井の頭歯科

「Disclosure: Trans Lives on Screen」を観ました

2023年5月17日 (水) 09:25

 

サム・フェダー監督     Netflix

 

トランスジェンダーのキャラクターが登場する映画を観た事で少し感情的になってしまった事の反省として、勉強してみようかと思ったので観ました。

まずは定義が気になるので調べてみると

トランスジェンダーとは

出生時点の身体の観察の結果、医師により割り当てられ、出生証明書や出生届に記入された性別、あるいは続柄が、自身の性同一性またはジェンダー表現と異なる人々を示す総称

となっていますが、完全に定義として固まってはいない模様。かなり新しい概念と言えるのではないでしょうか?定義も固まっていないというのは驚きでした。まだ拡張する可能性、含まれる概念みたいなものが存在しうるのかも知れません。

今作のドキュメンタリーでは、ハリウッドで無声映画の頃から、異性装(自らの性別とは違って見える服装を纏う事)のキャラクターが存在しますし、今の感覚からすると単純に笑う事が出来ないのですが、笑いの感覚、もっと正確に言えば、マイノリティを貶める事で、その他の全員を安心させる構造を生む事で、笑いに変えている感覚を持ちました。

確かに、私(というかそもそも友人の少ない自分を例にするのが良くないのですが、自分しかいないので)の周囲にもトランスジェンダーの人はいない、ように見えます。もしかするとそのような感覚を隠して生きている人も居るのかも知れませんが。まず、ほとんどの人が映画のようなメディアの中のキャラクターとして知る存在だと思います。wiki調べですけれど2020年のアメリカでの成人の1.9%というデータが示されています。

なので、とにかく実体験が少ない上に、ハリウッド映画の初期の頃から、蔑視的に、より過激に、描く事が繰り返された為に、映画を鑑賞した人に刷り込みを与え、トランスジェンダーの人がどれだけ傷つき、イメージを損なわれたのか?を描いています。私自身もこの映画の中で挙げられるいくつかの作品を観ていますけれど、確かに笑っていた、と思いますし、それが良くなかった、とこの映画を観て感じられました。

マイノリティを蔑む事で、それ以外の人に安心感を与えて、嘲笑に参加していた事を反省する、というのは理解出来ます。大多数派だからと言って嘲笑する、というのは思考停止な感覚を持ちます。いわゆる『恥』の文化圏に存在する自分としては、嘲笑される側の屈辱感は理解出来ると思います。

ですが、文化が進化する上ではある意味仕方が無かったのかも知れない、とも感じました。多様性を受け入れる、確かに良い事ですし、先進的に感じられますけれど、どう感じるのか?について知識も理解も無かった、存在する事を考えた事が無い、考慮する事が無かった人々への刷り込みや区別というか差別は恐らくどの時代や世界でも起こりうると思います。

なので、どのような感覚で、どのような人間なのか?を実際に知る事が大切ですし、当然皆と同じような扱いを受けるべきだと思います。知らないからこそ、偏見が生まれる。そしてマイノリティだからこそ、その事に意見する事が難しいし、その発言をする人物までもを差別するきっかけを与える事にもなりかねません。なにしろ人間という社会性を伴う生き物は、いじめる事でそれ以外の大多数が結束できる、という機能を持ち合わせた生き物なのですから。

少数派を差別する事で、それ以外の『同胞』を意識する事が出来るわけで、自分に正義があると考えた『同胞』がいかに少数派である『同胞ではない』存在に残酷になれるか?は歴史が証明していると私は思います。どこまでを人、人間、仲間と考えるか?という事です。

 

このドキュメンタリーは映画を撮る人は義務とまで言って良いほど観た方が良いと思いますけれど、「ミッドナイトスワン」の関係者は観ていないでしょうね・・・

この映画を観た後、ミッドナイトスワンのトランスジェンダーのキャラキターは全員トランスジェンダーの役者を使うべきだと思いました。

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