https://www.youtube.com/watch?v=2PEKyl4O6OA
ジェーン・シェーンブルン監督 Fruit Tree A24 吉祥寺アップリンク
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 38/100
おお今年は今までで1番早く100本到達。とは言え晩年なので時間は有効に使わないと。新作も興味あるものだけ追ってると間に合わないかもですが。
評判が良いので、ちょっとだけ期待値上げていきました、でも予告編も観ていない・・・正直青春映画、でもカルト、と聞いて足を運びました。
結論から申し上げると、2025年の新作映画の中ではキムズビデオと並ぶ作品で暫定1位です。
私の感覚では、デビッド・リンチの遺伝子がありブリグズリー・ベア+アンダー・ザ・シルバーレイク+ホースガールを足して混ぜて、割らない作品。しかもポップでキャッチ―。音楽と美術のセンス、恐ろしいくらいマッチしてて、曖昧模糊なのにソリッド。夢であり現実。なのに、難解ではない、と私は思います。だって私たちはもう既にデビッド・リンチを経験しているんですから。何が正解なのか?は分からないし、人によって解釈は違って良いし、監督の目指したものとは違うと思いますけれど、確かに私は受け取った。
そして、何を言ってるのか伝わりにくいけれど、ロッキーと真逆の映画です。後で説明します。ネタバレになりかねないので。でも私には、そういう意味の映画でした。
私の映画の感想はあくまで個人的な感想で、決して批評とかではなく、勝手に私が映画から受け取った私のモノであり、監督の意図とか、意向、目指されたモノとは明らかに違うと思います。評論家の人の話しや、映画監督の個人的な出自や傾倒されている何かなんて、知らなくて良いし、知って調べて、感想が変わる可能性もあるけれど、でも、最初にまっさらに観て受け取ったモノの価値は変わらない気もします。そんな私の感想なんて誰にも意味をなさないのも知ってますが、老人なので何もかもを忘れてしまうので、備忘録として。
感想に入るまでも長くなってしまう・・・
1996年のアメリカ郊外。アスファルトの道路にチョークで描かれている文字や絵が夕暮れ時に蛍光色の、ブラックライトを当てられたような色彩で浮かび上がる1本道をカメラがズームしていくと・・・というのが冒頭です。
ファーストカットの掴みが凄い。ナニコレ?どうやって撮影したの?という不思議で繊細で奇妙なカット。だから引き込まれる。
劇中劇がある1996年の青春映画で、孤独な2名の物語、と言えばウソではないが全然何も伝わらないと思います。
1996年に「ピンク・オペーク(The Pink Opaque)」という番組が放送されていて、この番組は土曜の夜10時30分からの放送なのですが、その予告を主人公であるオーウェン(ジャスティン・スミス)は観ているのですが、12歳のオーウェンの就寝時間は10時であり、番組そのものを観る事が出来ません。
この「ピンク・オペーク」という番組が、とにかく奇妙なんです、そう、まるで「ツイン・ピークス」みたいに。それも第2、3シーズンくらいの感覚。
そして大統領選選挙の投票所となっている中高一貫校(すみません、アメリカの進学の仕組みがワカラナイけど恐らく。ネット調べだと、小学校5年・中学校3年・高校4年みたい)の体育館の片隅で「ピンク・オペーク」の公式書籍を読みふけるマディ(ジャック・ヘイブン)と出会います。
年齢は違えど、孤独である事は間違いないこの2名がこの映画の主人公です。
何故孤独なのか?そして些細なきっかけから友人になったこの2人の繋がりだけでない関係性と、世界との関わり方の話し。
もし、受動的に、なにもかもを説明してくれるエンターテイメントが好きな方には、少し向かない可能性はありますが、そもそも孤独でない人間が何処にいる(槙島聖護)と考えている私からすると、万人に響く可能性がある映画。
音楽、恐らく90年代的のモノも多いけれど、知らない楽曲でしたが、どれも素晴らしく良かったですし、とにかくこの映画にフィットしている。
演者はとにかく上手い。実在感を感じさせるに十分です。それが90年代のテレビ番組だとしても、です。
また、ビデオが重要なアイテムとして出てきますし、映像も観れるのですが、この画面の質感、まさにビデオ。
映画全体の統一感を出しているの、間違いなく美術。とにかく暗い画面が続くのですが、効果的に使われるピンク、このアクセントが効いているし、それもいわゆるバービー的なピンクではなく、もっとダークなピンクなので、映えるんですね。冒頭の、アスファルトの上の夕暮れの最期の一瞬のチョークの色がとにかく美しい。
観た事が無い映画を体験したい方にオススメします。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想なので、未見の方はご遠慮ください。
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月曜ロードショーの映画解説者、荻昌弘さんの大変有名な、映画ロッキーについての言葉
「人生するか、しないかの分かれ道で、するという方を選んだ勇気ある人々」
という有名な解説があります。そういう意味で、ロッキーと真逆、という意味です。だって選ばなかった人の話しだから。
そして人生の選択で、やる方を選んだ人たちが素晴らしいのは事実ですけれど、選べなかった瞬間だって、その人たちにも存在するはず。そして、ほとんどの、ホモサピエンスとして能力の無い私からすると、選ばなかった私としては共感を感じました。常に挑戦し続ける事の偉大さも理解出来るけれど、チャレンジしなかった、その能力の無い場合や、決断できない事も、ある。
オーウェンは、かなり時系列をいじっていますし、なんなら信用ならざる語り手とも言え、画面のこちら側に話しかける瞬間が少なくとも3回はあったと思いますが、とにかく、常に、行動するかしないか?でしない方を選択しています。家族を持ったと画面に語り掛けてはくるものの、本当の所は不明で、その家族は映画内に出演もしない。
オーウェンは保護的な母親と、強権的父親と3人で生活していますけれど、父は15歳の就寝時間は10時15分で(12歳時の10時から15分だけ伸びてるけど・・・)、ピンク・オペークは子供向け、女子向け番組だと考えているようで、そもそも会話がほとんどありません。非常に強権的ですし、母親は亡くなってしまう。しかし、それでも家を出れないし、職場の人間から性的なからかいを受けても、リアクションさえしない。恐らく性自認になにかがある。
オーウェン自身も、恐らく自分が何が好きなのか?すら不明で、世界との関わりを最小限に留めようとしているように見えます。
オーウェンがマディに話しかけたのは、ピンク・オペークの書籍を読んでいたからで、最初はそっけなかったマディも、学校が学校じゃない日は好きという話しかけを自らが行い、関係性が始まります。その上で、うちに泊まりにくれば観れるといい、オーウェンを人間として扱ってくれます。
その後もビデオの貸し出しなど、ピンク・オペークと共に関係性を深めていく。しかし、学校の中でも、常に孤独な2人。
マディもかなりの問題を抱えていて、その逃避先が「ピンク・オペーク」です。テレビ番組の解釈をしながら、次第に現実から離れていくマディ。ついには彼女自身が町から出る決心をし、オーウェンも誘いますが、その時、オーウェンは母親が恐らく抗がん剤治療を行っている為に(頭髪が見えない工夫をしている)母親を置いて出て行けない、変化を選べない状況にあります。
唯一の友人マディの失踪、さらに深い孤独の中にいる8年後、映画館で働きながらも周囲の人とのコミュニケーションは希薄な生活のオーウェンの基に、マディが現れます。
ここから、何が現実で何が妄想なのか?全く不明になって行きます。
感覚的に、私はマディとの再会さえ、オーウェンの個人的妄想の可能性もあると思いますし、2人だけが認識出来ている「ピンク・オペーク」(マディとの決別から後、ピンク・オペークの番組内容そのものが 変化 している)すら、2人の共犯関係妄想「イザベルとタラの精神と地平」のようでもありうる。
そしてさらに30年後・・・映画館も無くなり、総合娯楽施設のような場所で働きながら、子供の誕生日を祝うサービスの中で、オーウェンの絶叫、絶望がほとばしる。
性的自認のカミングアウト、重要な監督のモチーフかも知れないけれど、そういう事を知らないで観た私個人の感想としては、選べなかった、選ばなかった、人の哀しみ、それでも生きている哀しみと解釈しました。と同時に、非常にキツい世界との関係性の在り方を考えてしまった。
喰らってしまいました・・・凄い映画。
追記 いろいろな人の感想を読んで、なるほど、と思ったのが、There is still timeという文章の存在です。確かに、描かれてたし、凄くキャッチ―に画面に出てたし、これが答えなのだと思います。みんな映画ちゃんと見てて、凄い!