井の頭歯科

「春にして君を離れ」を読みました

2025年7月9日 (水) 09:20
アガサ・クリスティー著    中村妙子訳    早川文庫
これもSNSで見かけたオススメだったので読んだのですが、55歳の今読んで理解出来る感覚の本でした。
クリスティを読んでいたのは小学生から中学くらいです、中でも最初期は、そして誰もいなくなったとオリエント急行殺人事件が好みでしたし、小学生の頃から、映画館でポアロ関係の映画を観ていたので、かなり読んだ作家だったと思います、特に有名な作品と、名探偵が出てくるのであれば、読んだと思います。
その後大人になって、アクロイド殺しの別な見方があると言う話しから読み直してびっくりしたりしましたが、この作品は名前も知らなかったです。
イギリスの、地方弁護士ロドニー・スカダモアの妻であるジェーン・スカダモアは3人の子供も巣立ち、末娘であるバーバラが夫とイラクに赴任して病気である事を知り、イラクに駆けつけ、全てを世話してやり、イギリスへの帰途に就いたのですが・・・というのが冒頭です。
なんというか、読み始めた当初は、かなり鼻持ちならない女が主人公の、変な話しで、何処に転がっていくのか?分からなかったのですが、驚くほど精緻に組み上げられている、ある種のミステリーです。
私個人が、この小説をミステリとして捕える事で興味を持っていただけるのであれば、7章が終わった部分、8章の始まる前に、読者への挑戦、というページがあると思ってください、と紹介したいです。
この読者への挑戦は、犯人を当てろ、というモノではなく、この物語はどんな着地を見せるか?予想して欲しいのです。ある程度、当てる事は出来ても、完全に当てる事は不可能に近いと思います。
でも、ある種、人生の経験を踏んでいないと、理解が難しい小説かも知れません。ジェーンという女性を主人公で語り部でモノローグで書かれていますが、私は恐らく、ロドニー視点で読んでしまったかも。そして、非常に感銘を受ける話しでもあり、解説であの、栗本薫が、読者にさらに余韻を与え、考えを巡らせる話しをしてくれます。
それにしても現実、生活の持つ『変化を嫌うチカラ』の恐ろしさを感じます。それも50代の人間には、とても重みをもって感じられます。あと個人的性格にもよるモノだと思いますけれど。
哀しみ、を細かく描き切った傑作。
果たして、最後まで読んだ後、夫の言葉を読んでなお、ジョーンは幸せと言えるのだろうか?読後に伺ってみたいです、私は、一つの形ではあるモノの、自分は耐えられないであろうと思いますし、特に紳士と淑女の国であるイギリスであれば、より、キツいと思います。
そして、ロドニーの生は幸福であったのか?についても、聞いてみたい。
子供を育てた事がある方に、そして子供を育てた事が無い方に、若さが失われた自覚のある方に、オススメします。
ここからはネタバレアリの感想の感想になりますので、未読の方はご遠慮ください。
ネタバレありですと、まず、かなり最初、それこそキーになる人物ブランチ・ハガードとの会話で、この主人公であるジョーンが好きになれませんでした。凄く一面的な評価で、もちろんクリスティーも、そう思わせるように書いていると思います。とても他者を見下ろし、自分を女性の勝者としての価値観という物差しから離れる事が出来ない視野狭窄の、しかし、時代的には間違いなく主流で、保守的な上流階級からは支持されそうな(とは言うもののジョーンは上流階級では、無い)思考の持ち主。思考の死角が存在する事さえ気づかない、とても幼いまま年を重ねた女性で主婦に見えました。
だから、最初は読み進めるのに時間がかかりましたし、何か事件が起こるのではないか?とも、クリスティーだからこそ、思ったわけです。
しかし、これは凄く女性的な話しでありつつ、非常に突き放した、信用ならざる語り手、とも言える作品。
思索にふけるにつれ、何となく、これはジョーンが自立する話し、春にして君を離れ というタイトルからして、離れる話しなのかと思いきや、自覚を感じ、恥じ入り、謝罪の気持ちが芽生え、やり直そうとする意識まであったのに、日常、彼女の望む通りの世界に、真実ではなくジョーンにとっての清らかな世界に戻るのを見た時、映画「マトリックス」で主人公を裏切るサイファの事を思い出しました。苦い真実よりも甘美な虚構を受け入れるのは、理解はできる。理解はできるが、このジェーンの場合の選択は、全く受け入れられなかった。
ブランチ・ハガードへの軽蔑、自堕落と切って捨てる感覚、自分は上手く夫を見つけ、その仕事に金の面での差を感じ取って、農場ではなく弁護士をさせた事を、誇りに、思っているジェーンの鼻持ちならなさは、その周囲の人間からの、上辺だけの関係性を、自分だけ信じ込めれば、理想的なのかも知れませんし、実際の所、そういう人も多いのだと思います。
細かな伏線を回収しつつ、一人の人間の在り方を問い、見せ、考えさせる小説で、しかも上手い。冒頭の展開、素晴らしいと思いますし、どんな人物なのかを、非常に端的に示せる出来事。その上、また世界の半分を敵に回すんだけれど、女性的だと私は思います。
ロドニーの悲劇性について考えていたら、解説の栗本薫の指摘、確かに共犯関係!凄い小説。そして解説。
栗本薫の『レダ』ってこういう作品からの影響についても考えさせられる。
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