井の頭歯科

「お母さんが一緒」を観ました

2025年5月10日 (土) 09:39

 

橋口亮輔監督     ギャガ     U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   13/37
友人にオススメされたので、すぐに観ました。で、感想にまとめるのに、結構時間かかった。感じた事を言葉にするの、難しいし、だからこそ、こうやって練習しているのだけれど、とても難しい。出来るだけ齟齬なく伝わるといいな、とは思うけれど、まぁ無理なんですよね・・・
どうやら舞台演劇の映画化作品のようです。
狭い坂道のカーブで車が脱輪しています。その車を押す3名の女性たちが文句を言いつつ・・・というのが冒頭です。
基本、ネタバレありの感想にまとめる事にしました、そうでないと細かな感想を伝える事が出来ないタイプの作品。
設定で言えば、田舎の家の三姉妹、長女(江口のり子)は東京に出てキャリアウーマンとして働く40歳手前くらい?次女(内田慈)は同じく東京に出たがかなり不安定な職のような35歳、実家で暮らす29歳三女(古川琴音)の3名が母親の誕生日に温泉旅行をプレゼントした2日を描いた作品です。
ですので、基本女性をターゲットにしていますし、女性が何を感じているのか?がテーマ、割合女性の生き方がメインテーマと言って良いでしょう。それを、恐らく、原作者や監督は面白おかしく描いているコメディ作品、新しいホームドラマ、と広く捉えられる作品だと思います。
私も見ている時は、ある程度は、そう感じたのですが、そこから色々感じ考えた事をまとめると、全然違う話しになって行きました・・・えっとこれを男性に置き換えると、という事をやってしまったからなんだと思います。
多分、本音を言い合える関係を善しとする、古典的な(伝統的な、もしくは普通と言い換えてもいいです 古典的だと別の意味が出るんだけど、でも、古典的)家族像を正しいと感じている人はきっと笑えて泣ける映画になると思います。
私は結構なホラー作品だと、(そう言えばホラー映画のホラーってHorrorですけど、よく考えたらFearじゃないし、ニュアンス結構違うな・・・Horrorって慄然って訳されてる・・・)も言える作品だと思いましたし、感じました・・・
あ、そう言えば三女の人「偶然と想像」の1話のあの人!あの話も怖かった!!
家族が好きな方に、ホラー作品が好きな方にオススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想になります。未見の方はご注意下さい。
また、老人の男性のひねくれた感想で、不快な気持ちになる方が圧倒的に多いですので、読まなくて良いです。
ネタバレあり の感想ですが
先にお断りしますけれど、この感想を感じた私は四捨五入すると還暦に入る、未婚、子無し、金も時間も無く、常にネガティブ思考の無知蒙昧、白痴、実際に40歳を超えてから、上司にクルクルパーと声に出して呼ばれた事がある、ホモサピエンスの歴史上かなりな底辺の価値しかない者です。勝手な負け犬の遠吠え(という表現を使うと、また別の意味が発生するけど、まぁあってる)をしているだけなので、基本読まなくていいです。私の為の備忘録的なメモです。ああ、全方位から怒られそうだ・・・
まず、長女の置かれている状況、ある程度理解出来ると思います。最初の子供であり、親も手探りですし、勉強頑張って、次女と比べられて、女性全員が賛同はしないかも知れないが、可愛い、という原体験を奪われた(とは言え男児はそういう肯定感はまずないですから・・・)上で、同性親から孫を期待される、なかなかな圧です。
次女はまぁ肯定感はあったが、長女との比較で、学力での肯定感が得られなかった。しかし、女性全員が賛同はしないかも知れないが、色気(男性への刺激の仕方)の発揮方法に違和感を感じない、異性を異性として振る舞う人にはなれた。でも不倫体験がある未婚者。
三女は実家で暮らしながら両親と接する時間が長くなる事に耐えられる、というか姉たちほど東京への憧れとかが無いタイプ。現状を肯定できるまさに末っ子器質。だが、母の誕生日プレゼントが自分の結婚相手の紹介、という結婚する(姉たちが出来ていない結婚をする、出来る)自分に酔ってる感覚なんで、祝ってもらえるという視野狭窄がある。
そういう三者三様な姉妹の、かなり本音を語る話しです。でも、ちゃんとホームドラマとして成立している。
ここに、三女の結婚相手青山フォール勝ちが、比較的おおらかな性格で、細かい事に気付けないキャラクターとして加わってきます。この方も初めて観ましたけど、ある種、演技としてちょっと浮いてても、そういうキャラクターなので、違和感は無かったです。しかし青山フォール勝ちって名前すげぇな。
いわゆる女性のあるある的な要素も入れつつ、笑って泣ける感じになってると感じる人は多いでしょう。
姉妹、家族だからこそ、本音が出るのも分かりますし、家族だから言えない部分もある。それと年代的なギャップ、母の人生を娘たちが考察する、まともな恋愛をしないでいきなり見合い結婚で夫に文句を言い続けている一生を送るのが恐ろしい、と言っていますけれど、三姉妹それぞれ結局、その母親に似ている部分が、結構ある。
長女のいらだちは理解出来るのだけれど、恐らく、家族に認められたい、自分を肯定して欲しい、キャリアウーマンとしての自分で未婚だけれど、認めて欲しい。既に可愛いという肯定感が得られなくても、同性親に対しての、これは承認だと思うのですが、もしかしたら昨今の表記で言えば「毒親」という単語を連想するのですが、見返したいもあるのかも知れないです。
でも毒親を調べるとwiki情報ですけれどtoxic parentsという1989年の新語でアメリカの学者(?)の著作から出てきているみたいです。定義も曖昧ですけれど「子供の人生を支配し、子供に害悪をもたらす親」となってます。でも完璧な人間なんていないし、子供の側が親を勝手に断罪する表現にもなるし、なかなか難しいですね。でも、恐らくは、自立や自律が無いから生まれる感覚です。親に過度な期待は避けた方が良いし、親も人間なんで、間違いもする。当たり前です。毒親と言っている人の責任回避や思い込みで糾弾する人も居る可能性はあるし、本当に良かれと思っているようで、親の思い通りにしたい人生を支配してくる親もいるでしょうから。
でも長女に対してのお母さんは毒親ではないと思いますが。
で、長女の、映画内の表現が、そこまでか?というくらい派手に暴れてて、なんかここを笑いにしたいのかも知れないけれど、結構笑えなかったです、旅館、それは他者もいる世界。自分の手の失われた若さを確認しつつ、傍を親子連れが通るだけで、自分に結婚も子供もいない事に憐みを感じる場所でもある。
この長女の頑張ってるけれど、満たされない、同性親に認められたい、の感覚が手放せない。この事を私は執着と感じます。
しかし、私には全然理解出来ないけれど、腹巻みたいな肌着を揶揄されるの、可哀想だけど、本人がいない場所で良かった。肌着なんて誰にも見せないのだから、別に何でもいいと思うけど。
次女は次女で、ふらふらしつつも、それなりの自由を楽しんでいるようで、結局のところ結婚に過度な期待を感じている感覚があります。30代中盤で、結婚をするというのには出来婚しか思い浮かばない、刷り込みみたいな感覚。これは、女性全員からは賛同が得られないかも知れませんが、子供を持てなくなる期限が近付いた事で純粋に(と同時に無計画に)子供を持ちたい、という感覚、焦りがあるのかも。長女ほどの生活安定仕事的満足を得られなかったとしても、三女に恋愛アドバイス(三女からしたら意味が無いしダメだった)をしているのだとすると、それなりに恋愛を楽しんでいるのは理解出来るけれど、女性全員からは賛同が得られないかも知れませんが、次の可愛い、つまり若いに勝てないかも知れないと怯えている感覚があるように感じます。
三女も三女で、現在進行形で姉妹からも祝福されて当然、というマウントをしている事に気付けてない。まぁ恋愛でも嗜好品でもクスリでも、トリップしているわけで、そりゃ仕方がない。そして結婚を善き事と捉えていて、正しい行いだと信じて疑いを持った事すらない。先妻の子供(の名前を竜馬にする事に躊躇いとか名前負けの危機感とかは一切感じてない、朴訥さがこの青山フォール勝ちにはあるのがこういう所からも分かる脚本上手い)も育て、自分の子供にする、と言いつつ、本音では、全然別で、がっちり血のこだわりがある。
これは生物学的あたりまえで仕方がない事なんだけれど、親になる実感、通過儀礼である出産という痛みも伴い自らの命の危険もある行為を経験できるのと、出来ないのには大きな隔たりがあるし、そもそもママゴトみたいなごっこ遊び(まさにロールプレイ)を遊びに出来る役割と、それが無い役割との間には、かなり深くて広い隔たりがあり、それぞれの側が、それぞれの側に、それなりの期待やこうなって欲しい、などの願望を視ているわけで、ロマンティックラブ・イデオロギーもここに極まれりと言う感じですね。
会話劇として、なかなか面白いですし、観ている間は全く気にならないのですが、鑑賞後に考え続けると、違和感もあるし、仕方ないというか、そういうものだとて、もう少し感情的にならないで良いのでは?とは思います。
だって、これ、もし、男性であれば?を考えてみましょう。それも誕生日のお祝いをされる親側が同性なのか異性なのか?でも違いがある。
まず、本当に、全女性から賛同は得られないかも知れませんけど、長男、次男、三男が居て、同性でも異性でも親を温泉旅行に連れて行こう、とはなかなか思わない人が多いでしょう。いや待って、結構見かけるし聴く親孝行の方法じゃないか?と。でもそれは、きっと男兄弟の誰かから言い出したのではなく、結婚している兄弟の妻、もしくは子供の女性が言い出している可能性が高いです。そして、決まってしまった場合、仕事、タスクとして男性は頑張れる部分はあると思います。
でも、兄弟だけで親を連れ出して、温泉に入れるか?と言われたら、まずしない。なじみの店に行って酒を飲むくらいならやる人も多いでしょうけれど、そもそも親と旅行に行きたい人は男性は少数派だと思います。そして多分金銭的に恵まれているか?いないか?でも分岐がおきそう。
そして、仮に三兄弟が全員未婚だった場合、まず、旅行そのものが行われる可能性が非常に低い。揃う可能性があるのって親族の葬式くらいなのでは?
さらに、三兄弟が異性親を連れ出して誕生日に温泉に行く可能性は、物凄く低いでしょうね・・・これはマザコンに育てられなかった昭和の感覚なら、です。
現代2025年の極東の島国ですと、息子を持った母親の最終願望は、息子の大学卒業式で息子にお姫様抱っこをして貰う所まで突き抜けたらしいので、まぁ感情に身を任せる事の恐ろしさここに極まれり、とも思いますけれど、凄い。
IFの可能性として、仮に、同性親を三兄弟が温泉旅行に連れ出したとして、全員未婚で、三男が仮に婚約していたとて、三男の妻をこの旅行につれてこようとする確立はほぼ0%です。恐らく結婚を肯定的に感じる男性も少ないとは思います。善き事よりも責任を感じるイベントです。
何しろ責任が重くなるわけですから。そしてここに大人になる通過儀礼としての、制度としての結婚への同調圧力があって、女性側は就職が無くて食べていくために結婚していた時代があったわけで、大変だったろうと思います。同時に、男の側は本気で家事手伝いを雇い入れている感覚すらあったと思いますし、野良仕事のある第一次産業の農業は、かなりの時代までそんな感じだったと思います。実際にヒドイ言葉を聞いたことがある。
IFを続けるとして、恐らくそんなに会話は続かないだろうなぁ、と思いますし、昔話くらいはするかも。酒が無いと間が持たない感じになるでしょうね。
三男が結婚の意志を伝えた場合、恐らく割合素直に、おめでとう、的な発言はあると思いますが、大変だぞ、とかになるかも。田舎なら墓守の話しくらいは出るかも。でも、どんな人?みたいな話しにはならない可能性あるな・・・
これが異性親になった場合、どうなるかというと、もっと会話が続かないグループ、それなりに会話するグループに分かれるような気がします。マザコンに育て上げられる可能性がある現代だと、その場合どうなるのか?全然ワカラナイけれど、1990年代までの男性なら、多分あまりマザコンはそこまで肯定的に描かれなかったでしょうからね。昔もいたとは思いますが、もっと隠れていた。
このマザコンも、女性が婿を探している時は、負の情報で、ヨメになった後は積極的に、という行動が、本当によく分からない・・・当たり前ですけれど、マザコンを生産しているのは、女なんですよね・・・それが、夫には自立を求めるけど、自分の子供だけはマザコンにしたがるの本当に意味が不明ですね・・・これ、西洋社会での小説のモチーフが「神と悪魔」なのに対して日本だと「嫁姑」問題がテーマな事あるし、簡単に片づきそうでかたずけられない問題。多分個人が存在しないからでしょうけれど。
長女も次女も三女も、もう母という親からの執着から離れれば良いと思うんですけれど、当たり前ですけれど、多分理解した上で、それでもでやってる。なんだかんだ言いつつ、文句を言って、相手を自分の欲望の赴くまま、思い通りになって欲しい、と言っているわけです、ならないし、離れれば良い事くらいわかった上で、やってると思う。寄りかかったり、本音と言いつつ暴言を吐いて相手を傷つけたり、自分も傷つけられたり、本音だから、正論だからとて、言っても仕方がない事ばかりだけれど、実際に口に出して伝えたい、仮にそこで関係性が終わっても構わない、でも家族なんだから許してね、という恐らくの無意識の連帯感があるのでしょう。
そしてこの無意識の連帯感を家族と呼んでいるのでしょう。だからこの安心できる家族という間でなら、本気の暴力、本気の言葉の暴力も辞さない。そして感情をグリグリと動かされ、常に感情の波が激しく乱高下するのが、大好きなんだと思います。他者に感情を動かされたいとも言える。
男性だと、そういう無意識の連帯感は無い人の方が多いんじゃないかな。そして感情の乱高下を楽しみたい人も少数派だと思います。
長女も次女も三女も、この旅行の中での暴言を、言った事も言われた事も忘れられる、もしくは許せる心の広さがあるんだと思います。
大人なんだから、相手を思いやる気遣いがある話し方の方が良いでしょうね。それを私は社会性がある、という表記をします。時々、道を聞かれたりした時、恐らく主婦、社会的接点が少なかった人の場合の多くが、言った場所で誰に合うとかどんな用事でそこに向かっているだとか自分の事情を話してくれるのですが、もしかしてそれは道を聞いている事と関係ないのでサービスのつもりか?とも思うのですが、基本頼んでないサービスは過剰なものでいらないし、その事でその人の時間を奪っているという感覚の無さを社会性が無いと感じる、社会性の事です。
感情的な物に当たる暴力、感情的な言葉による暴力、私個人は恐ろしいです。感情的になっても許される関係性よりも、そんな暴言を吐かないで済む関係性の方が尊い、と思う私はこの映画をホラー映画だと思いました。観ている時は少しは笑えたけど、青山フォール勝ちは戻ってこれるのエライね。私は全然許せないと思う。
私は基本的に女性が恐ろしいです。何を考えているかワカラナイからです。理屈が通用しないからですね。ですので、ただのミソジニーのジジイが戯言を書き垂らしているだけです。

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