井の頭歯科

「イニシェリン島の精霊」を観ました

2023年2月21日 (火) 08:50

 

 

マーティン・マクドナー監督    SEACHLIGHT PICTURES   吉祥寺オデヲン

 

久しぶりに劇場で20世紀フォックスのファンファーレを聞きました。これだけで何故か気分が上がります。

マーティン・マクドナー監督作品は「スリー・ビルボード」(の感想は こちら http://www.inokashira-dental.jp/blog/?p=3068  )しか観れていませんけれど、凄く記憶に残る映画だったのですし、大変面白かったので、観に来ました。最近は基本的には予告編すら観ないで鑑賞作品を選ぶようにしています。その方が期待し過ぎる、というのが少なく、結局より多くの映画を楽しめると思います。

基準は出演者と、脚本そして、監督が最も大切なんじゃないか?と思い始めてきました。私にはこのやり方が合ってるのではないか?と。でも、映画館で映画を観る、とどうしても予告編を観る事になりますし、私は結構上映前の、予告好きなんです。これから始まる本編を早く見たいけれど、その前に映画会社の宣伝なのは重々承知の上で、この先も映画は続いていくんだな、という希望を感じられるので。

1923年、アイルランドの西の外れにあるイニシェリン島は自然の非常に厳しい世界で、不思議な石の積み上げられた道があります、ちょうど胸の高さくらいの石積みです。そこに住むパトリック(コリン・ファレル)はいつものように飲み仲間のコルム(ブレンダン・グリーソン)をパブに誘いに彼の家を訪れるのですが・・・というのが冒頭です。

なんか、凄くいろいろ解釈の分かれそうな映画です。私は映画の感想を文字にしてみないと考えがまとまらないタイプの頭の悪い人間なのですが、個人的には好きな映画です。何しろ、説明があまりないので、どう感じたか?が重要ですし、それは人それぞれなので、私の場合を文章にする事で、他の人の感想が伺いやすくなります。批判も含めて。でも、みんな感想なんて違って良いですし、なんなら誤読も誤解も、その人のモノ。後で考えが変わったりもすると思いますし、転向する事も、もちろんありますし、絶対に考えが変わらない、と思う人の方が、絶対的な価値が定まってしまっているからこそ、他者に乱暴になれるので恐ろしいと思います。それに人間(の中でも特に頭が悪いという自覚がある上に、性格にも問題があり、嗜好もちょっと、という私)という生き物はしょっちゅう間違います。その間違いを認められる方がまだいいような気がします。

閑話休題

凄く、ストレートに、あらすじだけを追えば、単純な話しです。そして言葉では説明されない部分を、どう捉えるか?で評価ががらっと変わる作品。

でも、風景がとにかく凄いし、脚本も見事でした、納得です。まぁ、もう少し、アレは控えめにして欲しかったですけれど。

パトリックをどう解釈するか?どう捉えるか?でかなり評価が分かれると思います、田舎怖い映画でもあります。

コーエン兄弟映画が好きな方にオススメ致します。

 

 

アテンション・プリーズ!

 

ココからネタバレありの感想になりますので、未見の方はご注意くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大変豊かな映画、と感じました。 まず、風景が、そして時代設定と場所が凄く重要だと思います。 偏見もかなりある世界です、現代から見ると。そして非常に閉鎖的な世界というか地域。そう田舎です、辺境と言ってもイイ。 その世界で、外部とも繋がってはいるし、身近に戦争もあるけれど、それなりの平和が保たれている。そんな中でのたった2人の男性同士の友情とその崩壊を、関係性を描いています。

 

 

ただ、コリン・ファレル扮するパトリックをどう捉えるのか?普通のナイスガイと、周囲の人は言うけれど、どう考えても私には、バリー・コーガン扮するドミニクに、凄く近い人間なんだと思います。まだ、適応障害とか、障害の概念も違った、それこそ社会の中の包摂されていた(もちろん詳しくはないですけれど)時代なんだと思います。

 

 

だから指さして、病名を問われたりしない、みんなが優しく、包んでいる世界なんだと思います、ドミニクはそれ(閉鎖されたカトリックの支配するムラ社会の掟)を逸脱したんだと思う。パトリックは逸脱はしていない、そして妹という保護者がいる。その妹にしろ、自身の夢を捨て、良い人、となるべく感情を遮断し保護者という立場を演じている振る舞いをしています。家だって妹のモノなのです、兄パトリックの家ですらない。

 

 

描かれていないパトリックとコルムの友情と言ってもいい関係は、コルムの優しさ、良い人として振る舞うべき規範(もちろん宗教的、そしてアイルランドはカトリック的)と分別を持って接していたのではないか?と思うのです。

 

 

だからこそ、コルムは自傷まで起こしても、関係を断ち切りたかった、その友情という欺瞞の罪に対しての自己犠牲を持ったのではないか?と想像しました。

 

 

そしてコルムの今後の人生の去り際までも考えて、そして関係を断つ事で、あわよくば、妹を世界に送り出す事が出来る波紋を、この閉鎖された空間に、立てたのではないのか?と思うのです。

 

 

そうでないと、自傷行為まで行えないと思います、もちろん偏屈な人間でもあるコルムが何処までを予想していたか?は微妙ですし、指が無い、という自分を生きてみたかったのかも知れません。退屈な人間しかいない、知らない人間のいない、この閉鎖空間には、静寂さという得難い部分もありますし。

 

 

田舎、なかなか恐ろし処です。田舎には田舎の人にしか知り得ない闇もあるし、それは形は違えど都会にも闇はあるけれど、逃れられなさ、と言う意味では田舎の方が闇が深いと言えなくもないと思います。

 

 

その田舎で逸脱したドミニクこそ、もしかしたら生き物として無垢なる存在だったのかも。もし、事故ではなく自死だったら、という想像もしてしまう。しかし、バリー・コーガンの演技の質の高さ、驚愕です。年齢的に考えても凄い事をしています。もう、そういう人にしか見えません・・・恐ろしい俳優です。

 

 

暗喩された2つの死が何を指しているのか?ドミニクとロバでもいいし、私はドミニクと『良い』パトリックが死んだのではないか?と今は想像します。逸脱してしまったパトリックがこの後、この閉鎖された空間で、どのように生きていくことになるのか?大変恐ろしい後味。

 

 

とは言え、カサブランカみたいに、あの後コルムとパトリックに友情がもう1度、それもある種の対等さを持って生まれたかもしれない、とも思います。

 

 

 

 

観た方とどう受け取ったか?を話したくなる作品。

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