井の頭歯科

「最後の決闘裁判」を観ました

2023年12月29日 (金) 08:35

 

リドリー・スコット監督     20世紀フォックススタジオ     Amazonprime
そう言えば観てなかったので。ナポレオンも早く観に行きたいですし。ただ、グッチにはまるで興味が湧かないのですが・・・
ただ、この作品は私の天敵であるまっとくんが関わってて、う~む、という感じで昨年劇場をスルーしてしまったわけですが、それをアダム・ドライバーが帳消しにするくらい良かった。それにベン・アフレックも素晴らしくダメ領主をやってて、こういう役で光る人だなぁ、と思いました。
1386年12月28日、最後になる決闘裁判が行われようとして、2人の男が甲冑を纏い、戦の準備をしているのですが・・・というのが冒頭です。
ああ、イイ映画でした。とても丁寧に作られています。そして時代劇なので、とても、衣装、装飾、舞台、城、馬、民衆に、莫大なお金がかかっている。それなのに手を抜かない感じ、とにかく画面が豪華絢爛で、美しいです。
いわゆる黒澤明監督の「羅生門」スタイルで出来上がっています。
第1幕が決闘になる男、ジャン・ド・カルージュ(まっとくん)からの視点、第2幕は決闘の相手であるジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)の視点、そして第3幕が実際の被害者でカルージュの妻マルグリット・ド・カルージュ(ジョディ・カマ―)の順に物語が3度繰り返されるわけです。
この時代だからこそ、の男尊女卑を今の時代の規範で断罪するわけではなく、その中で戦った女性を主人公にしたドラマ、という風に描かれていますけれど、これは本当の所はどうだった?というよりは、その状況に置かれたマルグリットの視点で見ると、2人の男の視点がいかに自分勝手な、大変自己中心的で愚かに見えるか?という事だと思いますし、確かに、愚か・・・でも、きっと私がこの時代に生まれていても、同じだったかもしれないので、批判は出来ないなぁとも思いました。
それだけではなく、とにかく美術が素晴らしく、画面に映るすべてに意味がある様に見える、そしてとてもお金がかかっているのが分かる絵作り、凄いです。これはどうにかしてサー・リドリー・スコット卿のデビュー作品「決闘」が観たいですね。
それと、インティマシーコーディネーターが入ってる、と聞いた作品でもありますし、かなり配慮されていて、その点も心地よさを出しているのかも知れません。とは言え、ヒドイ場面の描写があるわけですけれど。
しかし、まっとくんのキャラクター、多分地なんじゃないの?と思うくらい愚かな感じで、個人的に溜飲が下がる感覚があり、良かったです、これで〇〇〇くれてればサイコーだったんですけれど、まぁいいでしょう。この人、結局自分の事しか考えてない。でも、それぐらい、雁字搦めのレールを歩かされているとも言えて、普通ならもう少し寄り添えそうなんですけれど、まっとくんだから、ざまぁ、とか心では思ってしまいました。なんでこんなに嫌いなんだろう・・・顔か、やっぱり。
アダム・ドライバーは本当にイイ役者さんですよね、何でもできる、凄くイイ役者さんです。学があるキャラクターも合ってるし、兵士、という感じも出せる大柄なのに繊細さを感じさせる素晴らしい相反する要素を持ち合わせていて、さらにチャーミングで愛想があるの、本当に最高です。
ベン・アフレックの、このダメ領主の態度、なんか「ゴーンガール」を思い出してしまいました、いい笑顔で、欲望に忠実。凄く合ってると思いました。本当にこういう人いそうですし。
リドリー・スコット監督作品が好きな方に、是非のオススメです。
ここからはネタバレありの感想です。
未見の方はご注意下さいませ。
で、ネタバレありとなると、相当にヒドイ話しだと、今の感覚からすると思いますね・・・そして全然変わってないのではないか?と一部のマッチョな人たちや、体育会系の中に存在する感覚も、まだ残っていると感じます。
まっとくんの場合、確かに不幸な境遇ではあるかも知れないけれど、直情型で思い立ったらなんでも行動、察するとかは知らん、黙ってついてこい!的な典型的マチズモの体現者。だから当然なんでしょうけれど、すべての関係性の結び方が、敵か味方で計る傾向にあるし、虚勢を張るのが好き、というよりは虚勢を張らないと安心できないタイプ。近くにいるだけで緊張を強いる感じで、とてもじゃないけれど、部下としても、友人としても、そして配偶者としてならもっとはっきり、NOなんです。しかも、仕事もまるで出来てないのが、妻マルグリットが留守を預かる場面ではっきりするの、つまり3幕目で分かるのが、すげぇ納得感があります・・・全然ダメ・・・というか登場人物の中で1番嫌だ。
対するル・グリさんですが、博識で数か国語が喋れて、数字にも強く、読書もしていて、確かにまっとくんと比べて教養があるタイプ。しかも上の人に好かれ、その上意見具申が出来る、上官と友達になれるタイプ。学のある中では、かなり好ましい人物です。ただし、自分の好かれている、という事に自覚が強く、なおかつ、やっぱり欲望に忠実なタイプ。いや私も男性だから基本的には理解します、欲望に忠実でその事を、良かれ、と勝手に解釈する人たち、今でも多いとも思うし、生物学的特徴とも言えます。が、ホモ・サピエンスなので理性、悟性がある。だからそれなりに相手と段階を踏んで合意を得るのが正しい。のだけれど、この時代の中では、まだまともな部類なんでしょうけれど、それでも、この態度なんです。「誰にもいう名よ」「お互いの欲情に乱れただけだ」「夫に言えばあなたは殺される」だの、予防線を張りまくり、その上裁判では全否定ですよ・・・結局この人も面子の話しをしている。確かにまっとよりはマシかもしれないけれど、ダメ過ぎる・・・
そう言う意味では2人ともNOなんですけれど、この時代で、それは女性側に選択肢が無いというのが恐ろしい・・・でも、きっと、今でもそうなんでしょうね、ある部分では今でも存在すると思います。
それに、まっとくんは仕事さえ出来てないんだと分かる3章、本当に酷い・・・
しかも、裁判にする為に、各所でこの噂を広める、王に直訴、裁判になれば、ヒドイ質問に答えなければならない上、味方かと思った夫は、自分の事しか考えてないので、裁判、という決闘の後、もし、負けた場合の処遇について、黙っていたわけです・・・
しかも神官による、まぁこの時代の裁判では宗教的な場で開かれているのは仕方ないにしても、宗教家が、科学的に快楽を得ないと懐妊しない、とか言い出す始末ですよ・・・
これだけでも、宗教の危うさは、十二分にヤバいと思いますね。神は人間が作った不条理な社会(とか世界とか自然)を生き抜くための方便で、虚像だと言えると思います。
で、まぁマルグリットの後半生に意味があって良かった。
となるのだと思いますけれど、私が個人的に、飲み込みにくい、と感じる事があります。
それは、事件の日の、まっとくんの母親の行動、です。
そんなに都合よく、家人を全員連れて出かける、目撃者が被害者だけの状況、ありえますかね・・・
確かに、ル・グリの従者は、見張っていたかもしれません。顔見知りになっておく必要があったでしょうし。だが、彼は、家人を全員連れて城を出る、という手段がない。
しかもまっとくんは自分の母親に、妻と常に一緒に居るように指示を出していたわけです。
流石にル・グリの従者も、急に出かけたからといって、携帯電話のない時代に主人を呼ぶの、苦労しますよね?
なので、まっとくんの母親は、誰かと共謀しているのではないか?という疑問が残ります・・・んで、その共謀する相手って、考えてもベン・アフレックぐらいしかいない気がします・・・どうせ被害を受けても泣き寝入りするだろうし、いざという時に、自分たちの上司であるベン・アフレックと敵対関係になっているのは得策じゃない、と判断したのかも・・・相手がル・グリになるとは考えていなかった、という事なんじゃないか、と、愚考したわけです。
うがった見方になるかも知れませんけれど。実際、どうなんでしょうね。
マルグリットの感覚は、今の感覚に近いですし、今後も女性の権利や主張を通していく社会になると思いますし、男性の権利や無意識の下駄を脱ぐ社会になって欲しいけれど、その分の責任も女性側に発生するので、多分このままでイイ、という今の社会での家庭での立ち位置に幸福を感じている人たちが、いる以上、ある程度の反撥もありそうですし、なかなか難しい問題ですね。本当の事件の当事者であるマルグリットは何を考えていたのか?原作の書籍を読んでみたくなりました。

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