井の頭歯科

「聖なる地獄」を観ました

2020年4月28日 (火) 09:12

ウィリアム・フランチェスコ・アレン監督       Netflix

最近観た映画で(と言いつつ、映画館が恋しいです、既に・・・)ミッドサマーという映画(の感想は こちら )のラスト、私はあまり納得できませんでした。だってカルトなんですから・・・カルトの中にいる人は、カルトの怖さを理解出来ないし、否定したいと思います。でも、そこに安住の地を見つけても、それは地獄だったりするわけです。

で、そういうモノを描いた作品が、この聖なる地獄です。

ブッダフィールドというコミュニティ(今のところ、コミュニティと表現します)に所属していた、その組織の中での記録や映像作品を作る担当であった今作のアレン監督が、22年に渡ったその活動のドキュメンタリー映画です。

私は、やはりスピリチュアルという単語にうさん臭さしか感じないんですけれど、カルトに嵌り易い人、という方が個人的に居ると思うし、性善説を唱える人は危ないと思います。良い意味で、スピリチュアルという単語が定義するモノ、私個人は、皆無だと感じています。そもそも、ただの偶然にも、そして縁にも、後付けで意味を持たせているのが人間です。縁を感じる事はイイ、しかし、それは他者とは共有出来ない、あなただけの解釈。そこにスピリチュアルを絡めると、必ず危険な臭いを醸し出します。宇宙まで交信してしまったり、都合良く量子力学を語り出したり、大変危険な兆候と言えると思います。個人的にスキで行うのは構いませんが、他者を引きずり込むのは止めて欲しいし、だいたいにおいて、良かれと思って、とか自分側に正義があると 信じ ている人は、強引にも、そして簡単に残酷になりますし、それは歴史が証明していると、私は考えます。

多分、化学的にも、科学的にも、暗示的にも、神を見せる事は出来きます。そしてそれは体験としてはすさまじいと思いますが、神じゃなく、ケミカルに、サイコロジカルに、神だと脳が誤った判断をしたから、だと思うのです。個人的には文化的な神(神が存在するという人や集団が作り上げた事で得られた文化的価値)は認められるけれど、所詮は人間が作り上げた妄想だと思うのです。でも、もちろん神を信仰する人とも共生したい、信仰は、人の心は何物にもけがされない未踏の大地だと思います。

この映画では、ブッダフィールドというカルト集団を描いています。対外的な危険は少なかったと思います。が、中にいる人間にとっては、そうでは無かったと思います。マインドコントロールの恐ろしさを描いた傑作です。個人という考えが割合少なく情緒や関係性に絡まる国、この日本であれば(遠藤周作は、日本を沼と形容しましたし、今は追っている増村保造監督はその集団に抗う個人を描いていて、凄く面白いです、COMING SOON!)もっと被害や規模は大きくなったのではないか?と想像します。

自分の人生を22年棒に振るって、どんな体験なんだろう・・・棒に振った、とは言い切れないと思う、心で理解していても。そして、大変に深い傷を負う事になる。取り返しのつかなさとして、22年という時間は、あまりに重い。

もちろん教祖が問題だが、しかし、本人にも問題はある、私はそう思います。

人間に興味のある方に、オススメ致します。

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