『アマデウス』、『チチカット・フォーリーズ』、『バニラスカイ』、『パプリカ』と『ジェイコブズ・ラダー』も入れて良い気がしますけど、まあいろいろありますし、全部が傑作ではないけれど、かなり水準高いですよね。

今作は作られたのが1980年ですし、その点でかなら早い作品だと思います。

シェイクスピアや文学、形而上学、哲学に興味がある方なら、ニヤリと出来る様々な論点があり、私も全部は分からないですけど、ギミックが効いていて楽しいです。

特に、犬にシェイクスピアを演じさせる男とのハムレット談義は、大変に興味深く、しかも、非常に大きな伏線になっていると感じました。

しかし、後半はかなり振り切った作品になっていて、この辺が、私個人からすると、ああ、まさに『ディミター』の作者!と膝を打ちたくなる展開です。

舞台設定、キャラクター、ストーリー、演出に至る全てが最終的には『果たして神は、悪魔は、存在するのか?』を扱っている伏線になりうるのも面白みを感じさせてくれます。

果たして、神は存在するのか?ここに大胆な演出、私は演出だと感じる、伏線があると思いました。

精神科医モノがお好きな方、ベトナム戦争モノの中でも『ジェイコブズ・ラダー』が好きな方に、オススメ致します。

精神疾患モノに興味のある方に、神と悪魔の存在をどう思ったら良いのか?疑問を感じている方に、オススメ致します。

アテンション・プリーズ!

ここからネタバレありの感想になります。かなりいろいろ読み込める映画ですし、受け手である観客がいろいろ決められる要素も多いです。ので、私なりの結末の意味を考えてみたくなりました。

ネタバレありの感想ですと、まあ、「シャッター・アイランド」マーティン・スコセッシ監督な作品(の感想は こちら )ですし、信用ならざる語り手モノでもあるんですが、まあ割合早くにわかります、前任者を見たことある、という下りで既にかなり怪しいし、前任者の精神科医が泣き崩れるのも、ちょっと早い気がしました。 でも逆に、まさにその先を描きたかったから、なんだと思います。

カーンは自らを否定し、間違われた事を契機に、他者である精神科医に自己投影しなりすます事で、自らの体験を乗り越えようとするわけです。 で、絶対的孤独を恐れる失敗した宇宙飛行士であるカットショーに、1例でも良いから示せ、と言われ、さらに教会でも同じフレーズを読んだ事から、その想いをつのらせるのだと思います。 このカットショーとの会話が、なかなかに痺れます。命を賭して別の命を助ける実例、私は結構あると思いますけど、カットショーの反論にも一理ある気がします。何しろカットショーはまさに無神論者のレトリックを用いる男なのです。さらにここに自己陶酔が入ってくると、その英勇的行為の評価は難しく、心の中の意思は誰にも共有出来ませんし、口でどう言われようとも、心の中が違う可能性もあります。

さらに、本題に近い宗教的善き事とされている場合の刷り込み、殉教と言われる行為の何パーセントかは、自己陶酔である部分もあるように私には感じます。 ただ、カーンは精神科医メソッドを持っていたのではなく、彼らにとって友人になったのだ、と考えると、さらにエモーショナルだと感じました。1人の友人として、カットショーを救いたかった、と。その為にカットショーの心情を吐露し友人としての関係性が生まれた後に、自身の自死を見つめてショックを与えしたかったというカーンの気持ちが心を撃ちます。 冷静になると、他にも方法があるだろう、とは思うけど・・・

さて、ラストのラスト、ある種の遺言を読んで、観客と共にカーンの意思を理解した上で、さらに精神科病棟も閉鎖され(多分、前任者精神科医からスタッフへは事実を知らせていたが、患者たちは本物。だとすると、この施設はカーンの為だけに作られたわけではないのだと思いました。何でもカーンに収斂する話しだと、あまりに壮大でリアリティがなくなって醒めてしまう傾向にあって。シャッター・アイランドがあまり好きじゃないのがこの点です・・・)た後に回復したカットショーが佇み、金貨を拾った笑顔で終了。大変余韻ありますよね。

死後、何らかの方法で死後の世界があるなら連絡してくれ、というカットショーに(死してなお、孤独を恐れているのかも知れません)対して、カーンは努力する、という意図の返事をしている事から、金貨を拾う奇跡を通して、カットショーは死後の世界があり、孤独ではない事を知り、心からの安堵から溢れる笑顔を見せる事が出来たのだと思います。

と、私も鑑賞直後は思ってました。 でも会話劇の中でも、最も印象に残り、腑に落ちたのは、私はハムレットのシーンと1つの例のシーンだと思います。

で、ハムレットの話し、狂っていたのではなくか演じていたのだ説に納得したので、より、この解釈が、この映画のラストにまで効いていると思うのです。 私は金貨を拾ったのは事実だと思いますが、それ自体も幸運だけど、それがカーンに渡した金貨かどうか?は分からないし、渡した金貨なら奇跡だけど、映画的演出だと思うんです。

でも、ハムレットと同じように、狂っていたか?いないか?ではなく、狂った演技をしている、で言えば、神がいる?いない?ではなく『いると考え、善き事を行え』というメッセージだとすると、今までの映画が飲み込め易くなると思うのです。 カーンは看守に向かって唯一キレていたのは、愛を持て!という時でした。過去に犯したベトナムでの子供の殺害におけるトラウマを克服する為にも、同じ誤ちを同僚にしてもらいたくない為にも、カーンはキレないわけにはいかなかった。 そんなカーンはシェイクスピア演出家の説に納得しているのです。

神はいるか?いないか?ではなく、神がいると思って善き事を成せ。ディミターの作者として、最も個人的に響く回答だと感じます。

ただ、私は神がいなくとも、恥を知る人間は内発的に善き事が成せる、説を信仰する者です。

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