ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督 TangoFilm U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 10/29
早く観なければと思いつつ、昨年のライナー・ベルナー・ファスビンダー監督特集にも行けず。自由業とは言え仕事を休むと収入が無い不自由業、そこでずっとクリップしたままになっていたこの作品を観る事にしたのは、全く同じピーター・グリーナウェイ監督特集も行けなかった事を思い出したからです、結局いろいろ行けてない・・・
私の初ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督作品です。ちょっと思ってたのと全然違ったけれど、強いセンスを感じます。柳下毅一郎さんが好きな監督、分かる気がする。
踊り場のような階段の隅に佇む猫。カメラはゆっくりと寝室に向かって動きつつ、その寝室の壁には西洋絵画の裸婦や裸の男の大きな絵画が描かれている。ベッドに横たわるペトラ・フォン・カント(マーギット・カーステンゼン)にアシスタントであるマレーネ(イルム・ヘルマン)にブラインドを開けてと頼むのですが・・・というのが冒頭です。
女性は裸婦だけど、男性の場合は何というのか?調べても判然としないのですがら裸夫なんでしょうか?今まで気づかなかったけれど、ミケランジェロのダビデ像の場合だって呼び方はダビデ像・・・全然気がつかなかったのも不思議だけれど、正解がワカラナイです、無知であるのは知っていますが、知らない事ってたくさんありますね。
それと、壁の絵画、めちゃくちゃ調べまくって、二コラ・プッサンの「ミダース王とバッカス」である事を確認しました・・・大変だったけど、分かって良かった。また。この絵画を、意図的に、ある部分を中心にしているのですが、そういう部分の感覚も基本的にはいいです。まぁどうかしていると言えば、どうかしているとは思いますが。
ファズビンダーは男性で37歳でオーバードーズで亡くなっている映画監督でもあり、俳優でもあり、そして演出家。舞台で培ってきたものを映画に取り入れた人、の様です、wiki情報ですけれど。
全てに意味がありそうですし、特に意味は無いようにも受け取る事が出来るタイプの作家性。しかし私個人は圧倒的に、前者、全てに意味を込めてると感じますし、この映画、構図、カメラワーク、全体の構成と章の区切り方、メインテーマ、そしてキャスティングのどれもクオリティが高い上に、高いだけじゃないセンスを感じさます。
この脚本を書いたのが本当に凄いし、とても演劇的で、今作こそ、女性とはどういうものか?を私の今までの個人的な体験や考察に基づいて考えうる形で、表現されています。型にはまっている。すっごくリアリティを感じました。そしてだからこそ、私には恐ろしい。
完全なメロドラマの形を採りながら、典型的という訳ではありませんし、現代にも通じる新しい女性像と、とても古典的女性像がないまぜにされたままを提示しつつ、理詰めで書かれて並べられ、演出されているの、本当に凄いと思います。
ネタバレなしで言える事が少ないのですが、女性の映画だと思います。
ただ、ファスビンダーも私も男性なので(ファスビンダーを私と同類に入れる事すらおこがましいのですが)全然違う!と怒られる可能性もありましが、私からは、THE・女性を描いた作品。
洋の東西を問わず、本当に他者というものとは分かり合えないのですけれど、だからこそ、何か分かりそうな気がする、という瞬間に意味や奇跡を見出してしまう人にオススメします。
アテンション・プリーズ!
ここからは決定的なネタバレを含んだ感想なので、未見の方はご遠慮くださいませ。
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ネタバレあり、の感想です。
登場人物は主人公であるペトラ・フォン・カント、デザイナーで有名で離婚歴があり、娘がいる。その友人シドニー、シドニーが紹介してペトラと恋仲になるカーリン、ペトラの母、娘であるガビ(恐らくガブリエルの愛称)、そしてペトラのアシスタントのマレーネ。6人しか出てこない、女性しか出てこない会話劇。しかも舞台は1つの部屋だけです。ですからとても閉塞感のある、圧迫感のある、緊張を画面からずっと感じます。マレーネ至ってはセリフすらありません。
なのに、とてもサスペンスフルで興味深い。
まず、表の主人公として、ペトラ・フォン・カントですけれど、ファッションデザイナーで、金持ちで、離婚歴があり、娘がいて、アシスタントとして、一方的に好意を寄せられているマレーネを小間使いのように扱っています。年齢は恐らく35歳、そして両性愛者です。
第1章では、そのペトラの友人であるシドニーに向かって、とても古典的で常識的な友人として、いかに今の状況を手に入れ、実現したか、そして現在の心情やライフスタイルを説明しています。ここが非常に理路整然としていて、美しくさえありますし、スタイルを描き出している。この主張を1973年に出しているのはとても早いと思いますし、同時に、理想的とも言える。男性と女性という役割を考え直す考え方で、周囲からは、もしかすると今でも、受け入れられないかも知れませんが、フラットで、フェアであると思います。
第2章ではペトラ宅にカーリンが訪ねてきて、ペトラがカーリンを口説くパートです。それぞれの立場や過去が語られます。
第3章では、時間が経過して、既に同棲しているペトラとカーリンの間に溝が出来ていて、実際の所、第1章で語られたペトラの考え、スタイルをことごとく、ペトラが全く守れていない、感情的な波に飲み込まれていて、ペトラがカーリンを保護下に、そして自分の想う通りになって欲しい、という願いに対して、カーリンの我慢が限界に達しそうです。
第4章、ついにカーリンが去り、ペトラの誕生日。娘ガビと母が訪ねてくるのですが、酩酊状態のペトラ。カーリンを求めて錯乱に近い状況です。
そしてエピローグ。同日の夜、ある程度感情の乱れが納まり、ついに、マレーネを受け入れようとしたところで、マレーネがトランクにパッキングをし、ついにマレーネも去ってエンド。
恋愛というのは、非常にアッパーな状態、クスリをやっているかのような状態だと思いますし、若さ、とはそういう無鉄砲な部分があると思います。また、中毒性が高いからか?次のクスリ(とか恋愛とか性的興奮とか衝動買い含む浪費とか、飲酒などの様々なアディクション含む)を求めて右往左往する事になるわけです。
醒めた状態であれば、男女関係をクリアに分析までしているのに、家父長制的なるものに対しての明確な判断も出来るのに、恋愛とか愛に対して、非常に盲目的で善き事だと信じて疑わない感覚を私は女性的だと感じています。
さらに、この恋愛感情に対して勾配があって上の立場にいる場合、強権的で支配的に振る舞ったり、逆に弱い立場であれば縋る行動を起こすのも、男女問わず見られる傾向である種の文化的な側面でもあるのですが、文化も常識も変化するもので、前提が壊れれば当然変化していきます。そして公平性という、当たり前に人権が認められた世界ならどんな人でも要求する世界になりつつあるので、変化せざるを得ない。もしかするとここに技術的革新も関与ありそうです、掃除洗濯等の家事が機械化されれば、役割分担も変わるでしょうし。
そしてマレーネのようにずっと付き従って、いよいよ感情的成就が起こる瞬間に醒めたり、もしかするとそれまでの仕返しとして、拒否したりするのも、女性的だと思います。
私はペトラは果たして本当にデザイナーとして優秀だったのか?疑問を感じています。もしかすると全てマレーネの仕事だったのではないか?と思ったりします。
衣装に小道具も、素晴らしかったですし、カメラの画角、狭い室内で大変だったと思いますが素晴らしかった。