井の頭歯科

「国宝」を観ました

2025年7月22日 (火) 09:49

 

李相日監督     東宝     吉祥寺オデヲン
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   24/67
映画好きな友人とお話ししていてオススメされました。基本的に全然観る気が無かったのですが、オススメされたので。
私は歌舞伎を見た事がありません。そして、今後も特に観たいと思っていません。そういう人間の個人的な感想です。
1964年長崎、お正月を祝う席に任侠の組長の息子が歌舞伎を披露し・・・というのが冒頭です。
結論としては、ベストセラーの本とは、普段本を読まない人が購入した時に生まれる、と思っています。その本に価値があるか?を決めるのはその本を読んだ人、それぞれが決める事だと思います。売れていれば良い本である、とは言えませんし、売れていない本でも、価値が高いと個人が思う本もあります。この映画がヒットしているのはこの映画製作に関わった人にとっては良い事だと思いますが、私は全然良い作品に思えなかったです、映画として。そして歌舞伎については全くの無知蒙昧ですので、よく分かりませんが、この映画を観て歌舞伎についてもっと知りたい、本物の歌舞伎を見て見たい、とはならなかったです。
以下、この映画が好きな人には、非常に不快になる文章が、恐らく、ダラダラと長く続きます。何故面白くなかったのか?をどうしても言語化したいという個人的な感情を理性で抑えられなかった幼児的な振る舞いです。ですので、そんなものを読みたくない人はスルーしてください。そもそも時間の無駄使いですし、私も自覚しています。でも止められなかった。時間は有限でもっと意義ある事に使った方が良いのですが・・・
アテンション・プリーズ!この映画のネタバレ&何故面白くないのか?についての個人的な意見です。ですので、全人類が基本的に読む必要が無い文章です。ただの自己満足の為、理性に感情が負けた結果、です。選挙の投票先を理性ではなく感情で行う投票行動と同じですね。そういう意味で、誰の事も私は批判出来ないです。
もう基本的にネタバレありの感想です。映画として本作が好きな方は自己責任でお願い致します、私は注意喚起は促しました。
国宝、定義としては、
1国の宝であり、
2近代以降の日本に於いて文化史的・学術的価値が極めて高いものとして法令に基づき指定された有形文化財
となっています。つまり人の場合は無形文化財でいわゆる人間国宝と呼ばれます。ので全然知らなかったけれど、タイトル正確には「人間国宝」の方が良かったんじゃないか?と思いますが、語呂と雰囲気で「国宝」というタイトルになったんでしょうね、恐らく。知っていた上で選んでいると思います。
で、人間国宝というのも通称で、正確には「重要無形文化財の各個認定の保持者」と言うそうです、勉強になるな。全く知らなかった。そして認定するのは文化庁が任命する人気年再任可の委員の皆さまです。これも知らなかった。専門家の方々が決めていらっしゃるわけです。
なので正確に記すと「重要無形文化財の各個認定の保持者」というタイトルになります。
でも、国宝、とても大きなタイトルですね。
で、原作があり、原作があるという事は、文章で、説明しなければなりません。この映画は割合セリフで全部説明してくれます。ので、原作でもきっとそういう表記があるのだと思いますが、映画で行う場合は工夫があった方が良かったと思います。
例えば、誰かが歌舞伎を踊っていて、それを見ているキャラクターに「凄い」と言わせてしまうんです・・・原作なら、小説でも工夫してそうはしないと思いますが、正直映画表現としては、全然乗れません・・・歌舞伎の動きや舞で観客が凄い、と思わせられれば、映画的で素晴らしいとは思うのですが。
例えば、歌舞伎の動きや方の練習場面では、シゴキをしている、辛い練習である、という事を表現するのに、苦しそうにしたり、割合暴力的に指導したりしつつ、指導している人の、こういう風にしないとイケナイ、というのではなく、身体に骨に覚えさせなさい、的な凄く抽象的な指導が入るんです・・・本当にそういう指導をしているのかどうか?は置いておいて、映画的な表現ではないとは思います。
また、とにかく脚本が、原作は読んでいないので、もしかすると3時間という尺に収める為に、いろいろ端折らねばならないという部分もあったんでしょうけれど、それにしても雑で、ベタな展開が続きすぎる上に、説明が無いから、人としていくらなんでもどうなの?一時的な気の迷いで思考回路がなくなったの?と感じてしまう部分が多すぎるんです・・・もっと言えば、そういう為のキャラクターをただ、置いている様にしか見えないんですね・・・・
典型的な例として、吉沢亮さんが演じている歌舞伎の家の出身ではない、背中に入れ墨をしている男と、かなり幼少の頃から付き合いがあり好意をお互いに抱いている高畑充希さんが演じている女性がいます、この方も背中に入れ墨を入れていて、かなりの相思相愛関係なんです。が、父の事故をきっかけに代役を吉沢さんが演じる事になり、その本番の舞台を見ている間に、実子である横浜流星(ってスゴイ名前ですね、本名なのかしら)が急に、出て行こうとすると、その人と駆け落ちするんです女性側から手を引いて劇場から出ていくんですよ・・・私の頭が悪いので、多分途中、どこかでこの2名が惹かれ合っているという描写を見逃したんだと思うんです。そうでないと、相思相愛の自分の彼が大切な舞台で踊っている最中に、知り合いではあったでしょうけれど、別に二股をかけていたとか、彼女も同意のうえで両方の男性と付き合っていてそれを隠していたとしか思えない展開なんです・・・
だって、この後も役者の仕事はあったでしょうし、比べられてそこまで決定的に何かが違うようにも見えない、2人が一緒に、同じ役柄を演じている演目しか見ていないのに、そこまでの違いを歌舞伎の映像では全く観ていないんです・・・私の頭が悪いので理由が見つけられなかったのかも知れませんが、驚きました。それまで自称ボンボン、歌舞伎の世界ではどうやら血が大切で、血族でないと舞台にすら立てない非常に閉鎖的な世界のようなので、その血を持ちながら、しかもこの映画の中では芸という単語で表記されていますけれど、つまり技術が大切だと言っておきながら、歌舞伎の世界では、血の方が大切のようなのです。
これだとちょっと、閉鎖的過ぎて歌舞伎、に興味が持てない感覚が私にはあります。そしていくら歌舞伎が上手くなっても、歌舞伎の舞台には立てない、という事は、上手い人、芸を磨いても無理、という閉鎖性、ちょっと現代としては、なかなかな案件だと思います。
そもそも、交通事故に遭う父渡辺謙さんの言動も意図が分かりません。これまでに、吉沢さんと横浜さんの2名は、同じ振付で対象的な動きを行う舞台を演じているのに、そしてその違いは私のような歌舞伎の素人には全く分からないのに、何故か、吉沢さんを選ぶんです。技術も同じ様にしか見えないのに、その理由を、凄く嫌味な女性で私はそういう役しか演じていない妻である寺島しのぶに、理由を聞かれても、全く答えないでもう決まった事だ、とそれだけなんです。理由くらい教えてくれても、そしてなんなら、2人が交互に舞台に立つスケジュールだってこの人なら組めるはずなんですけれど、そこには歌舞伎の世界にしか通じない、見えない何かがあるんだと思います、もちろん、息子では無い方を選んだ方が、劇的にはなる分、べったべたの表現になりますけれど、そういう事ではなく、歌舞伎の世界の何らかのチカラが働いているのだと思います。
そう言えば興行主を演じている嶋田久作さんの演技も、なかなかスゴイです・・・セリフも・・・でも監督がOK出しているんだもんな。
吉沢さんも、息子のいない、お世話になっている家を出て、アパートを借りても良かったと思うのですが、そのまま実家に居続けるのも、なかなかですけど、渡辺謙の2代目を襲名する事になりますが、その席で、渡辺謙さんは喀血するんです・・・まさか本当に舞台の上で役者が死ぬという表現を、本当に映画の中で観るとは思いませんでした。
2代目を襲名しても、その後どうやら主演を演じる事はなくなり、歌舞伎の世界、血が繋がっていないと本当に閉鎖的で仕事もさせて貰えないようで、なかなかハードな世界ですね。
で、10年くらい雲隠れして逃げ出していた横浜さんが、戻ってくるのです。何故なのか?説明が無かったのですが、どうやら息子を、歌舞伎に入れたかったようです。この時、その息子さんは既に喋るくらいの方なのですが、何故この時なのか?が分からなかったです・・・男児が生まれた段階で帰ってくれば良かったと思うのですが、襲名された後の方が遺恨が残り、物語にツイストが効く、というのは邪推なんだろうと思います。そして歌舞伎の世界では血が大切。だから戻ってくると、すぐに実家で生活するようになり、今度は吉沢さんが家を出ていく事になります。この時の横浜さんのお母さんの態度とかこれまでの言動とか、痺れます。
その後割合すぐに、横浜さんは世間的に評価されるのも、劇的。でもだとすると、なんで逃げ出すほどだったんでしょうね、技術は高かったんでしょうし。謎。
屋上のシーンは綺麗だとは思います。ここは映画として良かったシーンだと私は感じました、別に歌舞伎の動きでは無いとは思いますが。
また人間国宝、じゃなかった重要無形文化財の各個認定の保持者である田中泯に許されると、急に戻れるようになるのも、どういう理由なのか?判然としなかったです・・・しかも寝た切りなのに、その田中泯に会いに行くのに興行主の下っ端で今は興行主になったのかワカラナイけれど三浦貴大さんはセリフで、芸だけ残して死んじゃう的な発言をするんですけれど・・・えっと重要無形文化財の各個認定の保持者は亡くなると剥奪されるそうですし、重要無形文化財の各個認定の保持者は踊ってこそなので、亡くなられたら芸は、技術は残せないと思うのですが、それっぽく雰囲気が重要視される映画なんです。
で、そう言えば吉沢さん、奥さんじゃないけど女性も子供も居て、しかも最後にその娘から、まぁ許されるんですよ。カメラを持った女性が出てきただけで、あの娘なんだろうな、と思いました、うん、よく見る展開。
いくつになっても、たいして何もしていなくても、お父さんという存在は娘に許されたいんですよね、本当に良かったですね、人間国宝じゃなかった重要無形文化財の各個認定の保持者にも成れて。芸や技術しか欲しくなかったけど、割合いろいろ手に入れてて、しかも凄く受動的で周囲に認められて、本当に良かったですね。
凄く画面上はキラキラした時間が長いです。情緒的に、そして吉沢さんや横浜さんのファンであれば、楽しめる作品であり、歌舞伎を知る事も、そのきっかけにする事も出来る作品でもあるでしょう。私の性格がねじれているからこその難癖でもあると思いますが、映画の脚本としてはベタベタですし、歌舞伎に対しては、血が大切、という非常に閉じた世界であるという事が分かり、なおかつ、役者さんたちも頑張っているんでしょうけれど、歌舞伎がなんなのか?は私にはよく分からなかったし、ダンスという踊りという意味ではもっと違う好みの分野があるので、特に響かなかったです。
ただ、歌舞伎の人が顔に塗るおしろい?というのか、何なのか知りませんけれど、あまりアップで撮るのは向いてないと思いますよ・・・多分客席から観て美しいとされる為の化粧なのでは?
年に1本映画を観るか、みないか、という人にオススメします。

私が1番驚いたのは、この映画のウェブサイトのイントロダクションの部分に、原作の方が、専門は作家さんだと思いますが、太字で、

「100年に1本の壮大な芸道映画」

というコメントを寄せています。

この作家の方は恐らくかなり映画に詳しい方だと思います。自作原作の映画のコメントとしては本当に驚くべき表現と言語感覚ですね。
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