井の頭歯科

「はちどり」を観ました

2020年12月9日 (水) 09:35

キム・ポラ監督       アニモプロデュース

私は普段から人とコミュニケーションをとる場合は言葉を重要視しています。人が最も効率的にコミュニケーションをとるには言語が最適だと思うからです。最も多彩で多様ですし、定義さえしっかり踏まえれば、ある程度は伝える事が出来ます。踊りで伝える事も絵画で伝える事も音楽で伝える事も出来ますけれど、普段のコミュニケーションには言葉を用いるし、最適解だと思います。しかしその言葉でさえ本当の意味ではどこまで相互理解が出来ているのかを確かめる事が出来ません、不確かで不完全で誤解を生む事がほとんどです。分かり合えない、と根本的には思っています。

が、事映画芸術に際しては言葉で説明しては野暮で、言葉以外の映像音楽を用いた映画的な表現を用いるべきだと思います。そしてそういう映画に出会うと、ずっと余韻に浸る事が出来ますし、いつまでも(は言い過ぎですけれど)その解釈なり体験の中に戻れる気がします。すごく豊かな映像体験だと思います、ただし、観客である受け手側から、この映画体験を、汲み取りに行く姿勢が求められますけれど。

ギンレイホールに初めて映画を見に行きました。都内では「はちどり」が既にここでしかかかっていなかったからです。ついでに相性の悪いウディ・アレンの「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」まで見る事になりましたし、それが結構な掘り出し物であったにも拘らず、映画体験として、はちどりは大変濃密な体験だったと思います。

1994年の韓国。14歳のウニ(パク・ジフ)は餅屋を営む厳格な家父長的な父、父を手伝う兼業主婦の母、ソウル大を目指す兄、勉強よりも遊びに傾倒する姉、という5人家族の末娘です。学校にはなじめず・・・というのが冒頭です。

非常に言語にはしないが多弁な映画。

また映像が異様に美しく、それでいて解釈が開かれた作品。

パンフレットを購入しましたが、まだ全部読めていません、やはり自分の解釈を大切にしたい。

どんな作品でも、私は完成して披露する事で、監督の手から作品は離れる、と思っています。監督の意図とは別に、観客である受け手の判断は、誤読を含めて自由ですし、当日性と言いますか、初見時の自分の体調や出来事と結び付けられるモノだと思うのです、映画体験として。匂いとも密接な関係があったり、特別な映画体験を誰もが持ち合わせていると思うのです。背伸びして高校生の時に初めてみたピーター・グリーナェイの「英国式殺人事件」はシネシャンテだったなとか、大学から帰省した正月に数時間拘束されて名作だからと期待したのに全然自分には合わないしそもそも主人公の行動が頭がオカシイとまで思ってしまった「風と共に去りぬ」は磯辺焼きを食べながら見たな、といった体験を含めての感想に結びついていると思うのです。

そういう意味で初ギンレイホールでウディ・アレンが悪くないと初めて思った後に観る「はちどり」の感慨深さ、余韻の深さはなかなかな記憶として刻まれた感じがします。

主人公ウニの周囲は混沌です。暴力的な兄、というかそもそも非常に家父長制の強い社会、父親に常に敬語を家族に強要する家庭、難関大学に合格する事だけが正義の学校にそもそもなじめるとも思えませんし、学校教師はわざわざ「大学に合格するぞ」とシュプレヒコールを強要してくる上に、周囲の生徒もいやいやながらもだんだん声が大きくなっていく順応性の高さにも嫌気がさします。

ウニの心の声は全く聞こえませんし、態度にて示されるだけです。

いかに心細いか、そして誰もウニに対して正面から向き合う大人も、そして友人もいません。

家父長制の家に君臨する父も、決して幸せそうに見えません。非常に肥大した自尊心を持て余しています。他人を見下さないと安心を得られない存在。暴力でしかはけ口の見えない兄に、上手くごまかす事に出来ない不器用な姉、母に至っては父に歯向かう事も出来ません。そんな家族をウニの目は非常に鋭く、観察し続けているのです。

このウニを演じているパク・ジフの瞳のつぶらさ、平面さ、怒り、怯え、憤り、焦がれたり、非常に多彩なんです。言葉じゃないのに、瞳が非常に多彩で、訴えかけてくるんです。

家族だけではなく、それ以外の世界の混沌としています。

学校では話しかける相手もいないですし、唯一の親友は塾で2人きりで授業を受ける子ですが、この子ともある事があって、完全な信用が崩れてしまいます。学校外で家までの間に恋人のような、そうでないようなまだ未熟な関係の男の子もいますが、それもまだ不安定ですし、年下の女子からは急に意味が解らず慕われたりする、混沌です。

そんな中でウニはある種もがいているのですが、そのもがきが、非常に憤りのある、理解されない孤独もあって、とても苦しいです。それだけでなく、ある身体的な気がかりもあり・・・心休まりません。

14歳が経験する様々な中で急に塾の講師として(それまでの講師を揶揄する際の観察の細かさとこのくらいの年齢的な女子の持つ他者への毒の強さ!)、ウニを子ども扱いしない女性ヨンジと出会う事で、何かが変わる予感があります。

ヨンジ先生の佇まいが、恐らく、ウニの世代でさえ、ここまでに封建的(保守主義って少しずつでも変わっていくもので、昔からの伝統をかたくなに堅持する、というのは封建主義というモノだと思います)な世界ですから、年上のヨンジ先生の突き抜け方はかなり異質です。この先生の歌う「指」の唄が悲しくも、恐ろしく感じました、死線を潜り抜けた者が放つ光のような。

凄く豊かで多弁な作品と感じました。デティールの豊かさ、いかようにでも汲み取れる懐の深さ、これが本当に長編1作目なのかと思うと、是枝監督だってビビる細やかさだと思います。

多分、女子だった人に向けられている作品、それだけじゃないけれど。すっごく金井美恵子みたいな映画。基本的には女子だった人にオススメ致します。

私は私を好きになれないし、受け入れられなかったな。

“「はちどり」を観ました” への1件のコメント

  1. […] ・ヒットマンです。印象としては昨年の傑作キム・ポラ監督作品「はちどり」(の感想は こちら )に最も近いです。これはやはり観客である受け手が、今、何が起こっているのか?とい […]

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