井の頭歯科

「聖書を語る-宗教は震災後の日本を救えるか」を読みました

2011年9月17日 (土) 08:59

佐藤 優   中村 うさぎ 著             文藝春秋

気になる作家である中村 うさぎさん、鋭い切れ味あってつい読んでしまいます。もちろんうさぎさんの単著も面白いのですが、対談形式のものも非常に面白いです。その対談相手に佐藤 優さん、私は初めて読む方なんですが、この方もの凄く様々なことを知っている方ですが、この対談凄く面白かったです。

お二人ともキリスト教に子供の頃から関わりが深く、しかも同じプロテスタントであるのですが、うさぎさんはバプテスト派、佐藤さんがカルヴァン派ということで、結構乖離が大きいんですね。私も良く知らなかったんですが、プロテスタントの中での教義の違いにびっくりしました。宗教的理解が疎いんですが、プロテスタントの中でもここまで大きく理解が異なるということそのものに驚かされました。個人的にはバプテスト派の考え方にまだ親しみを感じますが部分が、『努力でなんとかしようとするのは人間の思い上がり』というくだりには非常に考えさせられます。カルヴァン派として生きていくのは幼少期の刷り込みがないと基本的には無理なのではないか?とも思ったりしますが。

またお2人のそれぞれが好む聖書のエピソードもかなり違います。政治色強い佐藤氏と、裏切るという行為に人間的なモノを透かして見るうさぎさん、かなりの隔たりがありますよね。だからこそ、対談として面白く、いちいち引っかかるうさぎさんに対して、大人で知識豊富な(いや、本当になんでこんなにいろいろなことを知っているのでしょう?凄い)佐藤氏がいちいち大人の対応をするのがまた含蓄あって良いです。

次の章では村上春樹の「1Q84」とサリンジャー作品を扱うのですが、私が「1Q84」を最後まで読んでない(BOOK2まで読みましたが、あえて3を読みたいとは思えませんでした)のと、サリンジャー作品を細かく追えてないので細かい部分で分からないことも大きいんですが、この両者の作品と同時にうさぎさんが例に出すのが「新世紀エヴァンゲリオン」でして、なんとなくこの例を出すのは分かります。ようするに母性という神話で男性は救われる、という安直で、単純で、男性主義的なものではないだろう、ということですね。モナドを使った解釈、共通に敵を見つけることでの結束(ということを最も上手く描いていると個人的に思うのは藤子・F・不二雄の「イヤなイヤなイヤな奴」だと思ってます)については確かに、です。

ただ、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」は読んでみたいと思わせられました。なんだか凄そうな小説ですね。サリンジャーって「キャッチャー」のイメージが強すぎてそれ以外を読んでないんですが、これは期待してしまう紹介のされ方です。お二人ともが、かなり強く共感していました。早速読んでみたいと思ってます。

さらに聖書へとまた話しが戻っていくのですが、原罪についての受け取り方、うさぎさんの解釈はなかなか鋭いと思いました。詳しくは読んでいただくしかないんですが、「原罪」は「セックス」ではなく他者の目を意識した「自意識」によって生み出された「自他」であるのではないか?と。この部分だけでもこの本を読む価値があったと思います。

この本の後半半分を、やはり3.11の震災後に「宗教」は役立つのか?という大きな題に割いています。私は信仰を持ちません、神の存在を証明することは出来ない代わりに、存在を否定することも出来ません。『神さまという存在を考え出したのは人間である』という考え方を、今のところ支持していますし、個人的に1番納得出来ます。しかし、だからと言って信仰ある人とコミュニケーション出来ないということではないです。しかしそれでも、やはりキリスト教という宗教の複雑さや考え方の難しさを感じずにはいられませんでした。

佐藤氏の言う「伝染」という考え方は、以前に読んだ大澤さんと宮台さんの著書『大澤真幸THINKING「0」第8号 正義について論じます』(の感想はこちら)の中に出てくる「感染(ミメーシス)」という考え方と同じなのではないか?と思いました。しかし佐藤氏はいろいろなことを良く知ってますね。

プロテスタントを通して考えて見たい方に、オススメ致します。

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