井の頭歯科

「カリーナ、恋人の妹」を見ました

2019年12月16日 (月) 09:00

アレクサンドル・ゴーチリン監督      クロックワークス

とある人がオススメしていたので観たのですが、これがかなりの傑作。最初にまず結論から言うと、恐ろしい若手監督です、若干26歳のアレクサンドル・ゴーチリン!

ですが、予告編を見ると、ヒドイ・・・そういう売り方ですか・・・多分、そういうのを求めて観た人はポカーンってすると思います。ホントクロックワークスもTUTAYAさんも視聴者も、誰にも良い所が無い取引ですよ、コレ・・・

公式の邦題「カリーナ、恋人の妹」という付け方、宣伝文章が「お姉ちゃんより、私を愛して」という文言・・・嘘はついてないけど、限りなく嘘に近い。いや、私はエロスも大事だと思いますし、需要も大変に大きい分野だと思いますよ。でも、そういうのを目当てにしている人たちにこの内容が伝わるか?と考えると、かなり否定的になります。出演者に好みの人はいるかもですけれど。いや、実際かなり整った方、それも美形と言っていい人ばかりですし、プロポーションも凄くいいですけれど・・・でも私は宣伝の人の、サボタージュを覚えます。

はっきり言って、売り方間違えてるし、そもそも売る気が無い、と言われても仕方がないと思います。こういう事があると本当に広告業界の虚飾性を考えてしまいますね。文化に興味がない人は広告業に就かないで欲しいし、広告業はもっと薄給にすべきだと思います。そうならないのが高度資本主義社会なのだとしても。映画「Superbad」(もちろんグレッグ・モットーラ監督作品)の時も思いましたけれど、こういうのは卑怯だと思います。

話しを戻して、この映画はジャンル分けするのが大変難しい映画ですけれど、青春モノに入れても良い気がしますし、文学系に入れてもイイ気がします。が、ジャンルとしてエロスには入らないと思いますけれどね。まぁ卑猥な人は何を見ても卑猥でしょう、空を見ても、美術品を見ていても、エロしか頭にない人はエロい事考えてると思います(そして、人間にはそういう時期もある事は知っています)。

でも、私は文学モノに入れたい、そんな映画です。

ある部屋に立てこもっている20代くらいに見える青年ワーニャはどうやらバッドトリップしてしまった様子で前後不覚、かなり異常事態です。が、なんとかワーニャを助けようとするサーシャ(主人公)とピート(その友人)はワーニャの部屋に入り込むのですが・・・というのが冒頭です。

正直ネタバレ無しでの感想が大変難しい作品だと思います。原題は「Kislota」英語だと「ACID」、つまり「酸」です。このACIDがいろいろな意味で、何度も出てきます。サーシャの視点でストーリィは進みますが、あまり説明がないので、受け手が想像する幅がかなり大きいのが特徴だと思います。私が見た事がある中で、近い感じがするのは「ハートストーン」(アイスランドが舞台の映画 グズムンドゥル・アルナル・グズムンドソン監督)系でもありますし、もしかすると、マイナー系ですが「野性の夜に」(フランス映画 シリル・コラール監督)にも近い感覚あります。でも1番親和性が高くて分かり易い映画ですと、めちゃくちゃスタイリッシュに、モダンにした「汚れた血」(フランス映画 レオン・カラックス監督)という感覚です。個人的にはオマージュともとれるシーンありましたし。

なので、もし「汚れた血」が好きな方なら、是非ともオススメです。

それにしても、本当に、ボカシを入れる基準を止めてくれ。あまりにヒドイ作品への冒瀆だと思いますけれど。

アテンション・プリーズ!

どうしても、ネタバレありの感想、文章にしてみたい、してみないとワカラナイ感覚の映画。結論がどうなるか?今文章にする前はワカラナイで文章にしてますけれど、普通この段階で、どういう結びにするのか?なんとなく分かっているつもりで始めるんですけれど、今回は全然分かってないです。

大変解釈の別れる映画だと思います。ハッキリと何がどうであるのか?言及されるシーンは、ほぼありません。疑問はいくつもあります。そもそもサーシャの立ち位置も不明ですし、学生でもない感じですが、働いているようにも見えません。また、エレーナの子の父が誰なのか?何故サーシャの父が失踪したのか?街ごと更地にするほどの事って?サーシャの父は何者だったのか?何故今割礼するのか?ヴィカと何故付き合っているのか?許嫁なのか?ピートは何故酸を飲んだのか?警察に出頭しつつ助けてもらいたがっているのは何故か?カリーナは本当にサーシャを愛しているのか?様々な解釈が成り立つと思います。

しかし、少なくとも、エロスを扱った作品ではなかく、扱ったモチーフの中にエロスな場面があった、というだけだと思うのです。

私は、サーシャを主人公にした、おそらく権力者の息子の、放蕩からの脱却を描いた作品だと思います。夏目漱石っぽささえある作品だと思うんです。もっと刹那的な、非常に不安定な社会に住む若者特有の、明日を信じていない感じが画面から伝わってきます。そういう傑作だと思うのです。

サーシャは上流階級の息子で、働かずとも食べて行けるが、音楽を生業としたい。しかし友人のピートもワーニャもサーシャに音楽の才能が無い事を知っていて、その事を諭す映画だと思いました。また、サーシャ自身も自分がゲイなのか?理解出来ていないと思います。だからこそ、見知らぬ女性とは距離を感じるが、しかしカリーナとは音楽を通じて、サーシャの価値を認めてくれる発言を、この映画の中で唯一、してくれる人間として描かれています。サーシャは誰かに、真剣に自分の音楽を聞いて欲しかったんだと思う。そして、残念ながら誰も耳を傾けなかったその音楽は、恐らく、便器と赤子のシーンにかかるテクノっぽい、はっきり素人っぽい音楽だったのでしょう。それもサーシャはある程度理解していたが、カリーナが受け止めてくれた事で、初めてその事を素直に聞き入れられる心情に至ったんだと思います。

ピートは、サーシャと一緒にいる事で、なんとか生活出来ていたが、このままではいけないと理解して、何処かでその時が来るのを待っていたのだと思います。そしてワーニャに、手を放したければ離せばいい、に続く言葉は、俺だって離したい、という事だったんではないか?と思うのです。ワーニャの選択を支持も止めもしないのは、こんな社会で底辺に生まれ、富豪の父から疎まれたら、それはかなりキツイ生活なんだろうと思うのです。しかし、あのバジリスクの彼氏に手を振った辺りで、なんとなく、生きててもイイかな?と思ったのか、それとも父親と話が出来た事で思ったのか?微妙で推察するしかないけれど。

カリーナは恐らく、全然サーシャが好きなんじゃなくて、興味があったんじゃないかな?と思う、男性にも、性的な事にも。あるいはただ背伸びがしたかったのか?この辺は女性の解釈を知りたい。が、ヴィカはどうでもいい、全然興味が湧かないキャラクターでした。しかし出てくる人が皆美談美女ばかり。あ、あとエレーナも、どうでもいい感じがします。この人全然分かんなくて、ヴィカの父にもたれかかる部分とか嫌悪感まで感じました。

設定的には本当に夏目漱石の『それから』に近い。もちろんアップデートされていますけれど。そういう意味で、凄く文学的な作品。しかし、本当に、映倫には憤慨を覚えるし、クロックワークスとTSUTAYAは猛省を促したい。これじゃ届く人に届かないし、その事でセールス的にも、また監督の次回作にも繋がらないですよ。

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