入江喜和著 講談社
初めて読む漫画家さんですけれど、このストーリィというか設定がかなり唸らされました。ここ20年くらい漠然と考えていた事がより鮮明になった感覚があります、まだ考えは完全にはまとまらないのですけれど。
父は闊達で堅気な大工職人、母は専業主婦、姉は女性らしい女性、という家族構成の中で育った妹のゆりあ(主人公)は、姉がねだったバレエ教室に一緒に通いつつも発表会で大役のミルタの配役を得た事で、妬みのような感情に嫌気がさし、バレエからは遠ざかった経験を持ちます。30歳で売れない作家である旦那と結婚、現在は50歳となり、子供なし、義母と夫の3人で夫の実家で暮らす刺繍教室の先生です。というのが冒頭です。
正直、どんな展開になるのか全然読めなかったですが、50歳女性をかなり真正面から主人公と置いた作品って見た事が無かったので、凄く興味を持ちました。
これまでに、映画の世界でも、そして現実でも、いわゆる家族観と言うモノの変化を感じます。少し調べるだけで、専業主婦、という概念も1950年代くらいからですし、少子化とは言っても世界の人口は増え続けていますし、現段階において、うちの国もかなり貧乏になってきています。恐らく、短絡的な金銭を目的とした犯罪は増える傾向にあると思います、残念で怖い事ですけれど。
そういう国の中で、どのような社会でも1番小さな単位である、家族をどう考えたらよいのか?は人それぞれです。今までと同じ1950年代から続く両親と血縁関係にある子供でも良いし、それ以外もあるでしょう。
少子化の問題は根が深いと思うのです、というか必然だと思います。
そもそもなんで核家族化したのか?と言えば、皆がわがままになったから、自由を手に入れたから、です。親との同居を嫌がった、からでしょうし、嫁姑問題をある程度解消するのであれば、世帯を分けるのが得策です。3世代同居する世帯の割合は平成27年の調査で6パーセントを切っていますし、サザエさんの様な家族像は既に1割にも満たない。
さらに、単身者の世帯数は4割を超え、恐らく今後1番多い世帯の形になろうとしています、つまりみんな1人が結局のところ好きなんだと思います。だって、わざわざ『家族』を形成しなくても、外部委託出来るし、生活の重労働な部分は電化出来て久しいです。
しかし、無いものねだりがあるのも人間で、家族がいない人は、家族の幻想を抱いて、リアルを知らずに家族を欲しがり、家族がいる人間は自由を求めて離婚やら別居をするものだと思います。どんな状態でも欲求は尽きる事がありません。
それでも、他者との繋がりはやはり欲しいもの。だから、家族という契約関係まで硬くて重い繋がりではなく、緩やかな関係を、それも血縁という繋がりの無い関係性を求めているのだと思います。それが新しい家族観に繋がっているという感覚が、私の年代でもあります(1970年生まれです)。
また貧乏な国になった事で、家父長的な立場を金銭で賄っていた父親、という像に対して、金銭的な理由でそれを持ちえない人が夫にすらなれない、という自覚もあるでしょう。女性側にもいろいろあるでしょうし、条件がきっと存在するでしょうけれど、ロマンティックラブイデオロギーの強さは、それこそ持てなかった時代だからこそ、自分の娘には、という感覚もあるので、その辺ももう少し調べてみたいですし、本当にいろいろ考えさせられます。
そういった家族の形態の新たな試み、をしている漫画です。
新しい家族像をリアルを持たせるのが難しい。その難しい事を、しかも50歳の女性に持たせる事に成功している漫画だと思います。この人の性格の問題はありますけれど。
そして、凄く大きな問題を、どのように扱えば小さくなるか、という難問に、大きな問題を複数抱えれば、どれも割合小さな問題に見える、という解決方法を実践するのですが、そこにギリギリありうるかも、という細部まで詰めているのが素晴らしい。
しかも直接の中心的な謎を、不在の中心に置き、ここに介護という現実を入れた事で、物語に重みが増しているのも素晴らしい。
なので、風呂敷を広げるまでにはなかなかの謎、というフックと、そこから始まる奇妙なある種の運命共同体を築き上げ、生活を描いたのはかなり凄い事だと思います。
で、ただ、ただなんですけれど、扱っている問題のかなりヘヴィな中に、恋愛要素を入れてくるのが、凄く意外でした・・・割合ここ無くても成立するような気がするんですけれど、多分そうではないんでしょうね。事、恋愛という関係性において、全然男女で違う受け取り方があるんだろうな?と感じました。介護、育児、趣味、仕事、と同じくらいデカい。多分男性は恋愛ではなく性欲として外部委託出来るが、ココだけは出来ないのが女性なのかも。みんながそうじゃないのは理解していますし、男性だって外部委託出来ない人もいらっしゃいますし。
そう言う意味で、いつまで女性なんだろう、とも思うし、それは何時までも続くものなのかも知れません。個人的には生物学的子孫伝達の仕組みは無くなれば楽になれるのでは?とも思う。残念ながら、男性はそれがかなり後にくるので、個人的にはキツイと思うんだけど。でも生物学的子孫伝達だけが目的でもないですから、本当に難しい。
でもここまで真正面から50代の家族像を描いたのは、本当に凄い事だと思います。男性だと割合、というか、ほとんどの作品が、必ずある種魅力的な女性が出てきて、協力してもらってても、ハードボイルドに出来るし、なんならみんなが村上春樹を嫌う、なんで主人公が勝手に女性から好かれるかワカラナイとおっしゃりますけれど、そんなのハードボイルと呼ばれる作品には必ず入ってる要素なんじゃないの?と思います。なので、きっと男女ともに、そう簡単に性別から降りる事が出来ないんでしょうね・・・この辺は女性のおじさん化とか男性のおばさん化とかを考えてみたい、案外いる気がします。
なので、個人的にはばっさり、恋愛要素を切って良かったんじゃないかな?と思います。それでも成立したと思う。だけれど、エモーショナル要素が少なすぎる、という判断があったのか?もしくは現実には無いからこそ、ファンタジー(ハードボイルド作品や村上春樹作品と同じように 都合の良い魅力的な異性)が入ったのかな?という部分が知りたい。
もしくは、恋愛要素の部分を全部カットして、東村アキ子の「タラレバ娘」みたいな今はまだ特異に感じる友人コミュニティにするとか。
男性モノはとかく、孤独を好みがちなんですけれど、それでも、ゆるやかな連帯、ゆるやかな父親の代わりくらいの役割を担う話しがあれば良いのに、といつも思います。
シェアハウス的なアパート(理想は『凪のおいとま』みたいな感じ)の中に、保護すべき対象者(子供がいる家庭、もしくは要介護の方等)が居て、その方々へのバックアップや協力を条件に入居できるような関係性が築けるようなモノがあれば、そして、税制上の有利な点、もしくは居住に関しての何らかの利点があれば、子供や高齢者との繋がりも出来るし、独身の利点も生かせるんだろうけれど、まだなんか良い案があるような気もします。特別養護老人ホームがあるように、一般の人でもそこで何かしらの労力を払えれば、という感じをイメージしますけれど、難しいですよね。信頼関係が無いと。
50代を迎えた人に、オススメ致します。
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