井の頭歯科

「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」を観ました

2021年9月10日 (金) 09:46

デレク・シアンフランス監督     ファイン・フィルムズ・インク

またまた映画好きの友人さんのオススメです。経緯として、最近の映画の話しをしつつ、名作と言われる「灼熱の魂」(の感想は こちら )のダメな部分が気になり過ぎて名作とは言えないんじゃ、という話しの後に出たのがデレク・シアンフランス監督の「ブルー・バレンタイン」の話しでして、これは私が1番怖い映画です。それまではミヒャエル・ハネケ監督の「ファニー・ゲーム」だったのですが。

なので、デレク・シアンフランス監督作をちょっと避けていました、が、映画好きの方からのオススメなので、見る事にしました。

タイトルからして意味が分からなかったのと、宿命ってこれ邦題だけについている言葉ですけれど、ヤン・ウェンリー准将のお言葉にある『運命というならまだしも宿命というのは実に嫌な言葉だねぇ。二重の意味で人間を侮辱している。一つには状況を分析する思考を停止させ、もう一つには人間の自由意志を価値の低いものとみなしてしまう』という感覚が私にもあるので、見なくていいかな、と思ってました。

サーカスのバイク曲芸乗りであるルーク(ライアン・ゴズリング)はある街での興行でいつもの通り、曲芸に挑むのですが・・・というのが冒頭です。

まず出演者がめちゃくちゃ豪華です。

ライアン・ゴズリング、ブラッドリー・クーパー、レイ・リオッタ、そしてデイン・デハーン!!久しぶりに観ましたよ、相変わらずイイと思いました。もう1名全然知らなかった俳優ですけれどマハーシャラ・アリさんも素晴らしかったです。

かなり展開が早いですし、およそ3部構成のドラマです。

これは恐らく父と子の話しなんじゃないかな、と思いました。どうしても邦題の「宿命」に引っ張られやすい感覚がありましたけれど、この作品に「宿命」ってつけるの安易だな、ちゃんと映画観たのかな、って思います邦題付ける仕事の人にはちゃんと言葉を選んで欲しいです。

気になったので一応辞書を引いてみると『生まれる前から(前世)決まっている人間の運命』となっています・・・まず、前世があるのか、無いのか?証明されていません、有る事も証明出来ないですし、無いと断定する音も出来ません。非常に曖昧な言葉で、この映画の物語に 宿命 と付けるのは非常に安易だと思いますし、何と言いますか、愚かな感じさえします。言葉って不完全ですから、細心の注意を払うべきですし、マナーのような気がします。映画のタイトルってそんなに簡単に改変していいものではないと思うのですが。まぁ私が偏屈だからでしょうけれど。

何を言ってもネタバレに繋がってしまうのですが、「ブルー・バレンタイン」が怖い映画のトップの方に来る人(私は少なくないと思うんですけれど、そう言えば合った事も見かけた事も無いなぁ・・・)、大丈夫です、全然怖い映画じゃありませんでした。

私は人間の意思を尊重したい。誰にでも覚悟と決意を伴った選択であるのであれば、尊重したい。そしてどうしても齟齬が発生するなら、それが暴力を伴う対決に至ったとしても、ある程度理解出来る。ラストの選択を、私は美しいと思うし、良かったです。

生物学的な父よりも、育ての父こそが本当の父である事を再認識させられる。

父になった事がある人、もしくは父になる可能性を行動で示したことがある人にオススメ致します。

アテンション・プリーズ!

ココからネタバレありの感想です、未見の方はご注意を。

これ、確かにまぁいろいろな宿命と簡単には言えない偶然が重なり合った脚本であり、見せたいのは偶然じゃなく、人の意思だと思いますし、父とは何か?という事なんだと思います。

何しろ母と違ってイニシエーション的な(出産という痛みとか苦しみとか)事が無いのが父な訳ですし。 ココで私が思い出すのが、母から生まれない遠い未来のSFである「メディア9」栗本薫著です。

遠い未来では母体から出産ではなく、人工授精で人口胎盤で出産される人間が増える事で、母とか父とかいう概念そのものが希薄な世界を描いているのですが、そんな未来でも、生まれに纏わるコンプレックスなりがあるわけです。まぁ生まれに拘ると言っても、母体から生まれる事(今でいう普通の出産)を忌むべき存在のような逆差別みたいな状況なんですけれど。もちろん家族という単位も失われているのですが、私には良い変化に見えました。

その後の地続きの更なる遠未来を描いたSFの傑作「レダ」は名著で、個人とは何か?自由意思とは何か?自己決定とは何か?コミュニケーションとは何か?という凄く哲学的なSFの名作だと思ってます。

閑話休題

役名が覚えられなかったので俳優名を使いますけれど、 ライアン・ゴズリングの子デイン・デハーン と ブラッドリー・クーパーの子AJ の話しに帰結します。

ライアン・ゴズリングを射殺したのはブラッドリー・クーパーで、デイン・デハーンを育てたのはマハーシャラ・アリです。 基本、ゴズリングは底辺から抜け出したかったし、父になりたかった。しかし、最初手から間違えていて、知らなかった事含めて避妊を行っていなかった事からも理解出来る身から出た錆であり、すべてをチャラにする為に更なる違法行為に手を染めた結果であり、あまり同情的にはなれなかったけれど、ライアン・ゴズリングの身になっていえば、そうとしか出来なかったであろう事も理解出来る。

生まれは誰にも選べない。

サーカスの曲芸師として生きるのであれば家庭を持ち父になる事が難しい選択であった事すら、恐らく考えの範疇に無かったと思うのです。

ブラッドリー・クーパーの、真面目で正義感があり、上を目指す貪欲さも備えている警察官の、だからこその内輪になじめなかった選択は、ある種父を使った策略であり、高名な父を持つ事の難しさを描いていると思います。やはり生まれは選べない。

しかし、ライアン・ゴズリングを射殺してしまった事への自責の念や、あの写真を持ち歩く事の意味を考えると、同情的にならざるを得ないし、この出来事で結果成長(だけでなくキャリアアップまで)しているのはこの男です。

でも、父には成れていなかった、生物学的な父にはなれたとしても。

ココに至り、デイン・デハーンの本当に父はマハーシャラ・アリであり、父に成れた人間もマハーシャラ・アリだけ、というのが光ります。 だから、私はデイン・デハーンが道を踏み外さなかったのだと思う。 AJのクズは、きっとこの後に痛い目を見るであろう事を期待するだけだし、何も学んでいない、虚勢を張るだけの男(それにしてもホームパーティであれだけ知人友人がいる ような演出は如何なものかと思う、どう考えても変)なので、仕方ない。この後のブラッドリー・クーパーの教育にかかっているのでしょうけれど、難しそうですね。

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