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トビー・フーバー監督 松竹 新宿ピカデリー
2026年公開映画/2026年に観た映画 目標52/120 3/15
親しい友人は私の映画の好みを知っていて、この作品をオススメはしてこなかったのですが、いろいろ伺うと、発見が多いそうですし、現代社会において、知らない、という事の価値は相対的に高くなっています。ちょっと指先を操作すれば、概要を簡単に、ネタバレ含めて知る事が出来る世界なので。そして知ってしまったら、知らなかった状態には決して戻れません。
しかし、だからこそ、今この作品を、全くまっさらな状況で接する事が出来るというのは、それなりに価値があるのではないか?と思い、しかも50年前の作品なのに、私は全く何も知識が無いので、そういう意味で貴重なのではないか?と考えて、劇場に足を運ぶことにしました。
1973年8月テキサスでは墓荒らしが横行する事件がラジオで放送され・・・というのが冒頭です。
5名の男女が1台のボックスカー(?)に乗り込み、墓荒らしが横行しているので、自分の祖父母の墓の安全を確認しに出かけています。が、それは恐ろしい惨劇のきっかけで・・・
話の筋は、まぁこういう映画ではあり得ますし、そういうモノなのだと思いますが、ちょっと他では観た事がない肌触りの映画でした。熱狂するファンがいるのも頷ける作品の熱量と芸術性があります。
私はホラー映画に詳しくは無いですし、なんなら驚かせよう、と考え(まさにディアギレフの言う所の)は何時の時代も耳目を集めると思いますが、その最も安易な方法のひとつがホラーなんだと思いますし、その感覚がマヒしている人がホラー映画ファンだとも思います。需要と供給が合致している。
ただ、あまりに安易なホラーが多すぎますし、それこそを愛らしく観られる、ホラー映画ファンの心情を理解は出来ても共感が出来ません。
ですが、当たり前ですけれど、素晴らしいホラー作品もあるわけです。
50年前の作品ですから、ネタバレも何もない気もしますけれど、私のように、何も知らないで味わえる方もいらっしゃると思いますし、ネタバレは無しで言える感想をまとめます。
現代の映画は何かにつけ、非常に観客にとって都合良く、作られるようになりました。ですから、大変に上手であると同時に興醒めする事もあるわけです。そして映画をたくさん見ている人ほど、スレて行きますよね?それはもうどっかで観た、みたいな作品の評価は相対的に低くなりやすいし、とは言え類似性のある、例えば、実は姉妹兄弟だった、みたいな間柄の真相を知る、という事であっても、神話でよく見かけていた人と、初めてSWシリーズを観た人がいるわけで、そういう初回性は大変に覚えている事になりますし、その初回性は選べません。そして生まれる時代によって変わり、ジェネレーションギャップの確認に使えたりします。
ですが、本作「悪魔のいけにえ」は全然、説明しません。また、説明をしない事が、アメリカナイズされているのかも知れない、アメリカの土着の、思想なり哲学なりを、纏っている感覚、あります。そういう意味でホラーで私が知っている、観ているというと、ダリオ・アルジェントと比べて、凄く野性味がある、アウトサイダーアートみたいに見えますし、ダリオ・アルジェントにはある様式美、のような型が無く、それよりもずっと強く、パワフルで原始的。なのに、細かな工夫と言いますか、変な細部へのこだわりを感じるのです。
そして私の知っているもう1名のホラー映画監督と言えば、真摯にネガティヴ、で有名なアリ・アスター監督ですね。この人はどこまで本気なのか?不明なんですけれど、とにかく、真面目にホラーに接している。そして真剣。で、恐らく映画が怖いんじゃなく、この監督が怖いんです。映画作品としてスタイリッシュでもあるし、安い表現は使わないけど、あくまで人が作って人が演じて偽物であり作り物の為に、そこまでやりますか?という態度が怖い。本当に真剣にネガティヴ。
でも今作のトビー・フーバー監督は全然違いますね。凄くアメリカン。それも南部の匂いしかしない。湿度が高く、暴力的。そしてマシーン、機械を使う事を厭わない。文明の利器が入ってくるところが凄くアメリカナイズされている感覚があります。
それなのに、アート性が非常に高いのも特徴。それもオブジェクトに対する偏愛みたいな感覚があります。
ずっと始まりから低い所で不穏感があり、それが占星術だったり、ナイフであったり、ポラロイドカメラなんですけれど、そういう事を伏線にまでしない。ここが潔い。そんな事よりも重要視する、監督が優先順位を付けた細部へのこだわりが、強い。
それと、何かが起こるのが、唐突。であるのに、作為感が無いのも特徴的。というか昔の、なんなら資金の無い今のマイナーな作品だってそういうモノだと思いますが、これが凄く緩急を生んでます。今だったらもっとスローとか使いそうなんですけれど、そういう事はしない、というか出来なかっただけなのかも。つまり撮りっぱなし、撮って出し感があり、だからこそ、妙なリアルがあります。もしかして?狙ったわけではないショット感、みたいな感覚。写り込んでしまった何かを観ている感覚。
ネタバレ無しでは言えない事もあるのですが、ホラー映画、というジャンルだけに留まらないアート性のある作品で、パワフルである事、原始的な渇望をエンジンにしているという意味での野蛮さ、生命そのものの危なさ、を描いた作品。
もしまだ何も知らない人が居るとしたら、是非一見の価値ありなオススメ作品です。
新宿ピカデリーで割合遅い時間に観たのですが、好事家の集まり、でした。30名くらいのほぼ半分が1名で来ている人、老若男女混じってて、どちらかと言えばおひとり様は女子率が高かったです。次いでおじさん一人の人。グループ出来てるには男女5名組みたいな、この映画の登場人物かよ、と思わせる人々がやたらと終焉後にロビーで盛り上がっててましたし、2人組だとおじさん二人組もかなりいました。
何かしらの連帯感があった、なかなかな映画館体験。
あと、このフィルムの肌感覚、今まで見たどんな映画よりもざらつく。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です、未見の方はご注意ください。
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凄く、エド・ゲインの事を思い出しました。墓荒らしで且つ人体収集癖、なんなら人体で装飾品を作ってますし、誰もが思い浮かべるシリアルキラーだと思います。
ですが、少し違う感覚もあり、なんというか、シンボル化している。そして、個人ではなく、家族というか一族であり、そして家業になってる、ファミリービジネス、という奴ですね。
wiki情報ですけれど、監督のトビー・フーバーはエド・ゲインの事も良くは知らなかったみたいです。それでも、墓荒らしから装飾品を作る発想はなかなか土着宗教を想像させる何かがあり、且つ、ここにマシーン、機械が出てくる。
細い兄の方は、ナイフを使い自傷するし、とにかく不気味で血文字、なのかの説明もしないし、そういう意味不明さ、をそのままで出してくる。例えばアリ・アスターみたいに、ああ、あれってこういう事だったのか!的なクリアな落とす感覚に陥らせない、意味を持たせない、だからこそ怖い、というのがあると思います。
それなのに、弟の方は、マスクしてるし、何もしゃべらない上に、明らかな義歯、それもクリアな素材を用いた、非常に稚拙な、義歯をはめている、少なくとも上顎は総義歯に近い状況がみてとれます。そして全然喋らない怖さもありつつ、哀しみも感じさせる。しかも、武器としてのチェーンソーという莫大な音の鳴る凶器を用いています。隠れるわけでもなく、単純に襲い掛かってくる。
しかも登場シーンの突発さ、そして勢いよくいなくなる扉の閉め方。これが相当に恐ろしい。まるで力任せ。で、恐らく、古い食肉工場での、牛の屠殺業者がこの一家の家業なんでしょう。ハンマー、というかはっきりスレッジと言っていたような・・・アレ、これは直前に観たウォーフェアの話しだったかも・・・これだから1日に映画は1本なんですよ本当は、私にような低能には。
最初の被害者の身体の振るわせ方も非常に恐ろしいですし、構造的に、最初のガソリンスタンドでもう詰んでるのも、恐ろしい。
つまり弟であるマスクマンは、人を人だと認識していないし、知性があるかも分からないし、何も情報が無い、という所が怖いです。
なのに、兄や父や爺との関連性の中では、哀しみを帯びるのが、凄く切ない。
この父も恐ろしく、当時の歯科の技術がどの程度なのか?ある程度の知識はあるものの、それにしても、な前歯の処置・・・だからこそ、怖い。あと、最初の被害者がドアの前で拾う歯牙のむき出し感もなかなかです、それにアレ本物です。
そして美術。ここが最もダークサイドアート、アウトサイダーアートっぽくて凄い。特に文脈も無く、ただ骨とか歯とか、人体の無機質に近い、朽ち難い物質を組み合わせていますけれど、ここに無造作に牛とかも交じってきているのが恐ろしいのです。明らかに違うのに、シンボルとしての材料としては同じただの骨である、という認識でないと組み合わせない感覚があります。
家の壁、その重そうな扉の開いた状態でしか見られない頭蓋骨標本のような壁の装飾、なのにこの壁だけ赤いのも何かの象徴みがあります。
あとあの、ラストシーンの美しさは別格ですね。なんで美しいと思ってしまうのか?言語化が難しい。難しいのだけれど、その輪郭だと、関係性の中で見せる哀しみを知ってしまっている観客は、あの慟哭に近いチェーンソーの音が彼の精神の鎮魂歌っぽく聞こえるし、何もかもが朝焼けの中で鈍い黄金色の中でのダンスに見えて美しく見えるのではないかと感じました。上手く言葉に出来ない。
謎、というか隙間だらけだからこそ、そこにある何かを想像せずにはいられないタイプの怖さ、私には初めての体験でした。
あと、ミッドサマーのラストで笑うの、この映画のラストシーンへのオマージュとも取れますね。
兄の自傷、プラロイド写真に乗せた何か、開かないコーラ、占星術占いって時期があるはずなのでは、ナイフのゆくえ、自家発電の理由、爺の存在、トラック運転手のその後、謎があるからこそ、隙間があるからこそ、気になり、人を引き寄せる。
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