井の頭歯科

「犬のかたちをしているもの」を読みました

2026年3月21日 (土) 09:24
高瀬隼子著     集英社文庫
ラジオでオススメされていた数冊の中で全く知らなかった作者の作品です。オススメの書籍の中で読みたかったのは「いい子のあくび」だったのですが、売り切れてまして。そこで最初の作品を読んでみようと思ったところが、本作だったわけです。
すばる文学賞作品。そして、すばる文学賞、と言えば、私の世代だと、辻仁成になってしまうわけです・・・でも受賞作「ピアニッシモ」は悪くない印象だったんですよ。その後読書から離れてしまったので、その後のすばる文学賞の傾向とかワカラナイのですが、wiki調べですが、現在の選考委員の方々は信頼出来る気はします。
とは言え、初めて読む作家さんです。
そしてあくまで一読者である、浅学菲才の、無知蒙昧、40歳を過ぎて上司から面と向かって「クルクルパー」と言われた事がある、老人の感想とお思い下さい。もちろん文章を書けるわけでもなく、他者を評価したり批評など出来るはずもございません。基本的に何でも忘れてしまう自分の為の文章で、自分の為に書いていますし、少しだけ他者から見られる事を意識する事で、読みやすく配慮するので、このような形にしている訳です。当然ただの感想です。
間橋薫は四国の地方都市出身で同棲している男性である郁也と生活する30歳の女性。持病があり、その事が生活すべてに余波を生んでいます。また女性である事に意識がありますが、性行為に、男性の性欲の暴力性に起因する忌避があり・・・というのが冒頭です。
2020年の作品です。小説で描かれる描写、個人の生活、1970年生まれの私からは大変に変化した、とも思います。
そして非常に素朴に、私の暮らすこの国では恥の文化圏という自認がありますけれど、それも変化しつつあるのだな、という事も理解出来ます。
また、ホモサピエンスの中の、日本という国家における、中でも女性の、生活の優先順位にも変化が生じているし、当然ながら文化として男性優位、強い家父長制の中で育まれた文化に対しての違和感や拒絶感を基にした抵抗みたいなものが、描かれています。
で、それは2000年代ころからずっと続いている世界で、目新しくはないものの、純文学世界でも起こってきているのだな、という認識になりました。凄く新しいわけではないけれど。
選択できる自由を、誰もが手に入れる世界は、フェアで平等である事になりますし、賛成出来る。けれど、その選択には責任が伴い、性別から自由になるのはまだ難しい状況ではないか?と個人的には考えます。
主人公薫は、何かを選択しているようでいて、事実は流されているだけで、しかも、能動的ではなく、状況で決断というか時が来てしまった結果を受け入れている、だけに見えます。
そういう意味では男性における村上春樹的ですらない状況です。『僕』はそれでも最後に決断をしますし。
これは結構前から言われ続けられている事だと思いますけれど、家族よりも個人、を優先させてきた結果、3世代家族は稀有な存在になり(昭和55年 1985年までは全国でも三世代同居は世帯数の中で最大でしたが、令和6年の調査だと5%)、単身者が3割を超え、2050年には4割も超えると予想されています。
身体性で病気の話しなので、一概に否定的なわけではなく、しかも生殖器の話しですし、自然とアイデンティティの話し、その傾向の話しになりやすいし、尾籠な話しとも言えますけれど、その主体が女性である事は、私には珍しい体験でした。しかし、身体内で別の生命をはぐくむって、なかなか怖い体験じゃないでしょうか・・・そして出産って物凄く痛そうで男性にとっては絶対に体験できない世界。だから何も分からない。
でも、同棲相手を選ぶ自由もあるし、そこに関係性の結び方は人それぞれで、今だと性的関係を完全に無にしている事も出来るホモサピエンスもいる可能性もありますし、さらに自由になったので、2025年だと更なる変化が起こっていそうな気がします。
犬のかたちをした何か、とは愛情の対象なんでしょうし、それこそ、愛玩動物に愛情を傾ける事は自然。しかし愛玩動物と、パートナーを同列で比較するのは、かなり違和感がありますし、それを行うと、相手にも同じような比較対象を与える事になるけれど、それは良いのか?という気になります。相手は愛玩動物じゃなく、この小説の場合、金銭的な性的興奮の対価を渡した相手なんですけれど・・・
ただ、感情としては理解出来る気がしますし、それが犬ではなく猫だったら、強い共感を得たと思いますので、理解は出来ていると思います。
そして、そういう一連の感情の動きを自然で善き事柄と捉えるなら、少子化は絶対に止まらないし、それは私は善き事だと、個人的には思います、リチャード・ドーキンスの言う乗り物が、遺伝子という刷り込みを超えて自由を得た事になりますし。また不用意で著しく劣った遺伝子を後世に残す危険が無く、ホモサピエンスにとっても有用。しかし、自分の遺伝子に価値があるかどうかの判断を、他者に任せたり、基準を作る事には反対はしますけれど。あくまで自らの判断のみが価値を持つ訳ですけれど。という事は自死は認められるべき、と捉えられても仕方がないのですが、はい、そう思いますし。
最後まで、この主人公薫の意思は、あまり強調されませんし、雰囲気や惰性、よく言えば今の環境に適応している、とも言える。唯一の決断は、妊娠への翻意、それだけです。
もう1名の対象的重要人物ミナシロさん、こういう人、居そう、とも思えるのですが、合理的判断をしているつもりでも、結局、な部分があり、この話しの為に作り出された、作者の作劇にとって、都合の良いキャラクターになっていて、そこは少し違和感ありました。でも、薫とミナシロさんは凄く似ていて、能動的か受動的か?くらいしか違いが無いのだが、まぁそこが重要なわけですけれど。
女性の方にオススメします。

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