井の頭歯科

「ル・アーヴルの靴みがき」を観ました

2012年6月26日 (火) 09:25

アキ・カウリスマキ監督     ユーロスペース

小津監督の影響を多分に感じさせるフィンランドの巨匠アキ・カウリスマキ監督作品、好きな映画あります。例えば「ラヴィ・ド・ボエーム」(最後に流れる曲に劇場でホントびっくりしました)、「過去のない男」(生バンドの演奏シーンがいい、いつものアキ・カウリスマキ作品!)そして1番好きなのが「街のあかり」(ストーリィが、ダメ男の前向きな姿勢が、そこまでも!と思わせるところが好きです)です。そんなアキ・カウリスマキ監督作品の最新作、今回はちょっと間が開いて5年ぶりなので、本当に久しぶりです。

フランスの港町ル・アーヴルで生活しているマルセル・マックスの仕事は靴磨きです。駅前から港まであらゆるところで仕事をし、家には献身的な妻が待っています。そんなある日港に不法侵入者がいるコンテナが検挙されるのですが、中から1人の少年が逃げ出します。そのころマルクスの妻が病に倒れ・・・というのが冒頭です。

ある意味、ストーリィは古典的なものであり、いつものアキ・カウリスマキ作品、といえばその通りなんです(監督の犬も出てきますし、淡々と進み、役者の表情は極めて抑えられていますし)が、何かしら決定的に足りない感じがするのは何故なんでしょうか?考えてみたのですが、何となく、としか言いようの無い感じの違和感がありました。少し長くなってしまいますが、文章にすると「奇跡の取り扱い」なんだと思うのです。

映画の宣伝としても「奇跡」に焦点を当てていますし、なにしろコピーが『心をみがけば、奇跡はおこる』ですから。しかし、今までの作品と比べて何かとってつけたかのような、何かしらの違和感を感じさせると思うのです。確かにアキ・カウリスマキ作品の物語の起伏は少ないですし、思いがけない展開もありませんし、しかしだからこその結末の説得力があった(役者の演技や音楽や世界観を含む映画を最初から見続けてきたことでの結末までのあらゆること=説得力)と思うのですが。確かに今回の映画も靴みがきであるマルセルが利他的行動をとることでの結末なんですが「ごほうび」感が強くなりすぎてしまったのではないか?と思うのです。「過去のない男」でも「街のあかり」でも利他的な行動や、背負い続ける覚悟を描いてはいますが、その手前でもう少し主人公とヒロインの関係性の深さだけでなく、ヒロインの過去や人柄を掘り下げていると思うのですが(あるいはその他のキャラクターたちの掘り下げ)、その部分が抜けているが為の「他者への損得勘定ではない手助け」→「ごほうび」という直接的な表現になってしまっているように感じたのです。「利他性」と「ごほうび」の間にもう少し利他的行動をおこす側だけでなく起こされる側なり周りの人たちというクッションが有るのと無いことでの違いを意識させられました。おちろんソコをカウリスマキ監督のミューズであるカティが演じておられるのだから、という部分はありますけれど。

そういう意味では私は「街のあかり」が最も好きな作品ですし、主人公の巻き込まれ、抗い、絶望に絶望を重ねるかのような男の最後の一点の希望とある女性との関係性にグッと来るのだと思うのです。

マルセルと妻の過去を描いてくれていたら、と思ってしまいましたが、それでも非常にアキ・カウリスマキ監督作品としか言いようの無い世界です。

小津作品が好きな方にオススメ致します。

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